naotoiwa's essays and photos

カテゴリ: travel



 伊豆の河津といえば、とにもかくにも早咲きの河津桜で有名。他にも薔薇の名所のバガテル公園には何度か行ったことがあるが、今の今まで、河津にこんなところがあるとは知らなかった。伊豆ならんだの里、河津平安の仏像展示館

 河津駅の近くの谷津橋(かつてはここが伊豆半島の海運の要所だったらしい)から車で坂道を7〜8分ほど。駐車場に車を止め、そこからさらに急な坂道を登る。ちょいと息があがるが、ようやく登り詰めたところからの山の紅葉が美しい。
 現在、展示館の隣には南禅寺(なぜんじ)のお堂が建っているが、八世紀、行基がこの地にインドのナーランダにちなんだ那蘭陀寺という名前のお寺を建立したのが始まりとのこと。しかし、十五世紀、この那蘭陀寺は山崩れにあい、安置されていた平安時代の仏像・神像のほとんどが土の中に埋没してしまった。で、のちにそれらを掘り起こし奉納したのが南禅和尚なんです、と地元の方が丁寧に説明をしてくださった。

 その仏像・神像群が素晴らしかったのである。約二十体ある像のうち、半分近くはお顔の原型を留めてないが、それでも、いや、それゆえにこそ、神々しさがひしひしと伝わってくる。プリミティブアート、あるいは抽象的なモダンアートを見ているような気分になってくる。三十分ほど魔法をかけられたように我を忘れて見入ってしまった。
 最後に、これらの仏像の多くがカヤの木の一木造りだと説明を受けながら、木の皮の甘みだけで煎じた甘茶をいただいた。そして、「これはその同じカヤの木のお札ですよ」といってお土産にもらった木札は、なんとも清々しいいい香りがした。悠久の昔に誘ってくれるような。……

南禅寺






 先日、仕事で地方都市に行ったときのこと。

 夕方には打合せも終わり、ラッキー、夜はフリータイムだ、帰りは翌日の朝、とりあえず宿も取ったしこれからどうしようかな、という時の楽しみのひとつに映画館でレイトショーというのがある。東京の六本木や日比谷のオシャレなシアターで映画鑑賞もいいけれど、こじんまりした街の、ちょっと古びた映画館の座席の隅っこにこっそりひとり異邦人として紛れ込み、地元の人たちの方言を小耳に挟みながらポプコーン片手にレイトショーを見るというのが私の密やかな愉しみのひとつなのである。

 このために、今話題の「カメラを止めるな!」を東京で見るのを今までガマンしていたのである。ネットでチェックすると、宿泊予定のホテルから徒歩十分のところの映画館で夜の9時から11時まで上映中。座席の予約をする。上映開始まで近くの店で腹ごしらえをしてからグーグルマップの導くまま映画館に向かう。

 ポプコーンとコーラのセットを買って前から三番目の一番端の席に座る。まわりは若いカップルばかりだ。彼ら彼女らは、この街特有の優しく柔らかいイントネーションで平日の夜の会話を愉しんでいる。

 さて、「カメラを止めるな!」、すでに見てきた人からネタバレギリギリでいろいろ内容を聞いてしまっているので(というか、みなさん、頼みもしないのにペラペラと話してくれるのだ)、ただのスプラッターものでは終わらないことはわかってはいたものの、この映画館のこじんまり&しみじみした感じと相まって、前段が終わった時点で、アハハ、ちょっと安っぽかったけどナカナカのホラー映画だったなあ、もう十分満足という気分になってくる。そのくらい、非日常の街の映画館で楽しむレイトショーには風情があるのだ。

 だからといって、もちろん途中で席を立つことはなく、このヌーベルバーグの再来のようなホラー&コメディ映画を二時間たっぷり堪能してから11時過ぎに映画館を出て、ゆっくりと夜空の月でも見上げながら近くの神社に行き、真夜中のお参りをすることにした。二礼、二拍、一礼。本日も、とても良き日をありがとうございましたっ、ということで。

真夜中

GR 18.3mm f2.8 of GRⅡ



 先週の鹿児島滞在中、空き時間を利用して磯浜に行ってみた。目的は『細長い海』である。

 向田邦子さんのエッセイには、ドラマの脚本以上にドラマトゥルギーを感じさせる名作が揃っている。中でも鹿児島の天保山や磯浜のことが書かれている『細長い海』(『父の詫び状』に収録)はすばらしい。しかしながら、文章を読んでいるだけではこのタイトルの『細長い海』のイメージがいまひとつつかめないでいた。そこで、実際に行ってみることにしたのである。仙巌園や尚古集成館は大河ドラマ人気もあってか、大型観光バスが何台も駐車場に停まっているほどの賑わいを見せているが、手前の磯浜の方は海開き前の梅雨時、ほとんど誰もいない。

