naotoiwa's essays and photos

カテゴリ: sport



 先日、大学の授業のゲスト講師に、私の大好きな(個人的にファンでもある)広告クリエーター&ミュージシャンの方に来てもらった。サスガの授業だった。受講生たち全員、男女問わず目が♡になってる。で、帰りにその方を車で最寄り駅まで送っていったところ、「オオイワさん、意外にスピード狂なんすね」とのこと。「加速グゥワングッワン来ますね」「この車、ディーゼルなんだけど」「ディーゼルのオートマでこの走りは……」とのこと。で、そのクリエーターの彼、即興でワタクシのサウンドロゴを歌詞付きで作ってくれた。それによると「いがいとスピード狂、わりとスピード狂、でも黄色信号ではちゃんととまるオオイワナオト」、だそうだ。自分ひとりで走っている時はあんまり意識したことはないけれど、なるほど、そう言われればその通りかも。「あなたの車の助手席に乗ってると、急発進急停車で首がむち打ち症になりそう」と誰かに言われたことも何度か。……

 はい、意外とスピード狂なのであります。わりとスピード狂なんです。車もそうですし、スキーの時もそうかも。先日、出張先で久しぶりにマニュアルシフトの車に乗ってヒール&トゥーで吹かしたりしてみたが、やっぱりアレ、快感なのである。



 今年の全英(ウィンブルドン)テニス男子決勝はスゴかった。ジョコビッチ対フェデラー。第1シードVS第2シード。試合はフルセットにもつれ込んでファイナルセットはなんと12対12。それでも決着が付かない。最後の最後のタイブレークでかろうじてジョコビッチが勝利。試合時間5時間。テレビ観戦は月曜日の早朝まで続きおかげさまで睡眠不足である。

 ホンモノの超一流選手というのはどこが違うのか。ふたりの試合運びを見ていてよくわかった。ピンチになった時こそ守りに入らず大胆に攻め続ける。これ、言うは易しだが、冷静なセルフコントロール能力と、そしてなによりも勝つことへの執念がすさまじくなければ決して為し得ないこと。世界トップの技術力と合わさって、両者のほとんどのショットはオンラインギリギリの応酬である。

 フェデラーはもうすぐ38歳。勝てばウィンブルドン最年長優勝記録がかかっていた。他の選手だったらもうとっくに引退していてもいい歳なのに、あの死闘を演じても息切れひとつしないタフさ。ジョコビッチだって33歳、もう若くはない。今回のジョコビッチは、審判の微妙なジャッジにもクレームひとつ入れず、プレー中の声も控えめで終始沈着冷静。ふたりとも情熱と勝利への執着を胸にたぎらせながら、「青ざめて」いた。

 最近では、なにがなんでも勝ってやる、というのはダサいことなのか、そうしたことに敬遠気味の若い人が多いように思う。もうひとつ上を目指してやろうという貪欲さを感じない。無理せずほどほどに日々の安寧を、ということなんだろうけれど。

 ジョコビッチとフェデラー。それにもうひとりのベテラン、ナダル。この三人はほんとうに格好いいと思う。ビック3の時代はまだまだまだまだ続きそうだ。



 昔からいろんなことにトライ(&エラー)し続けている人生ですが、ここ数年、日々のスポーツにおいても夏のテニスと冬のスキーだけじゃなんだかツマンナイ、と思うようになって、今年から新しいこと、始めてます。それが……なんと、フィギュアスケートなんです。このトシからだと、このスポーツ、かなり危険でアリマス。

 軽井沢によく行ってた頃は、風越公園に公営の大きなスケートリンクがあったので、冬場はよく滑っていました。でもその頃は、スピードスケート靴やホッケー靴を履いてただひたすらに前進滑走あるのみだったのですが、いやあ、フィギュアスケートというのは根本的に違いますね。バック走行がフォア走行と同等に出来ないとダメなんです。それどころか片足走行がフォアもバックもスムースに出来ないと先に進めない。(ので、なかなか次のレベルに進めません)

 幼い頃、自転車に初めて乗れた時を思い出しながら、改めて徹底的に身体バランスを鍛え直さないとフィギュアスケートはうまくなりません。で、とても繊細なスポーツなんです。スポーツであると同時にやはりアートだと思います。ご存じのようにフィギュアスケートの原点はコンパルソリー。滑走して滑り跡で図形を描く氷上の幾何学です。アウトエッジとインエッジを使い分けて、体重移動だけで氷上を自在に動き回るんです。これ、うまくできるようになると病みつきになります。でも、そのためにはかなりの脚力も必要とします。膝と足首を曲げるタイミングで相当踏み込まないと優美な滑走につながっていきません。

