naotoiwa's essays and photos

カテゴリ: ad

tears

Sonnar 50mm f1.5 (Zeiss-Opton) + M10-P


 tears



 岡康道さんの訃報を聞いてから半月が経った。すぐには反応することができなかった。なんでハンサムな人ほど早く死んでしまうんだろう。ルックスはもちろんのこと、生き方そのものがハンサムな人だった。とにかく格好良かった。いつもスーツ姿で、しかもゴルフがうまいクリエーターなんて、それだけでもアバンギャルドだった。
 直接お仕事をご一緒させていただいたことはなかったけれど、4年先輩の憧れのクリエーター。自分もプロパーのクリエイティブ職ではなかったので、勝手に目標にしていた。なので、初めて同じクライアントさんの仕事をやらせていただくことになった時にはメチャクチャ緊張したことを今でもよく覚えている。彼の仕事で好きだったのはセガ・エンタープライゼスの『湯川専務』やトライグループの『父の夢』等いろいろあるが、やっぱり、独立前の名作、東日本旅客鉄道の『その先の日本へ』が強烈に印象に残っている。
 「その先の日本へ。」コピーはかの秋山晶さんである。広告を見て笑うことは多々あれど、泣くことはあまりない。でも、この広告には「泣いた」。地方出身者(岡さんは佐賀出身、自分は岐阜出身であるが)の故郷に対する感覚に身につまされる思いがしたからだ。のちに岡さんは自伝小説『夏の果て』の中で以下のように書いている。

東北は故郷だ。初めて訪れても懐かしい場所。しかも、そのメランコリーには一種の「罪悪感」が含まれているように感じた。捨てた故郷へ。一年に数日しか会わない親へ。普段忘れている日本という国へ。東京で暮らす我々によって、テレビコマーシャルでは今まで訴求されなかったであろう「後ろめたさ」が表現できれば、多くの人に共感してもらえるのではないだろうか。

岡康道『夏の果て』(小学館、2013年)
 
 当時、このCMを見て「泣いた」理由はおそらくこの「後ろめたさ」にあったのだろうと思う。自分も、お盆か正月か、それこそ一年に一〜二度しか帰らなかった生まれ故郷。別れ際に「またね」と言いながら実家を出て駅に向かう間、ずっと見送ってくれていた亡母の姿を今でも思い出す。本人はさっさと東京に帰りたくて仕方がないのだ。それを名残惜しそうなフリしてごまかしていた。でも、そんな息子の姑息な演技はみんな母親には見透かされていたのかもしれない。そして、そうしたこともまるごと分かった上で、自分は「後ろめたさ」を抱えながら駅に向かって歩いていたのだ。

 音楽も素晴らしい選曲だった。井上陽水さんの『枕詞』『結詞』。普段の陽水さんの曲は色っぽくでモダンなダダイズムがいっぱいだが、この曲の歌詞は極めてストレートで古風である。集合写真風のグラフィカルな映像、素朴なナレーションと相まって、当時、おそらく自分だけでなく、多くの故郷を捨てた人たちがこのCMを見て、泣いたのだ。






 広告クリエイティブの師匠である杉山恒太郎さんによる「世界を変えたネット広告10選」の連載が、5月20日より日本経済新聞の文化面「美の十選」にて始まっています。電子版の方では、私がその作品解説を担当しています。

 インターネット四半世紀。2020年の今、世界を席巻した日本のデジタル広告の快作たちをリマインドすることは、今後さらに深化していくであろうこれからの広告コミュニケーションの行方を思索する貴重なヒントになると思います。これらの作品を創って世に送り出した広告主、クリエイター、プロデューサーのみなさんへのリスペクトの想いを新たにしながら執筆しました。

 1990年代後半のデジタル広告黎明期から、杉山さんをはじめとするクリエイティブの諸先輩、仲間たちとともに未知の世界をヤンチャに探検してきたこの25年間に感謝しつつ。