 エッセイの中では磯浜はこんなふうに描写されている。

 鹿児島の磯浜は、錦江湾の内懐にある。目の前に桜島が迫り、文字通り白砂青松、波のおだやかな美しい浜である。近頃は観光名所になってひどくにぎわっているらしいが、戦前は静かなものだった。
 島津別邸もあり、市内に近いこともあって品のいい別荘地でもあったようだ。山が海岸近くまで迫り、海に向って、名物の「じゃんぼ」を食べさす店が何軒か並んでいた。「じゃんぼ」は醤油味のたれをからめたやわらかい餅である。ひと口大の餅に、割り箸を二つ折りにしたような箸が二本差してあるので、二本棒つまり「リャン棒」がなまったのだと、解説好きの父が食べながら教えてくれた。
 母がこの「じゃんぼ」を好んだこともあって、鹿児島にいる自分はよく磯浜へ出かけた。
 海に面した貸席のようなところへ上り、父はビールを飲み、母と子どもたちは大皿いっぱいの「じゃんぼ」を食べる。このあと、父は昼寝をし、母と子どもたちは桜島を眺めたり砂遊びをしたりして小半日を過すのである。
 あれは泳ぐにはまだ早い春の終わり頃だったのだろうか。
 いつも通り座敷に上がって父はビールを飲み、私達は「じゃんぼ」の焼き上るのを待っていた。おとなにとって景色は目の保養だが、子供にとっては退屈でしかない。小学校四年生だった私は、一人で靴をはき、おもてへ遊びに出た。貸席と貸席の間はおとな一人がやっと通れるほどの間で建っている。私はそこを通ってタクシーの通る道路の方を見物にゆき、格別面白いものもないので、また狭い隙間を通って家族のいる座敷へもどっていった。


 いくつか並んでいる店のうち、たぶん向田家が利用したであろう桐原家両棒店で「じゃんぼ」を注文することにした。「焼き上がるのに少々時間がかかります」とのこと。で、貸間に案内される。

桐原家

 嗚呼、これぞ正しき日本の夏休み、な感じの貸間である。確かにここでビールを飲んで午睡をしたらさぞや心地良いだろうなあと思いつつ、ガラス越しに目の前の桜島をぼんやりと眺めやる。15分ほどして出てきた「じゃんぼ」を食べてみると、それはなんとも柔らかく甘く香ばしい味がした。

じゃんぼ
 さて、この桐原家両棒店は道路側の入り口から砂浜までの奥行きがずいぶんと長い。そして、注文するところと貸間の入り口が別々になっている。かつては、その間に奥行きの長い狭い通路があったのではないだろうか。その閉塞感が、この後、通路の中ですれ違った漁師に「軽いいたずら」をされてしまった小学校四年生の向田さんの心情を絶妙に言い表す表現となる。……それが、『細長い海』だったのかもしれない。

 私はしばらくの間、板に寄りかかって立っていた。建物と建物の間にはさまれた細長い海がみえた。


all photos taken by Summilux 35mm f1.4 2nd + M9-P



 4年ぶりの鹿児島である。人工知能学会全国大会@城山観光ホテル。

 宿は、ちょっと遠いけどやっぱり今回もサンロイヤルホテルにした。理由は3つ。桜島一望の展望温泉があること、向田邦子さんが「鹿児島感傷旅行」で泊まった宿であること、あとは、すぐ近くに、ざぼんラーメン与次郎本店があること、であろうか。

 ホテルのHPにも記載されているが、向田邦子さんの『眠る盃』には以下のように書かれている。

 桜島といえば、サン・ロイヤルホテルの窓から眺めた
 夕暮の桜島の凄みは、何といったらよいか。
 午後の太陽の光で、灰色に輝いていた山脈が、
 陽が落ちるにつれて、黄金色から茶になり、
 茜色に変わり、紫に移り、墨絵から黒のシルエットとなって
 夜の闇に溶けこんでゆく有様は、
 まさに七つの色に変わるという定説通りであった。


 早朝、ホテルから歩いてすぐの長水路コースを散策する。すでに鹿児島は梅雨入りしていて、桜島がその全貌を現すことはないけれど、この季節ならではの幻想的な姿である。

長水路

Summilux 35mm f1.4 2nd + M9-P

 ホテルはここ4年でずいぶんと年期が入ってきたようだ。さて、自分はどうだろう。4年前の自分と今の自分。変わらないのは桜島だけ? 向田邦子さんはこんなふうにも言っているけれど。

