naotoiwa's essays and photos

カテゴリ: daily life



 3月13日から、マスクの着用は屋内外問わず個人の判断に委ねられるとのことだが、とんでもない、今まで以上にマスクはかかせないのである。理由はもちろん花粉。今年は花粉の飛んでいる量が尋常ではない。マスクなしで屋外に出るなんて。マスクしてても、ううう、くしゃみが止まらない。目から涙がとまらない。こすっちゃダメとわかっちゃいるけど、ゴシゴシゴシ。あっという間に兎の眼である。

 先日、地方の町を車で走っていた際、目的地までショートカットしようと県道に入ったのが運の尽き。いつの間にか周りはすべて杉の木だらけ。道はすれ違うのも難しいほど狭くなって引き返すにも引き返せない。窓を閉め切り、エアコンの外気も完全遮断して約三十分。生きた心地がしなかった。

 もうすぐ待ち遠しい春本番。でも、この花粉ばかりはどうにも。。当分マスクは外せないが、ミモザの木は大丈夫。

ミモザ

Elmar 5cm f3.5 (pre war) + M10-P




 ついに因縁の親知らずを抜いたのである。

 「歯肉炎が治らないのは親知らずのせいですね」「はあ、、」「抜きましょうか。大学病院の口腔外科、紹介しますので」「え?」「完全に埋まってしまっているのでうちでは抜けないんです」とかかりつけの歯医者さんに言われたのが2015年。その後、いったん歯肉炎が治まって数年放置していたのだが、2019年にまた歯茎の腫れがひどくなった。で、覚悟を決めて改めて紹介された大学病院に行ってみるとたくさんの患者さんがウェイティング状態で、施術は半年後になるという。「お急ぎならば別の病院を紹介します」とのことで(こちらも大きな総合病院の)口腔外科で初診の受付をし、改めてレントゲンを撮ってみたところ、「ううむ」。CT撮ってみて、「ううううむ」。「……」「横綱級ですね」「は?」「横綱級に難易度の高い親知らずなので」と全身麻酔の手術を勧められた。「ええっ?  親知らずで全身麻酔、ですか?」

 私の右下顎の親知らずは完全に横向きに埋まっており、しかも、顎の神経と血管に密着しているもようで、抜歯の際に血管および神経を損傷する可能性も高いので万全の体制で行った方がいいとのこと。それが横綱級、の意味であった。で、手術入院前の麻酔医との面談等と相成ったが、どうも納得がいかない。セカンドオピニオンも聞きたくて別の病院でも同じような検査を受けたが診断は同じ「横綱級」。全身麻酔でなくてもいいが、静脈内麻酔の方が痛みも感じにくくくていいのでは、とのこと。でも、全身麻酔にしても静脈内麻酔にしても血管や神経の損傷の可能性は変わらないらしい。ようは位置の問題なのである。下顎に沿って走っている神経と血管に密着している位置の問題なのである。「だったら親知らずの位置が動けばいいのではないですか?」と尋ねてみると「若い方ならそれも有り得ますが、お年を召されていると残念ながら今後歯が動くことはないかと」。

 で、けっきょくこの時も親知らずの抜歯は取りやめにしたのである。理由は三つ。その一。大きな病院でならば血管損傷が起きてもその場でいろいろ対処してくれるだろうが、神経の損傷で後遺症が残った場合、人前で話をする機会が多いので(大学の授業しかり)職業的にも困ってしまう。その二。おかげさまでこの年になるまで大病もなく今まで手術を受けたことがない。ので、今回全身麻酔の手術を受けるとするとこれが人生初の手術ということになる。現代の医学は進んでいるので確率は極めて低いだろうが、全身麻酔の手術にはやはり一定の危険性は伴う。万が一、万万が一の場合、その理由が親知らず抜歯というのは死んでも死にきれない。ま、それはさておき、いちばんの理由はこれである。その三。ほんとうにこの親知らず、ずっと今の場所に居座っているのだろうか。今後位置を変えることは決してないのか? 下顎から離れて歯茎から少しでも頭を出してくれたら、通常のやり方で抜歯できるのではないのか? そうすれば神経や血管に抵触するリスクは解消されるのではないか、という疑問である。

