naotoiwa's essays and photos

カテゴリ: life



 また今年から3年間の大殺界に入るのである。六星占術によると今年はメインが陰影でサブが健弱。で、来年はいよいよまた「停止&達成」。……そうなのである。霊合星人なのである。自分の星の影響のみならず隣の星の影響を受ける。だからメインとサブが混在する。相乗効果の時は最高のパフォーマンスを発揮するのかもしれないが、基本は好運と不運が相殺される。あるいは、どちらが表に出るかは分からない。それにしても「停止&達成」とは意味深である。もともと霊合星人とは、生まれた年が「停止」なのだ。

 思い起こせば、この12年に一度の「停止&達成」の年に、今までもさまざまな人生の転機が訪れている。会社を辞めた年、浪人した年などなど。まさに占いは当たっているわけであるが、でもまあ、誰の人生も良し悪しの周期はちょうど10〜12年ごとぐらいに繰り返されるわけで、良い運気のあとには試練の時が、その後はまた……。

 おかげさまで、今までの人生、いくつかのなりたい自分にはなれたし(たとえそれが世間一般では二流であろうとニセモノと言われようと)、十二分にありがたい人生を送れて来た。その時その時に自分の人生を強く指南してくれた人たちに巡り会えたことに改めて感謝したい。

 今年からはついに前期高齢者の仲間入りもする。このあたりであとは現状維持に徹して、次の世代に今までの知見を橋渡しするというのが、初老を迎える人間にとっては最も正しい人生のディレクションだろう。でも、待てよ、「停止&達成」か。うまくいけばサブの「達成」の目だけうまく出せるかもしれないぞ、なんて(これまた霊合星人特有?)姑息なことは考えず、丁寧に真摯にまずはこの一年を過ごしていきたい。「健弱」に留意して。

令和八年謹賀新年。



 還暦を過ぎた後も、自分が老人になっていく実感というのはあまりなかったが、年を越して来年の3月には65歳になる。いよいよ名実ともに高齢者(前期だけれど高齢者は高齢者)の仲間入りである。定年まで(幸いにもの本務校は70歳定年)あと5年。
 健康面でもいろいろ出始めた。今までは血液検査で指摘されるのは高脂血症(ほぼ遺伝)だけだったのに、今年になって血糖値にアテンションが入ったり、血圧も一時的ではあるが160近くまで(下も100以上)数値があがってしまった。腹部エコー検査を受ければ、膵臓に嚢胞ありで一年間経過を見ましょうと言われる。コロナの時期でさえ、コロナ、インフルのみならず風邪ひとつ引かなかったのに、今年の秋から冬にかけは、一ヶ月以上鼻炎をこじらせ(副鼻腔炎)微熱が続いた。担当医曰く「免疫力が落ちているみたいですね」。

 この状態で定年を迎えて、前期高齢者が後期高齢者になった十年後にはいったいどうなっているんだろう……と思いながら、筒井康隆原作の映画『敵』をWOWOWで見た。東京国際映画祭でブランプリを受賞したこのモノクロ映画を見ているうちにひとごとではなくなってきた。長塚京三さん演じる主人公は元大学教授75歳。十年後には自分もそう呼ばれているのかもしれないし、孤独好きなわりに煩悩たっぷりなところも身につまされる。

 急いで原作を読むことにした。タイトルにある「敵」とは誰なのか何の象徴なのか、よりもなによりも、妄想と実生活のそのディテール描写に圧倒された。各章のタイトルを眺めているだけでも、老人の一日の生活(および性活)と妄想と哲学の連なり具合、重なり具合が凄まじい。

「朝食」「友人」「物置」「講演」「病気」「麺類」「鷹司靖子」「八畳」「郵便物」「老臭」「肉」「親族」「書斎」「買物」「性欲」「夜間飛行」「食堂」「通信」「預貯金」「昼寝」「野菜」「敵」「信子」「玄関」「遺言」「孤独」「供物」「酒」「珍客」「風呂」「自裁」「煙草」「大学」「映画」「睡眠」「戦闘」「神」「真善美」「侵略」「舞台」「幻聴」「春雨」 
筒井康隆『敵』(新潮文庫、2000年)より
「鷹司靖子」は昔の教え子の名前、「夜間飛行」は若い女学生のいるバーの名前、「信子」は亡くなった妻の名前


