岡康道さんの訃報を聞いてから半月が経った。すぐには反応することができなかった。なんでハンサムな人ほど早く死んでしまうんだろう。ルックスはもちろんのこと、生き方そのものがハンサムな人だった。とにかく格好良かった。いつもスーツ姿で、しかもゴルフがうまいクリエーターなんて、それだけでもアバンギャルドだった。
直接お仕事をご一緒させていただいたことはなかったけれど、4年先輩の憧れのクリエーター。自分もプロパーのクリエイティブ職ではなかったので、勝手に目標にしていた。なので、初めて同じクライアントさんの仕事をやらせていただくことになった時にはメチャクチャ緊張したことを今でもよく覚えている。彼の仕事で好きだったのはセガ・エンタープライゼスの『湯川専務』やトライグループの『父の夢』等いろいろあるが、やっぱり、独立前の名作、東日本旅客鉄道の『その先の日本へ』が強烈に印象に残っている。
「その先の日本へ。」コピーはかの秋山晶さんである。広告を見て笑うことは多々あれど、泣くことはあまりない。でも、この広告には「泣いた」。地方出身者(岡さんは佐賀出身、自分は岐阜出身であるが)の故郷に対する感覚に身につまされる思いがしたからだ。のちに岡さんは自伝小説『夏の果て』の中で以下のように書いている。
東北は故郷だ。初めて訪れても懐かしい場所。しかも、そのメランコリーには一種の「罪悪感」が含まれているように感じた。捨てた故郷へ。一年に数日しか会わない親へ。普段忘れている日本という国へ。東京で暮らす我々によって、テレビコマーシャルでは今まで訴求されなかったであろう「後ろめたさ」が表現できれば、多くの人に共感してもらえるのではないだろうか。
岡康道『夏の果て』(小学館、2013年)
当時、このCMを見て「泣いた」理由はおそらくこの「後ろめたさ」にあったのだろうと思う。自分も、お盆か正月か、それこそ一年に一〜二度しか帰らなかった生まれ故郷。別れ際に「またね」と言いながら実家を出て駅に向かう間、ずっと見送ってくれていた亡母の姿を今でも思い出す。本人はさっさと東京に帰りたくて仕方がないのだ。それを名残惜しそうなフリしてごまかしていた。でも、そんな息子の姑息な演技はみんな母親には見透かされていたのかもしれない。そして、そうしたこともまるごと分かった上で、自分は「後ろめたさ」を抱えながら駅に向かって歩いていたのだ。
音楽も素晴らしい選曲だった。井上陽水さんの『枕詞』『結詞』。普段の陽水さんの曲は色っぽくでモダンなダダイズムがいっぱいだが、この曲の歌詞は極めてストレートで古風である。集合写真風のグラフィカルな映像、素朴なナレーションと相まって、当時、おそらく自分だけでなく、多くの故郷を捨てた人たちがこのCMを見て、泣いたのだ。