naotoiwa's essays and photos

カテゴリ: life



 またひとつ歳を重ねてしまいました。

 早いもので、大学の教員生活も4月から3年目を迎えることになります。で、本日3月23日は大学の卒業式でありまして……昨年に引き続き今年も、たくさんの若い人たちに「おめでとう」を連発しつつ、「ところで、実は、今日はワタクシの誕生日でもあるのですが……」と逆「おめでとう」を軽ーく強要し、お互いにお祝いを言い合える一日となりました。花冷えでしたが、大学周辺の桜も確実に咲き始めておりましたっ。

graduation

sakura


 大学の教員としての仕事と、個人としてご依頼いただいている仕事との両立に四苦八苦してきた2年間でしたが、ここに来て、ようやく自分なりのスタイルが作れてきたかもと思ってます。でも、それは逆に言えば、「慣れ」が生じ始めているということでもあります。ので、この4月からは、また次の新しいことにチャレンジしていけたらと思っています。

 自分の中にはたくさんの自分たちがウヨウヨいます。それらの発する声により一層耳を傾けて生きていければと。

 さて、ここ10年近く個人のブログはずっと書き続けているのですが、それ以外にも、この4月からはNOTEを始めることにしました。まだ、プロフィールテキストしかアップしてませんがw 今後は、こちらの方もたまには見てやってください。

 では、みなさんのますますのご活躍と well being を祈念しつつ。そして、一年に一度しかないこの桜の季節をじっくりと楽しんでくださいね。ではまた。



 今朝NHKのニュースを見ていたら、愛知県のモーニングセットの話が紹介されていた。名古屋に行くと食生活の面でいろいろなカルチャーショックを受けるが(なぜにカツに味噌を? なぜにきしめんに味噌を?)そのひとつにモーニングセットのゴージャスさがある。コーヒーを注文しただけなのに卵もトーストもサラダも付いてくる。お豆やクッキーだって付いてくる。で、500円もしない。東京でこれらを注文したら軽く1000円は超えてしまうだろう。

 で、NHKニュースによるとこのモーニングセット、発祥は一宮市なんだそうである。繊維業が盛んだった一宮市は織物工場の騒音が始まる前の朝の時間、アパレルの関係者が喫茶店でさまざまな商談を行った。その際に店側がピーナッツやゆで卵を提供したのがその始まり、的なことがウィキペディアにも書いてあった。

 ああ、それで、とようやく合点がいった。小さい頃よく車で父親に喫茶店に連れて行かれ、そこで食事代わりのモーニングセットを食べた記憶があるのだが、なるほど、父親はまさにモーニングセット興隆の当事者だったわけだ。というのも、父親の職業は毛織物の卸業。毎日車で一宮や岐阜の街に出かけていっては仲買の商売をしていたのである。

 職業柄いつもダンディにしていた(というか、着倒れ人生?)あなたと、つもりに積もった話をするために、久しぶりに一宮市に行ってゴージャスなモーニングセットを食べたくなりました。今ならどこの店に行けばいいのでしょうか、ね?



 あなたは五感のうち、どれに最も敏感ですか?

 たいていの現代人は圧倒的に視覚だろう。もちろん自分もそうである。でも、視覚に負けず劣らず、自分は嗅覚に過敏な方だと思う。過去の記憶も嗅覚を中心に覚えていることが多い。その代わり、自分は聴覚はダメだ。だから、音楽家にはなれなかったし、外国語のヒアリング能力もあまり高くない。

 冬の晴れた日、公園のベンチで日射しを浴びながら目を瞑り、ゆっくりと息を吸い込む。百メートルぐらい離れたところにある露店から、コーヒーと焼きたてのクロワッサンの香りが漂ってくる。広大な池からは、ようやく暖まり始めてきた水と藻の香りがする。そこに、清々しい梅の香りが時折混ざる。

 しばらくして、背後を誰かが足早に通り過ぎていった。ふんわりと甘い薔薇の香りがした。ちょっと古風で懐かしい薔薇の香り。こんな香水を付けているのはどんな女性だろうと好奇心を抑えきれず、振り返ってゆっくりと目を開けてみる。すると、なんとそこには、高校生の男の子の後ろ姿が。……え? でもたしかに、この薔薇の香りは彼の残り香なのである。遠ざかっていく彼のジャージ服から匂ってくるのである。

