naotoiwa's essays and photos

カテゴリ: life



 時折柄にもなく、「今までの自分の人生、ほんとうにこれでよかったのだろうか」なんて思い巡らし夜も眠れなくなることがあるけれど、そんな時は、この文章を読み返すことにしている。

 ドラマ「最後から二番目の恋」(の続編の方)の最終回、ラスト近くのモノローグの台詞。脚本は岡田恵和さん。

 人が大人になるということは、それだけ多くの選択をしてきたということだ。なにかを選ぶということは、その分、違うなにかを失うことで、大人になってなにかをつかんだ喜びは、ここまでやったという思いと、ここまでしかやれなかったという思いを、同時に思い知ることでもある。でも、そのつかんだなにかが、たとえ小さくとも、確実にここにあるのだとしたら、つかんだ自分に誇りを持とう。勇気を出してなにかを選んだ過去の自分をほめてやろう。よく頑張って生きてきた、そう言ってやろう。そして、これからを夢見よう。

 勇気を出してなにかを選んだ過去の自分をほめてやろう。……今夜は自分にちょっと甘めの気分です。



 桜も見納め。でもこれからが春爛漫。海棠、花桃、連翹、躑躅と春の花が咲き誇る。春はいとし。でも、春は、、

春は修羅

GR 18.3mm f2.8 of GRⅡ


 春霞の景色を眺めていると、取り返しの付かないことばかりを思い出す。けれど、その過去は本当にたったひとつの過去なのか。

 宮沢賢治の有名な「春と修羅」。

 わたくしといふ現象は
 仮定された有機交流電燈の
 ひとつの青い照明です
 (あらゆる透明な幽霊の複合体)
 風景やみんなといつしよに
 せはしくせはしく明滅しながら
 いかにもたしかにともりつづける
 因果交流電燈の
 ひとつの青い照明です
 (ひかりはたもち その電燈は失はれ)

 これらは二十二箇月の 
 過去とかんずる方角から
 紙と鉱質インクをつらね 
 (すべてわたくしと明滅し みんなが同時に感ずるもの)
 ここまでたもちつゞけられた
 かげとひかりのひとくさりづつ
 そのとほりの心象スケツチです

 昔からずっと、この「過去とかんずる方角」というフレーズが気になってしかたがない。過去などというものは無限にある時間の流れの中の、たんなるひとつの方角に過ぎない。……そんなふうに受け取れる。

 でも、この方角がやっかいなのである。年をとると、自分自身はまだまだ何も変わらぬと思い込めていても、自分のまわりの人々が確実に、ある人は死に、ある人は衰え、また別のある人は心を隔てて離れてゆく。そうした彼ら彼女らの、かつての想いを掬い取ろうと思ってみてももはや手遅れになる。それをまざまざと思い知らされるのが春である。そうして改めて思うのだ。この世界の中で「わたくしといふ現象」はいったいなんなのかと。なんだったのかと。

 春と修羅。そして、春は修羅。



 直木賞を受賞した門井慶喜さんの「銀河鉄道の父」、遅ればせながら読了。

銀河鉄道

 かの宮沢賢治は、なるほど、こんな家庭環境で育ったのかと合点がいったり、あるいは彼の意外な一面を見たり。そして、政次郎が娘と息子の死に立ち会う時、「これから、おまえの遺言を書き取る。言い置くことがあるなら言いなさい」……親より先に旅立つ子供に対してこう告げる父親の心情を思うと涙が止まらなくなった。

 全編興味深く読ませていただいた。そして、所々で門井さんご自身の人生哲学的な示唆がキリリと光っていた。例えば、賢治が質屋の跡取りとして客の相手をするのが苦手で、部屋でひとり本を黙読している場面での描写。

 何しろ相手は活字である。けっして怒らないし、どなりちらさないし、嘘をつかないし、ごまかさないし、こっちを混乱させるために故意にわけのわからないことを言ったりしない。こっちから一方的に中断したとしても抗議しない。或る意味、そこにあるには、主人と使用人の関係なのだ。そういう対話にあんまり慣れすぎてしまったら、人間というのは、こんどは生身の人との対話が苦痛になるのではないか。

