naotoiwa's essays and photos

カテゴリ: architecture

春の夕暮

Elmar 50mm f3.5 (close focus, Görz) of Leica A early + FODIS + XP2 400


 春の夕暮。




 今日の関東地方は真夏に戻ったように30度を超える快晴となった。でも、空気は乾燥して日に日に秋らしさが増している。おととい(21日)の中秋の名月も目が醒めるような美しさだった。
片影

Russar 20mm f5.6 + MM

 こんな、一瞬、夏に戻ったような、でももう秋の清澄さが十二分に感じられる日に思い出す文章がある。竹久夢二が日本橋に港屋絵草紙店を開店した際の挨拶状である。先日脱稿したばかりの夢二に関する論文にも引用したが、季語「片影」の使い方が素敵である。店主である妻、他万喜の名前で書かれているが、文案は竹久夢二もしくはふたりの共同執筆であったろう。


 下街の歩道にも秋がまゐりました。港屋は、いきな木版繪や、かあいゝ木版画や、カードや、繪本や、詩集や、その他、日本の娘さんたちに向きさうな繪日傘や、人形や、千代紙や、半襟なぞを商ふ店で厶(ござ)います。女の手ひとつでする仕事ゆえ不行届がちながら、街が片影になりましたらお散歩かたがたお遊びにいらして下さいまし。

「増訂版 金沢湯涌夢二館収蔵品総合図録 竹久夢二」(金沢湯涌夢二館、2013年、2021年改訂)p.156参照

line art

Summilix 50mm f1.4 ASPH. + M10-P + Color Efex Pro


 rainy night.





根岸

Summilux 35mm f1.4 + M10-P + Color Efex Pro


 根岸競馬場@南京墓地。


彼岸

Summilux 35mm f1.4 2nd + fp


 彼岸。




 町田市にある武相荘に行ってきた。ご存じ、白洲次郎・正子夫婦の邸宅跡。ここは、戦時中、当時まだ寒村だった鶴川村の農家をふたりが買い取って改築したものである。現在ギャラリーになっている茅葺き屋根の母屋には正子の書斎が残されている。蔵書の一冊一冊を眺めやる。折口信夫全集、南方熊楠全集。チェーホフも数冊ある。本の重みのせいか床の一部が真ん中で傾いていたりもする。

 書斎近くに「無駄のある家」と題した正子の文章の一部が展示されていた。この文章が素晴らしい。

 鶴川の家を買ったのは、昭和十五年で、……(中略)……もともと住居はそうしたものなので、これでいい、と満足するときはない。綿密な計画を立てて、設計してみた所で、住んでみれば何かと不自由なことが出て来る。さりとてあまり便利に、ぬけ目なく作りすぎても、人間が建築に左右されることになり、生まれつきだらしのない私は、そういう窮屈な生活が嫌いなのである。俗にいわれるように、田の字に作ってある農家は、その点都合がいい。いくらでも自由がきくし、いじくり廻せる。ひと口にいえば、自然の野山のように、無駄が多いのである。……(中略)……あくまでも、それは今この瞬間のことで、明日はまたどうなるかわからない。そういうものが家であり、人間であり、人間の生活であるからだが、……

白洲正子『縁あって』(2010年、PHP研究所)


 普請道楽を極めた人だけが言える言葉だと思う。

武相荘2

武相荘1

Summilux 50mm fd1.4 1st + M9-P



 螺旋階段が好きである。グッゲンハイム美術館しかり、会津の栄螺堂しかり。

 無駄を排した直線美。例えば、モンドリアンやリートフェルト、あるいはコルビュジエに憧れる。でも同時にその正反対の、曲線とか迷路とか、そういうものにも無性に心惹かれる。アテネのアクロポリスの丘よりもその眼下にあるプラカ地区に、ベルサイユ宮殿よりもフォンテーヌブローの宮殿に心惹かれる。

