naotoiwa's essays and photos

カテゴリ: short novel



 オレンジ色の明かりがシャーベットみたいに淡くなる夕刻がある。そんな時は、街の音、通りをすれ違う人々の声のざわめき、匂いの流れ方、香りの留まり方までもがなんとも柔らかい。おそらく空気の密度が普段とは違ってしまうのだろう。

 それは、春の兆しが見えてきた時節にも起こりうるし、夏の終わり、澄んだ秋の空の下、あるいは真冬の、とある一日にも起こりうる。季節はまちまちだ。ただ共通しているのは、風がふうっと止む時間帯、その後に始まる夜空が群青色になる直前の時間帯だ。

 そんな夕刻に、私は整然と区画整理された住宅街を歩いている。ツタの絡まる古めかしいヴィンテージもののマンションが左手に見えてくる。右手には簡易な十字架を屋根の上にかざした教会、その隣の更地には、大きな樫の木が一本そびえている。しばらくすると、いろんな店が軒を並べる賑やかな通りに出る。古着店、雑貨屋、小さな食堂、自家焙煎の珈琲店、エトセトラ。そして、その通りの突き当たりに、しめやかな公園の入口が待っていて、そこに自転車が二台、置き去りにされている。

bicycles

Summar 50mm f2 L + Ⅲa + Acros100 + Silver Efex Pro



 重い鉄製の扉を開けた瞬間、柔らかな暖気が出迎えてくれる。眼鏡のレンズが白く曇る。ここは、真冬の片隅にぽつんと設えられた安息の場所である。
 とにかく静かである。BGMは、聞こえるか聞こえないかの絶妙のバランスで、うっすらと流れているだけ。時折、ケトルからシューシューと湯気の立つ音がするだけ。そんな中で、みんな、思い思いの本のペエジを繰っている。でも決して、緊張を強いられる静寂ではない。空気がゆったりと和んでいる。ここに居ると、夜がずっと続いていくような気分になる。やさしい夜が、決して足元をすくわれることのない夜が、永遠に続いていくような気分になる。
 ここは、一風変わった珈琲店である。まずもって営業時間。開店は日没の一時間後、閉店は日の出の一時間前。つまりは夜の間しか営業していない。しかも完璧な夜の時間だけ。前後に一時間ずつ設けてあるのはそのためである。そして、なんと、この店には店主がいない。客は自分で棚から好きな珈琲茶碗を選び、自分でお湯を沸かし、自分で紙フィルターを使って珈琲を淹れる。といっても、セルフサービスの店ではない。姿は見えずとも、店主の気配は常に感じられる。開店時間には毎日きちんと数種類の挽き立ての豆が用意されているし、BGMで流れる音楽もその日の天候によって、あるいは、その日に集まる客たちの気分を察するようにアレンジされている。





 さて、扉を開けたすぐのところの壁には小さな貼り紙があって、そこに、この店のルールが書いてある。

1)ここは、静かに本を読む、あるいは文章を書くための場所です。
2)店内の本は全部自由に読んでいただいて構いません。でも、必ず元の場所に戻しておいてください。
3)何時間居ていただいてもかまいません。けれど、眠らないでください。
4)料金は一律千円です。お金はカウンター脇の木箱の中に入れておいてください。
5)通信機器は使わないでください。
6)最後に店を出るひとは鍵をかけ、扉の郵便受けにドロップしておいてください。

 そんなルール、客がちゃんと守ってくれるの? 本を持ち帰っちゃうひと、いない? みんながみんな千円払ってくれるかしら? ……大丈夫。この店に来る客は、初めて訪れるひとも含めて、みんなこのルールをきちんと守っている。ほぼ毎日来ている私がそう証言しているのだから、間違いはない。
 そう。私はほぼ毎日、この店に通っている。そして、ほぼ毎日、ここで物語を紡いでいる。物語、ストーリー。……そんな大仰なものではないのかも。私はただ、静かに、自分のまわりに存在しているここの親密な世界を叙述したいだけなのだから。
 営業時間の話に戻ろう。日没の一時間後から日の出の一時間前まで。だとすると、当然のことながら季節によって営業時間が変わってくる。真夏で7時間ぐらい、真冬だと10時間以上。その間、ここに来る客はただただ本を読み、文章を書いているだけ? 疲れてうたた寝してしまうんじゃない? それにお腹だって空くのでは? 確かにお腹は空く。で、そういう時のために、実はフードメニューも用意されている。ただし、出前である。カウンターの隅に小さな黒いボタンがふたつあって、それぞれに小さな文字で、ポテトサンド、フルーツサンド、と書いてある。このボタンを押してきっちり十五分後に入口の扉を開ければ、あなたはそこに銀のトレーにのった、きれいにラップがかかったポテトサンドかフルーツサンドを目にすることができるだろう。まるでホテルのルームサービスみたいに。





