naotoiwa's essays and photos

カテゴリ: cinema



 先日、仕事で地方都市に行ったときのこと。

 夕方には打合せも終わり、ラッキー、夜はフリータイムだ、帰りは翌日の朝、とりあえず宿も取ったしこれからどうしようかな、という時の楽しみのひとつに映画館でレイトショーというのがある。東京の六本木や日比谷のオシャレなシアターで映画鑑賞もいいけれど、こじんまりした街の、ちょっと古びた映画館の座席の隅っこにこっそりひとり異邦人として紛れ込み、地元の人たちの方言を小耳に挟みながらポプコーン片手にレイトショーを見るというのが私の密やかな愉しみのひとつなのである。

 このために、今話題の「カメラを止めるな!」を東京で見るのを今までガマンしていたのである。ネットでチェックすると、宿泊予定のホテルから徒歩十分のところの映画館で夜の9時から11時まで上映中。座席の予約をする。上映開始まで近くの店で腹ごしらえをしてからグーグルマップの導くまま映画館に向かう。

 ポプコーンとコーラのセットを買って前から三番目の一番端の席に座る。まわりは若いカップルばかりだ。彼ら彼女らは、この街特有の優しく柔らかいイントネーションで平日の夜の会話を愉しんでいる。

 さて、「カメラを止めるな!」、すでに見てきた人からネタバレギリギリでいろいろ内容を聞いてしまっているので(というか、みなさん、頼みもしないのにペラペラと話してくれるのだ)、ただのスプラッターものでは終わらないことはわかってはいたものの、この映画館のこじんまり&しみじみした感じと相まって、前段が終わった時点で、アハハ、ちょっと安っぽかったけどナカナカのホラー映画だったなあ、もう十分満足という気分になってくる。そのくらい、非日常の街の映画館で楽しむレイトショーには風情があるのだ。

 だからといって、もちろん途中で席を立つことはなく、このヌーベルバーグの再来のようなホラー&コメディ映画を二時間たっぷり堪能してから11時過ぎに映画館を出て、ゆっくりと夜空の月でも見上げながら近くの神社に行き、真夜中のお参りをすることにした。二礼、二拍、一礼。本日も、とても良き日をありがとうございましたっ、ということで。

真夜中

GR 18.3mm f2.8 of GRⅡ



 遅ればせながら、The Shape of Water、見てきた。エイリアンものは基本的には苦手なのだが、うわぁ〜、これはもう最高のラブロマンスである。ギレルモ・デル・トロ監督の映画はどうしてこんなにも映像が美しいのだろう。そして、音楽。思わずサントラ盤を購入してしまった。かの La Javanaise も入っている。現代のビリー・ホリディといわれるマデリン・ペルー(Madelene Peyroux)が唄う La Javanaise は本家のゲーンズブールやグレコに勝るとも劣らない、甘美で典雅で気怠いシャンソン&ワルツに仕上がっている。




 改めて1960年代にゲーンズブールが煙草をくゆらせながら唄った La Javanaise も見てみる。ダダイスト、ゲーンズブール。格好良すぎる。





 小学校4年生の時に少年合唱団で「美しき青きドナウ」を唄って以来(?)、クラシック音楽の中でも3/4拍子のWALTZには格別心引かれる。それは今も変わらない。イヴァノビッチの「ドナウ川のさざなみ」、ショパンの7番や9番の別れのワルツは言うに及ばず、ヨハン・シュトラウスもいいけれど、リヒャルト・シュトラウスの「薔薇の騎士」が大好きで、二十代の頃はラベルの「優雅で感傷的なワルツ」に心酔した。

 でも、今までに聴いたことのあるWALTZの中で一番好きなものは?と問われれば、ダニエル・シュミット監督の映画「ヘカテ」の中で使われていたカルロス・ダレッシオ作曲のWALTZと答える。

 映画「ヘカテ」。大学生の頃、主演のベルナール・ジロドーのマネして麻の純白のスーツやスペンサージャケットを買った。今までの人生に悔いがあるとすれば、一度も海外赴任しなかったことだろうか。この映画の主人公のようにモロッコあたりに駐在していれば、間違いなく身を持ち崩していただろうけれどw




