naotoiwa's essays and photos

カテゴリ: cinema



 空き時間ができると部屋でひとり、PC画面で昔の映画でも見る機会が多くなった。例えば、岩井俊二監督の『Love Letter』、1995年製作。25年、もう四半世紀も前の作品である。中山美穂ダブルキャスト。「お元気ですかぁ」

 彼女(藤井樹)が暮らしている小樽の街。窓ガラスの外は冬景色。部屋の真ん中に石油ストーブ。彼女は風邪を引いている。咳が出る。熱も少しあるみたい。家族の前でも、マスクしないでゴホンゴホン。

 今の時世じゃ、あり得ない情景描写。でも、ほんの数ヶ月前までは、目の前で大切な人が風邪を引いて熱があったり咳をしたり……そうした情景を我々はゆったりと受け止めることができた。それは、感染ったとしても命にかかわる危険はなかったからだ。でも、世界は一変してしまった。このような情緒は失われてしまったのだ。

 なんてことを思いながら久々に見た『Love Letter』。小樽の天狗山とか出てきて懐かしい。彼女の父親が若くして風邪をこじらせて死んだ、というエピソードがなにやら暗示めいていたけれど。

 中山美穂(藤井樹)がもうひとりの中山美穂(渡辺博子)にワープロで手紙を書いている。手書きでもなくPCでもなく、ワープロというのがいい。1995年。思えばあの頃が一番世界は適度にモダンになりつつもまだまだ適度に情緒にあふれていた時代だったのかもしれない。







 クロード・ルルーシュ監督の「男と女 人生最良の日々」を見た。というか、見てしまった。80年代にも一度、20年後を設定した続編が作られたことがあって、こちらは見た後で後悔した。ましてや今回は53年後の設定。ジャン・ルイは89歳、アヌーク・エーメも87歳。これは、見ない方が賢明であろうとずっと思っていたのであるが、いやいや、今回のは絶対に見るべき! と友人に薦められ、恐る恐る映画館に足を運んだのであるが……。





 良かったのである。クロード・ルルーシュは今回は無理に新たなストーリーを作ろうとはせずに、53年後のふたりのダイヤローグをウイットとユーモアを効かせて撮影し、それを原作のセピアカラーの映像と再構成させつつ、なんとも人生の滋養に満ちた作品に仕上げている。

 1966年の原作「男と女」。20代の頃、この映画を何度見たことだろう。フランスかぶれになった原因のひとつは間違いなくこの映画にある。台詞はほとんど暗記している。ドーヴィルに行きたくてたまらなくなって、会社に入って最初のフランス出張の際、日曜日に空き時間が出来るやいなやSNCFでパリからドーヴィルに向かった。ワンレングスの女性に弱くなった(?)のもこの映画の中でのアヌーク・エーメのせいである。

 そして、今回の第三弾となる「男と女 人生最良の日々」。ラストが素晴らしかった。1976年に撮影された短編映画「 C'était un rendez-vous 」の映像がリミックスされているのだ。早朝のパリを疾走する車のワンテイク主観映像。モータースポーツをこよなく愛したクロード・ルルーシュ監督自身のアドレッサンス(adolescence)が切なくて愛しくて、ちょいと涙が出てしまった。彼も御年80歳を過ぎている。そして、パリは、やはり掛け値なく美しい街なのだ。




 「マチネの終わりに」。映画、見てこようかな、どうしようかな。キャスティング、ちょっと照れちゃうしなあ。あの原作のイメージに合うかなあ、などと思いつつ、




 久しぶりに平野啓一郎さんの原作を読み返してみることにした。大人の恋愛小説、である。で、大人の恋愛ってなのなのかというと、……

 この世界は、自分で直接体験するよりも、いったん彼に経験され、彼の言葉を通じて齎された方が、一層精彩を放つように感じられた。

 という一文があったりする。ううむ。自分よりも相手のことが好きになれる、どころか、自分自身で認識する世界よりも相手を通じて認識する世界の方が素晴らしいと思えるようになる。これは深い。まさにこれこそ大人の恋愛である。でもそのためには、今の自分自身の心身の現状をきちんと認識し、それを徹底的にリセットするところから始めなくてはならない。

 年齢とともに人が恋愛から遠ざかってしまうのは、愛したいという情熱の枯渇より、愛されるために自分に何が欠けているのかという、十代の頃ならば誰もが知っているあの澄んだ自意識の煩悶を鈍化させてしまうからである。

 この一文などは、まことに耳が痛いのである。

*引用は、平野啓一郎『マチネの終わりに』(毎日新聞出版、2106年)より



 



今、論文でも太宰治のこと書いてるし。さっそく見てきたけど、ナカナカでした。
蜷川演出、耽美なり。三人の女のテーマ別カラー演出もわかりやすいし。

そしてなによりも、音楽が三宅純さんですからね。これは良いに決まってます。



続編、楽しみ。うちの犬も、前の犬の生まれ変わりだったりして。




 3月から劇場公開になっている「シンプル・フェイバー」(Simple Favor)を見に行った。この映画、どのようにカテゴライズすればいいのだろう? ファッショナブルなミステリー・コメディ? 

