naotoiwa's essays and photos

カテゴリ: photo

写真スタジオ

Elmar 50mm f3.5 (nickel,half rotation, hericoid no.0, Görz) + Leica A/C + Acros II 100


 @常盤台写真場。







 早いもので、義父が亡くなってはや半年以上が経過した。遺影に手を合わせながら、この写真を選んだ去年の初夏のことを思い出す。柔らかな表情の写真がなかなかなくて、唯一見つけたのがこの一枚だった。実の父親や母親の時もそうだったが、いちおう写真はセミプロのつもりなので、遺影をどれにするのかどのように加工するのかを葬儀屋さん任せにすることはない。すべて自分でトリミングし若干の修正を入れ、そして、背景を抜く。それを普段通り他の写真と同じように淡々とやろうとするのだが、遺影の場合は簡単にはいかない。その理由が今ひとつ分からないでいたが、先日、平野啓一郎さんの『空白を満たしなさい』を読み直していて、なるほどと思った。遺影から背景を取り除く行為はやはりちょっと特別なのだ。

「遺影も背景を消しちゃうからね。だから、亡くなってすぐに見つめることが出来るのかな。もうこの世にいない人って、わかるから。……背景が無いから、誰にとっても自分との分人に見えるのかな?……」
平野啓一郎『空白を満たしなさい』(下)(講談社文庫)p.212


 写真館で撮影する場合は別として、通常、写真というのは誰かとその特有のシチュエーションのもとで撮られるもの。それを、すべての遺族にとってニュートラルなものへと抽象化させるために加工するのだから、難しいのも当然かもしれない。

 改めて、合掌。

遺影




 デジタルでもフィルムでも意図的に多重露光をすることは多々あるが、今回のようなことは初めてである。うかつにも撮影済みのフィルムをもう一度装填して再撮影してしまったらしい。一回目と二回目ではコマがズレているので現像フィルムをカットすることはできなくなってしまったが、かろうじて36枚分フィルムスキャン完了。

 その結果。……これぞ、完全なる偶発性のクリエイティブ、かも。

多重露光

Summicron 40mm f2 + CL + APX400



 「瀬戸正人 記憶の地図」展を東京都写真美術館で見た。瀬戸正人さんは私が90年代からずっと憧れ続けている写真家のおひとりである。
 瀬戸さんの撮るポートレイト、そのほとんどの場合、モデルたちの目線はカメラに向いていない。カメラに気付かれない瞬間を狙っているのではなく、むしろその逆で、モデルたちはカメラを意識しつつもファインダー越しに見られることに倦み、自身の内省へと沈潜を始めている。その時間帯をカメラが暴いているのだ。結果、モデルたちの個性ではなく(と、このインタビュー映像の中で作家自身も語っている)、人間そのものの本質、いや、人間を越えて生き物の本性みたいなものまでが滲み出ているように感じる。
 緊急事態宣言初日の午前中ということもあって、幸か不幸かほとんど貸し切り状態で、約二時間、じっくりと写真展を鑑賞することができた(もちろん館内の万全の感染防止対策のもと)。会場内撮影OK とのことだったが、iPhone やデジカメを向ける気分にはならない。鞄の中に古いコンタックスのレンジファインダーカメラが入っていたので、コリコリと距離計を、俯いて涙を流している女性の瞳や公園にピクニックに来ているカップル達の不可思議な肢体に合わせてみたりしながら。