 あとがきの解説で川本三郎さんは以下のように書いている。

 現実社会が後退していくと、逆に、自分の周囲が接近してくる。それまでは、なんでもないものに見えた引き出しのなかのこまごまとした文房具が大事に思えてくる。だからそれを、昆虫採集家が虫を整理するように丹念に記述していく。現実社会という大きな世界が後退し、身のまわりの小さな世界が接近してくる。この遠近の逆転が面白い。

 そうなのだ。年を取って社会から引退してしまうと、たぶん人は、なにかをする理由、なにかをする目的よりも、ただただそれをどのように(自分の流儀で)するのかのディテール中心の生活になっていく。人間嫌いなところも多分にある自分の場合、そういう生活もけっこう楽しみだったりもするが、それもこれも健康寿命あってのこと。父親が亡くなった年齢に近づいてきている。体調管理に気を付けて来年から始まってしまう前期高齢者に備えないと。。



 中島敦の『光と風と夢』を再読中。これ、中島作品の中ではかなりの長編なので全集にしか収録されていないが、『かめれおん日記』や『山月記』以上に中島敦の代表作だと思う。芥川賞の候補にもなったという。『宝島』『ジギル博士とハイド氏』で有名なロバート・ルイス・スティヴンソンのサモア諸島での日記を装った小説。中島自身も同じく太平洋のパラオに滞在していたし、スティヴンソンは結核、中島は喘息。どちらも早逝している。スティヴンソン44歳、中島33歳。死生観も似ているのかもしれない。

 さて、自分も六十代も半ばを迎え、終活を考えることも多くなった。死ぬ時にどんな思いでいるのが自分らしいのか。中島やスティヴンソンには足下にも及ばないが、小さい頃から書くこと・表現することを存在の拠り処にしてきた者のひとりとして、以下のような文章を読むと感慨深い。自分もずっとそうしてきたし、今もそうしている。

 彼は外出の時いつも一冊のノートをポケットに持ち、路上で見るもの、聞くもの、考えついたことの凡てを、直ぐ其の場で文字に換えて見ることを練習した。其のノートには又彼の読んだ書物の中で「適切な表現」と思われたものが悉く書抜いてあった。

 だとしたら、

 死の冷たい手が彼をとらえる前に、どれだけの美しい「空想と言葉との織物」を織成すことが出来るか?

 これが、やっぱり人生の集大成としての価値基準なのではないだろうか。でも、こんな死に方もいい。キャプテン・ハミルトンが亡くなった夜に主人公が弔問に行った時の描写。

 一礼して私は表へ出た。月が明るく、オレンジの香が何処からか匂っていた。既に此の世の戦を終え、こんな美しい熱帯の夜、乙女等の唄に囲まれて静かに眠っている故人に対して、一種甘美な羨望の念を私は覚えた。

 そして、もしもこんな覚悟を持てたら最高の人生なんだろうなと思いつつ、『光と風と夢』を再読中。

 イエールでの喀血後、凡てのものに底が見えて来たように感じた。私は最早何事にも希望を抱かぬ。死蛙の如くに。私は、凡ての事に、落着いた絶望を以て這入って行く。宛(あたか)も、海へ行く場合、私が何時も溺れることを確信して行くのと同様に。ということは、何も、自暴自棄になっているのではない。それ所か、私は、死ぬ迄快活さを失わぬであろう。此の確信ある絶望は、一種の愉悦でさえある。


中島敦『光と風と夢』より
中島敦全集1(筑摩書房、1992年)所収
引用は順に、p.193、p.195、p.149、p.191


 オールドレンズ&カメラの収集撮影をはじめてかれこれ30年近くになるけれど、最近のヴィンテージレンズ&カメラの高騰はすさまじい。特にライカ。10年前の2倍3倍はアタリマエである。円安の影響もあるだろうが、まずもってタマ数がもう日本にはほとんどなくなってきているのだろう。2倍3倍の値段がしても程度の良いものがどんどん減ってきている。そんな中でコンディションの良いものを探すのは(しかもリーゾナブルに)至難の業で、たまに遭遇するもののほとんどが強者のコレクターが長年保管していたものに限られる。言い換えれば、長年のコレクターが手放さない限り、今ではそうした良いコンディションのオールドレンズ&カメラには巡り会えないわけで、ということは、そういった状況(往年のユーザーが年を取られて老眼がひどくなりもう使えなくなったとか、残念ながらお亡くなりになって遺品整理で譲渡されたか)が起こらない限り、市場には出回らないということである。