 午後5時を過ぎたらあっという間に日没である。晩秋。すぐに闇夜がやってくる。篠突く雨が降っている。霧。街灯が滲んでいる。見下ろすように建っているマンションの部屋の明かりも幻想的だ。誰かが僕の跡を追いかけている。誰かに襲われる光景が既視感となる。あるいは僕ひとり、どこか異界に迷い込む。落ち葉を踏みしめると腐った臭いがする。紅葉。そう言えば響きはいいが、ようは朽ちた葉のことだ。昼間、街にはまだまだいい匂いが溢れていた。珈琲豆をローストする匂い。すれ違う女の子の綺麗な匂い。日向の匂い。それが、日が暮れると一変する。どこかから雑音の混じったラジオが聞こえてくる。ずいぶんと古い歌謡曲が流れている。ひとりじゃないって素敵なことね。

紅葉

Summicron 50mm f2 R + fp



 突然、いろんな人が語りかけてくる。ふいに、路地の奥から。あるいは木洩れ陽に乗じて。何も変わってはいない、と。ずいぶんと変わってしまった、と。

 秋の陽射しはシルエットを長く伸ばす。でもそれは、この世界に実態なんてありはしないと嘲笑うような薄っぺらい影だ。これだから、秋は始末に負えない。

 高い秋の空から逃れたくて、私は古い木製の階段を登り、屋根裏部屋に閉じこもる。分厚いカーテンを引いて、そこで、日が完全に暮れるのを待つ。

 20時。もう大丈夫だろうと思ってカーテンを開けると、目の前に、まるでイタロ・カルヴィーノの小説に出てくるような、大きな、ぬめぬめとした月が黄金に輝いている。ほうら、思った通りだ。これが秋の本性なのだ。

 再び分厚いカーテンを引いて、私はまた暗闇の中に閉じこもる。月が上空に消えてしまうまで、秋の空が清澄な星の光だけになるまで。




 僕はひとり、久しぶりに訪れたその街の、緩やかに蛇行する通りをゆっくりと歩いている。通りに沿って並んでいるカフェやレストラン、ギフトショップの建物に紛れてホテルが一軒建っている。それは、ずっと昔に廃業したはずのホテルだったりする。
 僕は通りを歩き続ける。風はそよとも吹かない。通りはオレンジ色の照明に照らされて、まるで映画のセットのようだ。ひょっとして、これは現実の世界ではないのかも、と僕は思い始める。だったら、それならそれで全然構やしないのだ。みんな拵えものでいいんじゃないの、と僕は思う。それにうつつを抜かして生きている人生で構わないんじゃないの、と僕は思う。プーシキンの「エレジー」を想い出しながら。


 もの狂おしき年つきの消えはてた喜びは、にごれる宿酔に似てこころを重くおしつける。
 すぎた日々の悲しみは、こころのなかで、酒のように、ときのたつほどつよくなる。
 わが道はくらく、わがゆくさきの荒海は、くるしみを、また悲しみを約束する。
 だが友よ、死をわたしはのぞまない。わたしは生きたい、ものを思い苦しむために。
 かなしみ、わずらい、愁いのなかにも、なぐさめの日のあることを忘れない。
 ときにはふたたび気まぐれな風に身をゆだね、こしらえごとにうつつを抜かすこともあるだろう。
 でも小気味のいい嘘を夢の力で呼びおこし、としつきはうつろい流れても。


清水邦夫『夢去りて、オルフェ』(1988年、レクラム社)

*原典はプーシキン詩集のなかの「エレジー」。金子幸彦氏の訳とは最後の部分が異なっているが、ここでは清水邦夫氏の戯曲での訳を引用。



 三十五年ぶりに君に逢いに行った。棲んでいるところはちゃんと覚えていた。だって、あれからずっと、僕は君の棲んでいるアパアトの部屋の家賃を払い続けてきたのだから。

 鉄製の錆付いたドアを開けると、君は部屋の奥の窓を半分開けてベランダに体を半分出して、両手で両脚を抱えていた。ベランダには桜の花びらがたくさん積もっていた。ぼんやりと生暖かい風がゆっくりとこちらに流れてきた。
 部屋の中には三十五年分の埃が真綿のように白く積もっていた。床にも書き物机にも、鉄製のベッドに載せられたマットレスの上にも。その埃は生暖かい風に吹かれて、ほんの一瞬宙を舞ったが、すぐにもとの状態に収まっていった。