 美しい螺旋階段があると知ったらどこへでも行きたくなる。ところが、灯台もと暗し、とはこのことだ。なんと、通っている大学の敷地内にもそれはあった。築1968年の研究棟。

螺旋

Zunow 13mm f1.1 + Q-S1





 NHKの朝ドラ「半分、青い。」は岐阜県が舞台である。脚本家の北川悦吏子さんのふるさと。番組中にたくさんの岐阜弁(東濃弁?)が飛び交っている。私も岐阜県の出身なので理解は出来るが、岐阜弁というのはけっこう特殊なのだ。例えば、こんなふうに。……昔、よく母親に「はよ、まわしせんと」となどと言われた。「まわし」とは「準備、支度」の意味である。標準語的にはさっぱり意味がわからぬ。

 幼い頃から私はこの地方の言葉があまり好きではなかった。おとなたちが話している言葉のイントネーションがイヤだったのだ。大仰でなにやらがさつで。もっと柔らかなニュアンスの言葉を話す国で暮らしたいと思っていた。でも、自分の出自を変えることはできない。

 そんな自分の生まれた場所(岐阜県の大垣市である)に初めて誇りを持ったのは本郷の菊富士ホテルのことを知った時であろうか。菊富士ホテル。本郷の菊坂にあった西洋式のホテル。大正から昭和にかけて、文人たちのコミュニティとして有名だった高級下宿。今で言えばコーポラティブハウスといったところか。尾崎士郎、宇野浩二、竹久夢二、谷崎潤一郎、広津和郎、直木三十五、そして坂口安吾といった名だたる文士たちがみんな菊富士ホテルの住人だったのだ。で、この菊富士ホテルをつくったのが岐阜県大垣市平村(現在の安八郡)出身の羽根田幸之助なのである。彼は日本の近代文学の偉大なパトロンだったのだ。

 ホテルは空襲で焼けて、現在では跡地に石碑が建っているだけだが、かつてここに富士山が望める三階建ての、そしててっぺんには坂口安吾が愛用した塔の部屋のあるホテルが建っていたのだと思うと感慨深い。近藤富枝さんが書いた「本郷菊富士ホテル」を片手に界隈を散策してみると、女子美術大学の前身の建物や宇野千代が働いていたレストランが近くにあったこともわかる。

ホテル跡


本郷菊富士ホテル


 岐阜県大垣市出身であることが誇りに思えるひとときである。




 大学が近いこともあって、小金井公園の中にある「江戸東京たてもの園」はたびたび訪れる。大好きな前川國男邸や常盤台写真場がある。でも、時にそうしたモダン建築よりも心引かれるのが、関東大震災の後の復興建築として名もなき設計者やデザイナーたちがつくった看板建築と言われる建物群である。
 看板建築。正面のファサード部分だけが銅板やタイル、モルタルで覆われている。軒をなくしたマンサード屋根。しかし、奥行きは杉板等を多用する従来の木造建築物である。ここに住むのは個人商店を営む人たちで、ファサード部分が店舗で奥は個人用の住宅である。
 その代表的な建物が東ゾーンにいくつか復元されている。現在は展示スペースで「看板建築展」も行われていて、今回、改めてじっくりと看板建築について勉強してみたのだが、これがなかなかに奥が深い。この看板建築に先立つものとして、震災直後のバラックを美しく装飾するための「バラック装飾社」というのがあって、そのコンセプトが「バラックを美しくするための仕事一切」とのこと。その中心となって活躍したのが建築家であり民俗学研究者の今和次郎氏。「考現学」を提唱した人だ。

バラック

 バラック装飾といい、看板建築といい、一見するとその空間には一貫性がなくインスタレーション発想からはほど遠いものだが、この敢えての「デコレーション感覚」が今から思うと逆に新鮮である。ダダイズムと言えばいいのかポストモダンと言えばいいのか。ちょいと胸騒ぎを覚えてしまった。。

路地

CZ Jena Flektogon 20mm f4 + α7s


 路地裏。


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