 東八道路沿いの景色が好きである。特に国際基督教大学の裏門から野川公園を経て多磨霊園あたり。ヒップな自動車整備工場とか、食堂と大きく看板を掲げた店とか、まるで映画バグダッド・カフェの日本版でも見ているような気分になる。ブレンダは何処?

what's up

食堂




 さあて、今日も気分よく駆け抜けて行こう。奥田民生の「エンジン」でも聞きながら。



 映画「永い言い訳」、ロードショーが終了する前に遅まきながら見てきた。



 本木雅弘はまさにハマリ役。自分のことが一番好きな見目麗しくインテリな男。その男が妻を亡くしたことを契機に最後は、「人生は、他者だ」の心境に行き着く。

 あのひとが居るから、くじけるわけにはいかんのだ、と思える「あのひと」が、誰にとっても必要だ。生きて行くために、想うことの出来る存在が。つくづく思うよ。他者の無いところに人生なんて存在しないんだって。人生は、他者だ。

 なんと含蓄のある言葉だろう。片や、かのサルトルは、自意識を損なわせる他人の支配力・影響力のことを称して、「他人は地獄」なんて言っているけれど。(戯曲「出口なし)

 いずれにしても、人生は自分だけのもの、自己実現のためのものという考えの域を出ないことには人生の奥義はなにも始まらない。そのことは、ある程度の年齢や経験を積み重ねると否が応でもわかってくる。

(PS) 大宮陽一(演じるのは竹原ピストル)の長男、長女役ふたりの演技が絶妙!



 どんな仕事、どんな職業にも、人には絶頂期というものがある。残念ながらその時期を過ぎると、能力もセンスも下降線を辿っていく。出来得ることなら葛飾北斎のように80歳を過ぎてもバリバリの現役画家でいたいし、伊藤人誉のように「九十歳を過ぎてから却って小説が書けるようになりました」などと言ってみたいものだが、そうした特殊な天才を別にすると、たいがいは40歳を過ぎてしばらくしたあたりでピークを迎える。スポーツ選手などはそのピークが10年近く早い場合もある。で、我々はそうした年齢を過ぎた後、これからの自分の人生をどうエディトリアルしていくのかに苦悩するわけである。会社員であれば、マネジメントに転向する、あるいは同じ仕事をしながらも後輩の育成にシフトしていく、というのがお決まりのパターンであろうか。あるいは、今までの資産を生かしつつもまったく異なる職業に転向する場合もあるだろう。所謂第二の人生というわけである。人生の後半を面白くするのは、このシフトチェンジをいかに自分が納得いくレベルで行えるかにかかっているような気がする。自分の1stステージにおける資産が枯れ切ってからでは遅い。いつまでも今までの自分にしがみついていては、たぶん、あまり良い結果は得られない。

 2015年に公開されたアメリカ映画で「Re・ライフ」(原題、Rewright)というのがある。主演ヒュー・グラント。かつてのハリウッドのスター脚本家が歳を取ってから売れなくなって、第二の人生を教職に見いだす話である。



 ヒュー・グラントはこの手の役回りを演じさせると本当にいい味を出す。2007年の「ラブソングができるまで」も同じような役回り。(ま、監督と脚本が同じマーク・ローレンスだし)こちらは、かつての花形ロックンローラーがもう一度ヒット作を創り出すお話。



 「Re・ライフ」をもう一度見直してみた。つくづく人生の滋味に溢れた映画である。第二の人生はあくまで第二の人生。決して絶頂期が甦るわけではない。でも、歳を取ったからこそ新たに出来ること・感じられることは、この世の中にはまだまだたくさんある、と思うのだ。



 是枝監督の「海よりもまだ深く」を見てきた。なりたかった大人になれなかった大人たちの物語。



 台風の夜、タイトルにも起用されているテレサ・テンの「別れの予感」が流れる場面が印象的。

 泣き出してしまいそう 痛いほど好きだから どこへも行かないで 息を止めてそばにいて
 身体からこの心 取り出してくれるなら あなたに見せたいの この胸の想いを
 教えて 悲しくなるその理由 あなたに触れていても 信じること それだけだから
 海よりもまだ深く 空よりもまだ青く あなたをこれ以上 愛するなんて わたしには出来ない

