naotoiwa's essays and photos

カテゴリ: drama



 自分は本当のところ何になりたかったのか、という自問自答ほど詮なきことはないのであるが(ちなみに、自分の場合はなりたいものはいくつもあったし、不遜にも50の半ばを過ぎた今になっても、まだまだこれからもいろんな可能性があると脳天気に思っていたりするのであるが)、改めて思い返してみると、二十歳前後の頃に一番なりたかったのは学芸員でも学者でも広告のクリエーターでもなく、ひょっとしてドラマの脚本家、演出家だったような気がする。新卒の就活ではテレビ局が第一志望だった。結果は全滅だったけれど。当時は民放の倍率が天文学的数字であったこともあるが、生意気にも面接で、報道もバラエティもイヤ、ドラマのディレクター志望一筋です、で貫いたせいもあるだろう。最終面接までいったところもあったが、けっきょく全部落とされた。だからといって22歳でいきなりフリーの脚本家・演出家を目指す勇気はなかった。目の前の生活があったし。

 大学生の頃、脚本家になりたいと思ったのは、たぶん向田邦子さんのせいである。彼女の書く台詞、そして彼女の生き様そのものに憧れていた。

 脚本家とは、丹念に slice of life を描きつつ、そこに人生の箴言を滲ませた魔法をかけることのできる人のことだと思う。現代の脚本家の中では、木皿泉ユニット、源孝志さん、岡田惠和さん、坂元裕二さんあたりがとりわけそうした魔法のかけ方がうまい。

 先日のブログにも書いたが、1991年のドラマ「東京ラブストーリー」にも坂元裕二さんが魔法をかけた見事な台詞がたくさん出てくる。有名なところで言えば、

 「誰も居ないから寂しいってわけじゃないから。誰かが居ないから寂しいんだから」
 「どんなに元気な歌聴いても、バラードに聴こえる夜もある」


 あたりだろうが、個人的には、赤名リカが語る「好き」の定義というか、それってリクツじゃないと関口さとみに語る場面のやりとりがストレートだけど秀逸で、当時、ノオトにメモした覚えがある。

 「(カンチのこと)好き?」「いっしょにいたい……」「好き?」「淋しいとき、哀しいとき、いちばん会いたい……」「好き?」「でも、それって好きってことなんでしょ?……」「好きは好き、よ」

 坂元さんは当時まだ二十代。天才脚本家である。



 フジテレビが「東京ラブストーリー」の再放送を始めた。10月から放送される織田裕二と鈴木保奈美の共演復活を記念してのことらしい。「東京ラブストーリー」、1991年の作品だから27年前。

 赤名リカが好きだった。物言いに茶目っ気があって、でもとっても詩的で。やることがハチャメチャで、でもとっても一途で可憐で。例えば、落ち込んだカンチを元気づけようと(と同時に自分に振り向かせようと)道端に積み上げられていたドラム缶を思いっきり足で蹴ってひっくり返し、逃走する。満天の星空が見える場所まで。

 1991年と言えばバブル経済最後の年。その翌年あたりから時代がずいぶんと変化していった。経済的なことについてはあまり興味がないが、人々の生きざまは(ってちょっと大げさですね)、この年を境にして大きく変わっていったように思う。ひと言で言えばそれは、無茶をするかしないか、である。

 そう言えば、バブル経済始まりの頃の映画「私をスキーに連れてって」の中に「無茶しないで何が面白いのよ?」というセリフがある。凍結した路面で真理子がヒロコに賭けラリーを持ちかける場面だ。「凍ってるね」「丸池まで5000円」
 
 赤名リカがドラム缶をひっくり返してカンチの手を取り逃走するのを見て痛快なのは、彼女が自分のピュアな気持に殉じて「無茶」しているからだ。

 1991年と言えば自分が三十歳になった年。自分も「無茶」ばかりやっていたあの頃のことを久しぶりに思い出させてくれた。やはり人生、時には「無茶」することも必要なのではないかと思う。それはもちろん人に迷惑をかけることでは決してなく、自分自身の心に正直になり、自分自身を解放するための「無茶」だ。