 行こう行こうと思いながらなかなか行けなかったジャン=ポール グード展。けっきょく閉幕直前に銀座のシャネル・ネクサスホールに駆け込んだ。すごい混雑である。若い人たちもいっぱい来ている。今回の展覧会のアンバサダーにモデルのKōki(キムタクと工藤静香の娘ですね)が起用されたからかもしれない。最近のCHANCEのボウリングのCMなど、とても分かりやすいものも多くなっているからかもしれない。でも、我々世代にとってグードと言えば、80年代のグレイス・ジョーンズを起用したあの衝撃的なグラフィックデザインや、90年代のエゴイストのCM、あるいは鳥籠に閉じ込められたヴァネッサ・パラディのCOCOのCMが強烈に印象に残っている。





 今回の展覧会用の新作では、今度はシャネル自身が鳥籠の中を羽ばたく『Stomy Whether』のインスタレーションがチャーミングだった。

 最近、ヴァネッサ・パラディの娘(父親はジョニー・デップ)がシャネルの新しいミューズに選ばれたとも聞く。リリー・ローズ。




 時代は一巡りしても、シャネルの、そしてグードのクリエイティビティは涸れることがない。Jean-Paul Goude。今年で御年78歳。人は、グラフィックデザイナーであり映像ディレクターであり、アーティストである彼のことを image maker と呼ぶ。

 最近の広告においては、「リアリティが大切」「これからの時代のストーリーテリングはノンフィクションであることが鍵になる」などといったクリティックばかりが目に付くが(そして、自分も普段はよくそんなことを言っているがw)、やはり、強烈なイメージメーカーによる強烈なフィクションの力はスゴイ。……グードのクリエイティブに触れるとつくづくそう思えてくる。






 今までにたくさんの広告をつくってきましたが、自分の広告をつくってもらったことは今回が初めてです。(汗)

窓上広告


 大学では「ゼミする東経大」と銘打って毎月各ゼミナールの紹介をし、それをJR中央線の窓上広告やHPで展開しているのですが、今月はワタクシのゼミナールの番です。

 なんとも気恥ずかしい限りです。でも、多くの高校生のみなさんやそのご父兄の方にご覧いただいて、大学選択の参考にしてもらえたらありがたいです。

 イラストにジョーカーを描いてもらったのは、大学の4年間、学生のみなさんには、ワタクシをトランプのジョーカーのように使ってもらえたらという思いからです。「ジョーカーは道化師であり、時折『種も仕掛けもある』マジックを使います。ジョーカーはいろんな役割を兼ねられます。みなさんの代役を務めることができます。でも、ワイルドカードは最後まで持っていたらダメ。うまく私を利用して、最後に私を捨てて、鮮やかに大学4年間の学びの生活をアガってください」という意図なんですが。……



 時折、従来の広告のやり方にどうしようもなく興味が萎えてしまうときがある。イマドキ、商品や企業イメージをダイレクトにアピールしたところで、いったい誰が面白いと思ってくれるというのだ? ……なんて、不遜にも思ってしまうときが、ある。

 でも、そんなとき、私はサヴィニャックを思い出す。すると、また改めて、ああ、広告っていいなあ、楽しいなあ、見ていると元気になるなあ、って思えてくる。


 練馬区立美術館のサヴィニャック展に滑り込みで行ってきた。明後日日曜日で終了。

練馬区立美術館

 やっぱり、サヴィニャックはいいのである。彼の広告アイデアはとてもシンプル。描かれる人や動物たちが商品と直結している。登場人物がストレートに商品を指さしていたりする。そのダイレクトさがとても清々しい。

savignac

Elmar 5cm f3.5 L + M9-P


 で、案の定、久しぶりにまたノルマンディーに行きたくなってしまったのである。

 ドーヴィルとトゥルーヴィル。パリから2時間でTrouville – Deauville駅に着く。ドーヴィルの方はご存じ映画「男と女」の舞台の高級リゾート地。でも、オフシーズンのオテル・ノルマンディはなかなか枯れた雰囲気があって、これはこれでまたいいのである。で、もうひとつのトゥルーヴィル。こちらは庶民的な食堂がいっぱい並んだ漁師町。サヴィニャックが晩年住み続けたところだ。今では町全体が彼の美術館みたいになっている。……初めてドーヴィル&トゥルーヴィルを訪れたのは、あれは26歳の時だったか。ダバダバダー。vous avez des chambres?