 なんとも切ない話だが、最近、自分もそろそろ同じような年齢に近づいてきているのかもと思いながら、防湿庫にあるレンズをひとつひとつLEDライトにかざして眺めてみると、数年前まで曇りひとつなかったと記憶していたレンズの中玉の周辺がうっすらと曇っていたり、当時は気づかなかった小さなバルサム切れのドットを発見したりする。古いものに至っては90年以上経過しているレンズもあるので、いよいよ経年変化が表面化したのか、あるいはここ数年の夏の異常な高温で、いくら防湿庫で湿度だけコントロールしていてもダメなのか。何本かレンズをクリーニングに出してはみるものの、キリがない。

 レンズの経年変化は自分自身の経年変化を可視化されているようにも思われて、ちょっと憂鬱な気分になってしまう今日この頃である。

hektor

 久しぶり巡り会えたコンディションの良いヘクトール7.3cmf1.9を、同じ3群6枚トリプレット構造のヘリアー75ミリf1.8にて撮影。ややこしい。



 酷暑が続く。亜熱帯、いや熱帯になってしまった日本。
 もう、シアワセな夏の日は、二度と戻ってこないのかも。
 アール・クルーのアコースティックインストルメンタルであの頃の軽やかな夏を思い出す。

 Why don’t we take a little piece of summer sky Hang it on a tree?
 For that’s the way to start to make a pretty world for you and for me




 






 自分はいったい何で出来ているのか。

 六十歳も過ぎると、もちろんそこにはノスタルジーな気分が多分に含まれているのだろうが、今までの自分を成り立たせてきた “成分” を客観的に分析してみたくなる。
 自分の場合はおそらく、若い頃に読み漁ってきたたくさんの小説がそうした “成分” の大半であると考えられるが、中でも「倉橋由美子」が占めるウエイトレシオはかなり高いのではないだろうか。『暗い旅』を読んで吉祥寺や鎌倉に住みたいと願い、『夢の浮橋』を読んで京都に憧れた。十代の頃からフランス被れになったのも「倉橋由美子」のせいだろう。

 先日、中公文庫から出ている『桜庭一樹と読む 倉橋由美子』を手に取って、彼女の初期の作品のいくつか(「合成美女」とか「亜依子たち」とか)を再読し、当時、自分の細胞壁のひとつひとつをヒタヒタと浸していた感覚がまざまざと甦ってくる思いがした再認識した。十代で「倉橋由美子」を耽読していた自分が、あの頃、自分のことを、親を含めたまわりの人々のことを、そしてこの世界のことをどのように感じていたのか。

 この文庫本の巻末で、桜庭一樹さんと王谷晶さんが対談して、穂村弘さんの言葉を紹介している箇所がある。

 穂村弘さんが倉橋由美子について「思春期の薬」というエッセイを書かれています。思春期の“病状”に「現実が怖い、他者が化け者に思える、自分は特別な存在だと無根拠に信じる、自分と同様に特別な他者とだけ美しく交わりたいと願う。」原因は自意識の過剰なんだけど、自分では治ることを望んでいなくて、治って大人になるのは敗北だと思っている。
対談「永遠の憧れ、倉橋由美子(桜庭一樹、王谷晶)より
『桜庭一樹と読む 倉橋由美子』(中公文庫、2023年)p.314

 まさにその通り。だとすると、あの頃の自分というのは、かなりイケ好かない青年ですよね?