 ああ、そうか。想い出した。これは、最近流行っている柔軟剤の香りなのである。クラシカルローズの香り。嗅覚がひとより敏感だと自負している男は、こうして冬の公園の片隅で苦笑いなんぞしているのである。

 でも。いずれにしても、ひとそれぞれ、五感の感覚比率が違うのである。そういうのがクオリア(感覚質)の違い、ひいては個性の違いにつながっているのではないだろうか。

 



 最近、いくつかの講演で、あるいは、大学のゼミ生に、「わたしのなかのたくさんのわたしたち」……なんてことを言ったりする。多重人格? ジギルとハイド? いえいえ、そういった二律背反的なことではなく。

 平野啓一郎さんも、『私とは何か』で「分人」について述べている。ドミニク・チェンさんたちが事業をする際の会社名は「ディヴィデュアル」である。

 individualではなく、dividual、dividuals。個人とはそれ以上分割できない存在。それこそがアイデンティティ? いえいえ、わたしのなかにはもっとたくさんのわたしたちがいるんじゃない? じゃあ、個性ってなに? たぶん、それは、たくさんの自分の束ね方のクセみたいなものなのでは? 

 『ホモ・デウス』の下巻を読んでいたら、こんな文章があった。

 自分には単一の自己があり、したがって、自分の真の欲望と他人の声を区別できるという考え方もまた、自由主義の神話にすぎず、最新の科学研究によって偽りであることが暴かれた。(p114)

 私たちの中には、経験する自己と物語る自己という、少なくとも二つの異なる自己が存在する。(p119)

 物語る自己は経験を総計せず、平均するのだ。(p121)

 私たちが「私」と言うときには、自分がたどる一連の経験の奔流ではなく、頭の中にある物語を指している。混沌としてわけのわからない人生を取り上げて、そこから一見すると筋が通っていて首尾一貫した作り話を紡ぎ出す内なるシステムを、私たちは自分と同一視する。話の筋は嘘と脱落だらけであろうと、何度となく書き直されて、今日の物語が昨日の物語と完全に矛盾していようと、かまいはしない。重要なのは、私たちには生まれてから死ぬまで(そして、ことによるとその先まで)変わることのない単一のアイデンティティがあるという感じをつねに維持することだ。これが、私は分割不能の個人である、私には明確で一貫した内なる声があって、この世界全体に意味を提供しているという、自由主義の疑わしい信念を生じさせたのだ。(p124)


ユヴァル・ノア・ハラリ『ホモ・デウス(下)』(河出書房新社、2018年)

 とても納得のいく説明だと思った。

 自分をあまり演繹的に物語らないこと。自分という「総体」に素直になること。そうすれば、思い込みだけの「個性」も消えていくはず。



 よく夢を見る。そして夢日記をつける。でも、うまく書けたためしがない。すぐに忘れてしまうからか? いや、枕元には手帖が置いてある。手元の明かりをつけてメモする準備はできている。だから、あらすじめいたものはスラスラ書くことができる。でも、読み返してみるとさっぱり訳がわからない。夢で見た内容があまりに荒唐無稽だからか? いや、そういうことではないのかもしれない。ベストセラーになった『サピエンス全史』の著者ユヴァル・ノア・ハラリの続編『ホモ・デウス』の中に、こんな文章がある。

 実際、人間自身も、言葉にせずに過去や未来の出来事を自覚することはよくある。とくに、夢を見ている状態では、言語によらない物語をまるごと自覚することがあり、目覚めたときにはそれを言葉で描写するのに苦労する。

ユヴァル・ノア・ハラリ『ホモ・デウス(上)』(河出書房新社、2018年)、pp157-158

 近頃、この、「言葉によらない物語」について考えることが多い。起承転結型の物語なんてつまらない。そもそもストーリーテリングという考え方がつまらない。同じ物語でも、ナラトロジー、あるいはナラティブと言われれば心惹かれる。その理由は、言葉、特に書き言葉に依存することの限界を(あるいは、その欺瞞を)我々が本能的に感じ始めているからではないだろうか。