 あれも無くなっている、これも無かった―
 無いものねだりのわが鹿児島感傷旅行の中で、
 結局変わらないものは、人。
 そして生きて火を吐く桜島であった。




 ハケというのは国分寺崖線だけの固有の名称かと思っていたが、どうやらそうでもないらしい。関東では一般的に、台地の崖にあたる部分をハケと呼ぶ習慣があるようだ。

 民藝運動の柳宗悦が、志賀直哉、武者小路実篤らと芸術家村をつくっていた我孫子においても、手賀沼に面した台地の崖をハケ、その崖下の道をハケの道と呼んでいた。

 三樹荘(柳が妻兼子と暮らした家)は天神坂を登ったところに建っている。当時は敷地内から手賀沼越しに富士山が見えたらしい。そして、敷地内にはかのバーナード・リーチの窯があった。ここから志賀直哉邸、あるいは村川堅固の別荘あたりまで、ずっとハケの道が続いている。

 そんな場所で、バーナード・リーチは日本の陶芸を究めようとしていたのだ。東洋と西洋の架け橋にならん。手賀沼に彼の碑が建っている。刻まれた文字は『Beyond East and West』からの一節である。素敵な言葉である。香り立つ言葉である。

 I have seen a vision of the marriage of East and West.

vision

G-Zuiko Auto-W 20mm f3.5 + E-PM1





 日本ほど四季の豊かな国はないとはよく言われることであるが、(桜の咲き乱れる春、鮮やかな紅葉の秋、その美しさは格別である)でも、日本よりもヨーロッパの街の方がずっと季節の移り変わりのコントラストを強く感じる。緯度が高い位置にあれば、その分だけ太陽の出ている時間の長さが夏と冬とでは圧倒的に違ってくるからである。六月や七月は六時前に日が昇り、夜の十時近くまで宵を楽しめる。それが真冬ともなれば日の出は九時、日没は五時である。

 夏は、このままずっと日は沈まないのではないかと思えるほど、美しく青くピンク色に染まった空のもと屋外で遅くまで夕食を楽しむことができる。サマータイムを導入することでさらに一時間分活動時間も増える。

 それに引き換え、極端に日の短くなる冬。朝の八時をとうに過ぎているというのにまだ外は真っ暗闇の中、メトロの駅まで歩いて行くときのこの寂寞感。しかも石畳の道は凍えるほどに冷え切っている。中世の暗黒を容易に想像できる冬の街である。

 でも、この夏と冬の対比があるからこそドラマツルギーは生まれるのではないだろうか。夏は開放的に人生を楽しみ、冬はひとり部屋の中で思索にいそしむ。物語を紡ぎ出すには、やはりこの夏と冬、昼と夜のコントラストが大切なのだと思う。

hotel

Summilux 35mm f1.4 2nd + M9-P


 ようやく夜が明け始めた。今は朝の九時である。



 福岡の大学の先生にご案内いただいて朝倉市を訪れた。筑前の小京都と言われる秋月城址のある町である。秋月街道旧八丁道の先にある「だんごあん」、ここの清流沿いはマイナスイオンがいっぱいである。

だんごあん

 あるいは、フォトスポットで有名な秋月城址黒門の先にある秋月八幡宮。ここは、巨大な楠が鎮座するパワースポットである。露天で売っている柿をその場で囓ってみる。なんと瑞々しいことか。博多から車で一時間弱のところにこんなにのどかで情緒溢れる場所があったとは。

黒門

 でも、ここ朝倉市は今年の夏の集中豪雨で土砂災害が特にひどかったエリアである。市のシンボルとなっている三連水車近くにも土石に埋もれたままの自動車が今もそのままの状態で残っていた。

水車
自動車


 朝倉市と福岡の大学が取り組んでいるプロジェクトのお手伝いが少しでもできればと思い、今回この朝倉市を訪ねさせていただいたのであるが、この自分にいったい何ができるというのだろう。最近は、アートやデジタルテクノロジーを活用した地域創生をテーマに講演をさせていただくことも多いが、こうした光景を目の当たりにすると己の無力さを認識するばかりである。




 今年のヴェネチアビエンナーレは素晴らしかった。アルセナーレのイタリア館で展示されていた「キリストのイミテーション」やジャルディーノのロシア館が特に秀逸。そして、ビエンナーレ本体とは一線を画している形を取っているが、グラッシー宮とプンタ宮で開催されているダミアン・ハースト展には圧倒された。これは大がかりな美術界のフェイクニュースである。SNS全盛時代のモダンアートはどうあるべきか?…賛否両論だとは思うが、この確信犯的広告手法はアッパレである。難破船から発掘された云々の設定も、ここヴェネチアで開催されてこそのシズル感がある。