 もともとこの親知らずを抜かなければならないと判断した理由は、奥歯と親知らずの間に生じる狭い隙間に細菌が蔓延って歯肉炎を起こすからである。この隙間をなくす、あるいは、隙間を逆にもっと大きくすれば炎症は起きても対処できるのではないか。というようなことを長年(もう30年近く)お世話になっているかかりつけの歯医者さんに相談してみたところ、じゃあ、歯肉炎を緩和するために逆に手前の奥歯を削って隙間を広げてみましょうかということに相成った。で、奥歯を半分削って様子を見ていたところ、歯肉炎は完治はしないものの、その後ひどくなることもなく、そして、去年の夏あたりから「お、親知らず動き出しましたね」という嬉しいレントゲン結果となった。隙間が広くなって親知らずも身動きしやすくなったようで、そして、ついに歯茎からその一部が姿を現したのである!「では、抜きましょうか。アタマが出てきているし、血管や神経からも離れてきたので、うちでやれますよ」

 そうはいっても親知らずを抜くとその後でかなり腫れると聞く。やるなら大学の授業も終了したこの時期しかないと思い、先週、敢行することになった。通常の局所麻酔で約40分間。「なんとか三つに割って抜けました」「あ、はりがとうごはいまふ」(麻酔で上手く口が動かない)「でも、歯茎に大きな穴が空いてる状態ですからね。数日は痛むし腫れるかも」「あい、かくごしてまふ」

 施術後。はい、腫れました。おたふく風邪みたいに腫れました。現在、まだ人前に出られない状況ですが、因縁の親知らず、ついに抜歯。三十年来お世話になっている〇〇先生、ほんとうにありがとうございました! それにしても、自分が納得できないと専門医のお薦めでも鵜呑みにできない私の頑固さのせいで、御迷惑をおかけした大学病院の先生、セカンドオピニオンをお尋ねした先生方にもこの場を借りてお詫び申し上げます。

お正月

Sonnar 8.5cm f2 (c mount, pre war) + M10-P


 令和5年。元旦。




 ここ三日間で季節が一変した。北風が吹き冷たい雨が降る。東京でも最高気温が15度までしか上がらず、秋を通り越していきなりの冬である。先週までは真夏日に近い日もあったというのに。明らかに異常気象。地球温暖化の影響は顕著に顕れている。

 でも、憂鬱にばかりなっていても仕方がない。なんとかこの天候を楽しむ方法はないものかと思案していたら、今日になって気温がまた25度に戻った。昨日の寒さから一転、暖かな南風が吹いている。まるで小春日和のよう。なるほど、こんなふうに日替わりでめまぐるしく季節が行ったり来たりするのも悪くないかも。秋なのに春も楽しめる。金木犀が香りコオロギの鳴き声のする春なんてないけれど、街に漂っている温気は春そのものである。

 ちょっと嬉しくなる。こんな日は、馴染みの友人がかならずひとりは来ているはずの、ちょっと古風な洋食レストランに行きたくなる。ハンバーグの中身はジューシーで表面はカリッと焼けていて、デミグラスソースと添えられたポテトサラダはほんのり甘く、少し硬めでもっちりと炊き上がったライスが真っ白なプレートに適量盛られている。食べ終わったら珈琲を飲みながら、カウンター席の隣同士に並んだ馴染みの友人と、最近読んだ小説やずいぶん昔に見た映画やお芝居のことを、お互い低くて静かな声で言葉少なめに語るのだ。

 そんなレストランが必ずこの街のどこかにもきっと佇んでいるような気がして、僕は街中の路地という路地をゆっくりと探索し続ける。

古風な

Nokton 35mm f1.4 Ⅱ SC + M10-P



 新年を迎えてもコロナ禍は収まりそうもなく、それどころか全世界的に感染拡大の勢いを増している。在宅勤務、テレワーク化を今年は昨年以上に推進せざるを得ないのかもしれない。そうなってくると、今までの働き方、学び方の常識は通用しなくなる。実際の場所に出社したり出校したりすることだけが勤務や通学ではない。仕事や学びと休日の境界、パブリックとプライベートの境界がどんどんシームレスになっていく。
 私は大学教員の傍ら、数年前からフリーランスの個人事業主として仕事をしているので、こうしたシームレス感は当たり前になっているが(日曜日にフルタイムで仕事をしていても苦にならないし、その分、どこかぽっかり空いた平日の自由を満喫する術も覚えた)、でも、どうなんだろう、やはり人間というのは、時間的な制約があって、ここからここまでは仕事(あるいは勉強)、ここからここまではフリー(自由!)と決まっていた方がココロがトキメク生き物なのかも。

