naotoiwa's essays and photos

カテゴリ: life



 犬も猫も、タヌキもキツネも、馬も牛も。動物ってなんでみんなあんなに可愛いんだろう。常々思う。で、気がついた。それは、シッポがあるからではないかと。

 「ただいまぁ」 ワンワンワン。階段を登っていく。ウォンウォンウォン。「元気にしてた?」 目と目が合う。そして、くるんくるんとシッポを振ってくれる。

 シッポは正直だ。嬉しいときにくるんくるん。厭なときはだらりと下がる。シッポはウソをつかない。だから動物たちは誠実だ。隠したりしない。取り繕ったりしない。装ったりしない。裏腹なことはしない。

 人間にもシッポが付いていればいいのにと思う。そうしたらもう、みんなウソをつかなくなるのに。そんなことを思いながら、尾てい骨の名残をさすってみたりする。


佇む

Summilux 35mm f1.4 2nd + fp


 今日はそろりそろり、足音を立てずに階段を登ることにする。まだ気付いていない。で、突然「ただいまぁ」と声を掛けたら、どんなふうにしっぽを振ってくれるんだろう?


 



 子どもの頃、歳をとった大人たちの歯を鳴らす音がイヤでイヤでたまらなかった。シーシー、チィッチィッ、シーハーシーハー。そうやって、爪楊枝を併用しながら歯の隙間に詰まった食べカスを取り除くのだ。そうして、彼らには厭な口臭があった。近づくと甘ったるい汚臭がぷんとした。幼い頃のボクは、彼らの歯を鳴らす音とその口臭を、憎悪していた。

 昨日、久しぶりに開高健さんのデビュー作『パニック』を読み返していたら(芥川賞作家の大岡玲さんが岩波文庫で『開高健短篇選』を出されています。大岡玲さんとは光栄にも現在の本務校でごいっしょさせていただいていています)以下のような文章が出てきた。

 課長は胃がわるいのでひどく口が匂う。出入業者に招待された宴会の翌朝など、まるでどぶからあがったばかりのような息をしていることがある。生温かく甘酸っぱい匂いだ。口だけでなく、手や首すじからもその匂いはにじみ出てくるようだ。白眼の部分にある黄いろくにごった縞を見ると、いつも、この男はくさりかけているなと思わせられる。

 課長は楊枝のさきについた血をちびちびなめた。俊介は息のかからないように机から体をひき、相手の不潔なしぐさをだまって眺めた。課長はひとしきり派の掃除をすませると、眼をあげ、日報の綴りをちらりとふりかえってたずねた。


開高健 / 大岡玲(編)『開高健短篇選』(岩波文庫)、pp11-12


 『パニック』における鼠のおぞましい異常繁殖と死の舞踏のイメージが、この課長の口臭の描写と見事に呼応している。

 さて、自分も今や、当時憎悪していた大人たちの年齢になってしまった。で、彼らがシーハーしたくなる気持が今ではよくわかる。歳をとると歯茎が後退してどうしても歯の間に隙間や歯周ポケットができてしまうのだ。そこに食べカスが溜まる。手のひらを口の前にかざして自分の息を吹きかけてみたら、ぷんとかすかにあの匂いがした。……自分もついに「くさりかけて」きたのだろうか? 



 「つながる」ことばかりが取り沙汰される現代。オープンという名の暴力。正直言って、げんなりである。ひととひとはそんなに易々とつながるものなのか。ひとはドットとしてもっと孤高に思索し観想すべきではないのか。我々は匿名性を慈しまなくてはならない。システムという名前のブルドーザーに、がさつな道ならしをして欲しくはない。そのせいで、ほのあたたかな秘密の小さな明かりたちが、ひとつ、またひとつと消えていく。






 地階のジャズ喫茶である。70年代からずっとあった。階段を降りていくと、湿気た匂いがプンとして、出てくる珈琲は酸いた味がした。けれど今は違う。現代に生き延びるためにはジャズ喫茶も変わらなくてはならない。店内はずいぶんと明るくなった。大型の業務エアコンからはキリリと冷えた冷気が流れ出し、空気清浄機が饐えた匂いを除去している。古めかしいJBLのスピーカーは健在だが、真空管アンプもLPレコードプレーヤーも姿を消した。ピアノ曲がクリアなデジタルサウンドで流れている。明るいジャズ喫茶、と僕はつぶやく。

 それでも客はあまり入っていない。若い女の子がひとりだけ、一番隅のテーブルで壁に上半身をもたせかけながら文庫本のペエジを繰っている。空調が効きすぎて寒くなったのか、彼女はトートバックから黒いカーディガンを取り出してノースリーブのワンピースの肩に羽織った。それからしばらくして。キース・ジャレットが流れ出すと、彼女はカチリと銀製のライターで煙草に火を付け、目を瞑って聴き入った。シャープな横顔のシルエットが紫煙に揺れている。

