naotoiwa's essays and photos

カテゴリ: camera



 先月の「フィルム終焉近し?」と題した話の続きである。

 今時、フィルムカメラで撮影するなんて完全に趣味の領域、絵画的でノスタルジックな描写が欲しい時ぐらいのもの。そう思っていた。ところが、大昔の1920年代から30年代のカメラでフィルム撮影したものが、最新のデジタルカメラよりも階調性が優れているだけではなくシャープさや繊細さでも勝っているのを見て驚いてしまった。レンズは定番中の定番、シンプルなテッサー型のエルマーである。しかも初期ニッケル時代のノンコートのもの。スキャニングしただけでこれだけの写りを目の当たりにすると、また自家現像で紙焼きを再開したくなる。

テラス

Elmar 50mm f3.5 (nickel,full rotation) + Ⅲ (DⅢ) + Acros100 II

ポピー

Elmar 50mm f3.5 (close focus, Görz) of Leica A early + FOFER + Fuji100


 この100年近くのカメラとレンズの進歩って、いったいなんだったんだろう?



 いよいよフィルムがなくなってしまうのか。量販店に行っても殆ど在庫がない。あっても「おひとりさま一本限り」の表示、値段は業務用レベルのカラーネガが36枚撮りで2000円前後もする。幸いにもまだカラー現像もモノクロ現像も引き受けてくれる店はあるが、現像料は数ヶ月単位で上昇。これじゃあ、昨今せっかく若い人たちの間でフィルムカメラがブームになったものの、この後が続くまい。

 これからの時代、フィルムカメラ好きはいったいどうしたらいいのか。おとなしく、すべてをデジタルに切り替えて、ノスタルジックな描写が欲しいときは、デジカメにオールドレンズを取り付けて満足するしかないのか。

 でも、この95年前の距離計もない軽くて小さなカメラが、絞り込めばここまで先鋭に精緻に、開放にすればここまで柔らかく甘く世界を写し出す。これで十分、いや、これが一番ではないだろうか。ただし、一本フィルムを買って現像するだけで3000円以上コストがかかるわけだから、今後は、年に数回楽しむ程度の贅沢な道楽にならざるを得ないのかもしれない。

水たまり

桜

Elmar 50mm f3.5 (close focus, Görz) of Leica A early + FODIS + Delta 400

万両

Summar 5cm f2 + Ⅲ (DⅢ) + Fuji100


 この立体感にちょっとびっくり。
 90年前のカメラと86年前のレンズで、フィルム撮影したとは思えない。







 ライカのA型やⅠf、あるいはローライ35など、距離計の付いてないカメラはおおらかな気分で目測スナップするのが王道。でも、どうしても正確に距離を合わせたくなったら単体の距離計が必要になる。この煙突みたいな長い距離計を付けると、なんとも大仰な姿になってせっかくのサイズ感が台無しになってしまうのだが、測距の精度は長い分だけ距離計内蔵カメラよりもはるかに高い。

 使い方は、1)距離計の測距窓から対象物を見てダイヤルを回しながら二重像をあわせる。2)合掌したところの数字をダイヤルから読み取る。3)その数字と同じになるようにレンズのヘリコイドを回す。という手順になるが、ここでいささか問題が生じる。距離計のダイヤルもレンズの方も、目盛りがそれほど細かく刻まれているわけでもないし、双方が一致していない場合もある。おまけに、メーター表示ではなくフィート表示だったりすると、測距結果が2.5フィートと3フィートの中間ぐらい、とか、80フィートと無限大の中間ぐらい、なんて出ると一瞬頭の中が白くなる(フィートなんて30倍しておけばそれでだいたい合っているんだけどね。3フィートは約90センチ、80フィートは約24メートル)。せっかく単体距離計付けているのにまたまたアバウト。ううむ、どうにもすっきりしない。