 もう少し奇麗なら 心配はしないけど わたしのことだけを 見つめていて欲しいから
 悲しさと引き換えに このいのち出来るなら わたしの人生に あなたしかいらない
 教えて 生きることのすべてを あなたの言うがままに ついてくこと それだけだから
 海よりもまだ深く 空よりもまだ青く あなたをこれ以上 愛するなんて わたしには出来ない




 私は是枝監督とは同世代なので、彼がこの曲をフィーチャーした想いは理屈抜きでわかる。1987年の名曲だ。作詞、荒木とよひさ、作曲、三木たかし。詩があまりに切なくて、女性にこんなことを言われたら怖ろしくてたまらないだろうなあと思いつつも、それでいて曲想が柔らかくてふんわりと明るくて、当時何度も聞いていた覚えがある。だから今でも歌詞はスラスラと出てくる。中森明菜によるカヴァージョンもなかなか聴き応えがあったように記憶している。

 なりたかった大人になれなかった大人たちの物語。「パパはなにになりたかったの?なりたいものになれたの?」あるいは、「幸せってのはね、何かをあきらめないと手にできないものなのよ」

 さて、自分はどうだろう。たぶん、自分も「まだ」だ。この年を過ぎて「まだ」と言うのは相当に勇気がいることではあるが、ま、所詮、人生なんてものは死ぬその瞬間までなりたい自分にはなれないままの、夢半ばのものなのだと思うのだけれど。



 映画「キャロル」を見た。パトリシア・ハイスミス原作の恋愛映画だからレズビアンものであることは分かっていたが、つまらぬ偏見はあっさりと消え去った。女と男だろうと女同士だろうと、恋する時のあの独特の感情の震えと高まりに変わるところはなにもない。恋する者同士が見る風景の美しさに変わるところはなにもない。



 ケイト・ブランシェット、圧巻の美しさだ。優美でデカダンス。彼女にあの眼力とともにあの低くハスキーな声で「dearest」(最愛の人)と言われたら、男だろうが女だろうが抵抗できる人はいないだろう。ルーニー・マーラ、可憐すぎる。「ドラゴン・タトゥーの女」に出演していた時とはうって変わったメイク、ヘアスタイル。まさにオードリー・ヘップバーンの再来。アカデミー賞ダブル受賞が噂されるふたりだけのことはある。

 舞台は1952年のニューヨーク。それぞれの都市には各々一番美しかった時代がある。ニューヨークはやはり50年代が最も輝いていたのではないだろうか。それをトッド・ヘインズ監督がフィルム撮影っぽい粒子感、テレシネっぽい色彩で再現している。今時の最新鋭デジタル撮影だけでは描けない何か「澱」のような空気感を感じた。

 テレーズ(ルーニー・マーラ)は写真家志望。初めてキャロル(ケイト・ブランシェット)を撮影するシーンが印象的だった。(あのカメラ、機種はなんだろう?アーガスかな?)そして、クリスマスにキャロルがプレゼントしてくれたのが当時最新鋭のキヤノン。ライカではなくてキヤノン。1952年の設定だから、あれはおそらく4Sbだろう。付いていたレンズは50mmの1.5か1.8。カメラ好きにもタマラナイ映画である。



 いやあ、前評判以上に素晴らしい映画だった。「パディントン」



 実写のパディントンはCGとオーディオアニマトロニクスでかなりリアルだったけど、可愛らしさは損なわれてないし、めくるめくストーリー展開、そのひとつひとつにウィットとユーモアが溢れてた。で、泣かせてくれる。動物愛・家族愛に涙ボロボロ。ストーリーは半分以上がオリジナル。ニコル・キッドマン演じる探検家の娘で冷酷な剥製師なんてキャラクター、原作のどこを探してもないし。
 それにしても。イギリス人というのはやはりすごい。世界中を探検し世界中の宝物を略奪し世界中の動物たちをハンティングの的にしておきながら、きっちりとこういう心温まる話を創れてしまうのだから。改めて感心する。

 見たのは六本木ヒルズ内のTOHO シネマズで。月曜日は1100円也。ここ、館内にポップコーンとか自由に持ち込めるのでなんだかシアワセ。

ポップコーン

 原作をはじめて読んだ小学生の頃を思い出した。「くまのパディントン」と「ドリトル先生」に明け暮れたあの頃。。

 こちらはうちにいる黒色のパディントン君。マーマレードが食べたい!

パディントン

DG Summilux 15mm f1.7 ASPH. + GM1

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