naotoiwa's essays and photos

カテゴリ: sport



 テニスラケットを新調してしまったのである。久しぶりのデカラケである。普段はバボラの300グラムのピュアドライブを使っていて、これ、ストロークは申し分ないのだけれど、最近ダブルスでのボレーのミスが多くて、…先日、馴染みの店の店員の方に「これ、魔法のラケットですよ…」と耳打ちされてその気になってしまい、今買える一番デカい(125平方インチ!)ウィルソンのラケットを衝動買いしてしまったのである。
 通常のデカラケは軽過ぎて打感が今ひとつなものが多いが、これはけっこう重さもあって試打した感じがとても良かったのである。が、それよりもなによりも、まずもってこのルックスが気に入ってしまったのである。なんだ、このガットの張り方は!まるで扇みたいじゃないか、と。

racket

 ちょうど扇にまつわる小説を読んでいたところで(原田マハさんの「サロメ」を読んでから、ここのところずっとオスカー・ワイルド熱が再熱していて、先週も「ヴィンダミア卿夫人の扇」を十数年ぶりに再読したばかりだったのである)、それ以来、頭の中にアールヌーヴォー風の優雅な扇の形が浮遊していて、で、このラケットである。

扇

 ということで、この世紀末風の扇みたいなデカラケを本日テニスコートで試してみたのであるが、サーブは200キロを超えるわ(ウソです)、ボレーは万能壁みたいで確かに「魔法のラケット」だったのであるが、あまりにフレームが高反発過ぎるのか振動がピリピリ肘に来て、一時間足らずでテニスエルボーが再発してしまった。ううむ、ナチュラルを張ったんだけど、この扇みたいなガットの張り方のせいで振動止めの効果があまりないようなのである。せっかく買ったのに。…とほほ。これもワイルドの「ヴィンダミア卿夫人の扇」のせい?



 リオオリンピック。連日日本人選手のメダル奪取が続いているが、彼ら彼女らの受賞後のインタビューを聞く度に、アスリートたちのアッパレに心を打たれる。どんな色であれメダルが取れること自体素晴らしい快挙なのに、金以外のメダリストたちはほぼ全員、喜び以上に悔しさや無念さを口にする。金とそれ以外は天国と地獄の違いがあると言っていた選手もいるし、もしも金が取れなかったら、銅は金と同じと書いて銅、銀は金より良しと書いて銀、などという慰めの言葉を考えていたという親族の方もいる。

 我々の世界でも、広告賞などの舞台においてこの金銀銅は日常茶飯事であるが、カンヌ等海外の名だたるアワードでは、銅メダル取れたら万々歳、そこまで行かなくともショートリスト(入賞)に至りさえすれば、日本に凱旋してみんなに賞賛され、いやー、ゴールド取りたかったんですけどねえ、やはりそこは欧米と日本とではまだまだクリエイティブのフォーマットが違いすぎるというかなんというか、…などといった言い訳をして、ブロンズ受賞でけっこうニコニコしているのである。満足なのである。ゴールドを逃したと涙を流す場面にはなかなかお目にかかれないのである。

 だから、アスリートたちのこの金メダル、一等賞のみにこだわるタフさ、一途さ、それを支えているはずの「自分はこれだけ努力をしたのだから」という自信の強さに感服するのだ。そうなのだ、どんなことでも勝負事は勝つか負けるか、その二者選択。一等賞以外はすべて負けなのである。会社の出世競争だってそうだ。副社長は社長にはなれないのである。次期社長は現社長の子飼いの現専務あたりがなるものと相場が決まっている。

 アスリートたちの大舞台はしかも四年に一度きり。それだけ今年ゴールドを逃した悔しさは、「来年またがんばればいいさ、なにごともとりあえず今年一年はこれで安泰」などと思っている我々一般人の比ではなのかもしれない。

一年安泰

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