 会期は今月24日まで。



 オールドカメラ&レンズファン歴も、かれこれ四十年。かなりヘンクツなタイプなので、二眼のローライも、他の人が持っていない(実用性がなくて持とうとも思わない)ものばかりが手元にある。(値段も安かったし、、)
 例えば、ベビーローライばかりが三台もあるのだ。127フィルム専用である。大丈夫、今でもちゃんと127フィルムは手に入る。現像を引き受けてくれる店もある。スキャンするときのフィルムフォルダーも自作した。
 所有しているのは、まずは、戦後のベビーローライ。ただし定番のグレーではなくブラックタイプ。1963年製。レンズはクセナー。それに加えて戦前のものが二台。一台目は最初期のtype1、1931年製。ロゴがクラシックでとにかく格好いい。ローライスタンダードの原型となったデザインだ。レンズはテッサーのf3.5。そしてもう一台は、通称スポーツと呼ばれるtype4で、1938年製。ロゴが浮彫になった。こちらは同じテッサーでもf2.8。
 完璧な写りを狙うときは戦後のものを使う。でも、これ、けっこう重くて680グラムもある。サイズはノーマルなローライに比べれば小さいが、重さはローライコードとたいして変わらない。で、最近は戦前のものを持ち出すことが多い。type1は490グラム、type4でも540グラム。35ミリのカメラよりもコンパクト。でも、4×4判だから解像度は圧倒的に高い。
 とはいえ、さすがにどちらも1930年代のもので、レンズのコーティングも痛んでいるし、フィルム装填も赤窓で番号を確認するタイプ。取り扱いはかなりやっかいではあるが、古い時代のテッサーはシャープさの中に柔らかさがあって、デジタルでは再現できない妙な「色気」を感じる。

 カバンの片隅に戦前のベビーローライをちょこんと忍ばせての散歩が好きである。

幹

Tessar 60mm f2.8 of Baby Rollei type4 + rerapan400

neu

Xenotar 80mm f2.8 of Rolleiflex 2.8E + Acros 100


 久しぶりにクセノタールのローライ2.8E。やっぱりプラナーより好きかも。


photostudio

Planar 80mm f2.8 of Rolleiflex 2.8F + TX400


 photostudio.




 インスタグラム。以前は使っていた時期もあったが、ここまで流行ると敬遠だ。けれど、あの正方形はいい。人間の視界とは別物。ちょっと違和感、だからモダン。
 でも、あの正方形、なにも今に始まったことではない。フィルムカメラをやってきた人間にとっては馴染みの形なのである。120の中判フィルムを6×6のフォーマットで。ハッセルブラッドしかりローライフレックスしかり。
 だから私は、正方形の写真はフィルムで撮り続ける。ところが、最近はローライフレックスを首からぶら下げた若きカメラ女子なんかもけっこういるわけで、ここはもうひとひねりしないことには気が済まぬ。あまのじゃくの沽券にかかわる。というわけで127のベスト版4×4なのである。つまりはベビーローライ、なのである。

babyRollei

 我が尊敬する名取洋之助が愛用したベビーローライ。彼が使っていた戦前のタイプは軽量だしローライの原点のようなデザインなのだが、1930年代のもので程度のいい個体はほとんど残っておらぬ。ここはやむなく戦後のタイプで我慢する。ということで1963年製ブラックタイプのベビーローライで撮った写真がこれ。ローライナーを付けて接写。クセナーの写りはとても柔らかい。

queen

Xenar 60mm f3.5 of Baby Rollei + ReraPan 100

 けれど、127のベスト版フィルムなんて今では完全な絶滅機種。北海道の専門店から取り寄せる以外入手できないし、スプールが厚めだとフィルム送りもままならぬ。スキャンしてデジタルデータ化するにしても専用のフィルムアダプターなんぞ市販されているはずもない。時代に抗うあまのじゃくはかなり疲れるのである。でも、このベビーローライ、たまらなく可愛いのである。
 
*名取洋之助の「写真の読みかた」は今読んでもとてもタメになります。お薦めします。



 東京都写真美術館で「荒木経惟 センチメンタルな旅 1971-2017—」を見てきた。写真集「センチメンタルな旅・冬の旅」を買って一晩中何度もページを繰っていたのは、あれは1990年代の初め頃。二月の雪の中を駆け回る愛猫チロの描写のところで涙が止まらなくなったのを今でもよく覚えている。

 今回の展覧会では、1971年の「センチメンタルな旅」から現在に至るまでのアラーキーの「陽子」をテーマにした写真を一堂に見つめ直すことができる。会場内の壁面に書かれたキャプションの言葉を読むだけで、また、あの胸が締め付けられる思いが甦ってくる。

アラーキー1


アラーキー2



 原宿で、ハービー山口さんの写真展を見てきた。タイトルは「That’s Punk」(それがパンクだろ!)。デビュー前のボーイ・ジョージを撮ったコンタクトシートに魅せられた。

punk

Zunow Cine 13mm f1,1 + Q-S1

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