naotoiwa's essays and photos

カテゴリ: life



 書庫の整理をしていたら35年前に買った文庫本が出てきた。森瑤子さんの「渚のホテルにて」。買ったときの領収書がそのまま挟んであった。栞がわりに使っていたらしい。購入したのは代官山文鳥堂書店。今はない。日付は昭和62年5月6日。

森瑤子

Nikkor-P 10.5cm f2.5 ( S mount) + α7s


 26歳のゴールデンウィークに、僕はこの文庫本を読みながらいったいどんなことを考えていたのだろうか。「渚のホテル」のイメージを追い求めて、取り壊しになる直前の逗子のなぎさホテルまで車を飛ばそうとでも思っていただろうか? 森瑤子さんの官能的でアンニュイな文章に耽溺していたあの頃。

 35年ぶりに読み返してみると、第三章の「ウィークエンド」などは特に、複数の登場人物のセリフとそのト書きが過去と現在で交差し合って、シアターの桟敷席から上質な演劇を見ているような、そんな空気感に溢れた筆致である。改めて脱帽。



 人生100年時代。日本人の平均寿命は男性でも80歳を超えている。でも、いくら長生きしたって人に迷惑をかけるのでは意味がない。ということで、最近は平均寿命よりも健康寿命と言われることも多い。となると年齢がグッと下がって男性だと70歳ちょっと。なんだ、あと十年もないじゃないか、亡父が亡くなったのも71歳だし…と「死」はあっという間に身近なものとなる。

 では、まずはその健康寿命とやらを引き伸ばそう。何人かの人に、テニスは健康寿命を延ばすのに最適なスポーツなんだよと言われたことがある。シメシメ、もうかれこれ20年ぐらい毎週テニスクラブに通っている。テニスってけっこう特殊な部位の筋肉を酷使するし、健康スポーツってイメージがいまひとつ湧かないのだけれど、たしかに全身運動だしアタマも使うから認知症になりにくいのかも。

 60歳を過ぎて、いよいよいろんなことを考えなくてはいけなくなってきた。正真正銘の下り坂である。人に迷惑をかけることなく健康寿命を維持するのはもちろんのこと、もうひとつ、いやそれ以上に「寿命」の基準として自分が大切に思っていることがある。それは「演劇的生活寿命」とでも言えばいいのだろうか。毎日をただ単に日常生活の繰り返しだけに終わらないための人生の時間があとどれだけ残されているかということである。

 70歳になっても80歳になっても(ものすごく上手くいったら90歳になっても)、毎日毎日前頭葉に新たな想念が湧き、いたずらっ子のように企んで、家族や仲の良い友人たちとチャーミングな嘘をつき合える、そんな老人に私はなりたい。そのためには、まだまだ読むべき本は無尽蔵にあるし、訪れるべきリアルな場所も尽きることはない。

flower

Sonnar 5cm f1,5 (c mount black/nickel/chrome, pre war) + M10-P




 先日、某広告専門誌の方から取材を受けた。研究者としての今までの自分の履歴とこれからの専門領域についてのインタビューである。自分は実務家教員であり、アカデミズムの世界でずっとやってこられた他の研究者のみなさんのように系統だった学術的履歴は持ち合わせてはいない。ので、こうした話ができる資格は毛頭ないが、恥を承知ではるか昔を思い起こすと、高校生の頃、オスカー・ワイルドに傾注し原文を読み耽っていたのが最初なのかもしれない。その後、一浪して大学に入るまでいろいろあったが、大学では尊敬する河村錠一郎先生のゼミに入り、そこでマニエリスム美術や世紀末芸術に心酔した。シュニッツラーの小説を読み、セセッションの美術に憧れた。

 だから、もしも自分の研究の原点みたいなものがあるとしたら、おそらくはそのあたりなのだろうと思う。ワイルドの「ドリアン・グレイの肖像」やシュニッツラーの「夢小説」「闇への逃走」等のペエジを開く度、今でも特別なトキメキがまざまざと甦ってくる。彼らの生きた時代の空気を吸いたくて、ロンドンのサヴォイホテル周辺やウィーンのリング通りを徘徊したこともある。また、日本近代文学では、中学生の頃からずっと太宰治と中原中也に恋い焦がれ続けている。ワイルドやシュニッツラーとは一見関係なさそうにも思えるが、その根底に共通して流れているのは「芸術至上主義」への憧れではなかったか。

