naotoiwa's essays and photos

カテゴリ: kokubunji




 お昼の休憩時間を利用して、よくここに来る。武蔵国分寺公園。

 かつて、この近くに武蔵国の国分寺、国分尼寺があった。公園から国分寺講堂跡へと至る途中には真姿池湧水群があり、近所のひとがのんびりとペットボトルに湧水を汲んでいる。国分寺崖線のハケに沿って「お鷹の道」が続いている。

湧水

 湧水園前の「おたカフェ」でぼんやりしながら、天平時代に思いをはせる。ここは国府があった府中から至近の場所。当時の人々が、周辺の緑美しい台地を眺めつつ、東山道武蔵路沿いにはるか遠くの奈良の都を目指す姿を想像する。

 JR国分寺駅。今では駅直結の高級タワーマンションが建ち並ぶ中央線のターミナル駅だが、そこから15分も歩けば、あっという間に古代へのタイプスリップが可能になるのだ。

鎌倉街道


all photos taken by Zunow 13mm f1.1 + Q-S1

distorted

D-Zuiko 3cm f2.8 of PEN S + Fuji400


 distorted bamboo.




 先日、「言語隠蔽」について書いたばかりなのであるが、私は、よくよく言葉で騙されやすいタイプである。あるいは、言葉だけでどんどんイメージを広げていけるタイプである。例えば、大学の近くに「恋ヶ窪」なんてところがあるが、そんな地名を聞いたりすればずぐに魅了される。そして、名前の由来とされている「姿見の池」見たさに駅から線路伝いをトコトコひとりで歩いて行ってしまう。

 ここはかつて鎌倉街道の宿場町があったところだ。遊女たちが池の水面に自らの姿を写した。だから姿見の池。そして、とある鎌倉武士と遊女がここで恋に落ちた。鎌倉武士が平家との戦いで死んだと聞かされた遊女は絶望の余り池に身を投げる。それが「恋ヶ窪」の名前の由来とされている。

姿見の池

 いずれにしても、周辺は国分寺崖線のハケの湧水が育んだ野川の水源とされているエリアである。この姿見の池がそうだと言う人もいるし、現在は日立製作所の中央研究所内にある大池がそうだと言う人もいる。(日立製作所の敷地内は年に二回、一般公開されている)

 ハケの道。野川。川沿いには旧石器時代の遺跡跡もある。そして、その水源地の地名が「恋ヶ窪」。イメージはどんどん膨らんでいくのである。


path

P.Angenieux 25mm f0.95 + E-P5


 path.




 国分寺にある大学に通い始めて、丸二ヶ月が過ぎた。今までの個人の仕事を続けつつ、大学での授業と(その準備と)研究と行政業務というのは、予想はしていたものの、かなりハード。(ま、このくらいで音を上げるつもりは毛頭ないけれど)でも、体調は悪くない。むしろ前より良くなっている気がする。たぶん、場所のせい。大学がとても「気」のいい場所にあるからだと思う。

 大学の敷地の南側を、例の国分寺崖線が貫いている。ハケ下から武蔵野台地に至る坂を登っていく途中に研究棟のいくつかが建っている。眼下には湧水池。このあたり一帯は、明治から大正の初期にかけて政財界人の別荘群が数多くあったところ。すぐ近くには犬養毅ゆかりの滄浪泉園がある。波多野承五郎氏の別荘跡。ここにも深い湧水池がある。

ハケ

CANON S120

 一帯がマイナスイオンに満ち満ちている。そして、入りくんだ迷路のようなハケの道が武蔵野の原風景への想像力をかき立ててくれる。この周辺はまさに、大岡昇平「武蔵野夫人」の舞台なのである。

 ドルジェル伯爵夫人のような心の動きは時代おくれであろうか。(ラディゲ)
『武蔵野夫人』より


 

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