 最初は何度も転けました。(今も転けてます)特に片足のバック走行。肘や膝、そして大腿骨を強打したこともあります。(すわっ、大腿骨にヒビが入ったかとかなり焦りました)突き指ぐらいはアタリマエです。ということで、年寄りにはかなり危険なスポーツなんです。
 都内のスケートリンクで滑走の練習をしていると、選手を目指すジュニアの子たちから一般客まで、滑っている人たちの技術レベル差はかなりあります。それが混淆しているさまは、なかなかにドラスティックな風景です。

 そろそろ骨密度を気にしないといけない年頃になってこんなことを始めてしまうなんて、いったいなんなんでしょうね。自分自身理解不能のところがあるのですが、たぶん、ちょっとだけキザに言うと、自分の身体性にもっと耳を澄ませたいのだと思います。

 あ、あとは、夏こそスケートの季節なんじゃないでしょうか。リンク内はいつも10度以下に設定されていますから梅雨時も快適ですよ。みなさんもいかがですか?

figure skating





 テニスラケットを新調してしまったのである。久しぶりのデカラケである。普段はバボラの300グラムのピュアドライブを使っていて、これ、ストロークは申し分ないのだけれど、最近ダブルスでのボレーのミスが多くて、…先日、馴染みの店の店員の方に「これ、魔法のラケットですよ…」と耳打ちされてその気になってしまい、今買える一番デカい(125平方インチ!)ウィルソンのラケットを衝動買いしてしまったのである。
 通常のデカラケは軽過ぎて打感が今ひとつなものが多いが、これはけっこう重さもあって試打した感じがとても良かったのである。が、それよりもなによりも、まずもってこのルックスが気に入ってしまったのである。なんだ、このガットの張り方は!まるで扇みたいじゃないか、と。

racket

 ちょうど扇にまつわる小説を読んでいたところで(原田マハさんの「サロメ」を読んでから、ここのところずっとオスカー・ワイルド熱が再熱していて、先週も「ヴィンダミア卿夫人の扇」を十数年ぶりに再読したばかりだったのである)、それ以来、頭の中にアールヌーヴォー風の優雅な扇の形が浮遊していて、で、このラケットである。

扇

 ということで、この世紀末風の扇みたいなデカラケを本日テニスコートで試してみたのであるが、サーブは200キロを超えるわ(ウソです)、ボレーは万能壁みたいで確かに「魔法のラケット」だったのであるが、あまりにフレームが高反発過ぎるのか振動がピリピリ肘に来て、一時間足らずでテニスエルボーが再発してしまった。ううむ、ナチュラルを張ったんだけど、この扇みたいなガットの張り方のせいで振動止めの効果があまりないようなのである。せっかく買ったのに。…とほほ。これもワイルドの「ヴィンダミア卿夫人の扇」のせい?



 リオオリンピック。連日日本人選手のメダル奪取が続いているが、彼ら彼女らの受賞後のインタビューを聞く度に、アスリートたちのアッパレに心を打たれる。どんな色であれメダルが取れること自体素晴らしい快挙なのに、金以外のメダリストたちはほぼ全員、喜び以上に悔しさや無念さを口にする。金とそれ以外は天国と地獄の違いがあると言っていた選手もいるし、もしも金が取れなかったら、銅は金と同じと書いて銅、銀は金より良しと書いて銀、などという慰めの言葉を考えていたという親族の方もいる。

 我々の世界でも、広告賞などの舞台においてこの金銀銅は日常茶飯事であるが、カンヌ等海外の名だたるアワードでは、銅メダル取れたら万々歳、そこまで行かなくともショートリスト(入賞)に至りさえすれば、日本に凱旋してみんなに賞賛され、いやー、ゴールド取りたかったんですけどねえ、やはりそこは欧米と日本とではまだまだクリエイティブのフォーマットが違いすぎるというかなんというか、…などといった言い訳をして、ブロンズ受賞でけっこうニコニコしているのである。満足なのである。ゴールドを逃したと涙を流す場面にはなかなかお目にかかれないのである。

 だから、アスリートたちのこの金メダル、一等賞のみにこだわるタフさ、一途さ、それを支えているはずの「自分はこれだけ努力をしたのだから」という自信の強さに感服するのだ。そうなのだ、どんなことでも勝負事は勝つか負けるか、その二者選択。一等賞以外はすべて負けなのである。会社の出世競争だってそうだ。副社長は社長にはなれないのである。次期社長は現社長の子飼いの現専務あたりがなるものと相場が決まっている。

 アスリートたちの大舞台はしかも四年に一度きり。それだけ今年ゴールドを逃した悔しさは、「来年またがんばればいいさ、なにごともとりあえず今年一年はこれで安泰」などと思っている我々一般人の比ではなのかもしれない。

一年安泰

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