naotoiwa's essays and photos

カテゴリ: short novel



 同じ夢を何度も見る。

 封書が届く。その封書には「部屋の家賃が滞納されています」と書かれている。途方もない金額。僕がかつて住んでいたアパアトは、三十年もの間、解約されないままになっている。取り壊されることもなく、今も大きな櫻の木の陰に隠れてひっそりと建っている。三十年分の白い埃を床や簡素な書き物机の上に堆積させて。

時空

Hektor 5cm f2.5 + M10-P + Color Efex Pro

 寒い。手足の先が冷え切っている。三十年間封印されたあの部屋の扉を開ける前に、少しばかり暖を取っておこうと僕は考える。オレンジ色の明かりに誘われて、遊歩道沿いに建っているカフェのドアを開ける。カウベルの音が鳴り、その後、店の奥からなにやら物語めいた旋律のピアノの音色が聞こえてくる。窓際の席に案内される。熱いミルクティーを注文する。窓越しにあの櫻の木が見えている。その陰に建つアパアトのシルエットが闇の中で微かに滲んでいる。

 明日から僕はまたこの街で目覚め、昼間のうちは少しだけ外に出て陽に当たり、夜が更けてからはあの部屋に閉じ籠もり、またあの頃と同じように奇妙で孤独な夜を過ごすのだ。



 そのひとはひとり、ケーキを食べている。住宅街の狭い路地の突き当たりに建つ古びた白い洋館の窓際の席に座ってひとり、ケーキを食べている。椅子の背にはベージュのトレンチコートが丁寧に折りたたんでかけてあり、前髪は綺麗に眉の上で揃っている。中高の顔にうっすらと薄化粧をして、濃い紅色の紅茶にミルクをたっぷり入れて飲んでいる。マスクを外すと唇も鮮やかな紅色で、ストロベリーケーキをフォークで少しずつその唇に運んでいる。

 店の中は、甘いケーキと紅茶の渋みと古家の黴びた匂いが混ざり合い、それらは床の絨毯に染み込んでしまっているが、時折、出窓の網戸越しに流れてくる春の風がそれを紛らわせる。

 そのひとはスマホを手に取ることもなく、文庫本を読むわけでもなく、春の夕暮れに、古びた白い洋館の窓際の席に座ってひとり、静かにケーキを食べている。


tea&cake



 あと一ヶ月もすると冬至。5時を過ぎればすぐに夜がやってくる。車のヘッドライトを点け、ハンドルを右に切ると、ここはどこだろう? 初めて通る道、見知らぬ道だ。路肩に車を停めフロントガラス越しに木々の、建物のシルエットを眺めていたら、久しぶりにあの「哀しみ」がやって来た。闇が夜が、つくづく心細いのである。小さかった頃みたいに。一度閉じ込められたら、この闇はもう永遠に明けないのではないだろうか。誰かに傍にいてほしいのに守ってほしいのに、誰もいない。もしもこのまま明けない夜をずっと走り続けなくてはならないとしたら。闇の中に置き去りにされる情景がまぶたの裏に映し出される。迷子になった情景がまぶたの裏に映し出される。シンシンと冷え込んだ世界がヒタヒタと私の中に浸透してくる。

森

@ Trolls in the park

Summaron 35mm f2.8 L + Ⅲg + APX400



 「このマンション、年をとってから大変になるって思わなかった?」と彼女は言う。

 その建物はブラフと呼ばれる崖の石段を約百五十段登り切った場所にある。眺望はバツグン。部屋の三方の窓からはいつでも海と空が見える。周辺は人通りも少なくてとても静かだ。

bluff

Summilux 35mm f1.4 2nd + M4 + XP2 400

「買い物はどうしてる?」「ネットで注文すれば何でも届けてくれる」「ずっと部屋に籠もりっぱなし?」「天気が悪い日はそうだね」「退屈?」「まだまだ読みたい本がたくさんあるから、いくら時間があっても足りない」「そう」「で、今日みたいに奇跡みたいに天気が良くなった日曜日にだけ、坂を下りていって街でパンを買ったりカフェで珈琲を飲んだり」「奇跡みたいって?」「初夏なのに風がヒンヤリとして空気が乾燥してる。今年こそはジメジメした梅雨も猛暑の夏も全部スキップしてくれるんじゃないか……そんな奇跡が起きそうな気がする日」「相変わらずのアナタの言い回し」「そうかな」「で、相変わらずひとり?」「ああ、でも、この部屋にいると毎日いろんな人たちに会えるんだ。キミみたいな昔の友だちにも、昨日会ったばかりの新しい友だちにも。みんな同じように若くて生き生きとして、この部屋でいろんなことを語り合う。日が暮れるとみんな帰って行くけれど、そのあとひとりになって考える。ひとりになって書く。とてもおだやかな毎日だ」「アナタ自身も昔のママ?」「鏡を見てないからよく分からないけど、キミが言うように言い回しも変わらないみたいだし、毎日考えることも毎晩見る夢も変わらない。ただちょっと足腰が弱くなって階段の登り降りがキツくなってきただけのこと」