 さて、これからの自分の研究は、まずもって専門領域である広告コミュニケーション分野のクリエイティブ論やデザイン論の深度を高めていくことにあるのは言うまでもないが、その合間を縫って、今まで自分が直感的に興味を持ち続けてきたこうした文学や美術と広告芸術の繋がりを模索し学際的に体系化することができたらと思っている。そのヒントはやはり「芸術至上主義」にあるのではないかと改めて気づくことができたインタビューだった。

 話は脇にそれるが(でも、ひょっとしてこれも関係あるかも)、自分が1920年〜30年代の古いコンタックスやライカのヴィンテージカメラの、あの黒とニッケルの色合いにどうしようもなく心引かれるのも、その色味とデザインがウィーン分離派の流れを受けているからではないだろうか。以下、竹田正一郎著『コンタックス物語』の冒頭の蠱惑的な文章を引用しておく。

 パリのカフェでの談笑が被写体になり、ベルリンのキャバレーの舞台に人はカメラを向けた。音楽、ざわめき、シャンパングラス、キャビアのサンドイッチ、照明の輝き、香水の匂い、ボブ(断髪)、燕尾服の給仕、紫煙、ビロードのドレスの胸のスミレのコルサージュ(花束)、「コンタックス」や「ライカ」は、これらの都会の風物の、一部となったのである。

 しかしそれと同時に、カメラは世界の深層に下りてゆく道であり、過去と死に通じる手段でもある。ヴァルター・ベンヤミンが指摘するごとく、それは精神分析がわれわれの内部から無意識を引きずり出すように、世界の中からもう一つの世界、つまり世界の無意識とでもいうべきものを、引きずり出すのに貢献している。つまり撮影のときに見えていなかったものが、写真によって明らかになり、それによってわれわれは、世界の中に埋没していた深い世界、普通に見ているときの世界よりも、もっと複雑でもっと大きい世界があることに、気づかされるのだ。


竹田正一郎著『コンタックス物語 ツァイス・カメラの足跡』(朝日ソノラマ、2006年)より







 箱根方面での仕事の帰り、熱海に寄り道した。久々に老舗の洋食屋さんに行ってみる。この店に、先日亡くなった義父を何度かお連れしたことがある。

 12時きっかりに入店してランチを注文する。オードブルと熱々のスープ、フレンチドレッシングで和えたサラダを食べた後、メインディシュを選ぶ。

 義父は食にはあまり関心がなかったようで、自分からあのレストランに行きたい、ここの料理が食べたいと言うことはめったになかったが、この店だけは特別。ちょっとお洒落して(ネクタイをきちんと締めて帽子を被って)、ナイフとフォークを使ってカツレツやメンチカツ(いつも揚げ物ばかり。ここ、ビーフシチューも絶品なのに)を注文し、どこか懐かしげな表情を浮かべてはビールを一本。小さい頃にご尊父やご母堂に連れられて通った近所の洋食屋のことでも想い出していたのだろうか。

 義父のことを偲びながら、今日は私もメインディシュに豚ロースのカツレツを注文することにした。デミグラスソースをたっぷりとかけ、辛子を少しだけ付けて。旨い洋食屋さんのカツレツはどうしてこんなにもパン粉の焦げ具合が香ばしいんだろう。そして、ライスではなくロールパン。旨い洋食屋さんのロールパンはどうしてこんなにも美味しいのだろう。ホテル仕様のバターが添えてあるからかもしれない。