 ブレイク・ライブリーがとにかく妖艶で格好よかった。で、全編通じて挿入されている数々の60年代フレンチポップスの名曲。なるほど、監督のポール・フェイグは同世代の1962年生まれ、か。







 あのメリー・ポピンズが帰ってくるらしい。2月1日から劇場公開。

 生まれて初めて映画館で見たのがメリー・ポピンズだった。次がサウンド・オブ・ミュージック。だから、小学生の頃、映画と言えば必ずジュリー・アンドリュースが出演するものだとばかり思っていた。そのくらいメリー・ポピンズとサウンド・オブ・ミュージックは自分にとって特別な存在だったのだ。my favorite things のメロディと歌詞が今もってあれだけ特別なものに感じるのは、最初に聞いたのが六歳か七歳だったからだと思う。こうしたことは、やはり何事にも替えがたい。

 さて、メリー・ポピンズと言えば、supercalifragilisticexpialidocious、である。困ったときのおまじない、スーパーカリフラジリスティスエクスピアリドーシャス。あるいは、a spoonful of sugar helps the medicine go down、である。現実の人生を楽しく生きるための処世術。




 今までの人生の中で、自分は何度この、supercalifragilisticexpialidocious と a spoonful of sugar helps the medicine go down と、そして、「when the dog bites, when the bee stings, when I'm feeling sad. I simply remember my favorite things and then I don't feel so bad.」をこっそり口ずさんでいろんなことを凌いできたことだろう。

 メリー・ポピンズ・リターンズ。二代目はエミリー・ブラント。さて、どんな魔女っぷりを見せてくれるのか楽しみである。









 日本の映画監督の中で好きなのは、やはり行定勲監督。あのローキーで暗緑色がかった色味、光の滲む映像は病みつきになる。彼の手に掛かると、どんなロケ地でもまるで演劇の舞台のセットの如くメタファーに満ちた趣になる。三島由紀夫の「春の雪」、雫井脩介の「クローズド・ノート」、中谷まゆみの「今度は愛妻家」が特に印象に残っている。最近だと、去年の今頃映画化された島本理生の「ナラタージュ」の映像が美しかった。

 先日、久しぶりに原作の「ナラタージュ」を読み返してみた。もう十年以上前の作品である。葉山先生と工藤泉。ふたりの最後の合瀬の、あのあまりにも切ない性描写、みごとな筆致である。こんな文章を20歳そこそこで書けるなんて、やはり彼女は天才なのだろう。そして、この「ナラタージュ」、原作も映画も雨の描写が象徴的である。

 雨の午後は昼間と夕方の境界線が曖昧で、窓にはただ全体的に暗くなっていく一枚だけの景色が張り付いていた。

島本理生『ナラタージュ』(角川書店、2005年)


 ナラタージュ。ナレーションとモンタージュの造語。あるいは、過去を再現する手法。

 最近、ナラティブとかナレーション、そしてこのナラタージュといった言葉の響きがとても気になる。そこにこそ「物語」の一番大切なエッセンスが「滲んで」いるようで。




 先日、仕事で地方都市に行ったときのこと。

 夕方には打合せも終わり、ラッキー、夜はフリータイムだ、帰りは翌日の朝、とりあえず宿も取ったしこれからどうしようかな、という時の楽しみのひとつに映画館でレイトショーというのがある。東京の六本木や日比谷のオシャレなシアターで映画鑑賞もいいけれど、こじんまりした街の、ちょっと古びた映画館の座席の隅っこにこっそりひとり異邦人として紛れ込み、地元の人たちの方言を小耳に挟みながらポプコーン片手にレイトショーを見るというのが私の密やかな愉しみのひとつなのである。

 このために、今話題の「カメラを止めるな!」を東京で見るのを今までガマンしていたのである。ネットでチェックすると、宿泊予定のホテルから徒歩十分のところの映画館で夜の9時から11時まで上映中。座席の予約をする。上映開始まで近くの店で腹ごしらえをしてからグーグルマップの導くまま映画館に向かう。

 ポプコーンとコーラのセットを買って前から三番目の一番端の席に座る。まわりは若いカップルばかりだ。彼ら彼女らは、この街特有の優しく柔らかいイントネーションで平日の夜の会話を愉しんでいる。

 さて、「カメラを止めるな!」、すでに見てきた人からネタバレギリギリでいろいろ内容を聞いてしまっているので(というか、みなさん、頼みもしないのにペラペラと話してくれるのだ)、ただのスプラッターものでは終わらないことはわかってはいたものの、この映画館のこじんまり&しみじみした感じと相まって、前段が終わった時点で、アハハ、ちょっと安っぽかったけどナカナカのホラー映画だったなあ、もう十分満足という気分になってくる。そのくらい、非日常の街の映画館で楽しむレイトショーには風情があるのだ。

 だからといって、もちろん途中で席を立つことはなく、このヌーベルバーグの再来のようなホラー&コメディ映画を二時間たっぷり堪能してから11時過ぎに映画館を出て、ゆっくりと夜空の月でも見上げながら近くの神社に行き、真夜中のお参りをすることにした。二礼、二拍、一礼。本日も、とても良き日をありがとうございましたっ、ということで。

真夜中

GR 18.3mm f2.8 of GRⅡ



 遅ればせながら、The Shape of Water、見てきた。エイリアンものは基本的には苦手なのだが、うわぁ〜、これはもう最高のラブロマンスである。ギレルモ・デル・トロ監督の映画はどうしてこんなにも映像が美しいのだろう。そして、音楽。思わずサントラ盤を購入してしまった。かの La Javanaise も入っている。現代のビリー・ホリディといわれるマデリン・ペルー(Madelene Peyroux)が唄う La Javanaise は本家のゲーンズブールやグレコに勝るとも劣らない、甘美で典雅で気怠いシャンソン&ワルツに仕上がっている。




 改めて1960年代にゲーンズブールが煙草をくゆらせながら唄った La Javanaise も見てみる。ダダイスト、ゲーンズブール。格好良すぎる。



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