 それを遠くから眺めながら、僕はちょっと救われた気分になる。今でもこうした若い女の子がいることにホッとする。群れずにたったひとり、読みたい本があって。煙草の吸い方が格好良くてキースが好きで、静かに自分の内面と向き合いながら「思案に暮れる」若い女の子が、今でもちゃんと存在していることに。

 Keith Jarret, My Song。この曲を初めて聴いたのは、僕が彼女と同じくらいの年頃だったろうか。




 



 個人で仕事をする際の屋号は「もの・かたり。」にしている。英語で mono-cataly と表記しているのはカタリスト(catalyst) を意識してのことであるが、表現に携わる仕事をしている者にとって、「物語=ストーリーテリングとはなにか」というのは永遠のテーマである。

 先日、小川洋子さんとクラフト・エヴィング商會の『注文の多い注文書』を読んでいたら、あとがきに相当する『物と時間と物語』の中で以下のような文面を見つけた。まさにまさに。これ、ずっと思っていたことである。


H:そういえば、どうして物語の「もの」って「物」なんだろう。人間の「者」じゃなくて。
O:たしかに、人が語るものなのに不思議です。
A:きっと、「物」の方が物語を知っているんですね。
H:どうして、人も「もの=者」っていうのかな?
A:そういえば、物には魂がある、と昔の日本人は気づいてました。いまはみんな忘れちゃったみたいですけど、昔はそれが当たり前でした。
小川洋子 / クラフト・エヴィング商會『注文の多い注文書』(ちくま文庫、2019年)p.208

*Oは小川洋子さん、Hは吉田浩美さん、Aは吉田篤弘さん




 四年前、あのままサラリーマンを続けていたら今頃どうだったんだろうと、最近ふと思うことがある。定年まであと二年。でも、再雇用を希望すればプラス五年。六十歳からの収入は激減するだろうが、年金の受給額を勘案すればその方がかえって節税対策になったりもする。大企業の福利厚生はつくづくよくできているのだ。だから、あのままサラリーマン生活をまっとうしておけば、それはそれで安定した老後を送ることもできただろう。
 今後、公務員も民間のサラリーマンも定年が延長されたり、あるいは定年そのものがなくなるケースも増えてくるだろう。でも、どんなに人生100年時代になろうとも、企業の現場で活躍できる年齢のピークは厳然としてあって、それが創造的な職務であればなおさら、後進に道を譲らなくてはならない時期は早い段階で迫ってくる。

 自分の場合は、いつまでも現場のディレクターをやり続けたかったタチで、五十の半ば近くになってもそれなりに自分の能力に関しては自信を持っていたように思われる。誰よりもアイデアは出せるし、さまざまな見識はあるし、結果誰よりもセンスの良いディレクションができる。まだまだ「若いもんには負けん!」というやつである。でも、仮に能力的にはそうだったとしても、きっともう若い頃のようには、仕事仲間に対してチャーミングに微笑むことはできなかっただろうし、楽しげな会話を創り出し得なくなっていたのではないか。今思うとそんな気がする。「若いもんには負けん!」と思っているオッサンは一度、自分が仕事仲間とミーティングをしている風景を客観的に観察するべきだと思う。ほんとうにあなたは周りに対してネガティブな雰囲気を醸し出していないか? 

 さて。サラリーマンを辞めてひとりで仕事をしつつ、大学で教育と研究にも携わらせていただくようになった今は、ようやくこんな心境になれている気がする。前にいた会社の後輩たちがどんどん活躍して欲しいと思うし、仕事でごいっしょする仲間たちにはどんどん追い抜いて欲しいと。少しは成長したのかな?

 ちょっと前まではな、若いやつにはって気持ちがあったけど、最近はなんだか踏みつけられて乗り越えられることが快感になってきた。こいつはすごいな、俺より大物になるなって感じると嬉しくなってくる。むしろそういう奴がいないと、なんだまったくって思っちまう。
小路幸也『東京公園』(平成18年、新潮社)



 最近、例の2000万円問題に影響されたわけでもないだろうが、柄にもなく老後の人生設計をシミュレーションしたりしている。えっと、65歳から30年生きるとして、……なんて考えること自体、人生100年時代とやらにまともに感化されている。オレ、真剣に長生きしよう、なんて考えてるのかも。らしくない。

