先日、東京都写真美術館で「メメント・モリと写真」展を見た。
E.Zuiko Auto-S 38mm f2.8 + Pen F + Kodak200
大好きなマリオ・ジャコメッリや日本の牛腸茂雄、小島一郎の作品も何点か取り上げられていて大満足、そして久しぶりの藤原新也さんの写真と文章。心に染みた。
だから、生きているあいだに、あなたが死ぬときのための決断力をやしなっておきなさい。
死とは、死を賭して周りの者を導く、人生最後の授業。
藤原新也『メメント・モリ』(新装版、朝日新聞出版、2018年)p.29 、p.42
展覧会カタログの解説で学芸員の浜崎加織さんが、かのスーザン・ソンタグの言葉を引用されている。まさに、である。『写真論』を読み耽った大学生の頃を懐かしく想い出した。
スーザン・ソンタグは、写真の本質について以下のように述べています。
写真はすべて死を連想させるもの(メメント・モリ)である。写真を撮ることは他人の(あるいは物の)死の運命、はかなさや無常に参入するということである。まさにこの瞬間を薄切りにして凍らせることによって、すべての写真は時間の容赦ない溶解を証言しているのである。
『メメント・モリと写真—死は何を照らし出すのか』(東京都写真美術館、2022年)p.26
写真は光画であって、決して写実を写し出すという意味ではない。でも、やはり真実(いずれ不在となるヒトとモノの真実)を写し出すものなのかもしれない。そういう意味ではこの日本語訳はやはり正しかったのかも、などと思いつつ。