カツレツ

XF 35mm f1.4 R + X-T30II


 食後、店を出てから自慢のパイプで「桃山」を一服。その時の義父の横顔はとても柔らかで、自らの人生を十分楽しんでいるように見えたのだけれど。改めて合掌。



 義父が亡くなった。96年と半年。大往生だと思う。初めて義父と会ったのは今から三十年前。結婚の許しを乞うために会いに行った。で、最初に聞かれたのが「血圧はどのくらいか?」である。まずもって健康体かどうかのチェック。お互いに何を話したらいいのか分からなくて戸惑いの発言だったのかもしれないが、正直言って、なんだかなあ、と思ったことが記憶に残ってる。ご自身、養生訓を地で行くような人だった。毎晩腹筋を欠かさず、食事は常に腹八分目。医者に行ったことはほとんどない。それほどご自身の健康には前向きに留意していたのに、いつだったか「ナオト君、人生は決して楽しいものなんかじゃないよ」と言われたことがある。そのニヒリズムに同感するところもあったけれど、自分はだからこそ(人生は苦難の連続だからこそ)無理してでも懸命に「優雅な生活が最高の復讐である」と切り返して生きていきたいと願うタイプなので、価値観を同じくすることはなかなか難しかった。むろん、大正14年生まれの戦中派ゆえ自分たち世代には想像もできないほどの闇を目の当たりにしてきたのかもしれない。けれど、同い年の実父(実父は71歳で亡くなったので、義父より四半世紀分寿命が短かったことになる)も自ら少年飛行兵を志願し、たくさんの戦友が亡くなるのを目の当たりにしたが、戦後は生き残った幸運を懸命に前向きに生かそうとしていたようだ。

 義父は定年になるまで生命保険会社に勤務し、一度も転勤することなく(関係機関に出向された時期はあったようだが)生まれ住んだ土地と家屋を守ってきた。若い頃は本を読むのが好きだったと聞く。書斎には夏目漱石全集と芥川龍之介全集が並んでいた。文学青年だったのだろうか。そして適度のお酒と喫煙。愛用のパイプが何本も残っている。刻葉の銘柄は「桃山」。クールな一面、弱き者や困っている者に心温かな人だった。動物も(犬も猫も)大好き。同じ犬好き同士、もっともっと心を打ち解け合うこともできたかもしれないと思うと心残りを感じる。

 偶然なのか、いや、そうではないだろう。亡くなった日が彼のご母堂の命日と同じだったと知り、人の運命というのはやはりあらかじめ決まってしまっているのかもしれないと感じた。96年と半年をタイムスリップしてご母堂のもとに戻って行かれたのではないだろうか。

 今までの30年間、ほんとうにお世話になりました。感謝いたします。合掌。

佛花

XF 35mm f1.4 R + X-T30 II + Color Efex Pro



 今日は亡父の誕生日である。早いもので亡くなってからもう二十五年、四半世紀が経ってしまった。あと十年もすれば今度は自分が父の亡くなった年齢になるが、このトシになっても父には追いつけないことばかりである。ゴルフは言うに及ばずスキーの腕前も上がらない。クルマも父のようにメリハリがあってしかも柔らかな運転の域には到達しない。何をやっても父には勝てないなあと思いつつ、写真ぐらいはと、70年代に父が使っていたカメラとレンズで多重露出なんぞにトライしてみる。

double

Summicron 40mm f2 + CL + APX400


 父は最後までフリーランスの自由人だったが、後に遺族が困るような問題はなにひとつ残さなかった。コロナ禍でここ数年行けていない古里のお墓参り、今年の夏こそはと思う。







 54歳の時に独立して早や6年。56歳からは大学教員として遅まきながらアカデミズムの世界にもチャレンジし、研究に教育に、そして制作業務にと多忙な毎日を送らせていただいている。
 まだまだ若いモンには負けないぞ、と言うは容易いが、でも、冷静に考えてみれば、クリエイターとしてのピークはとっくの昔に過ぎているわけで、そういう意味では今の時間は「余生」なのかもしれない。
 「余生」と書いてしまうとなにやら残り火みたいだが、人生の後半から終盤に向けてこそ、自分にとって一番大切な仕事は何なのかを見極めつつ、それをきちんと仕上げていかなくちゃ、それがきっと自分の天職になるのではと思う今日この頃である。

 こころよく 我にはたらく仕事あれ それを仕遂げて 死なむと思ふ
石川啄木『一握の砂』より


啄木

XF 23mm f2 + X-T30 II + Color Efex Pro

*雪の日の、小樽公園の啄木歌碑



 今日は3月3日、雛祭り。桃の節句である。旧暦の3月3日頃、あと一ヶ月もすれば、桜も桃も満開になるだろう。春爛漫の季節である。
 さて、桃の花といえば、太宰治。中原中也に「ええ? 何だいおめえの好きな花は」と聞かれて、太宰が「モ、モ、ノ、ハ、ナ」と答えたという有名なエピソードが檀一雄の『小説 太宰治』の中に描かれている。
檀一雄 『小説 太宰治』『檀一雄全集 第7巻』(沖積舎、1992年)p.25を参照