 私が小学生、中学生、そして高校生だった1960〜70年代は、土曜日はまだ完全休日ではなかった。いわゆる「半ドン」というやつで、でも、だからこそなおのこと、あの土曜日のお昼時の開放感(小学生ならば集団下校の時のあの気分、中学生・高校生ならば、校門を真っ先に抜け出し遊び場に向かう時のあの気分)は格別だったようにも思う。私が1984年の時点で就職した会社もありがたいことに既に土曜日は完全に休日だったし、日本のおける週休二日制の歴史はけっこう長い。その結果、休日前の開放感を堪能する日は前日の金曜日へとスライドし、当時「キンツマ」的ドラマが放映されたのだろうけれど、でも、今思い返してみても、あの土曜日の「半ドン」気分は格別だった。半分休み、というのがいいのだ。

 ところで、「半ドン」のドンは「ドンタク」のドンである。ウィキペディアによると、zondag、オランダ語で日曜日を意味する言葉の日本語訛りらしい。ちなみに、現在私は竹久夢二をテーマにした論文を書いているが、夢二の絵入り小唄集のタイトルは『どんたく』であり、彼が大正12年につくった商業デザインの会社名も「どんたく図案社」である。

 限られた休日(ドンタク)があるからこそ、平日の働き甲斐(学び甲斐)があり、休日への開放感にココロがトキメクのかもしれない。これからの時代は、それを自分自身でコントロールし、自分だけのドンタク、あるいは「半ドン」を演出していく必要があるのかも。



 非常事態宣言が解除になって、東京の街はまたまた人で溢れ始めている。で、けっこうなパーセンテージでマスクを付けない人の数も目立ってきた。ランニング中にマスクをしてたら熱中症になりかねないとか、マスクでどこまで飛沫感染を防げるのかその精度が疑問、といった考え方もわからないではないが、万が一でも自分から相手に感染させることがないよう、その意思表示のためだけにも完全に終息するまでは外出時にはマスクをすべきだと思うのだけれど。

 さて、私自身はマスクをつける生活が完全にスタンダードになりつつある。ファッション性も気になるので倉敷の工房からデニムマスクも購入した。で、そんな生活が2ヶ月以上も続くと、実はこっちの方が理にかなっているような、外出先で他人に自分の「口」を見せたままにしていた今までの生活スタイルの方が不自然なような、そんな気分にもなってくる。よくよく考えると、「口」およびその奥に拡がる口腔というのは、呼吸もするし食物も摂取するし、はたまた愛情表現のメディアにもなるし、これはなかなかに多義的でそれゆえにこそなかなかにエロティックな存在ではないだろうか。イスラムの女性たちが外出時にはニカブやブルカといった黒布のフェイスマスクを常時付け、家族以外には口も鼻も見せないという風習を思い出す。

 そんなことをぼんやり考えていたら、クラシック音楽のプロデュース・ディレクションをやっている友人の方から、こんな素敵な動画を紹介してもらった。黒マスクを付けた黒ずくめの衣装のソプラノ歌手の表情とマスク越しの歌声が、なんとも。。座ったままというのがまた。。



 なんでもかんでもさらけ出して、それが自分のアイデンティティ(individual)いうのが近代以降の発想だが、それだけじゃ、美意識は深化しないよね?



 生まれた街の、今はもう廃業してしまったデパアトの入り口に、死んだ父親と母親が立っている。ふたりの後をついて行き、デパアトの誰もいない一階のフロアを抜けると、一機だけエスカレーターが動いている。でもそれはキューブのトンネルみたいなエスカレーターで、五十センチ四方の開口部に上半身を潜り込ませると、中には薄暗くて酸いた匂いが立ちこめていた。古くなったワインがあちこちに零れているような匂いである。こんなエスカレーターの中に入ったら体中に葡萄の滓が付いて服がダメになってしまうよ、というところで一度目が覚めた。(これが3時半頃のことか)次に、誰かの部屋で、僕はアンティックな瓶に入った香水を嗅いでいる。瓶にはゴールドのリボンが巻き付けられている。香水は昔流行ったゲランの「夜間飛行」みたいにとても濃密な香りだ。(これが5時半頃のこと)

autosleep


 深い眠りが3時間を超えて表示されたのは久しぶりである。このautosleep、本当によくできている。apple watch を手首にはめて寝るだけで、心拍数の変化等でレム睡眠、ノンレム睡眠の詳細な可視化が可能である。いったいどうやって? といささか疑問に思うのだが、朝起きた時に感じる睡眠実感と、夢を見たタイミングは見事にこのグラフと一致している。