 世界は乳白色の雨雲にすっぽりと覆われてしまっている。どこにも青い穴はあいていない。そこから光が差し込んでくることもない。

 地上のあらゆるものが潤んでいる。私の頭の中の襞も柔らかく潤んで心地よい。あらゆるものにしっとりとフォーカスが合ってくる。逆に晴れの日が続くと私は偏頭痛に悩まされる。ふつうは反対でしょ、とひとは言う。ふつうのひとは低気圧が近づいて来たときに頭が痛くなるわけで。

 梅雨空。六月の木曜日の午後五時。ぬかるんだ道をビニール傘を差した人たちが家路を急いでいる。雨の匂いがぬうっとする。草の匂いがむうっとする。雨に閉ぢ込められると、時間がどちらに流れているのかよく分からなくなる。そんな時、私はいつもここで、誰かがやってくるのを待つ。

 時折大声で、もういい加減にして欲しい、と叫びたくなることがあるでしょ、とわたしが云う。とっとと元に戻してほしいんだけれど、と私が云う。そろそろ滅ぶのかな? なにが? あなたが? わたしが? 世界が? 上映時間が終わるのかな? 「世界五分前仮説」が正しいとしたら、それはたった5分間だけのことだけれどね、とわたしが云う。

ぬかるみ

Zunow-Elmo 13mm f1.1 + Q-S1



 オレンジ色の明かりがシャーベットみたいに淡くなる夕刻がある。そんな時は、街の音、通りをすれ違う人々の声のざわめき、匂いの流れ方、香りの留まり方までもがなんとも柔らかい。おそらく空気の密度が普段とは違ってしまうのだろう。

 それは、春の兆しが見えてきた時節にも起こりうるし、夏の終わり、澄んだ秋の空の下、あるいは真冬の、とある一日にも起こりうる。季節はまちまちだ。ただ共通しているのは、風がふうっと止む時間帯、その後に始まる夜空が群青色になる直前の時間帯だ。

 そんな夕刻に、私は整然と区画整理された住宅街を歩いている。ツタの絡まる古めかしいヴィンテージもののマンションが左手に見えてくる。右手には簡易な十字架を屋根の上にかざした教会、その隣の更地には、大きな樫の木が一本そびえている。しばらくすると、いろんな店が軒を並べる賑やかな通りに出る。古着店、雑貨屋、小さな食堂、自家焙煎の珈琲店、エトセトラ。そして、その通りの突き当たりに、しめやかな公園の入口が待っていて、そこに自転車が二台、置き去りにされている。

bicycles

Summar 50mm f2 L + Ⅲa + Acros100 + Silver Efex Pro



 重い鉄製の扉を開けた瞬間、柔らかな暖気が出迎えてくれる。眼鏡のレンズが白く曇る。ここは、真冬の片隅にぽつんと設えられた安息の場所である。
 とにかく静かである。BGMは、聞こえるか聞こえないかの絶妙のバランスで、うっすらと流れているだけ。時折、ケトルからシューシューと湯気の立つ音がするだけ。そんな中で、みんな、思い思いの本のペエジを繰っている。でも決して、緊張を強いられる静寂ではない。空気がゆったりと和んでいる。ここに居ると、夜がずっと続いていくような気分になる。やさしい夜が、決して足元をすくわれることのない夜が、永遠に続いていくような気分になる。
 ここは、一風変わった珈琲店である。まずもって営業時間。開店は日没の一時間後、閉店は日の出の一時間前。つまりは夜の間しか営業していない。しかも完璧な夜の時間だけ。前後に一時間ずつ設けてあるのはそのためである。そして、なんと、この店には店主がいない。客は自分で棚から好きな珈琲茶碗を選び、自分でお湯を沸かし、自分で紙フィルターを使って珈琲を淹れる。といっても、セルフサービスの店ではない。姿は見えずとも、店主の気配は常に感じられる。開店時間には毎日きちんと数種類の挽き立ての豆が用意されているし、BGMで流れる音楽もその日の天候によって、あるいは、その日に集まる客たちの気分を察するようにアレンジされている。





 さて、扉を開けたすぐのところの壁には小さな貼り紙があって、そこに、この店のルールが書いてある。

1)ここは、静かに本を読む、あるいは文章を書くための場所です。
2)店内の本は全部自由に読んでいただいて構いません。でも、必ず元の場所に戻しておいてください。
3)何時間居ていただいてもかまいません。けれど、眠らないでください。
4)料金は一律千円です。お金はカウンター脇の木箱の中に入れておいてください。
5)通信機器は使わないでください。
6)最後に店を出るひとは鍵をかけ、扉の郵便受けにドロップしておいてください。

