naotoiwa's essays and photos

カテゴリ: life



 箱根方面での仕事の帰り、熱海に寄り道した。久々に老舗の洋食屋さんに行ってみる。この店に、先日亡くなった義父を何度かお連れしたことがある。

 12時きっかりに入店してランチを注文する。オードブルと熱々のスープ、フレンチドレッシングで和えたサラダを食べた後、メインディシュを選ぶ。

 義父は食にはあまり関心がなかったようで、自分からあのレストランに行きたい、ここの料理が食べたいと言うことはめったになかったが、この店だけは特別。ちょっとお洒落して(ネクタイをきちんと締めて帽子を被って)、ナイフとフォークを使ってカツレツやメンチカツ(いつも揚げ物ばかり。ここ、ビーフシチューも絶品なのに)を注文し、どこか懐かしげな表情を浮かべてはビールを一本。小さい頃にご尊父やご母堂に連れられて通った近所の洋食屋のことでも想い出していたのだろうか。

 義父のことを偲びながら、今日は私もメインディシュに豚ロースのカツレツを注文することにした。デミグラスソースをたっぷりとかけ、辛子を少しだけ付けて。旨い洋食屋さんのカツレツはどうしてこんなにもパン粉の焦げ具合が香ばしいんだろう。そして、ライスではなくロールパン。旨い洋食屋さんのロールパンはどうしてこんなにも美味しいのだろう。ホテル仕様のバターが添えてあるからかもしれない。

カツレツ

XF 35mm f1.4 R + X-T30II


 食後、店を出てから自慢のパイプで「桃山」を一服。その時の義父の横顔はとても柔らかで、自らの人生を十分楽しんでいるように見えたのだけれど。改めて合掌。



 義父が亡くなった。96年と半年。大往生だと思う。初めて義父と会ったのは今から三十年前。結婚の許しを乞うために会いに行った。で、最初に聞かれたのが「血圧はどのくらいか?」である。まずもって健康体かどうかのチェック。お互いに何を話したらいいのか分からなくて戸惑いの発言だったのかもしれないが、正直言って、なんだかなあ、と思ったことが記憶に残ってる。ご自身、養生訓を地で行くような人だった。毎晩腹筋を欠かさず、食事は常に腹八分目。医者に行ったことはほとんどない。それほどご自身の健康には前向きに留意していたのに、いつだったか「ナオト君、人生は決して楽しいものなんかじゃないよ」と言われたことがある。そのニヒリズムに同感するところもあったけれど、自分はだからこそ(人生は苦難の連続だからこそ)無理してでも懸命に「優雅な生活が最高の復讐である」と切り返して生きていきたいと願うタイプなので、価値観を同じくすることはなかなか難しかった。むろん、大正14年生まれの戦中派ゆえ自分たち世代には想像もできないほどの闇を目の当たりにしてきたのかもしれない。けれど、同い年の実父(実父は71歳で亡くなったので、義父より四半世紀分寿命が短かったことになる)も自ら少年飛行兵を志願し、たくさんの戦友が亡くなるのを目の当たりにしたが、戦後は生き残った幸運を懸命に前向きに生かそうとしていたようだ。

 義父は定年になるまで生命保険会社に勤務し、一度も転勤することなく生まれ住んだ土地と家屋を守ってきた。若い頃は本を読むのが好きだったと聞く。書斎には夏目漱石全集と芥川龍之介全集が並んでいた。文学青年だったのだろうか。そして適度のお酒と喫煙。愛用のパイプが何本も残っている。刻葉の銘柄は「桃山」。クールな一面、弱き者や困っている者に心温かな人だった。動物も(犬も猫も)大好き。同じ犬好き同士、もっともっと心を打ち解け合うこともできたかもしれないと思うと心残りを感じる。

 偶然なのか、いや、そうではないだろう。亡くなった日が彼のご母堂の命日と同じだったと知り、人の運命というのはやはりあらかじめ決まってしまっているのかもしれないと感じた。96年と半年をタイムスリップしてご母堂のもとに戻って行かれたのではないだろうか。

