naotoiwa's essays and photos

カテゴリ: drama



 仕事で成城まで行ったので、ちょいと懐かしくなってお茶屋坂へ。この坂を登ったところに、昔々のテレビドラマ「雑居時代」の舞台となった栗山邸があった。このあたりは野川沿いの湧水地、国分寺崖線の一部である。

お茶屋坂

XF 16mm f2.8 + X-T30II +Color Efex Pro

 懐かしさついでに駅の北側の増田屋でお昼を食べることに。こちらもドラマの中で登場した店。今でもほとんど建物の外部も内部も変わらない。さあて何を食べようか。やはり基本のもりそば? ドラマでも石立鉄男さんが大坂志郎さんと向き合ってここでもりそばを食べていたシーンがあったと記憶しているが、あの大原麗子さんの名セリフ「また天丼食べに行きましょ」を思い出し、昼間っから天丼を注文してしまった。

増田屋

XF 35mm f1.4 + X-T30II +Color Efex Pro

「雑居時代」が放映されたのは1974年、中学一年生の時である。思えばあの頃からずっと憧れの女性像は変わっていないのかもしれない。文学少女なのに家庭的で、おまけにキップのいい姉御肌。そんな年上の女性に、ハスキーな低い甘い声で「また天丼食べに行きましょ」と言われたら…。そんな幻想を中学生の頃何度脳裏に浮かべたことだろう。

 大原麗子さんも石立鉄男さんも亡くなって既に十余年が過ぎている。




 「東京ラブストーリー」のリメイク版の配信が始まった。2020年のカンチは伊藤健太郎、リカは石橋静河。オリジナル「東京ラブストーリー」が放送された1991年はまだケータイのない時代。すれ違いのドラマツルギーがもどかしくも切なかったが、スマホとlineのある令和の「東京ラブストーリー」もナカナカだ。やはり、原作者柴門ふみが描いた「赤名リカ」のキャラクターそのものが時代を超えてバツグンに魅力的なんだろうと思う。

 そして、今回、ドラマの舞台は原作通り広告会社に戻った。広告業界のこれからとか広告会社の資産価値がどうなっていくのかなんてよくわからないけれど、あの頃も、そして今も、ヤンチャでトンがった素敵な女の先輩が何人もいた広告会社、彼女たちに憧れトキめくことができる広告会社ってやっぱりいいなあと思う。もう一度20代に戻ったらまた広告会社に入り直すかも、なんて思えてしまう、石橋静河演ずるところの2020年、「赤名リカ」である。





 トレンディドラマ。現在では死語に近いだろう。かつて民放各局が人気俳優、女優を起用して放映したオシャレな夜9時枠の恋愛ドラマのことである。代表作は、やはり「東京ラブストーリー」だろうか。平均視聴率20%、最終回は30%を超えた。脚本は坂元裕二さん。30年近く前の作品だが、今でもロケ地松山の梅津寺を訪れるファンが絶えないと聞く。私もオンタイムで「東京ラブストーリー」を見ている世代であるが、でも、同じ坂元さんの脚本ならば、2004年の「ラストクリスマス」の方が好きかもしれない。

 トレンディドラマの基本はメロドラマ。甘くて切ない恋の駆け引き。「東京ラブストーリー」も「ラストクリスマス」もメロメロのメロドラマであるが、紆余曲折の後、すべてがハッピーエンドで終わる「ラストクリスマス」の方がより安っぽくて劇画チックなメロドラマの真髄を感じるからだ。どちらも主演が織田裕二だし、主人公の勤めている会社名も同じ「ハートスポーツ」。同じようなシチュエーションやセリフも散見される双子のような作品である。でも、主人公の描き方が正反対だ。「ラストクリスマス」の方の織田裕二には優柔不断さがみじんもない、学生時代からの恋人よりも、四ヶ月前に出会った新しい恋を躊躇なく選ぶ。で、その選ばれた恋人が矢田亜希子演じる青井由季。このキャラ設定がタマラナイ。清楚な美人、でも、彼女はもとレディース。時折出る元ヤン言葉がタマラナイ。

 さて、メロドラマであるからには音楽が大切。メロドラマのメロとは音楽のことである。ゆえに、トレンディドラマは必ず主題歌とセットになっている。「東京ラブストーリー」には小田和正の「ラブ・ストーリーは突然に」、「ラストクリスマス」にはもちろんワムの同名の名曲である。そして、素敵なサウンドトラック。




 複雑なストーリーテリングに疲れたらメロドラマがいい。メロドラマの安っぽさが心地よい。ちなみに、クルト・ヴァイルが作曲した「三文オペラ」にもメロドラマと題したシーンがある。




 久しぶりにドラマ「ラストクリスマス」なんぞを想い出したものだから、無性にスキーがしたくなってしまった。台風の後はいよいよ梅雨明け、本格的な夏到来だというこのタイミングでw