 相応の歳をとったせいであろうが、最近、墓のことを真剣に考えることが多くなった。親の墓は今後どうしたらいいのか、自分の子供の代まで永代供養を望むのはいかがなものか。同世代の友人の中には、既に終活を終えて自身の墓を生前に建立した人もいる。

 まあ、それはさておき。そもそも自分は自分の墓を建立したいのか。新たにつくるのならどんな墓がいいのか。定番の縦型三段は抹香臭くてちょっと苦手。墓碑に戒名が彫るのもノーサンキュー。

 今までいろんなお寺の墓や外人墓地を見てきたが、その中で一番素敵だなあと思ったのは、多磨霊園にある堀辰雄と夫人のお墓である。形はシンプルなプレート型。そこに前と生没年のみが記されている。御影石の墓石も明るい色で、供えられた白い花とマッチして清楚。堀辰雄らしいお墓だなあとつくづく思う。

堀辰雄墓碑



 また誕生日を迎えてしまいました。

 早いもので、大学教員生活もいつの間にか7年目を迎えました。この分だとあっという間に、研究室に溢れかえった膨大な書籍の次の収納場所を心配しなくてはならない日も来てしまいそうですが、これからも新しい広告のあり方、広告とアートの関係性について文理融合(と言葉で言うは易しですが)の立場でアップデートし続けていく決意です(キリッ)。

 でもその一方で、ディレッタントにいろいろなことに首を突っ込む時間をもっと増やしてもいいのではと思ったりもして、ここ数年、近代文学や美学、美術史を専攻する先生方のお仲間の片隅に加わらせて頂いたりしています。

 変化し続けることと、自分の感受性の原点に正直になること、そのどちらをも欲張って両立させたい年頃なのでしょう(笑)。

 さて、毎年3月23日は本務校の卒業式です。今日はあいにくの雨となりましたが、満開の桜の樹の下で巣立っていくゼミ生たちに「おめでとう!」「おめでとう!」。自分の誕生日にこそ、周りの人たちにおめでとうが言えるというのは嬉しい限りです。

大岩ゼミ


 

 ヒトの運気には周期があって、だいたいそれは3年ぐらいのスパンで繰り返されているような気がする。ここ十数年の自分の人生を振り返ってみても思い当たるフシが多い。例えば、2014年から16年にかけては、人生のシフトチェンジに悩みに悩んだ時期で、今までにないような想定外の出来事がいくつも重なった。でも、それを曲がりなりにも通り抜けられたからこそ、2017年から19年にかけて、50代後半にして新しい人生をリ・スタート出来たのかもしれない。しかしながら、2020年からはまたまたいろんなトラブルが頻発し、ちょうどコロナの時期にも重なって鬱屈した日々が続いた。で、それらにもようやく解決の道筋が見えたのが昨年末。今年からの3年間はまた新たな運気がやってくる予感もしている。

 こうした周期は、運命云々と言う前に、人間という生き物はどんなに気を付けていても好運が重なれば必ず慢心したり驕ったりするもので、その戒めが後で必ずやってくる。あるいは、先延ばしにしていたことはけっきょく未解決のママ戻ってくる。で、それらを謙虚に受け止め、地道にやり直すことが出来ればまた運気は回復する。おそらくはそういうことなんだろうと思う。

 でも、ちらりと六星占星術を見てみたら、霊合星人水星人マイナスの私は、まさに去年までの3年間は大殺界に当たっていたようで、今年はようやくそれを抜け出せる時期とのこと。安直に占いを信じるわけではないが、もしもそうならばなおのこと、丁寧に丁寧にこの一年を過ごしていきたいと思う。でないと、せっかく結実したものも肝心の中身がなくなってしまいかねない。

 あと数週間もすればまたひとつ年を重ねることになる日に、改めて。

結実

Elmar 5cm f3.5 (pre war ) + M10-P + Color Efex Pro



 ついに因縁の親知らずを抜いたのである。

 「歯肉炎が治らないのは親知らずのせいですね」「はあ、、」「抜きましょうか。大学病院の口腔外科、紹介しますので」「え?」「完全に埋まってしまっているのでうちでは抜けないんです」とかかりつけの歯医者さんに言われたのが2015年。その後、いったん歯肉炎が治まって数年放置していたのだが、2019年にまた歯茎の腫れがひどくなった。で、覚悟を決めて改めて紹介された大学病院に行ってみるとたくさんの患者さんがウェイティング状態で、施術は半年後になるという。「お急ぎならば別の病院を紹介します」とのことで(こちらも大きな総合病院の)口腔外科で初診の受付をし、改めてレントゲンを撮ってみたところ、「ううむ」。CT撮ってみて、「ううううむ」。「……」「横綱級ですね」「は?」「横綱級に難易度の高い親知らずなので」と全身麻酔の手術を勧められた。「ええっ?  親知らずで全身麻酔、ですか?」