 やあ、と君は言って、ゆっくりとこちらにやって来た。そして、ベッドのマットレスに腰をかけるようにと僕に目配せをした。「なんだか甘い香りがするね」と僕が言うと、「さっきまで彼女がここにいたから」と君は言った。「彼女とはうまくやっていけそうか?」と僕が尋ねると、「それはこっちが聞くセリフだよ」と君は言った。書き物机の上の小さなスピーカーからシューベルトのピアノソナタが流れていた。「好きな曲もあまり変わらないね」と僕が言うと、「それもこっちのセリフ」と君は言った。

 それから、君は改まって、じっと僕の瞳を見つめながら、「久しぶりだね、その後どうです?」と言った。その口ぶりが中原中也の詩とまったく同じだったので、僕も、「そこらのどこかでお茶でも飲みましょ」と続けた。そうして僕は、君を部屋の外に連れ出すことにした。

 並んで歩いているふたりの背丈はほとんど同じだった。「毎日、この道を駅まで歩いて会社に通っているんだ」と君は言った。道は所々、昨日の雨でひどく泥濘んでいて、君の新調した革靴はすぐに薄汚れてしまう。



 今にも雪が舞い落ちてきそうな冬空の下、僕は古いローライフレックスを首からぶら下げて凍えながら街を歩いている。馴染みの古本屋は本日休業、シャッターを下ろして店ごと悴んでいる。その脇に地蔵が一体、色あせた朱の頭巾を被ってぽつりと寂しそうに立っている。摩耗してほとんど表情が読み取れないその横顔に西日が赤々と差している。シャッターボタンに人差し指を当てる。金属の先端がツンと冷えている。巻き上げてあったかどうだったか。現像してみたら二重露光だらけかもしれぬ。あるいは何も写ってない箇所が何カットもあるかもしれぬ。入れたフィルムはISO400だったか100だったか。そもそもカラーだったかモノクロだったか。

 通りをしばらく進むと、最近出来たばかりらしい大型の新築のマンションが見えてきた。エントランス前に置いてあるパンフレットを手に取ると、ここはマンションではなく有料老人ホームらしい。「要介護認定5の方も認知症の方も入居可、胃瘻の方の介護も万全」と書かれている。入居時2500万、月額家賃30万。各階の窓辺には花もなければカーテンもかかっていない。おそらくはまだほとんどが空室なのだろう。僕は自分が二十年後ここで生活している情景を思い浮かべる。
 その老人ホームの先には、築30年以上は経過しているであろうプレハブの安アパアトが二軒建っている。手前の建物の一階のドアのひとつが開いて、若い学生がひとり外に出てくる。饐えて黴びた部屋の匂いがぷんとする。もうひとつの建物の二階のドアがひとつ開いて、外階段を降りてくるハイヒールの音がする。甘ったるい香水の匂いがぷんとする。僕は自分が三十年前ここで生活している情景を思い浮かべる。

 それから、僕はなんともウンザリした気分になってきて、……なににウンザリしたのだろう。想い出すことにか、思い起こすことにか。いやおそらくは、いつもそんなことを繰り返してばかりいる我々人間の、間延びしたやり口そのものに僕はウンザリしたのかもしれぬ。

 回れ右をして来た道を引き返す。すると風景が一変し始めた。通りの反対側に「架空ショップ」という看板を出した店がある。ないものを売っている店ということか、あるいは店内には誰もいないということか、はたまた店そのものが実際は存在していないということか。
 そうだ、いっそのこと、みんな架空だったらいいのにと思う。誰かが今日一日のこの街で繰り広げられるあらゆるシーンのシナリオを書いて、それをみんながひたすら演じるのだ。次の日はまた誰か別の人がシナリオを書いて。その方が現実なんかよりずっとシズル感がある。

 いつの間にか、いつもの公園に戻ってきた。併設された動物園のゲートをくぐることにする。無性に人間以外の生きものが見たくなったのだ。時刻は16時ちょうど。「あと一時間で閉園になりますがよろしいですか?」

 山羊のお腹はどうしてこんなに大きいのだろうと僕は思う。横にこんもりと膨れ上がっている。妊娠しているのか、たくさん草を食んだのか、あるいは悪い腫瘍ができているのか。フェネック狐はどうしてこんなに耳が立っているのだろうと僕は思う。どうしてネコ科じゃなくてイヌ科なんだろう。どうしてこんな不可思議な鳥みたいな鳴き声なんだろう。