 同じ無頼派でも坂口安吾は桜に惹かれて傑作『桜の森の満開の下』を書いた。桜か桃か、あるいは海棠か。春の花の好みは尽きない。

 そして今日は亡母の誕生日でもある。女子力満載(?)だった母に相応しい誕生日だったのかも。



 「死ぬ前に最後に食べたいもの」とか「最後に行きたい場所」というフレーズはよく耳にするが、「人生最後に読みたい本は?」と尋ねられたら、自分はいったいなんて答えるだろう? 
 思えば、この年になるまでにずいぶんとたくさんの本を読んできた。捨てきれない蔵書は千冊は優に超えるだろう。人文系、美術系の本がほとんどだが、そのなかでも小説の類いが圧倒的に多い。ということは自分も……

 三上延さんのベストセラー『ビブリア古書堂の事件手帖』シリーズの第6巻では、ラストにこんな独白がある。誰が言った言葉かはネタバレになるのでここには書かないけれど。

 「わたしは、『晩年』を切り開いて、最初から読みたい……最後まで読み終えて、その日に死にたいの……それを、人生最後の一冊にしたい」(中略)「あの作品は太宰の出発点で……匂い立つような青春の香気があるわ。わたしはそれを、自分の晩年に味わってから死にたい……」

 うむ。大好きな太宰の小説を人生最後の一冊にするのも確かにアリだけれど、人生のラストはもうちょっと惚けた感じで締めくくりたい気もする。日本文学だったら内田百閒あたり、だろうか。

 ちなみに、この『ビブリア古書堂の事件手帖』の第6巻は全篇すべて太宰治で、太宰が他のペンネームで書いたミステリー小説風『断崖の錯覚』や、「太宰治論集」に出てくる『晩年』の自家本の話、そして、引用部分もあるように当時のアンカット本の話など、太宰ファン垂涎のエピソードが満載である。



 ここ二年余のコロナ禍にあって大人数でどこかに集まるという発想はずいぶんと影を潜めたように思うが、個人的にはコロナ以前よりずっと、大規模な施設に多くの人が集まることに対して違和感のようなもの(あるいは不条理?)を感じ続けてきた気がする。
 もちろん、駅や空港といった交通のターミナルには大勢の人々を集客するための空間が必要であろう。でも、街の至る所に巨額のコストをかけてガラス張りのモダンな商業施設やオフィスビルをいくつもいくつも建設するのはいかがなものか。多種多様な店舗が一堂に集まっている方が便利だし、館内のデザインは現代的で洒落ている方が気分も自ずと「アガる」わけだが(最近では館内はとても「いい匂い」もする)、でも、そのためにどれだけのお金と資源を使わなくてはならないのか。空調費だけでも莫大なはずである。そこまでしないことには現代の生活は成り立たないのか、我々は「素敵な日常」を楽しめないのか、といった違和感である。

 で、これからの話である。未来の街はどうなっていくのだろう。大人数で集まりたいときはバーチャルの世界で済ませてしまって、物理的にはそれぞれパーソナルな空間に戻っていくのかもしれない。いわゆるメタバースの世界だ。でもそうなったら、今までに造ってしまったこれらのリアルな大規模な施設はいったいどうすればいいのか、などとあれこれ、現在のこと、そしてこれからの未来のことを考えてみるのであるが、正直言ってどちらもなんだかしっくりこないのである。現在にも未来にも今ひとつ希望が持てないとすると、我々は過去に戻るしかないわけであるが。

 タイムトラベリングをテーマにしたロバート・F・ヤングの有名な短編小説に「たんぽぽ娘(The Dandelion Girl)」というとてもロマンティックな作品がある。三上延さんの「ビブリア古書店の事件手帖」でも取り上げられていたので最近では若い方も多く読んでいるのではないだろうか。この作品の中で有名なのは、伊藤典夫さんの訳で、

「おとといは兎を見たわ」と夢のなかのジュリーはいった。「きのうは鹿、今日はあなた」

という台詞であろうが、若いジュリー・ダンヴァースが、未来から過去にタイムトラベリングしたくなる人たちの気持ちをシンプルに伝えている以下の箇所が昔から好きである。

「時間旅行局では、許可された人たち以外にはタイムマシンを使わせないの。でも、もっとシンプルな暮らしに憧れる人たちは、歴史学者になりすまして過去の世界へ永住する気で行こうとするから、そういう人たちを逮捕するために時間警察が活動しているわけ。」

太字引用部分は、R・F・ヤング『たんぽぽ娘』(河出文庫、2015年)より。
それぞれ p.103、p.106

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