 で、考えた。というか、順番を変えてみた。じゃあ、自分の足で合わせればいいのではないかと。つまりはこういうことである。1)まずは対象物までの距離を距離計でざっくり測ってみる。結果、10フィートと13フィートの中間ぐらい、と出たとすれば、2)レンズのヘリコイドには13フィートの表示がないので距離計もヘリコイドもどちらも10フィートに正確に合わせる。3)そのまま自分が動いて今一度二重像が正確に合致したところでシャッターレリーズを押す、という案配である。

 これでようやく気分はスッキリしたののであるが、ふと冷静になってみると、2023年の現代になって、いったい何をやってるんだろうと自分自身に呆れることになる。今や iPhone に付帯したカメラを起動させれば超広角から望遠まで瞬時にピントを合わせることができるし、ポートレートモードなら前後のボケも(擬似的ではあろうが)自由自在だ。そんな時代に今更、なにもこんなしち面倒くさいことをして写真を撮らなくても、と。

 でも、ライカAの初期型に至ってはおよそ100年前のカメラなのである。それが現代でも使えることのかけがえのなさを徹底的にスローライフに味わうというのも、これまた実にオツなことではないだろうか。

dog

Elmar 5cm f3.5 (close focus, Görz) of Leica A early + FOFER + Fuji Superia 400




 オールドレンズ&カメラの沼歴もかれこれ二十年。今まではけっこう美品にこだわり続けてきたつもりだが、例によって、そろそろ終着駅が近づいてきたようで、ブラコン(コンタックス Ⅰ)やA型(ライカ Ⅰ型)にばかり目が行くようになってしまうと、もはやそんなことは言っていられない。年代が年代だけに(1925年から1937年ぐらいまで)、ペイントロスのないものなんてあり得ないし、擦れ傷のないレンズなどかえって疑わしい。せいぜいが「キレイめ」のものを探すしかないわけで、でも、そうなると逆にその「キレイめ」に付いた擦れ傷や汚れが気になって仕方がない。で、だったら、いっそのこと徹底的にエイジングされているものの方が、ということになる。真鍮の下地がほぼ剥き出しになったもの、象嵌がほとんど溶けてしまっているものの方が潔くて美しく見えてくる。末期症状である。でも、よくいえば「侘び寂びの世界」でもある。また、これは、元来美品好みの自分の神経症をなんとか回避するための価値観の切り替えでもある。

 ということで、ブラコンは、敢えてあのマニアックなシャッタースピード設定のない初期型の方がプロ好みだの、イチゴゾナーはニッケルとクロームのハイブリッドがおもしろいだのとうんちくを並べ、A型は、マッシュルームはエクボがあるやや後期のもののほうがいいだの、エルマー銘板のフォントが旧字でもゲルツ製とは限らないだの、メーター表示の方がラクだが近接タイプはすべてフィート表示だのと、ひとりブツクサつぶやきながら、手のひらにすっぽりと収まる絶妙の大きさ(というか小ささ)のボディや、初期型ならではの目地の粗めのグッタペルカを撫で回す。で、撫でれば撫でるだけさらにペイントは剥げ、グッタペルカのひび割れはひどくなる、ということになる。
leica A

XF 35mm f1.4 + X-T30 Ⅱ




 現在、オールドカメラ&レンズ断捨離中。ふだん使わないものを潔く処分して、今後も使い続けていきたいものだけ残す、あるいは本当に自分が好きなものに買い換える。
 で、ブラコンなのである。ブラザーコンプレックスのことではない。ブラックコンタックスである。天の邪鬼な私は、ライカよりもコンタックスのカメラとレンズに心引かれる。なかでも最初のレンジファインダーカメラであるコンタックスⅠ、通称ブラコン。

 改めて、このブラコン、なんともマニアックなカメラである。操作しづらい。なんでここに巻き上げノブがあるの? どうしてシャッタースピードの設定にこんなお作法が必要なの? でも、測距の基線長がライカに比べて断然長くて正確だし(その代わりいつも右手で距離計窓を塞いでしまいがちなのだが)、リボンを使った縦走りシャッターの感触がタマラナイ。