 ワシミミズクにじっと見つめられながら、僕はローライフレックスのファインダーを上から覗く。二眼レフの鏡像が左右逆転するのは知っているが、上下は現実のままなのか、あるいは上下もほんとうは逆転しているのではないかと僕は不安になる。……シャッターボタンに人差し指を当てる。金属の先端がツンと冷えている。巻き上げしてあったかどうだったか、またわからなくなってくる。

magic hour

Summitar 5cm f2 + M9-P



 そろそろ、ラストオーダーになります、とバーテンダーの人が言った。もう一杯だけマッカランをください、とわたしは言った。胸の中がざわめいている。過呼吸になりそうな感じ。ふっと、意識が揺らぐ。さっきまでカウンターの奥でひとりビールを飲んでいたひとが、隣に来てわたしになにか言っている。カウンターに突っ伏したわたしに顔を近づけてなにか言っている。

 このひとは誰だろう。初めて見かけたひとだ。でも、わたしにはわかる。この、今わたしのすぐ近くにいるこのひとが、わたしにとってとても大切なひとだということが、なぜだかわたしにはわかる。ずっと前から、わたしはこのひとのことを知っている。このひととのことはなにもかも憶えている。

 わたしの記憶の中で、フィルムが急速に巻き戻り出したのがわかる。そして改めて、再生ボタンが押されるのがわかる。また最初から?

 面倒臭いなあ。ちょっとだけわたしはそう思う。でも、このひととなら、何度だっていいじゃない、と思い直す。前に会ったときも、ワクワクすることがたくさん、いっぱいいっぱいあった気がするよ。

nous deux

Summitar 5cm f2 + M9-P



 長野にはあっという間に到着。わたしたちは駅前のバス乗り場で志賀高原行に乗る。バスは高速を二区間だけ走ってから専用道路に入っていく。そのころから雪がちらつき始め、うねるようなカーブを十ぐらいクリアする頃には、道路が真っ白になってくる。トンネルを抜ける度、白い世界は着実に完成していく。最初は道路だけだったのが、次には山肌が真っ白になり、その次には道路脇の家々が全部、そしていつの間にか見渡す限りすべてのものが真っ白に覆い尽されていく。最後のトンネルを抜けた時、ふいに道路の真上をリフトが横切って動いているのに出くわす。わたしたちの乗っているバスはそのリフトの下をくぐって行く。「さあ、ここが志賀高原の入口だよ」とあなたが教えてくれるの。「わあ、すごい、まるでおとぎ話の世界みたい」とわたしは言うの。

 翌日から、わたしはスクールに入ってスキーの猛特訓。一週間も経つ頃にはけっこううまくなって、もうどこでもあなたのあとを追って滑っていけるようになってるの。

 そうして、1月初旬のある日。午前中は吹雪いていたけど午後には晴れ上がって、でも頂上のあたりは誰も人がいなくて。そんな中、あなたがゆっくりとシュプールを描いている音だけが聞こえている。わたしはその音をたよりに後をついていく。しばらくすると、あなたがコースを外れて林の中に入っていくのが見える。あなたは、時々止まって後ろを振り返り、わたしの名前を呼ぶ。わたしはちゃんとあなたの後をついて行っているのだけど、あなたにはわたしの姿が見えていないみたい。そして、わたしもあなたの姿がだんだん見えなくなってくる。わたしはものすごく怖くなる。ああ、ひょっとして。あなたもわたしも真っ白なスキーウェアを着ているものだから、ふたりとも白銀の中に溶け込んでしまって見分けがつかなくなっているんじゃないか。……そう、わたしは気が付くの。






 昨日の夜に見た夢は、そんな夢でした。



 ずんずんと、駅から続く一本道を私は歩き続ける。この道は、数十年も昔に毎日通った道だ。大通りに軒を連ねる店のほとんどが様変わりしてしまった。でも、狭い路地に入り込むと当時の雰囲気がまだ至るところに残っている。そこに清澄な秋の日射しが降り注いでいる。

 この日射しを浴びていると、私はどんなことだって思い出せそうになる。数十年ぐらいはあっという間に行き来できそうになる。それどころか、ぐるっと回転して、自分の人生はひとつ前の人の人生になり、ぐるぐる、そのまたひとつ前の人の人生になる。何度でも、ぐるぐるぐるぐる、十回、二十回、三十回。いくらだって繰り返せる。人なんかどれだけ変わっても、この世界自体はなにも変わりはしない。世界の終わりはなかなか訪れはしない。あるいは、ほんとうの世界は、とうの昔にすでに終わってしまっているのかもしれない。

 秋の日射しを全身に浴びていると、私はいつだってそんな気分になる。すれ違う人々の顔が白くハレーションを起こしている。みんな、のっぺらぼうみたいに見えてくる。懐しさみたいな感情が時折湧き上がってきたとしても、それはカラカラに乾き切っている。

清澄

Summilux 50mm f1.4 ASPH. + M10-P

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