 夢日記がうまく書けない理由もたぶんそのあたりにあるのではないか。内容が荒唐無稽過ぎるからではなくて(あるいは、物語というのは元来このくらい荒唐無稽なものだと言い換えてもいい)、ただ書き言葉に翻訳しづらいというだけのこと。我々は夢を見ているとき、体全体、脳全体、意識と無意識のその全部で物語を紡いでいるのだ。とてもナチュラルにホリスティックに。



 ずっと日記をつけている。1997年からだから今年で22年目になる。毎日欠かさずと言いたいところだが、まとめて一週間分なんてことはザラにある。最近は記憶力が落ちて、一週間遡るのは至難の業だけれど。
 1997年は父親が死んだ年である。命日の1月7日からずっと日記をつけている。たぶん、あの時から自分の中のなにかが変わったんだろうと思う。それがなんなのかはよくわからないのだけれど。人生のウエイトレシオが未来から過去へとシフトする年だったのだろうか。36歳。71歳までの折り返し地点。ちなみに父親は71歳で亡くなった。

 で、最近思うこと。どうせならもっと早くから日記をつけていればよかった。つくづくそう思うのだ。二十歳の頃の、いやティーンエージャーだった頃の自分が日々なにを感じなにを思いどんな行動をしたのか、そのログデータの詳細を今見ることができたらと。そんなものを確認してどうする? でもやはり世界の謎の大半は自分自身の謎なわけで、それをこれからの残りの人生の中で解き明かしていかないとケリがつかないような気がして。

 ポール・オースターの自伝的小説の中に、以下のような文章がある。

 日誌でわからないのは、いったい誰に向けて語ればいいのかだった。自分に向けて語るのか、それとも誰か他人に向けてか。自分にだとすれば、なんとも奇妙でややこしい話に思える。なぜわざわざ自分がもう知っていることを自分に語るのか。

 あのころは君はまだ若く、やがて自分がどれだけ多くを忘れることになるかわかっていなかった。現在に没頭するあまり、実は未来の自分に宛てて書いているのだということが見えてなかったのだ。かくして君は日誌を放棄し、以後四十七年間、少しずつ、ほとんどすべてが失われていった。


ポール・オースター『内面からの報告書』(2017年、新潮社)、pp152-153




 根津美術館で「酒呑童子絵巻」を見る。

 ご存じ鬼退治のお話である。最後は源頼光と彼の率いる四天王たち(♪マサカリ担いだ金太郎♪の坂田金時とか)によって鬼の酒呑童子は首を刎ねられ成敗されてしまうが、住吉弘尚の筆による絵巻では、その前半に酒呑童子の出生の話も描かれている。酒呑童子は伊吹大明神の子であるらしい。で、その伊吹大明神の元を辿ると八岐大蛇(やまたのおろち)にまで行き着く。八岐大蛇が須佐之男命に敗れて逃げ込んだ先が伊吹山だと言うのだ。

 そうした解説を読んでいるとなんとも感慨深げな気持になる。なぜなら、伊吹山は我が故郷の山だからである。幼い頃、何度も電車の窓から眺め続けた山なのである。

 あの慣れ親しんだ伊吹山に鎮座していたのが八岐大蛇だったとは!……たしかに伊吹山は荒ぶる山だった。冬に東海道新幹線に乗っていると米原あたりから急に雪景色に転ずることが多いが、あれは伊吹山から吹き下ろしてくる雪のせいである。余談だが、亡くなった父親は伊吹山でスキーをしていて大けがをし、その時の輸血が原因でC型肝炎になった。

 夏にはよく父親に車で伊吹山周辺までドライブに連れて行ってもらったものだ。父親の実家が岐阜県の揖斐川町にあったからである。そして、そのまま滋賀の方まで抜けると、……伊吹山の向こう、滋賀県側には泉鏡花の小説で有名な夜叉ヶ池がある。ここに生息していたと伝わっているのも龍、すなわち蛇である。やはり伊吹山周辺にはなにやら「荒ぶるものたち」が存在していたのかもしれぬ。