 時折柄にもなく、「今までの自分の人生、ほんとうにこれでよかったのだろうか」なんて思い巡らし夜も眠れなくなることがあるけれど、そんな時は、この文章を読み返すことにしている。

 ドラマ「最後から二番目の恋」(の続編の方)の最終回、ラスト近くのモノローグの台詞。脚本は岡田恵和さん。

 人が大人になるということは、それだけ多くの選択をしてきたということだ。なにかを選ぶということは、その分、違うなにかを失うことで、大人になってなにかをつかんだ喜びは、ここまでやったという思いと、ここまでしかやれなかったという思いを、同時に思い知ることでもある。でも、そのつかんだなにかが、たとえ小さくとも、確実にここにあるのだとしたら、つかんだ自分に誇りを持とう。勇気を出してなにかを選んだ過去の自分をほめてやろう。よく頑張って生きてきた、そう言ってやろう。そして、これからを夢見よう。

 勇気を出してなにかを選んだ過去の自分をほめてやろう。……今夜は自分にちょっと甘めの気分です。

能面

Summicron 50mm f2 + Ⅲg + Lomo Grey400


 能面。




 昨日、友人にお誘いいただいて、久しぶりに国立能楽堂に行ってきた。式能である。各流派のお歴々が一堂に。フルで見たら朝の10時から夜の20時までぶっ通し。スゴイ。演目も盛りだくさんである。春らしく「翁」あり「鶴亀」あり。宝生流家元の「翁」なんてなかなか見れるもんじゃない。堪能しました。

式能

 その第一部の最後の演目が狂言の「樋の酒」だった。主人の留守中に米蔵と酒蔵の番を任された太郎冠者と次郎冠者。まずは次郎冠者が酒のかぐわしい匂いに誘われ仕事を忘れてグイグイと。それを見て羨ましがる太郎冠者。ならばと、次郎冠者はふたつの蔵の窓越しに竹の樋(とい)を通し太郎冠者にも酒を飲ませてやることを思い付く。で、いつの間にかふたりは宴会状態に。そこに主人が戻ってくる。当然のことながらふたりは叱咤されて逃げ惑う。でも、もうかなり泥酔しているので許しを請う仕草も楽しげだ。「ゆるされませ」「ゆるされませ」

 能といえば幽玄の美。橋懸かりの廊下はあの世とこの世をつなぐ道だと言われているが、この狂言「樋の酒」では、その橋懸かりと舞台正面を跨いで竹の樋が酒を流している。そこには、神を誘うような音色の能管も、「ヨーイ」「ヤ」「ハ」の掛け声も、修羅物や鬢物を見る時のような耽美性もなし。ま、例の邯鄲の一節である「よも尽きじよも尽きじ薬の水も泉なれば。汲めども汲めども弥増に出づる菊水を。飲めば甘露もかくやらんと。心も晴れやかに。飛び立つばかり有明の夜昼となき楽しみの。栄華にも栄耀にもげにこの上やあるべき」のくだりは典雅だったが、基本はただただネアカな能楽。こういうのも悪くない。上演中に思わずゲラゲラと笑ってしまった。ゆるされませ。ゆるされませ。



 藤村俊二さんが亡くなられた。たぶん、日本の俳優さんの中で一番好きだったかもしれない。

 遺族の方が、生前の直筆のメッセージを公開されていた。これがまた。…藤村さんの美学とユーモアの集大成で、泣いて微笑んで、また泣いてしまった。

 塩どき。このまま此処に居ては 格好悪くなると思った時に 其処から居なくなる時。

 潮時と書かずに「塩どき」と書く。おヒョイさんらしい。でも、文面の中身はシリアスなダンディズムに満ちている。ほんとうにそうだと思う。これは人生のあらゆるステージにおいて通用する美学だ。
 周りから見て明らかに格好悪くなっているのにその場所に留まってしまう(あるいは、留まらざるを得ない)人たちがたくさんいる中で、こうした美学を貫ける藤村さんはステキだ。よほどココロの中の孤独が強い人じゃないとできないことだ。人当たりのいい柔らかなひとほど、根本のところで覚悟が出来ているのだと思う。見習いたい。
 藤村さんみたいにオシャレをしたいならココロの中もこのくらい格好良くならなくちゃね、と思う。そうでなければ、年を取ってからも伊逹に軽やかにピンクのシャツなんか着ちゃいけないよね、と思う。…ご冥福をお祈りします。