 昨日、仕事の合間に三鷹市の芸術文化センターに太宰治を「聴き」に行った。太宰治朗読会は今年で19回目だという。毎年名だたる俳優の方が来る。今回は田中哲司さん。朗読する作品は「恥」と絶筆となった「グッド・バイ」。

グッドバイ


 素晴らしい舞台だった。田中さんの声色、表情は言うに及ばず、演出がいい。といっても大がかりな美術や映像があるわけでもなく、舞台にはシンプルな折りたたみ椅子がただひとつ。でも、田中さんは時に座りながら、時に舞台の袖から袖まで歩き回りながら、読み終える毎に原稿用紙を一枚ずつ床に落としていくのだ。それらが散乱し、やがて床を埋め尽くしていく。あとは最低限の効果音(SE)だけ。でも、役者の肉声とSEのみの究極の引き算の演出だからこそ、見る人、聴く人の感覚を揺さぶるのである。

 さて、太宰の「グッド・バイ」。編集者の田島と鴉声の美女キヌ子のやりとりが抱腹絶倒。最高にウィット&ユーモアに富んだコメディ作品である。

 朗読会が終わった。せっかくなので芸術文化センター隣の禅林寺にある太宰治の墓を久しぶりに訪ねてみることにする。白い百合の花がたくさん供せられていた。



 自分は本当のところ何になりたかったのか、という自問自答ほど詮なきことはないのであるが(ちなみに、自分の場合はなりたいものはいくつもあったし、不遜にも50の半ばを過ぎた今になっても、まだまだこれからもいろんな可能性があると脳天気に思っていたりするのであるが)、改めて思い返してみると、二十歳前後の頃に一番なりたかったのは学芸員でも学者でも広告のクリエーターでもなく、ひょっとしてドラマの脚本家、演出家だったような気がする。新卒の就活ではテレビ局が第一志望だった。結果は全滅だったけれど。当時は民放の倍率が天文学的数字であったこともあるが、生意気にも面接で、報道もバラエティもイヤ、ドラマのディレクター志望一筋です、で貫いたせいもあるだろう。最終面接までいったところもあったが、けっきょく全部落とされた。だからといって22歳でいきなりフリーの脚本家・演出家を目指す勇気はなかった。目の前の生活があったし。

 大学生の頃、脚本家になりたいと思ったのは、たぶん向田邦子さんのせいである。彼女の書く台詞、そして彼女の生き様そのものに憧れていた。

 脚本家とは、丹念に slice of life を描きつつ、そこに人生の箴言を滲ませた魔法をかけることのできる人のことだと思う。現代の脚本家の中では、木皿泉ユニット、源孝志さん、岡田惠和さん、坂元裕二さんあたりがとりわけそうした魔法のかけ方がうまい。

 先日のブログにも書いたが、1991年のドラマ「東京ラブストーリー」にも坂元裕二さんが魔法をかけた見事な台詞がたくさん出てくる。有名なところで言えば、

 「誰も居ないから寂しいってわけじゃないから。誰かが居ないから寂しいんだから」
 「どんなに元気な歌聴いても、バラードに聴こえる夜もある」


 あたりだろうが、個人的には、赤名リカが語る「好き」の定義というか、それってリクツじゃないと関口さとみに語る場面のやりとりがストレートだけど秀逸で、当時、ノオトにメモした覚えがある。

 「(カンチのこと)好き?」「いっしょにいたい……」「好き?」「淋しいとき、哀しいとき、いちばん会いたい……」「好き?」「でも、それって好きってことなんでしょ?……」「好きは好き、よ」

 坂元さんは当時まだ二十代。天才脚本家である。



 フジテレビが「東京ラブストーリー」の再放送を始めた。10月から放送される織田裕二と鈴木保奈美の共演復活を記念してのことらしい。「東京ラブストーリー」、1991年の作品だから27年前。

 赤名リカが好きだった。物言いに茶目っ気があって、でもとっても詩的で。やることがハチャメチャで、でもとっても一途で可憐で。例えば、落ち込んだカンチを元気づけようと(と同時に自分に振り向かせようと)道端に積み上げられていたドラム缶を思いっきり足で蹴ってひっくり返し、逃走する。満天の星空が見える場所まで。

 1991年と言えばバブル経済最後の年。その翌年あたりから時代がずいぶんと変化していった。経済的なことについてはあまり興味がないが、人々の生きざまは(ってちょっと大げさですね)、この年を境にして大きく変わっていったように思う。ひと言で言えばそれは、無茶をするかしないか、である。

 そう言えば、バブル経済始まりの頃の映画「私をスキーに連れてって」の中に「無茶しないで何が面白いのよ?」というセリフがある。凍結した路面で真理子がヒロコに賭けラリーを持ちかける場面だ。「凍ってるね」「丸池まで5000円」
 