 若い頃から何度も使ったことのあるカメラだが、最近になってこのブラコン病がまた再発にしてしまっている。でも、なにせ90年も前のカメラで、なおかつこれほど複雑な機構のため、完調な個体に巡り会うことはますます困難を極めている。販売する方も保証期間に故障が頻発すると商売にならないのであろう。ブラコンの修理をこなせる職人さんもかなり減ってきたと聞く。2022年の今、再び実用に耐え得るブラコンを入手することはなかなか至難の業である。高速シャッターのムラはないか(リボンの左右ともがきちんと正しいサイズのモノにしてあれば問題は起きないそうだ)、ネズミ鳴きの低速シャッター時に光線漏れはないか、二重像の縦ズレはないか、などなど、クリアしなくてはならいポイントがいくつもある。

 ということで、現在手元にあるブラコンは最初期の1932年のもの(ver2)。ネズミ鳴きのスローシャッターは付いていないが、その分カメラ自体の重量も軽く、これなら気軽に毎日持ち歩ける。このブラコンに基本中の基本の同年代のテッサー5cm,f3.5を付けて撮影。

snake

Tessar 5cm f3.5 (C mount pre war) + ContaxⅠ + XP2 400



 オールドレンズ&カメラの楽しみ方のひとつに製造年にこだわって集めるというのがある。自分の生まれた年のものを選んでバースディライカと称したりするのがまさにそれである。

 私の場合、意図的に製造年を選んで購入することはなかったけれど、結果として当時の思い出が詰まった年のものに遭遇することも多かった。例えば現在手元にあるハッセルブラッドのSWCは1979年製。高校卒業後、京都で浪人時代を過ごしていた年に当たる。今から思うと人生の最初の岐路に立っていた時のことである。

 ま、それはさておき。60年代、70年代のインダストリアルデザインが好きなので、おのずとその世代のレンズやカメラが多く集まってくるのであるが、最近は戦前(第二次世界大戦前)のものに心引かれる。ここまで古いと自分の人生のエピソードとはまるで関係なく、単なる歴史的なロマンだけなのであるが、気がつくとここ数年に購入したもののほとんどが戦前のものである。コンタックスⅡやビオゴン35ミリ、ゾナー85ミリ、ライカのエルマーやズミタールといった汎用レンズも敢えて戦前のノンコートものばかりを選んでいる。それらはもうかれこれ90年ぐらい経過しているものなので、調整してもシャッタースピードは安定しないし、レンズも曇りや傷だらけ。たまに嘘みたいに綺麗な個体に遭遇することがあって思わず買ってしまうのだが、それらはもしかしたら後の時代のものとのニコイチとか、研磨されたものかもしれない。でもまあ、それでいいのである。1930年代に造られたカメラやレンズであることの片鱗がどこかに見え隠れするだけで、気分はアガる。

contax2

 古い時代のもの、いにしえのものは、ただそれだけで美しい。こういうタイプの人間が骨董の世界に陥ったら大変なことになりそうなので、今のところはなんとか実用に使えるオールドカメラ&レンズだけに留まっているのであるが、この病気も昂じると、、



 仕事でも趣味でも、今までいろいろなカメラとレンズを使ってきたが、その中でもやはり一番厄介というか難儀したのはハッセルのSWCではないだろうか。(三十代に何年か、そして最近になってまた79年製のSWCを使用している)

 特殊なカメラというかレンズである。ご承知のようにビオゴンレンズのためだけにボディが存在しているこのカメラは広角38ミリ(35ミリ換算で21ミリ)。露出計なし、距離計なし。目測であることもかなり厄介ではあるが、超広角なのに周辺の歪曲がほとんどなく極めてシャープな写真が撮れるというその評判の高さこそがストレスになっているのではないかと思うのだ。というのも、そうした評判ほどの写真が実際のところはなかなか撮れないからである。自分の腕が悪いのか、それとも個体の状態が悪いのか。周辺は結構歪むし、どんなに絞り込んでパンフォーカスにしても遠景のシャープさは今ひとつ。購入したお店のご好意で個体のレンズ調整をお願いしたりもした。で、何度も試写し試行錯誤していろいろ悩んだ末の現在の結論は以下の通りである。