 そんなルール、客がちゃんと守ってくれるの? 本を持ち帰っちゃうひと、いない? みんながみんな千円払ってくれるかしら? ……大丈夫。この店に来る客は、初めて訪れるひとも含めて、みんなこのルールをきちんと守っている。ほぼ毎日来ている私がそう証言しているのだから、間違いはない。
 そう。私はほぼ毎日、この店に通っている。そして、ほぼ毎日、ここで物語を紡いでいる。物語、ストーリー。……そんな大仰なものではないのかも。私はただ、静かに、自分のまわりに存在しているここの親密な世界を叙述したいだけなのだから。
 営業時間の話に戻ろう。日没の一時間後から日の出の一時間前まで。だとすると、当然のことながら季節によって営業時間が変わってくる。真夏で7時間ぐらい、真冬だと10時間以上。その間、ここに来る客はただただ本を読み、文章を書いているだけ? 疲れてうたた寝してしまうんじゃない? それにお腹だって空くのでは? 確かにお腹は空く。で、そういう時のために、実はフードメニューも用意されている。ただし、出前である。カウンターの隅に小さな黒いボタンがふたつあって、それぞれに小さな文字で、ポテトサンド、フルーツサンド、と書いてある。このボタンを押してきっちり十五分後に入口の扉を開ければ、あなたはそこに銀のトレーにのった、きれいにラップがかかったポテトサンドかフルーツサンドを目にすることができるだろう。まるでホテルのルームサービスみたいに。





 午後5時を過ぎたらあっという間に日没である。晩秋。すぐに闇夜がやってくる。篠突く雨が降っている。霧。街灯が滲んでいる。見下ろすように建っているマンションの部屋の明かりも幻想的だ。誰かが僕の跡を追いかけている。誰かに襲われる光景が既視感となる。あるいは僕ひとり、どこか異界に迷い込む。落ち葉を踏みしめると腐った臭いがする。紅葉。そう言えば響きはいいが、ようは朽ちた葉のことだ。昼間、街にはまだまだいい匂いが溢れていた。珈琲豆をローストする匂い。すれ違う女の子の綺麗な匂い。日向の匂い。それが、日が暮れると一変する。どこかから雑音の混じったラジオが聞こえてくる。ずいぶんと古い歌謡曲が流れている。ひとりじゃないって素敵なことね。

紅葉

Summicron 50mm f2 R + fp



 突然、いろんな人が語りかけてくる。ふいに、路地の奥から。あるいは木洩れ陽に乗じて。何も変わってはいない、と。ずいぶんと変わってしまった、と。

 秋の陽射しはシルエットを長く伸ばす。でもそれは、この世界に実態なんてありはしないと嘲笑うような薄っぺらい影だ。これだから、秋は始末に負えない。

 高い秋の空から逃れたくて、私は古い木製の階段を登り、屋根裏部屋に閉じこもる。分厚いカーテンを引いて、そこで、日が完全に暮れるのを待つ。

 20時。もう大丈夫だろうと思ってカーテンを開けると、目の前に、まるでイタロ・カルヴィーノの小説に出てくるような、大きな、ぬめぬめとした月が黄金に輝いている。ほうら、思った通りだ。これが秋の本性なのだ。

 再び分厚いカーテンを引いて、私はまた暗闇の中に閉じこもる。月が上空に消えてしまうまで、秋の空が清澄な星の光だけになるまで。




 僕はひとり、久しぶりに訪れたその街の、緩やかに蛇行する通りをゆっくりと歩いている。通りに沿って並んでいるカフェやレストラン、ギフトショップの建物に紛れてホテルが一軒建っている。それは、ずっと昔に廃業したはずのホテルだったりする。
 僕は通りを歩き続ける。風はそよとも吹かない。通りはオレンジ色の照明に照らされて、まるで映画のセットのようだ。ひょっとして、これは現実の世界ではないのかも、と僕は思い始める。だったら、それならそれで全然構やしないのだ。みんな拵えものでいいんじゃないの、と僕は思う。それにうつつを抜かして生きている人生で構わないんじゃないの、と僕は思う。プーシキンの「エレジー」を想い出しながら。


 もの狂おしき年つきの消えはてた喜びは、にごれる宿酔に似てこころを重くおしつける。
 すぎた日々の悲しみは、こころのなかで、酒のように、ときのたつほどつよくなる。
 わが道はくらく、わがゆくさきの荒海は、くるしみを、また悲しみを約束する。
 だが友よ、死をわたしはのぞまない。わたしは生きたい、ものを思い苦しむために。
 かなしみ、わずらい、愁いのなかにも、なぐさめの日のあることを忘れない。
 ときにはふたたび気まぐれな風に身をゆだね、こしらえごとにうつつを抜かすこともあるだろう。
 でも小気味のいい嘘を夢の力で呼びおこし、としつきはうつろい流れても。


清水邦夫『夢去りて、オルフェ』(1988年、レクラム社)

*原典はプーシキン詩集のなかの「エレジー」。金子幸彦氏の訳とは最後の部分が異なっているが、ここでは清水邦夫氏の戯曲での訳を引用。

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