 私の右下顎の親知らずは完全に横向きに埋まっており、しかも、顎の神経と血管に密着しているもようで、抜歯の際に血管および神経を損傷する可能性も高いので万全の体制で行った方がいいとのこと。それが横綱級、の意味であった。で、手術入院前の麻酔医との面談等と相成ったが、どうも納得がいかない。セカンドオピニオンも聞きたくて別の病院でも同じような検査を受けたが診断は同じ「横綱級」。全身麻酔でなくてもいいが、静脈内麻酔の方が痛みも感じにくくくていいのでは、とのこと。でも、全身麻酔にしても静脈内麻酔にしても血管や神経の損傷の可能性は変わらないらしい。ようは位置の問題なのである。下顎に沿って走っている神経と血管に密着している位置の問題なのである。「だったら親知らずの位置が動けばいいのではないですか?」と尋ねてみると「若い方ならそれも有り得ますが、お年を召されていると残念ながら今後歯が動くことはないかと」。

 で、けっきょくこの時も親知らずの抜歯は取りやめにしたのである。理由は三つ。その一。大きな病院でならば血管損傷が起きてもその場でいろいろ対処してくれるだろうが、神経の損傷で後遺症が残った場合、人前で話をする機会が多いので(大学の授業しかり)職業的にも困ってしまう。その二。おかげさまでこの年になるまで大病もなく今まで手術を受けたことがない。ので、今回全身麻酔の手術を受けるとするとこれが人生初の手術ということになる。現代の医学は進んでいるので確率は極めて低いだろうが、全身麻酔の手術にはやはり一定の危険性は伴う。万が一、万万が一の場合、その理由が親知らず抜歯というのは死んでも死にきれない。ま、それはさておき、いちばんの理由はこれである。その三。ほんとうにこの親知らず、ずっと今の場所に居座っているのだろうか。今後位置を変えることは決してないのか? 下顎から離れて歯茎から少しでも頭を出してくれたら、通常のやり方で抜歯できるのではないのか? そうすれば神経や血管に抵触するリスクは解消されるのではないか、という疑問である。

 もともとこの親知らずを抜かなければならないと判断した理由は、奥歯と親知らずの間に生じる狭い隙間に細菌が蔓延って歯肉炎を起こすからである。この隙間をなくす、あるいは、隙間を逆にもっと大きくすれば炎症は起きても対処できるのではないか。というようなことを長年(もう30年近く)お世話になっているかかりつけの歯医者さんに相談してみたところ、じゃあ、歯肉炎を緩和するために逆に手前の奥歯を削って隙間を広げてみましょうかということに相成った。で、奥歯を半分削って様子を見ていたところ、歯肉炎は完治はしないものの、その後ひどくなることもなく、そして、去年の夏あたりから「お、親知らず動き出しましたね」という嬉しいレントゲン結果となった。隙間が広くなって親知らずも身動きしやすくなったようで、そして、ついに歯茎からその一部が姿を現したのである!「では、抜きましょうか。アタマが出てきているし、血管や神経からも離れてきたので、うちでやれますよ」

 そうはいっても親知らずを抜くとその後でかなり腫れると聞く。やるなら大学の授業も終了したこの時期しかないと思い、先週、敢行することになった。通常の局所麻酔で約40分間。「なんとか三つに割って抜けました」「あ、はりがとうごはいまふ」(麻酔で上手く口が動かない)「でも、歯茎に大きな穴が空いてる状態ですからね。数日は痛むし腫れるかも」「あい、かくごしてまふ」

 施術後。はい、腫れました。おたふく風邪みたいに腫れました。現在、まだ人前に出られない状況ですが、因縁の親知らず、ついに抜歯。三十年来お世話になっている〇〇先生、ほんとうにありがとうございました! それにしても、自分が納得できないと専門医のお薦めでも鵜呑みにできない私の頑固さのせいで、御迷惑をおかけした大学病院の先生、セカンドオピニオンをお尋ねした先生方にもこの場を借りてお詫び申し上げます。

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