 今までの30年間、ほんとうにお世話になりました。感謝いたします。合掌。

佛花

XF 35mm f1.4 R + X-T30 II + Color Efex Pro



 今日は亡父の命日である。早いものでもう二十五年、四半世紀が経ってしまった。あと十年もすれば今度は自分が父の亡くなった年齢になるが、このトシになっても父には追いつけないことばかりである。ゴルフは言うに及ばずスキーの腕前も上がらない。クルマも父のようにメリハリがあってしかも柔らかな運転の域には到達しない。何をやっても父には勝てないなあと思いつつ、写真ぐらいはと、70年代に父が使っていたカメラとレンズで多重露出なんぞにトライしてみる。

double

Summicron 40mm f2 + CL + APX400


 父は最後までフリーランスの自由人だったが、後に遺族が困るような問題はなにひとつ残さなかった。コロナ禍でここ数年行けていない古里のお墓参り、今年の夏こそはと思う。







 54歳の時に独立して早や6年。56歳からは大学教員として遅まきながらアカデミズムの世界にもチャレンジし、研究に教育に、そして制作業務にと多忙な毎日を送らせていただいている。
 まだまだ若いモンには負けないぞ、と言うは容易いが、でも、冷静に考えてみれば、クリエイターとしてのピークはとっくの昔に過ぎているわけで、そういう意味では今の時間は「余生」なのかもしれない。
 「余生」と書いてしまうとなにやら残り火みたいだが、人生の後半から終盤に向けてこそ、自分にとって一番大切な仕事は何なのかを見極めつつ、それをきちんと仕上げていかなくちゃ、それがきっと自分の天職になるのではと思う今日この頃である。

 こころよく 我にはたらく仕事あれ それを仕遂げて 死なむと思ふ
石川啄木『一握の砂』より


啄木

XF 23mm f2 + X-T30 II + Color Efex Pro

*雪の日の、小樽公園の啄木歌碑



 今日は3月3日、雛祭り。桃の節句である。旧暦の3月3日頃、あと一ヶ月もすれば、桜も桃も満開になるだろう。春爛漫の季節である。
 さて、桃の花といえば、太宰治。中原中也に「ええ? 何だいおめえの好きな花は」と聞かれて、太宰が「モ、モ、ノ、ハ、ナ」と答えたという有名なエピソードが檀一雄の『小説 太宰治』の中に描かれている。
檀一雄 『小説 太宰治』『檀一雄全集 第7巻』(沖積舎、1992年)p.25を参照

 同じ無頼派でも坂口安吾は桜に惹かれて傑作『桜の森の満開の下』を書いた。桜か桃か、あるいは海棠か。春の花の好みは尽きない。

 そして今日は亡母の誕生日でもある。女子力満載(?)だった母に相応しい誕生日だったのかも。



 「死ぬ前に最後に食べたいもの」とか「最後に行きたい場所」というフレーズはよく耳にするが、「人生最後に読みたい本は?」と尋ねられたら、自分はいったいなんて答えるだろう? 
 思えば、この年になるまでにずいぶんとたくさんの本を読んできた。捨てきれない蔵書は千冊は優に超えるだろう。人文系、美術系の本がほとんどだが、そのなかでも小説の類いが圧倒的に多い。ということは自分も……

 三上延さんのベストセラー『ビブリア古書堂の事件手帖』シリーズの第6巻では、ラストにこんな独白がある。誰が言った言葉かはネタバレになるのでここには書かないけれど。

 「わたしは、『晩年』を切り開いて、最初から読みたい……最後まで読み終えて、その日に死にたいの……それを、人生最後の一冊にしたい」(中略)「あの作品は太宰の出発点で……匂い立つような青春の香気があるわ。わたしはそれを、自分の晩年に味わってから死にたい……」

 うむ。大好きな太宰の小説を人生最後の一冊にするのも確かにアリだけれど、人生のラストはもうちょっと惚けた感じで締めくくりたい気もする。日本文学だったら内田百閒あたり、だろうか。

 ちなみに、この『ビブリア古書堂の事件手帖』の第6巻は全篇すべて太宰治で、太宰が他のペンネームで書いたミステリー小説風『断崖の錯覚』や、「太宰治論集」に出てくる『晩年』の自家本の話、そして、引用部分もあるように当時のアンカット本の話など、太宰ファン垂涎のエピソードが満載である。