 そんな故郷の想い出を辿りながら三つの異なった酒呑童子絵巻を鑑賞していたのであるが、絵画としては、狩野山楽の筆によるものが素晴らしかった。特に酒呑童子の住む館の庭の描写。異時同図法で描かれているのだ。春の桜も夏の緑も秋の紅葉も、そして冬枯れもすべてが同じ場所に共存して描かれている。異時同図法。……さまざまな時間帯に起こったことを同時に同じ構図の中に描き込む手法。その結果、この庭は異界の庭になると解説文には書かれていたが、私にはそれは「異界」というよりも「永遠」の崇高な世界に感じられた。



 初夢とは何日に見る夢のことを言うのだろう。大晦日から元旦にかけて、元旦の夜、あるいは2日の夜と諸説あるようだが、とりあえず2019年の元旦の夜にワタクシが見た夢は、みんな(たぶん今までの学生時代の仲間たち)と北海道あたりに遊びに行く予定の日に、なんと、自分だけ好きなふたりの女の子と別の場所(たぶん暖かい常夏の島)に出かけているという夢だった。つまりワタクシは元旦早々大切な友人たちを出し抜いて自分ひとりだけ好い目を見ているのである。これはなんとも寝覚めの悪い夢であった。

 みなさん、ゴメンナサイ。実際はこんなことありませんから! と声を大にして言いかけたところで、ふと自信がなくなった。ほんとうにそうだろうか。けっきょく我々は大なり小なり他人を出し抜いて生きているのではないだろうか。ワタクシだって、この競争社会、特に自分が十代二十代の頃は今よりもずっと弱肉強食の時代だったから、人よりもいいポジションを取るためにその都度その都度友人たちの先を越そうと計算高く振る舞ってきたのではなかったか。

 そうだ。きれいごとを言うのはよそう。所詮、社会生活とは限られた牌の取り合いなのである。でも、今年もうすぐ58歳にもなる身としては、そろそろ今までとはまったく違う別の生き方を標榜してもいいのではないか。その一方で、下流老人にならないためにも、これからは今まで以上に熾烈なせめぎ合いが必要になってくるのではないか。……あれこれ考え始めるとまた自信がなくなってくる。でも、せめて。これからの人生においては、恩ある人を裏切ることだけは決してすまい(自分の最低限の自由と誇りが維持できなくなったときはその限りではないが)と、心に誓った今年の初夢であった。

 ところで、どうしてワタクシは、常夏の島に好きな女の子をひとりではなく、ふたりも連れて行ったのでしょうねw 夢の中とはいえ、おのれの業の深さを感じます。。

dream

Summilux 50mm f1.4 ASPH. + M10-P

farewell2018

Summaron 35mm f2.8 L + M9-P


 farewell 2018.




 2018年も残りわずか。おかげさまで今年は一度も寝込むことなく、365日活動し続けることができた。そして、おそらくは今までの人生の中で一番働いた年ではなかっただろうか。大学の仕事、個人で受けている仕事、自分の研究、もろもろの事務作業。そして、ほかにも自分のアイデンティティに関わることでカタを付けなくてはならないことがたくさんあった。その結果、土日も満足に休めない生活が続いた。「そろそろ来年あたりから大学の仕事と研究に専心して、個人の仕事は控えたら?」とアドヴァイスしてくれる友人も多いが、アカデミズムを極めたわけでもない自分が大学の教員に採用された理由とその存在意義は自分自身が一番よくわかっている。最先端の現場での経験を続けない限り、大学における「鮮度」もあっという間に落ちてしまうだろう。そうならないためにも、常に大学での仕事と現場での実践は両輪で回していかなくてはならない。来年もその先も。でも、……さすがにちょっと疲れたなあ。……時にはインプットに専念できる時間が欲しい。サバティカルが取得できるまでに、あと最低何年必要だったか?

 でも、改めてこの年の瀬に、今年一年毎日アタマとカラダをフル回転し続けられたことに感謝しよう。一度も風邪も引かず、ひどい目眩に襲われることもなく。加齢と共にアタマもカラダも鈍化しているだけのことなのかもしれないけれどw

 父親が死んだ歳まであと十三年。そこまではなんとか。……さあて、とりあえず来年はどの方向に進路を取ろうか。

方角

Summaron 35mm f2.8 L + M9-P

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