 80年代半ば、広告会社に入社したての頃、この本を手にした。

分衆

 関沢英彦先生が中心となって書かれた博報堂生活総合研究所の「分衆の誕生」。

 広告黄金期と言われた80年代において、すでに大量消費社会は終焉を迎えつつあったわけで、これからの時代の広告コミュニケーションはいったいどのように変わっていくのか、ワクワクしながら読んだ記憶がある。

 あれから30年余年。今は「分衆」どころか「分人」の時代である。平野啓一郎さんは数年前に「私とは何か」を書いた。サブタイトルは、「個人」から「分人」へ、である。 individual ならぬ dividual。自分の中のさまざまな自分。それは相手によって常に更新され続ける。個人のアイデンティティは決してひとつではない。相手に応じて変化し続けていくことこそが「本当の自分」。

 このアイデンティティの相対性についてはまったく持ってその通りだと思うが、そもそもの最初から(自分の感覚世界が出来たその時から)(先天的に)複数の自分は存在しているのではないだろうか。

 いくつもの異名を使い分けた詩人フェルナンド・ペソアのことを折に触れ思い出す。



 今年のJR SKYSKYキャンペーンは「わたしを新幹線でスキーに連れてって」。




 そうなのである。かの「わたスキ」をモチーフにしたコンテンツ企画というのか、パロディというのか。今年で30周年。そして、なんだかまたバブルの匂いがしている2017年の今だからこそと、キャンペーンの企画者は考えたのだろうか。

 1987年公開の「わたしをスキーに連れてって」。名セリフがいっぱいある。その中には「志賀と万座、直線距離だと2キロなのに、菅平まわると5時間」というフレーズもあったが、これ、ほんとうにリアリティのあるセリフだった。小布施経由で何度この道を通ったことか。

 今年の冬は久しぶりに志賀高原に行こうか。奥志賀高原もいいけれど、ここは定番の焼額。今年から車が四駆ではなくなったので、長野まで新幹線で行ってそこからバスで向かうのも悪くない。(完全にJRの戦略の思う壺であるw)バスの窓から眺める冬景色はそれはそれでまた格別なのだから。

 長野駅前のバス乗り場で志賀高原行に乗る。バスは高速を二区間だけ走ってから専用道路に入る。そのころから雪がちらつき始め、うねるようなカーブを十ぐらいクリアする頃には、道路が真っ白になってくる。トンネルを抜ける度、白い世界は着実に完成していく。最初は道路だけだったのが、次には山肌が真っ白になり、その次には道路脇の家々が全部、そしていつの間にか見渡す限りすべてのものが真っ白に覆い尽されていく。最後のトンネルを抜けた時、ふいに道路の真上をリフトが横切って動いているのに出くわす。乗っているバスはそのリフトの下をくぐって行く。「さあ、ここが志賀高原の入口だ」

 いつものファットスキーもいいけれど、この冬は数年ぶりにノルディカのスピットファイヤーに乗ってみようと、エッジの錆を落とす週末。

ノルディカ



 たまには広告の話でも。(ちなみに私は広告論が専門ですw)カンヌ広告祭(って言わないんだよね、今は。Cannes Lions International Festival of Creativity。カンヌライオンズです)も終わり、今年、世界を席巻した広告を振り返ると、やはりこの2作品に集約される感じだけれど。





 個人的には、Samsungのこの作品が大好き。テクノロジー×コミュニケーションをテーマにしている仕事柄、ARやVRについてはその手法論、あるいは概念論として様々な考察をしてきているつもりであるが、そういう研究疲れのアタマをやさしく癒やしてくれるアイデアである。VR体験を表現する際によく使う immersive(没入感)な感覚を伝えるのにこれほど分かり易くチャーミングな表現はないのではないだろうか。

 Yes, I can.もいいけれど、So you can do what can't be done.と言われる方がもっといい、と例によって、あまのじゃくな私は思うのです。

here

Summicron 40mm f2 + CL +Acros100


 where is here?

このページのトップヘ