 いったい自分は、これから先、何歳ぐらいまでの自分を許せるのだろう? 容姿的なこと、身体的なこと、人間関係的なこと、そしてなによりも思考的なこと、思索的なこと。

 いきなり10年後、20年後になって慌てふためくことのないように、毎年毎年一年ずつ、老いていく自分にケリを付け続けていかなくてはと思う。

 カモメはいいなあ。とても自由そうだ。

カモメ

Summilux 35mm f1.4 2nd + M10-P



 早いもので、今年は亡父の23回忌、亡母の7回忌にあたる。久しぶりに実家で法要を行った。ふるさとの街は昔とすっかり変わってしまったようで、その実、近くの路地には小さかった頃に嗅いた匂いがまだそのまま残っていたりして、いつもながらに困惑する。そして、身の丈の現実を思い知らされる。
 いつまでも若いつもりでいろんなことにチャレンジし続けているけれど、その実自分はすでにもう50代も後半、あと2年もすれば還暦を迎えるわけで、人生100年時代なんて言っているけれど、仮にそれが現実になったとしても折り返し地点はとうに過ぎている。今の60代は元気だし70歳過ぎても働きたい。自分もそのつもりで頑張っているものの、仮に寿命が飛躍的に伸びたとしても、成人病になる確率が大幅に減少したという話はあまり聞かない。健康でなければ、なにが定年延長なにが生涯現役、100年人生であろうか。
 両親の位牌の前でそんなことをアレコレ考えながら、ふたりは自分の老いに対してどのように感じ、どのように対処しようとしていたのか、そのヒントを教えてもらいたくて耳を澄ませていたのだけれど、写真のふたりは昔のまま(プリントされた写真は少し色褪せてきているが)微笑んでいるだけだった。

 東京に戻りまた日常生活が始まった。隣には今年7歳を過ぎた犬がいる。人間で言えば50代。頭のあたりの毛に白髪も交じり始めている。彼女にとっては人間が1日過ごしている間に7日間も過ぎてしまう計算になる。1日が1週間。毎日が我々の7倍楽しくなければ彼女の人生は割が合わない。そんなこんなを思うと、なにやらせつないばかりの梅雨の一日である。

neu

GR 18.3mm f2.8 of GRⅢ



 今日は亡父の誕生日である。大正14年生まれの戦中派。令和元年の今年に生きていたら94歳である。義父がちょうど同い年で健在なのだが、この実父と義父、あまりに性格とライフスタイルが違っている。実父の方は運動万能、出歩くことが大好き。情に熱くて、短気で喧嘩っ早い一面も。

 そのせいか、若い頃に会社の上司と喧嘩して、それ以来フリーランス。71歳で亡くなるまでずっとひとりで仕事をしていた。彼がちょうど今の私の年齢と同じ頃、ようやく私も社会人として独立したのでそれ以降はスネをかじることもなくなったが、58歳から亡くなる71歳までの間も、たったひとりで仕事をし母親を養い続けた。年を取ってからもファッション関係の仕事をずっとひとりで続けるというのがどんなに大変だったことか。仕事の相手はみんな若い人ばかり。センスの古さを馬鹿にされて、屈辱的な思いをすることもあったろう。いや、そうでもないか。彼はよく仕事の接待にゴルフを利用していたが、企業の若い担当者をゴルフ場で遊ばせておきながら、ちゃっかり自分でベスグロ賞とか獲得していたし、若い人の中ではゴルフを教えてくれる大先輩として人気者だったのかもしれぬ。

 私は彼が36歳の時の子どもであり、彼が亡くなった1997年、私は同じく36歳になっていた。なにやら因縁深いことである。まあ、いずれにしても、少しばかり人生を生き急いだことは否めない父親。寿命の面でも短気すぎたのかもしれない。

 そんな彼が生まれた5月19日。昔も今も、町は新緑の、そして花々の香しい匂いで満ちている。今が盛りのジャスミンの花の香を楽しみながら、しばし亡父のことを想い出す。

jasmine

GR 18.3mm f2.8 of GRⅢ


 



 ミレニアムを迎える年に、自分は四十歳になった。若い頃、自分が四十歳になるなんてゼッタイにあり得ないと思っていた。そのくらい、四十歳というのは若さからはほど遠い年齢だった。だから、ノストラダムスの大予言はきっと当たるんじゃないかと思っていた。

 それから十年後、震災の年に自分は五十歳になった。で、あと二年もすれば六十歳になる。若い頃にはあり得ないと思っていたことが、情け容赦なくどんどん加速し更新されていく。

 人生100年時代。このまま六十を超え七十を超え、八十歳、九十歳になるのかもしれぬ。その時、自分はなにを思っているのだろう。八十歳の時の自分の生きがいとはなんだろう。その時、自分の頭の中にはなにが残されているのだろう。それまで自分が想ったことの断片がなんの脈絡もなく重なり合っているのだろうか。自分は、それまでの自分の感受性を誇りに思っているのだろうか。

 自分のことが一番好きなヤツのことをナルシストと呼ぶ。ナルシストは自分のことを格好いいと思っている。でも、その程度のことならたわいもないことである。一番タチが悪いのは、自分の感受性こそがイチバンだと思っているヤツのことである。

ナルシスト

Summilux 50mm f1.4 ASPH. + M10-P



このページのトップヘ