 人と人との対話。……それはコミュニケーションの華である。相手にユーモアのセンスがあればこれほど楽しい時間はない。でも、時にそれは、嘘と皮肉と悪意に満ちたものにもなる。なぜならば、人はけっきょくのところ、自分が今まさに抱いている感情をベースにしたコミュニケーションしかできないからだ。さすれば、対話のコンテンツは相対性を失い、俯瞰でものごとが見れなくなる。「相手の気持ちになって」とはよく言われることだが、それよりもなによりも「自分の個人的な感情からニュートラルになって」対話することが、我々人間にはいかに困難であることか。

 そうしたコミュニケーションが続いて、心がホトホト疲れ切った時、我々は「本」の世界の中に逃げ込む。人間嫌いに陥りそうになる自分を、今まで何十回何百回、たくさんの「活字」たちが網膜の中で慰めてくれたことだろう。



 トシを取ると涙腺が緩みやすいと言うが、まあ、自分はそう易々とは……と思っていたが、あらら、これには参った。昨日、卒業する4年のゼミ生のみなさんからこんなアルバムをいただいてしまった。昔で言えば、卒業記念の色紙といったところだろうが、我がゼミ生たちは、それを格好よくアートディレクションされたフォトブックに仕上げてくれた。私が授業中に話した(らしい)言葉のアフォリズム集になっている。おおお、ちゃんと授業中にメモ取ってくれていたのね。こんなこと言ったっけなあ。あああ、確かに言った言った。
 この後、それぞれのゼミ生のメッセージがかっこいいモノクロの写真入りで載せてある。ううう、涙腺が。……ありがとう、みなさん。そして、改めてご卒業おめでとう!これからもどうぞよろしく。

album1

album2



 57歳になりました。今年の誕生日は、大学の卒業式と重なりました。自分の誕生日に、ひとからお祝いされるだけではなく、たくさんのひとに向かっておめでとうと言える。これってとても幸せなことだと思います。

卒業

 4年生のみなさん、卒業おめでとう! 特にゼミ生のみなさん、一年間だけのお付き合いでしたが、ほんとうにありがとうございました。新米教員の私は、みなさんからいろんなことを学ばせていただきました。そのお礼と言ってはなんですが、年の功で(今日でまたひとつ増えましたw)みなさんよりはかなりたくさん人生の辛酸をなめていますので、社会に出てからも、なんなりと相談に来てくださいね。

 一昨日、3月だというのに雪が降り出して、いったいどうなることかと心配していましたが、今日はポカポカ、暖かな春の陽気でした。大学近くの野川の桜は五分咲きぐらいでしょうか。

sakura

 そう言えば、自分が大学を卒業した年も3月に雪が降りました。よく覚えています。3月20日前後、ちょうど今頃だったと記憶しています。五九豪雪と言われた年です。昭和59年。

 あれから30年余。あの時、いっしょに大学から社会に飛び出していった仲間たち。先日、久々に彼ら彼女らと会う機会がありました。みんな、タフにがんばっているようでした。ずいぶんと恰幅がよくなった人もいましたが、みんな、あの頃の自分らしさはなくしてはいないようでした。

 人間、そんなに変わるもんじゃありませんものね。これからも、自分らしい感受性を大切にして生き抜いていきたいですよね、お互いに。57歳の誕生日に、かの有名な詩を改めて。自戒を込めて。

 「自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ」



 数年前に企業の職を辞し、組織の外からさまざまな仕事に関わるようになって感じていることは、この世の中はつくづく、仕組みとかシステムとか体制とか、そういうことにばかりにみんなお金をかけ、あるいは、そういうことばかりにしのぎを削って、本来ならば一番の核となるべきコアアイデアやコンテンツを考えるひと、その実現のためのクラフトマンシップに長けたひとにお金が潤沢に回りきっていないのではないかということである。
 大量消費社会の時代は終わった、というのはもうずいぶん前から言われていることだけれど、はたしてそうだろうか。昔も今も、けっきょくはマスマーケティングで儲かる仕組みを考案したひと、あるいは、いち早くそれを実現したひとが勝ち組になっているわけで、資本主義は終焉する? いやいや、今度はシェアリングエコノミーという流れの中で新しいマスシステムを作り上げたひとが勝ち組になるだけの話。そこのところはなにも変わってはいない。で、割を食うのは個人のクラフトマンシップである。それが最近ますますひどくなっている気がする。