 滞在中、宿はフェニーチェ劇場界隈の、かつて須賀敦子さんが定宿のひとつとされていたと思われるホテルの予約が取れた。数年前に泊まったときは、まだこの「ヴェネチアの宿」に書かれている描写通りの風景だったのだけれど…

 宿はフェニーチェ劇場の広場に面しているのだから、わからなくなれば劇場への道をたずねればいい。そうは思ってもひとりになると、はたしてうまくホテルに帰りつけるかどうか、にわかに自信はうすらいだ。二番目、と思われた路地を、パン屑をたよりに歩いたヘンゼルとグレーテルのように、両側の店の看板をたしかめながら曲ってはみたけれど、夕方見ておいたのとは、なにかすっかりあたりの様子が違ってみえて、心細くなりはじめたちょうどそのとき、行手に見おぼえのある橋がみえた。どこにでもある小さな石橋。それを渡ってまっすぐのせせこましい通路の家と家のあいだに、なんのしるしなのか、空色のネオンがぼんやりと光っているのが、またまた夕方見た道の印象とかけはなれてみえた。近づくと、それはさしわたし一メートルほどの、だれかが学校の工作の時間につくったのではないかと思えるほど初歩的な星のかたちをしたネオン・サインで、太い針金で道の両側の建物から宙ぶらりんに吊してある。その星形のまんなかには、これも幼稚なレモン色の、変にぐにゃぐにゃしたネオンの文字と矢じるしで、レストランはこちら、とある。

看板

 宿は劇場とのあいだの細い道路をへだてたところにあって、名もラ・フェニーチェと劇場の名そのままである。鍵をもらって、入りくんだ廊下をまわり、汽船の内部のように磨きあげられた木の階段を五階まで登る。部屋はいかにも海の街ヴェネツィアらしい船室ふうのつくりで、そんなデザインが、天井が傾斜して梁材が大きく出た屋根裏の空間にぴったりだった。

階段

 今回、久しぶりに泊まってみたら部屋の内装が全面改装。清潔な白壁で統一されている。で、なぜだか部屋のドアにクリムトの「接吻」の絵がプリントされていて(ウィーンのヴェルヴェデーレで見るべきものをどうしてここヴェネチアで?)かつての重厚なヴェネチアらしい内装が失われてしまったのが残念だった。でもまあ、お湯の出もいいしベッドも広いし、場所の割には値段の設定もリーゾナブルだし、界隈の雰囲気は昔のままだし。
 
 このフェニーチェ劇場界隈、ヴェネチア本島の中では一番好きなエリアである。サンマルコに近い割には静かだし、アカデミア橋にもザッテレにも歩いてすぐ。サンマルコの裏から狭い路地をつづれ折れに歩いていって、フェニーチェ劇場がふいに現れる瞬間はいつ訪れても心トキメク瞬間である。フェニーチェ。不死鳥。1996年に起きた火災からもこの劇場は見事に復活したのである。

フェニーチェ劇場

Summilux 35mm f1.4 2nd + α7s



 ヨーロッパの街ならいくらだって歩ける。日本にいると、一キロも歩けばうんざりするか、げんなりするかのどちらかであるが、ヨーロッパの街にいると、30分でも40分でも3キロでも4キロでも、いくらでも歩ける。

 気候の違いもあるだろう。汗をかかない。街の景観が決定的に違う。パースペクティブな設計。電柱なんか立ってない。そして、匂いと音。定時毎にどこかの教会の鐘の音。

 人はいったいどちらを幸せと思うのか。自分が死ぬ時にはまわりのものすべて、朽ちてしまえと思うのか、人間の寿命をはるかに超えて、残り続ける建物や街並みを愛おしく思うのか。暑くて湿気だらけ、頭の中までぼんやりさせられる刹那をいとおしむのか、いつも理性を呼び覚まさせる、あのひんやりとした風の中で死を思い世界の永遠を思い描くのか。

 サン・ステファノ教会の鐘が鳴っている。ピサの斜塔みたいに傾いたベルタワー。先程からずっとこんなに近くに見えているのに、複雑に交差する水路に行く手を阻まれて、なかなかたどり着くことができない。

鐘楼

Summilux 35mm f1.4 2nd + α7s

運河

FE Sonnar 55mm f1.8 + α7s

olympia hotel

Summicron 50mm f2 L + Ⅲg + Lomo B&W400


 olympia hotel.


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