naotoiwa's essays and photos

カテゴリ: kyoto



 大阪での仕事帰り、京都のイノダコーヒ本店に立ち寄ることにした。休日のせいもあって観光客が列をなして順番を待っている。天下のイノダコーヒは今や京都の観光名所なのである。たかが珈琲一杯飲むだけのためにこの長い列に並ぶのは閉口するが、まあいい、大人しく待つことにしよう。今日は意を決して、ずいぶんと久しぶりにここにやってきたのだから。

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P.Angenieux 25mm f 0,95 + E-P5

 この堺町通りにあるイノダコーヒ本店。(ちなみに、イノダコーヒーではない。イノダコーヒ、である)予備校時代に通い詰めた店である。大学に進学し東京に住み始めてからもそれは続いた。就職してからも出張仕事にかこつけて、京都に寄り道をし、その度にここイノダコーヒ本店に立ち寄り続けた。

 ところが、1999年、この店は火事で半焼してしまう。翌年直ぐに再建されたが、以来、足が遠のいてしまった。イノダの珈琲が飲みたくなった時は、敢えて近くの三条通り店の方に行く。たぶん、あの火事とともにそれまで私と京都を結びつけていたさまざまなもの、青春の澱のようなものたちが散り散りに消えていってしまったのかもしれない。

 そんなことを思いながら、私はずいぶんと久しぶりに、ここイノダコーヒ本店のテーブル席に座り、昔から変わらない「砂糖、ミルク入り」珈琲を飲んでいる。ゆっくりと時間をかけてそれを飲み終えると、カップの底にはどろりと砂糖が残っていた。甘ったるい澱のように。



 京都の何必館でマルティーヌ・フランクの写真展を見る。

マルティーヌ・フランク展

 マルティーヌ・フランク。マグナムの女流写真家。アンリ・カルチエ・ブレッソンの奥さんだった人、と言った方が話はすぐに通じるだろうか。彼女の撮ったブレッソンのポートレート写真も数多く残っている。リラックスした巨匠の表情を眺めているだけでも楽しいが、私は彼女の演出写真が結構好きである。グラフィカルで被写体の並べ方にユーモアがあって、演出過剰のギリギリの手前のところで留めている。例えばこんな風に。

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 彼女が京都の賀茂川べりに並んで座っている人たちを撮っている写真があった。

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 私も帰りに構図を真似して撮って見る。四条大橋から眺める風景は1970年代も2016年の今もそんなに変わらないようだ。

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GR 18.3mm f2.8 of GRⅡ



 引き続き京都ネタ。

 私は決してラーメンフリークではないが、青春時代の思い入れのせいだろうか、今でも京都ラーメンにだけには特別な感慨を抱いてしまう。そもそも京都ラーメンとはまったく他のラーメンとは異なる食べ物である。あのスープの色、大量の九条ネギの歯ごたえ。チャーシューメンというよりも、あれは肉そばとでも呼んだ方がいいような。

 京都駅に着く。烏丸口を出て徒歩5分、またいつもの塩小路である。さてここで例によってハムレットの問答が始まる。「第一旭か新福菜館か、それが問題だ」…隣同士の二軒の京都ラーメン。第一旭には行列が出来ている。こちらの方がちょっとだけ人気が高いようだ。でも私は新福菜館を選ぶ。理由は明瞭、チャーハンも食べたいからだ。(第一旭にはチャーハンは存在しない)「ヤキメシとラーメンの小!」と声高に京都弁のイントネーションで注文する。…待つこと10分。来た来た、いつもの黒々とした京都ラーメン&ヤキメシ。

新福菜舘

ヤキメシ

 ラーメンのサイズを小にしても持て余す。これ以上無理をすれば明日の朝必ず胸焼けを引き起こすとわかっているのに。…何歳になっても学習効果のない猿みたいにこの組み合わせに拘泥してしまい、完食。

 で、案の上、翌日は胸焼けである。今日のお昼はどうしようか。あっさりと日の出うどんかおめんのうどん?と思いきや、いつの間にか烏丸十条のラーメン藤に足が向いていた。新福菜館も第一旭ももちろんうまいが、私が一番好きな京都ラーメンは、ここラーメン藤である。スープの色はは極端に黒くはない。麺は繊細。九条ネギはシャキシャキとみずみずしい。ということで、二日続けて京都ラーメンである。

藤

 もちろん、新福菜館でもラーメン藤でも「麺かため、ネギ多めで!」とオーダーしたのは言うまでもない。



 京都は水の街である。街中の至る所から良質の井戸水が湧き出でいる。私も京都に住んでいた頃は、ペットボトルを持参して梨木神社の染井の水や八坂さんの祇園神水に通ったものだ。他にも、市比賣神社(いちひめ)神社の天之真名井(あまのまない)とか、二条のホテルフジタ近く(今ではリッツカールトン、か)の銅駝美術工芸学校の防災用地下水など。このあたりはNHKの「京都人の密やかな愉しみ」でも特集されていたようである。
 そして、なにやら怖ろしげな井戸水もいくつか現存する。呪詛の井戸として有名な鉄輪の井とか。でも、ダントツはここ六道珍皇寺の「冥土通いの井戸」と「黄泉がえりの井戸」であろう。

 小野篁(たかむら)ゆかりの井戸である。小野篁。平安時代の高級官僚。身長180センチの大男。小野妹子の子孫、小野道風の祖父。野宰相とも呼ばれた奇人。遣唐使になることを拒否して隠岐に流されたことも。彼が自分の死んだ母親に会いたくて、餓鬼道に陥っていた母親の罪を軽減してもらうために地獄に赴き閻魔大王と交渉、それが縁で閻魔大王に才能を認められ(?)ついに閻魔大王の判官になったという、かなり漫画チックな伝説が残っている。で、彼が通った地獄巡りの「冥土通いの井戸」とそこから帰還するための「黄泉がえりの井戸」が今も境内に現存しているのだ。毎年冬の間だけ特別公開されるので、先日久しぶりに行ってみることにした。

井戸

 井戸の中は写真撮ったらあきまへんで、なに映るかわかりませんよってに、とお寺の方に脅される。その言葉通り、このふたつの井戸は深く深く、覗き込もうとするとまさに冥界の奈落まで誘われそうである。

 この六道珍皇寺、清水道近くにあり松原通がすぐ目の前。昔の京都人は賀茂川を三途の川に見立て、そこを越えたところから東の風葬の地「鳥辺野」に至るこのあたりをこの世とあの世の境界と考えたのであろう。

六道辻

 迎え鐘をつかせて貰った。ここの鐘は押して撞くのではなく、引いて撞く。そのせいか、なんとも柔らかな響きである。今年の夏は両親の供養を兼ねてこのお寺の六道まいりに参加させていただくのも悪くない。父親が修羅道、母親が餓鬼道に陥っていないことを祈りつつ。…

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