 ここ二年余のコロナ禍にあって大人数でどこかに集まるという発想はずいぶんと影を潜めたように思うが、個人的にはコロナ以前よりずっと、大規模な施設に多くの人が集まることに対して違和感のようなもの(あるいは不条理?)を感じ続けてきた気がする。
 もちろん、駅や空港といった交通のターミナルには大勢の人々を集客するための空間が必要であろう。でも、街の至る所に巨額のコストをかけてガラス張りのモダンな商業施設やオフィスビルをいくつもいくつも建設するのはいかがなものか。多種多様な店舗が一堂に集まっている方が便利だし、館内のデザインは現代的で洒落ている方が気分も自ずと「アガる」わけだが(最近では館内はとても「いい匂い」もする)、でも、そのためにどれだけのお金と資源を使わなくてはならないのか。空調費だけでも莫大なはずである。そこまでしないことには現代の生活は成り立たないのか、我々は「素敵な日常」を楽しめないのか、といった違和感である。

 で、これからの話である。未来の街はどうなっていくのだろう。大人数で集まりたいときはバーチャルの世界で済ませてしまって、物理的にはそれぞれパーソナルな空間に戻っていくのかもしれない。いわゆるメタバースの世界だ。でもそうなったら、今までに造ってしまったこれらのリアルな大規模な施設はいったいどうすればいいのか、などとあれこれ、現在のこと、そしてこれからの未来のことを考えてみるのであるが、正直言ってどちらもなんだかしっくりこないのである。現在にも未来にも今ひとつ希望が持てないとすると、我々は過去に戻るしかないわけであるが。

 タイムトラベリングをテーマにしたロバート・F・ヤングの有名な短編小説に「たんぽぽ娘(The Dandelion Girl)」というとてもロマンティックな作品がある。三上延さんの「ビブリア古書店の事件手帖」でも取り上げられていたので最近では若い方も多く読んでいるのではないだろうか。この作品の中で有名なのは、伊藤典夫さんの訳で、

「おとといは兎を見たわ」と夢のなかのジュリーはいった。「きのうは鹿、今日はあなた」

という台詞であろうが、若いジュリー・ダンヴァースが、未来から過去にタイムトラベリングしたくなる人たちの気持ちをシンプルに伝えている以下の箇所が昔から好きである。

「時間旅行局では、許可された人たち以外にはタイムマシンを使わせないの。でも、もっとシンプルな暮らしに憧れる人たちは、歴史学者になりすまして過去の世界へ永住する気で行こうとするから、そういう人たちを逮捕するために時間警察が活動しているわけ。」

太字引用部分は、R・F・ヤング『たんぽぽ娘』(河出文庫、2015年)より。
それぞれ p.103、p.106



 お気に入りの珈琲焙煎スタンドがあったりもするので、今でも月に何度かは代官山まで歩いていく。
 
 代官山には80年代の後半に数年間住んでいた。本多記念教会のあるあたり、八幡通りから東横線の線路沿いに至る界隈が特に好きである。そして、当時はその中心に同潤会代官山アパートメントの “森” があった。住民でもないのに週末に代官山食堂で夕食を食べたり銭湯の文化湯に入ったこともある。今では隣接していた蕎麦屋の福招庵だけは健在だが、あとは、当時の写真をパネルにしたアーケードと文化湯のタイル絵が代官山公園に残っているばかり。

文化湯

Biogon 35mm f2.8 (pre war) + Contax II + Delta400

 あの頃の代官山は、この同潤会アパートメントの “森” が想像力を搔き立ててくれる、レトロモダンな物語の場所であり、そして80年代アパレル文化全盛の発信地でもあった。代官山と言えば BIGI グループだが、二十代後半の自分にとっては旧山手通りの TOKIO KUMAGAI の路面店が憧れの場所だった。サラリーの大半をつぎ込んで毎月“着倒れ”である。現代のファストファッションの、カッコ悪くなけりゃそれでいいの感覚からすると、やはりバブリーで “クリスタル” な時代だったのかもしれない。ちなみにパンは今でも代官山のシェ・ルイに買いに行くのであるがw