 赤名リカがドラム缶をひっくり返してカンチの手を取り逃走するのを見て痛快なのは、彼女が自分のピュアな気持に殉じて「無茶」しているからだ。

 1991年と言えば自分が三十歳になった年。自分も「無茶」ばかりやっていたあの頃のことを久しぶりに思い出させてくれた。やはり人生、時には「無茶」することも必要なのではないかと思う。それはもちろん人に迷惑をかけることでは決してなく、自分自身の心に正直になり、自分自身を解放するための「無茶」だ。



 時折柄にもなく、「今までの自分の人生、ほんとうにこれでよかったのだろうか」なんて思い巡らし夜も眠れなくなることがあるけれど、そんな時は、この文章を読み返すことにしている。

 ドラマ「最後から二番目の恋」(の続編の方)の最終回、ラスト近くのモノローグの台詞。脚本は岡田恵和さん。

 人が大人になるということは、それだけ多くの選択をしてきたということだ。なにかを選ぶということは、その分、違うなにかを失うことで、大人になってなにかをつかんだ喜びは、ここまでやったという思いと、ここまでしかやれなかったという思いを、同時に思い知ることでもある。でも、そのつかんだなにかが、たとえ小さくとも、確実にここにあるのだとしたら、つかんだ自分に誇りを持とう。勇気を出してなにかを選んだ過去の自分をほめてやろう。よく頑張って生きてきた、そう言ってやろう。そして、これからを夢見よう。

 勇気を出してなにかを選んだ過去の自分をほめてやろう。……今夜は自分にちょっと甘めの気分です。

能面

Summicron 50mm f2 + Ⅲg + Lomo Grey400


 能面。




 昨日、友人にお誘いいただいて、久しぶりに国立能楽堂に行ってきた。式能である。各流派のお歴々が一堂に。フルで見たら朝の10時から夜の20時までぶっ通し。スゴイ。演目も盛りだくさんである。春らしく「翁」あり「鶴亀」あり。宝生流家元の「翁」なんてなかなか見れるもんじゃない。堪能しました。

式能

 その第一部の最後の演目が狂言の「樋の酒」だった。主人の留守中に米蔵と酒蔵の番を任された太郎冠者と次郎冠者。まずは次郎冠者が酒のかぐわしい匂いに誘われ仕事を忘れてグイグイと。それを見て羨ましがる太郎冠者。ならばと、次郎冠者はふたつの蔵の窓越しに竹の樋(とい)を通し太郎冠者にも酒を飲ませてやることを思い付く。で、いつの間にかふたりは宴会状態に。そこに主人が戻ってくる。当然のことながらふたりは叱咤されて逃げ惑う。でも、もうかなり泥酔しているので許しを請う仕草も楽しげだ。「ゆるされませ」「ゆるされませ」

 能といえば幽玄の美。橋懸かりの廊下はあの世とこの世をつなぐ道だと言われているが、この狂言「樋の酒」では、その橋懸かりと舞台正面を跨いで竹の樋が酒を流している。そこには、神を誘うような音色の能管も、「ヨーイ」「ヤ」「ハ」の掛け声も、修羅物や鬢物を見る時のような耽美性もなし。ま、例の邯鄲の一節である「よも尽きじよも尽きじ薬の水も泉なれば。汲めども汲めども弥増に出づる菊水を。飲めば甘露もかくやらんと。心も晴れやかに。飛び立つばかり有明の夜昼となき楽しみの。栄華にも栄耀にもげにこの上やあるべき」のくだりは典雅だったが、基本はただただネアカな能楽。こういうのも悪くない。上演中に思わずゲラゲラと笑ってしまった。ゆるされませ。ゆるされませ。



 藤村俊二さんが亡くなられた。たぶん、日本の俳優さんの中で一番好きだったかもしれない。

 遺族の方が、生前の直筆のメッセージを公開されていた。これがまた。…藤村さんの美学とユーモアの集大成で、泣いて微笑んで、また泣いてしまった。

 塩どき。このまま此処に居ては 格好悪くなると思った時に 其処から居なくなる時。

 潮時と書かずに「塩どき」と書く。おヒョイさんらしい。でも、文面の中身はシリアスなダンディズムに満ちている。ほんとうにそうだと思う。これは人生のあらゆるステージにおいて通用する美学だ。
 周りから見て明らかに格好悪くなっているのにその場所に留まってしまう(あるいは、留まらざるを得ない)人たちがたくさんいる中で、こうした美学を貫ける藤村さんはステキだ。よほどココロの中の孤独が強い人じゃないとできないことだ。人当たりのいい柔らかなひとほど、根本のところで覚悟が出来ているのだと思う。見習いたい。
 藤村さんみたいにオシャレをしたいならココロの中もこのくらい格好良くならなくちゃね、と思う。そうでなければ、年を取ってからも伊逹に軽やかにピンクのシャツなんか着ちゃいけないよね、と思う。…ご冥福をお祈りします。

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