 1)いかに神レンズのビオゴンであろうとも、完璧に上下左右とも1ミリの傾斜なく構えないことには確実に歪む。
 2)いかにTコーティング付きのビオゴンがシャープといえども、所詮は1970年代のオールドレンズ。現代のレンズでデジタルの数千万画素のセンサーで写ったものと比較するのは意味がない。

 その境地に達したところで改めて浮遊し続ける水準器に目を凝らして(ほとんど船酔いしそうになりながら)撮影したのがこの写真である。歪みほどんどなし、周辺まで柔らかくもシャープ。こうした写真が12枚のうちに1枚ぐらい撮れる。この不確実さ、でも一枚はアタリの写真が撮れる奇跡が起き得ることがハッセルのビオゴンが神レンズ&カメラである所以なのではと。

SWC

Biogon 38mm f4.5 of SWC + Portra120



 高速シャッターでムラが出てきたのでM4をオーバーホールに出した。6年ぶり。もともとはウィーン郊外の中古カメラ店で購入したこのM4、もう使い始めて二十年ぐらいになるだろうか。35ミリレンズで撮るには最適なファインダー倍率、露出計が付いてないから後玉が飛び出ているエルマリートの9枚玉やスーパーアンギュロンもストレスなく付けられる。バルナックやM3に比べればフィルム装填もやはり簡単で便利だ。

 高速の1/1000シャッターが復活したところで、ズミルックス35ミリを最小絞りにして撮影する。この柔らかさと滲みと光の捉え方は、やはりフィルムならでは、そしてズミルックスならではだと思う。

curtain

window

Summilux 35mm f1.4 2nd + M4 + XP2 400



 ここに来て、また中古のハッセルブラッドの人気が復活しているらしい。デジタルバックの値段も少しばかり安くなって、今までのボディやレンズをそのままデジタルでも気軽に使用できるようになってきたからだろうか。一体型二眼レフのローライではそうはいかない。汎用性の高いハッセルブラッドのVシステムならでは、である。
 でも、私が若い頃からずっと今に至るまでハッセルが好きであり続けている理由は、これはもう、その躯体のインダストリアルデザインの美しさに尽きる。素晴らしき50年代のモダニズムデザイン。
 さて、初めてハッセルに憧れたのはご多分に漏れず、ミケランジェロ・アントニオーニ監督の1967年の映画『欲望』(BLOW-UP)を見た時である。若き日のデヴィット・ヘミングス扮する売れっ子カメラマンがいつもスタジオで三脚に据えていたのがマグニファイニングフードとクランクを付けた500Cで、マガジンは旧型のC12。そのバックスタイルの格好良さに惚れ込んだ。ので、今まで実用に1990年代以降の501C や503CWを使っていたこともあったが、やはり今後も手元に残しておきたいのは白鏡胴Cレンズ付きの500Cということになる。
 長い間、スクリーンが交換可能な500Cの最後期(あるいは500C/Mの最初期?)の71年製を愛用してきたが、今年に入ってから60年代の同じ年の製作年でボディもレンズもマガジンも揃った500Cのセットに買い換えることにした(差額は使わなくなったレンズを断捨離して)。今回のセットはすべて65年製。『欲望』(BLOW-UP)の製作年が66年だから、あの映画で使われていたのも同じ65年製かも?

c12

 それにしても、この旧式の暗い交換できないスクリーン、見にくいっすね(笑)。でも、大丈夫。暗い分だけかえって屋外の明るいところではピントのヤマが逆によく分かったりするのです。

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