 最近は、毎日がその日暮らしなのである。明日あさってのために今日何を準備すべきか、今日処理しなくてはならないことは何なのかで、小刻みに日々が過ぎていく。それは大学の授業の準備であったり、論文の準備のために読んでいる資料のとりまとめであったり、学生の皆さんへのさまざまなフィードバックであったり、講演やミーティングのための資料作りであったり。個人で依頼いただいている仕事のアイデア出しであったり、スタッフィングであったり、今書いている本の校正であったり。年末調整の準備であったり、確定申告のための各種インプット作業であったり、そろそろ生命保険見直さなくちゃの手続きであったり。そこに学会出張や講演や友人との旅行の日程が入ってきて、今週は健康診断も受けなくちゃ、インフルエンザの予防接種もそろそろ、あ、でも、このカンファランスはなんとしてでも参加しないと、そして、どうしてもあの小説だけは今すぐ読みたい!といった状況がずっと続いている。

 まさかこの年になってこんなふうになろうとは。五十も半ばを過ぎたら余裕シャクシャクの人生を送れるものと思っていたが、どうしてどうして。毎日が自転車操業なのである。日々コンテンツのインプット・アプトプットでいっぱいいっぱいなのである。なんなんだろう、この感じ。忙殺ではないけれど、没頭という訳でもないし。でも、この感じ、悪くないなと思う。この年でアタマとカラダをフル回転しながらその日暮らしが出来るなんて、とてもありがたいことなのだと思う。さすがに首肩の凝りが限界を超えているようではあるが。…



 ようやく大学の前期が終了する。はじめての経験だったこともあり、ズシリと半期の疲れがアタマと体の至る所に蓄積されているようだ。4月からの四ヶ月間で、学部で5コマ、大学院で2コマ。一時間半の授業が各々15回ずつなので合計すると105通り。その各々のコンテンツを作り込むのにも時間がかかったが、それよりもなによりも、担当させてもらったみなさんたちひとりひとりの思いというのか心情というのか、真情とまで言ってしまってもいいのか。それぞれ15名程度のゼミナールは担任制みたいなもので、それが1年から4年まで4クラスあるのである。ひとはひとの心を受け止めることにこそやはり一番ズシリとさせられるもので、そういうのはもちろん、家庭でも親戚の間でも、そして以前の会社においても当たり前のようにあったのであるが、ハタチ前後のみなさんの真情を受け止めるのは、今までとはやはり訳が違うのである。まだまだ原形質のカオスの香りがする、定形にプロット化される前の彼ら彼女らのピュアなクオリアに幾度驚かされたり、新たな発見をさせられたりしたことか。それがとても新鮮であり楽しくもあり、でも、時にかなりズシリとさせられて。同僚のみなさんに聞くと、一年目は特にそうですよー、と言ってくれるのだが。

 さあて、リセットしてリフレッシュして、また9月からしっかりと彼ら彼女らのクオリアを受け止められる状態にしておかねばと思う、今週は前期試験ウィークなのである。

ズシリ



 二年前、まだ五十半ばになる前に会社を辞めておいてよかった。最近、つくづくそう思う。とても良い会社だったのだ。でも、あのまま安穏とあの場所に居続けていたら、将来ロクなことにならなかったのではないか。会社では仕事にも恵まれた。部下にも恵まれた。おおよその指示を出せば優秀な若者たちがほぼ期待通りの動きをしてくれた。それをマネジメントと称するのなら私にもそうした能力が少しはあったのかもしれぬ。でも、直感的に思ったのだ。この先、もっと年を取ってからは会社で培った中途半端なマネジメント能力なんぞまったく役に立たなくなると。これからはもう一度「個」の力こそがすべてだと。如何に自分のプロフェッショナリズムを維持し成長させていけるのか。それをメディア化できるのか。ジェネラルな能力だけではこの先70歳まで食ってはいけぬ。そう思ったのだ、直感的に。

 でもまあ、今でも時折昔のクセで、書類のコピーぐらい誰かやってくれないものかと思ったりするのだが、大学ではそんな甘えは通用しない。コピーは全部自分で取るのである。普通のコピーはコストが嵩むからリソグラフを使ってまずは製版するのである。授業開始前のスクリーンや音響のセッテイングも自分でするのである。(と言いつつ、ああ、またMacbookのミラーリングの調子が悪いみたいです、助けてくださいーとAVルームに電話しているワタクシ。)研究費の精算も自分自身でこまめにエクセル表に記入するのである。(ま、これは当たり前かw)

 年を重ねれば重ねるほど、全部自分でやるのである。それが正しい年の取り方なのである。

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