 例えば、街のマッサージ屋さん(ずいぶんと話が身近になり過ぎて失礼!)は、卓越したテクニックと経験で60分間で完璧にコリをほぐしてくれるのに、この技量に対する対価は、ここ数年で半額ぐらいにコストダウンしている。(というか、そうでないとビジネスが成り立たなくなっているみたい)数年前までは1時間6000円だったものが今では3000円前後がアタリマエ。場所代とか差し引くとたぶん個人に入るお金は時給2000円程度にしかならないのではないだろうか。(まあ、マッサージを受ける身としてはこのコストダウンはとても助かるのだけれど)あるいは、ひとりで丁寧な料理を作ってくれるシェフのいるレストランに行くと、この値段で原価率や店の賃貸料を差し引くと、いったいいくら利益が残るんだろうか、その対価はこのシェフの技量に十分報いられる金額なんだろうかと、余分な心配ばかりが先にたつ。

 40代までは、自分もあわよくば将来なにかしらの新しいマスシステムを考案して、ひと財産!、なんてことを考えなかったわけではないが、今は、じっくりと作り手の側に身を置いて生きていけたらと願っている。大学での研究、個人で引き受けているクリエイティブディレクション作業。作家性の高い仕事は特にそうだ。自分が納得できるクオリティのものを自分らしいクラフトマンシップで仕上げてその対価を得る。そういうシンプルな仕事のやり方を一生続けていきたい。そして、常にそうした仲間を応援する側の人間でいられたらと思う。

きんかん

Flektogon 20mm f4 + α7s

 



 ひとの人生はどうやって決まっていくのだろう。けっきょくはひとそれぞれにはあらかじめ定められた運命のようなものがあって、我々はそれに付き従って生きているのに過ぎないと感じることもあるし、いや、人生のさまざまなステージにはいくつかの岐路が用意されていて、その中のどれを選ぶのか、人生とは複雑なパズルの選択の結果なのだと思うこともあるし、いやいや、強く願い一心不乱に努力すれば自分のなりたい自分になれると、それこそ強く思うこともある。

 人生の岐路。昔、あるひとに言われたことがあるのだが、ひとは自分の人生を振り返ってみて、あの時のあの人こそが自分の人生を決定するターニングポイントだったのではないか、そう思える人が必ず誰でも数人思い浮かぶものだけれど、(あの時、あの彼氏彼女と別れずに結婚していたら人生違っていたかも、とか。あの時、あの人のアドヴァイスに従って別の仕事を選んでいたら、とか)実際はそんな単純なものではなくて、自分では気づかないで通り過ぎていたところにけっこうたくさんの切り返し点が紛れていたりするし、人生を決定づけるのに強い影響を及ぼしたひとは、その当時はあまり意識していなかったひとの場合も多いのだと。

 川上弘美さんの「森へ行きましょう」。読み応えのある小説だった。さまざまな可能性が潜在し続ける人生。そのパラレルワールドの幅、そしてそれらがメルティングされる可能性が提示されてゆく。そら恐ろしい小説。でも、ラストは諦念に包まれつつも妙に吹っ切れた気分にさせてくれる小説だった。

森へ行きましょう


 道は、何本にも分かれてつながっており、右を選ぶか左を選ぶか、まんなかを選ぶか端を選ぶかは、常に不確定で、選んでしまった後になってからしか、自分のたどっている道筋はわからない。

(川上弘美著 『森へ行きましょう』より)