 レ・ミゼラブルの英語劇を見に行った。@駒場小空間

ミゼラブル

 土曜日のマチネなのに30分前から満席である。補助席を出しても対応できないほどの盛況ぶり。こっそり心の中で「おめでとう」と言う。というのも、この英語劇、うちに住んでいる学生さんが珍しく精魂傾けて参加していた作品なので。数日前も大きなスーツケース持参して泊まり込みで本番の準備に没頭していた。役者として舞台には出ていないが、パンフレットには演出、directorなんぞと紹介されている。そうして、彼の肉筆で、なにやらメタフィジカルな文章が書かれている。「掠め過ぎる時間」ってなんだ?その昔、堀辰雄がそんな言葉を書いていた記憶があるが。リルケの詩の一節かなにかだったような。

 約100分の公演。出演者のESSの方々の英語の発音が素晴らしい。そして全員が朗々と歌も歌えてしまう。(もちろん英語の歌詞で)たいしたものだ。パチパチパチパチ!

 最後に、彼が舞台に立って、来場者のみなさんへのお礼と出演者へのねぎらいの言葉を述べた。なんだよ、けっこうカッコイイじゃないの、クールで。でも、そのマスクの裏に情熱が沸々と漲っているのが透いて見えるよ。

 演劇の面白さ、知ってしまったね。作・演出の、あのなんとも照れるような、そのくせ肩をそびやかしたくなるような独特の感じ、知ってしまったね。そして、いっしょにものづくりをする仲間たちと共有するあの快楽、知ってしまったね。それは今後のあなたの人生にいろんな影響を与えます。そのことは私がとてもよく知っています。ご愁傷様、レ・ミゼラブル。

 ま、それはさておき、公演の大成功、ほんとうにおめでとう!芝居がはねたら打ち上げだ。当分帰ってこなくていいよー、directorどの。



 日本の女優の中で誰が一番好き?という質問に、…少し躊躇しながらも、い、石田ゆり子、と答えると、大概の女性たちからは、あー、あなたもそうなのねー、定番だわねー、どうして世の男どもはこうなのかしら、という顔をされる。決まって。ま、そうかもしれない。定番かもしれない。でも、やはりいいのである、石田ゆり子。顔も表情ももちろんいいが、たぶん、声がいいのである。そして、髪型がいいのである。柔らかくてはかなくて癒やされて色っぽくて。(その言い回しが定番なのよねー。どうして世の男どもはどいつもこいつも同じようなことを言うのでしょうねえ、となるのである)

 映画「四日間の奇蹟」、そして「解夏」の時の石田ゆり子が特によかった。ただし、これらはいずれも彼女が三十半ばの頃の作品。

 で、その石田ゆり子も今はもう年齢も四十五歳を過ぎているという。ところが、それなのにそれなのに、まったく劣化していないのである。NHKの大石静のドラマ「コントレール〜罪と恋」を見て驚いた。これはタマリマセンです。相手役の井浦新の母性本能くすぐりまくりの前髪おろしとあの目線もタマリマセンです。

 舞台となっている海辺のドライブインの舞台美術がなんともかの「バグダッドカフェ」風なのには苦笑してしまったが。アメリカ西部の砂漠が千葉の海岸沿いに変更って感じ。

contrail




 でも、そんなことは関係ない。ただただ石田ゆり子見たさに、見逃した回をNHKオンデマンドで購入しているワタクシです。I'm calling you….

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