 同潤会代官山アパートメントについては、三上延さんの小説『同潤会代官山アパートメント』、そして、ハービー・山口さんの写真集『代官山17番地』が秀逸である。



 最近、死んだ父親に無性に逢いたくてしようがなくなる時がある。自分に似ているひとはいても、自分が似ているひとはもはやこの世に存在しない、そのことがどうにもせつないからだろうか。私は死んだ父親とはほとんど同じような体型・体質で、六十歳を過ぎてこれから自分の身体のどの部位がどのように衰えていくのか、その過程もその程度も、父親が辿った十数年間を思い起こせばなんとなく想像がつく。遺伝子というのはつくづくそら恐ろしいが、はてさて、そうした自分の老後についても父親から直接アドヴァイスが聞きたいし、自分が生まれる前、若かりし日の父親がいったいどんな思いで戦争に行き、どんな思いで戦後の人生を始めたのか。そして、七十一歳で死ぬ時、いったい何を想い、何に感謝し何に未練を覚えたのか。そうした本音を直に本人から聞いてみたい。

 でも、そうしたことは決してかなうことがない。生きている者と死んでいる者は、川上未映子さんが「十三月怪談」の中で書いているように、ほんとうに、お互いがお互いに対して「無力」なのだ。そのことがつくづくやるせない今日この頃である。

 でもわたしがいまぼんやりとソファにすわってずっと思ってることっていうのは、死んだ人間っていうのはほんとに無力なんだなって、たぶんそういうことだった。自分が生きているときは、生きてる人間っていうのは死んだひとにたいして、あるいは死んでゆこうとしてる人にたいして無力だなって思ってるところがあった。なんにもいえないし。でも、死んだひとっていうのは生きてるひとになにひとつだってしてあげることはできないし、さわることだってできないし、もうなにもできなくって、ほんとうにちがう世界にいるんだなってそう思う。

川上未映子『愛の夢とか』(講談社、2013年)収録「十三月怪談」より




 コロナ禍に加え、ここ数ヶ月公私共々いろいろあってなかなか時間がつくれず、かといって次の論文の準備もしなくちゃならない。だとしたらこのタイミングしかないと久しぶりに超特急で研究出張に出掛けた。場所は山口。山口情報芸術センターの企画展示で見ておかなくてはならないものがたくさんあるし、山口と言えば中原中也の古里。記念館の過去のアーカイブから入手したい資料もたくさんある。ということで慌ただしく二日間が過ぎていくのであるが、瞬間空いた時間帯に昼食も兼ねて山口駅前の通りを歩いてみた。旅をしていての楽しみのひとつに何の予備知識もなく(ネット時代、この何の予備知識もなくというのが極めて困難なことではあるのだけれど)、自分の直感だけを信じてふらりと一期一会にいろんな店に入ってみることであるが、今回は、ネーミングに惹かれて二店ほど。

 ひとつは「月光カメラ」という名のフィルムカメラ店。古いローライフレックスが通りに面したショーケースに置かれている。はてさて名前の由来は月光菩薩か月光仮面か、ベートーベンかドビュッシーか(ちなみに今夜は部分月食が見れるかもしれない)、あるいはやはり印画紙の「月光」か。もうひとつは「もなの珈琲」。なんだろう、「もなの」って。けっきょくこの店でサラダ付きのクロックムッシュと珈琲のセットを頼んでしばし休憩することにしたのであるが、珈琲もパンも美味しく店の雰囲気も落ち着いていて直感は当たった。ただし、店名の「もなの」のヒントはどこにもなく(HP等を見れば出ているのかもしれないが)、名前の由来の謎はそのままに、店内に置かれている書籍やマンガ、雑誌の類いに目を通すとこれまたステキなネーミングのものばかり。「世界で一番美しい犬の図鑑」、そしてマンガの「スズキさんはただ静かに暮らしたい」が数巻置かれている。

 なんだか嬉しくなってしまった。時に世界は(あるいは神様は)偶然を装って、現在の自分の心境を的確に提示してくれるのだ。でも、「もなの」っていったいどういう意味なんでしょう? 

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