カテゴリ: photo
正方形
インスタグラム。以前は使っていた時期もあったが、ここまで流行ると敬遠だ。けれど、あの正方形はいい。人間の視界とは別物。ちょっと違和感、だからモダン。
でも、あの正方形、なにも今に始まったことではない。フィルムカメラをやってきた人間にとっては馴染みの形なのである。120の中判フィルムを6×6のフォーマットで。ハッセルブラッドしかりローライフレックスしかり。
だから私は、正方形の写真はフィルムで撮り続ける。ところが、最近はローライフレックスを首からぶら下げた若きカメラ女子なんかもけっこういるわけで、ここはもうひとひねりしないことには気が済まぬ。あまのじゃくの沽券にかかわる。というわけで127のベスト版4×4なのである。つまりはベビーローライ、なのである。

我が尊敬する名取洋之助が愛用したベビーローライ。彼が使っていた戦前のタイプは軽量だしローライの原点のようなデザインなのだが、1930年代のもので程度のいい個体はほとんど残っておらぬ。ここはやむなく戦後のタイプで我慢する。ということで1963年製ブラックタイプのベビーローライで撮った写真がこれ。ローライナーを付けて接写。クセナーの写りはとても柔らかい。

Xenar 60mm f3.5 of Baby Rollei + ReraPan 100
けれど、127のベスト版フィルムなんて今では完全な絶滅機種。北海道の専門店から取り寄せる以外入手できないし、スプールが厚めだとフィルム送りもままならぬ。スキャンしてデジタルデータ化するにしても専用のフィルムアダプターなんぞ市販されているはずもない。時代に抗うあまのじゃくはかなり疲れるのである。でも、このベビーローライ、たまらなく可愛いのである。
*名取洋之助の「写真の読みかた」は今読んでもとてもタメになります。お薦めします。
空ばかり写していた。
東京都写真美術館で「荒木経惟 センチメンタルな旅 1971-2017—」を見てきた。写真集「センチメンタルな旅・冬の旅」を買って一晩中何度もページを繰っていたのは、あれは1990年代の初め頃。二月の雪の中を駆け回る愛猫チロの描写のところで涙が止まらなくなったのを今でもよく覚えている。
今回の展覧会では、1971年の「センチメンタルな旅」から現在に至るまでのアラーキーの「陽子」をテーマにした写真を一堂に見つめ直すことができる。会場内の壁面に書かれたキャプションの言葉を読むだけで、また、あの胸が締め付けられる思いが甦ってくる。


PUNK
ソフィスティケイティッド
ハロウィーンの夜である。風もないし昨日ほどには寒くない。ヨーロッパみたいに空気が乾燥した秋の夜。六本木ミッドタウンの富士フィルムスクエアに牛腸茂雄展を見に行った。一見何気ないポートレート、自然な構図のコンポラ写真。でも、そこには見るひとと見られるひと、自分と他人、じっと見つめていると次第に息苦しくなるような緊張感が潜んでいる。例の双子の姉妹の写真なんてまさに日本のダイアン・アーバスだ。

見終わってからしばらくの間、ミッドタウンの中を散策することにする。ブリッジを渡ってリッツカールトンまで行く。その後、いくつかの洒落たレストランやブティックを巡る。
六本木ミッドタウン。ここはなんて特別な場所なんだろうといつも思う。敷地内の空気が、香りが違う。なにか特別な空調でも施してあるのだろうか。そして、照明が違う。すべてが完璧にソフィストケイトされて上質なのである。もちろんそのためにコストが怖ろしく高く設定されているはず。よっぽどの資産持ちじゃないとここのレジデンスには住めない。東京に大地震が起きたとしても建物の耐震は完璧だし、各戸にそれぞれ備蓄倉庫が用意されていて一ヶ月ぐらいは問題ないのではないか。そんなことを思いながら六本木通りに戻る。西麻布まで歩くことにする。
ヒラリーとトランプのマスクを被ったカップルが歩いてくる。体中から流血した女の子たちが徒党を組んで歩いてくる。今夜はハロウィーンの夜である。
フィルムグレイン
どんなにデジタルカメラの画素数が上がろうと、どんなに秀逸な非球面レンズが発売されようと、これからもずっとフィルムカメラにオールドレンズを付けて撮影し続ける、と思う。
戦前のレンズは周辺は収差で流れ光量の落ちも激しい。でも、その分だけ中心部分が浮き立ち、そこになにかしら秘密めいた物語が隠されているような雰囲気を醸し出す。そして、フィルムグレイン。この独特の化学の粒子が空気感に色っぽい傷(キズ)を付ける。
被写体は、山下公園から眺めるホテルニューグランド。ここにはマッカーサーズ・スィートがある。ナポリタン、ドリア、プリンアラモード発祥のホテルでもある。ま、それはさておき、ニューグランド。まずもってホテルの名前がいい。そして、このロゴの書体がいいのである。

Summar 5cm f2 L + Ⅱf + TX400
マルティーヌ・フランク
京都の何必館でマルティーヌ・フランクの写真展を見る。

マルティーヌ・フランク。マグナムの女流写真家。アンリ・カルチエ・ブレッソンの奥さんだった人、と言った方が話はすぐに通じるだろうか。彼女の撮ったブレッソンのポートレート写真も数多く残っている。リラックスした巨匠の表情を眺めているだけでも楽しいが、私は彼女の演出写真が結構好きである。グラフィカルで被写体の並べ方にユーモアがあって、演出過剰のギリギリの手前のところで留めている。例えばこんな風に。

彼女が京都の賀茂川べりに並んで座っている人たちを撮っている写真があった。

私も帰りに構図を真似して撮って見る。四条大橋から眺める風景は1970年代も2016年の今もそんなに変わらないようだ。

GR 18.3mm f2.8 of GRⅡ
人生とは、
六本木のフジフィルムスクエアでラルティーグの写真展を見る。

ジャック・アンリ・ラルティーグ。本業は画家。写真家として知られるようになったのはニューヨークのMOMAで個展が開かれ、LIFEで特集されてからのこと。御年70歳。でも、ラルティーグは8歳の時からずっと家族や近しい人たちの日常を撮り続けていた。会場で紹介されていた彼の言葉がとても印象的だった。
人生とは、踊り、飛びはね、飛翔し、笑い、…過ぎ去って行く素晴らしいものだ。
なんてチャーミングな人生観であろうか。早くこの境地に達したいものだとつくづく思う。世界で最も偉大なアマチュア写真家、ラルティーグ。日本ではもちろん、植田正治がそれに匹敵する。