 今日は亡母の誕生日である。母親の名前は長子。とにかく長生きして欲しかったからと彼女の両親が付けた名前。戦時中のことだったし、彼女の母親自身も50代で亡くなっているので、自分の娘だけにはとにかく長生きして欲しいと願ってのことだったのだろう。83歳まで生きたというのは、まずまずというところか。今の平均寿命からするとやや足りなかったか。「長子」と名乗ったからにはせめてあと。。

 今日は亡母の誕生日である。生きていれば米寿である。3月3日の雛祭りに生まれた母親。またいつか、桜の芽吹く季節に再会できればと切に思う。

cherry



 80年代半ば、広告会社に入社したての頃、この本を手にした。

分衆

 関沢英彦先生が中心となって書かれた博報堂生活総合研究所の「分衆の誕生」。

 広告黄金期と言われた80年代において、すでに大量消費社会は終焉を迎えつつあったわけで、これからの時代の広告コミュニケーションはいったいどのように変わっていくのか、ワクワクしながら読んだ記憶がある。

 あれから30年余年。今は「分衆」どころか「分人」の時代である。平野啓一郎さんは数年前に「私とは何か」を書いた。サブタイトルは、「個人」から「分人」へ、である。 individual ならぬ dividual。自分の中のさまざまな自分。それは相手によって常に更新され続ける。個人のアイデンティティは決してひとつではない。相手に応じて変化し続けていくことこそが「本当の自分」。

 このアイデンティティの相対性についてはまったく持ってその通りだと思うが、そもそもの最初から(自分の感覚世界が出来たその時から)(先天的に)複数の自分は存在しているのではないだろうか。

 いくつもの異名を使い分けた詩人フェルナンド・ペソアのことを折に触れ思い出す。



 一年間ゼミを担当させていただいた4年生のみなさん。昨年、期限ギリギリまで卒論の提出がなかった時にはかなりハラハラドキドキさせられたけれど、最終的には各自個性的な卒論や卒制を仕上げてくれた。尊敬するS名誉教授の教え子たちを引き継いだ形の一年間だったので、これでひと安心。ホッ。

 で、みなさんの卒論を読んでいると、30余年前に自分が卒論を書いていた時のことをついつい思い出してしまった。当時私が書いたのは「マニエリスム芸術論」。

 大学三年生の時、一橋大学の河村錠一郎先生のゼミに入って世界観が変わった。毎回16世紀のマニエリスム美術と19世紀のイギリスの世紀末美術を行ったり来たり。美術だけではない。今日はイギリスのジャコビアンドラマ、例えばジョン・ダンの詩、次回は19世紀末のオスカー・ワイルドのドリアン・グレイ。刺激的な教材ばかりだった。先生の研究室はいつもバラの香りがして、まさに19世紀末のロンドンにいる気分になったものだ。

 さて、「マニエリスム芸術論」なんて大それたタイトルでいったい何を書いたのかというと、フィレンツェのヴェッキオ宮にあるフランチェスコ1世の「ストゥディオーロ(書斎)」について書いたのである。ここには錬金術をテーマにしたマニエリスム絵画のコレクションがある。当時は非公開の秘密の部屋だったが、今ではなんと見学ツアーも催されているらしい。時代は変わったものだ。

 フランチェスコ1世。フィレンツェを繁栄に導いたコジモ一1世の後継者だが、息子の方は内省的で政治には不向き。私はなにやらこの手の二世に弱いみたいでw 大好きなのはこのフランチェスコ1世以外にも、かのノイシュヴァンシュタイン城を造ったルードヴィッヒ2世、あるいは、フランツ・ヨーゼフ1世の子でマイヤーリンクで少女と心中事件を起こしたオーストリアのルドルフ皇太子などなど。いずれも憂鬱質でディレッタントなマニエリストたちである。

 あの論文を書いてからずっと、フィレンツェは憧れの都市であり続けている。今もずっと。ピッティ宮の彼方に広がるボーボリ庭園では天国のランドスケープを堪能できるが、そこには数々のグロッタ(マニエリスムの洞窟)が潜んでいたりもする。首が長くて体をS字型(セルペンティナータ)にひねったマニエリスムのマドンナたちの宝庫、フィレンツェ。たぶん、世界でいちばん好きな街である。

grotta


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