naotoiwa's essays and photos

カテゴリ: literature



 54歳の時に独立して早や6年。56歳からは大学教員として遅まきながらアカデミズムの世界にもチャレンジし、研究に教育に、そして制作業務にと多忙な毎日を送らせていただいている。
 まだまだ若いモンには負けないぞ、と言うは容易いが、でも、冷静に考えてみれば、クリエイターとしてのピークはとっくの昔に過ぎているわけで、そういう意味では今の時間は「余生」なのかもしれない。
 「余生」と書いてしまうとなにやら残り火みたいだが、人生の後半から終盤に向けてこそ、自分にとって一番大切な仕事は何なのかを見極めつつ、それをきちんと仕上げていかなくちゃ、それがきっと自分の天職になるのではと思う今日この頃である。

 こころよく 我にはたらく仕事あれ それを仕遂げて 死なむと思ふ
石川啄木『一握の砂』より


啄木

XF 23mm f2 + X-T30 II + Color Efex Pro

*雪の日の、小樽公園の啄木歌碑



 「死ぬ前に最後に食べたいもの」とか「最後に行きたい場所」というフレーズはよく耳にするが、「人生最後に読みたい本は?」と尋ねられたら、自分はいったいなんて答えるだろう? 
 思えば、この年になるまでにずいぶんとたくさんの本を読んできた。捨てきれない蔵書は千冊は優に超えるだろう。人文系、美術系の本がほとんどだが、そのなかでも小説の類いが圧倒的に多い。ということは自分も……

 三上延さんのベストセラー『ビブリア古書堂の事件手帖』シリーズの第6巻では、ラストにこんな独白がある。誰が言った言葉かはネタバレになるのでここには書かないけれど。

 「わたしは、『晩年』を切り開いて、最初から読みたい……最後まで読み終えて、その日に死にたいの……それを、人生最後の一冊にしたい」(中略)「あの作品は太宰の出発点で……匂い立つような青春の香気があるわ。わたしはそれを、自分の晩年に味わってから死にたい……」

 うむ。大好きな太宰の小説を人生最後の一冊にするのも確かにアリだけれど、人生のラストはもうちょっと惚けた感じで締めくくりたい気もする。日本文学だったら内田百閒あたり、だろうか。

 ちなみに、この『ビブリア古書堂の事件手帖』の第6巻は全篇すべて太宰治で、太宰が他のペンネームで書いたミステリー小説風『断崖の錯覚』や、「太宰治論集」に出てくる『晩年』の自家本の話、そして、引用部分もあるように当時のアンカット本の話など、太宰ファン垂涎のエピソードが満載である。



 ここ二年余のコロナ禍にあって大人数でどこかに集まるという発想はずいぶんと影を潜めたように思うが、個人的にはコロナ以前よりずっと、大規模な施設に多くの人が集まることに対して違和感のようなもの(あるいは不条理?)を感じ続けてきた気がする。
 もちろん、駅や空港といった交通のターミナルには大勢の人々を集客するための空間が必要であろう。でも、街の至る所に巨額のコストをかけてガラス張りのモダンな商業施設やオフィスビルをいくつもいくつも建設するのはいかがなものか。多種多様な店舗が一堂に集まっている方が便利だし、館内のデザインは現代的で洒落ている方が気分も自ずと「アガる」わけだが(最近では館内はとても「いい匂い」もする)、でも、そのためにどれだけのお金と資源を使わなくてはならないのか。空調費だけでも莫大なはずである。そこまでしないことには現代の生活は成り立たないのか、我々は「素敵な日常」を楽しめないのか、といった違和感である。

 で、これからの話である。未来の街はどうなっていくのだろう。大人数で集まりたいときはバーチャルの世界で済ませてしまって、物理的にはそれぞれパーソナルな空間に戻っていくのかもしれない。いわゆるメタバースの世界だ。でもそうなったら、今までに造ってしまったこれらのリアルな大規模な施設はいったいどうすればいいのか、などとあれこれ、現在のこと、そしてこれからの未来のことを考えてみるのであるが、正直言ってどちらもなんだかしっくりこないのである。現在にも未来にも今ひとつ希望が持てないとすると、我々は過去に戻るしかないわけであるが。

 タイムトラベリングをテーマにしたロバート・F・ヤングの有名な短編小説に「たんぽぽ娘(The Dandelion Girl)」というとてもロマンティックな作品がある。三上延さんの「ビブリア古書店の事件手帖」でも取り上げられていたので最近では若い方も多く読んでいるのではないだろうか。この作品の中で有名なのは、伊藤典夫さんの訳で、

「おとといは兎を見たわ」と夢のなかのジュリーはいった。「きのうは鹿、今日はあなた」

という台詞であろうが、若いジュリー・ダンヴァースが、未来から過去にタイムトラベリングしたくなる人たちの気持ちをシンプルに伝えている以下の箇所が昔から好きである。

「時間旅行局では、許可された人たち以外にはタイムマシンを使わせないの。でも、もっとシンプルな暮らしに憧れる人たちは、歴史学者になりすまして過去の世界へ永住する気で行こうとするから、そういう人たちを逮捕するために時間警察が活動しているわけ。」

太字引用部分は、R・F・ヤング『たんぽぽ娘』(河出文庫、2015年)より。
それぞれ p.103、p.106



 映画「ドライブ・マイ・カー」がベルリン、カンヌ国際映画祭受賞に続き、アカデミー賞作品賞他の候補に、とのことである。原作を読んだ際、SAAB 900のコンバーティブルとか(映画ではサンルーフ付きのハードトップになっていた)、チェーホフの「ワーニャ伯父さん」とか、ちょいと個人的に苦手(というか自分の青春の恥部と言うべき)ものにヤラれてしまって、今まで映画を見るのを敬遠していたのであるが、こ、これは、……原作に確かに立脚してはいるものの、濱口監督、大江さんがオリジナルに「脚本賞」を受賞した理由に納得させられた。映画「ドライブ・マイ・カー」は東京、広島、北海道、(そして韓国?)をつなぐロードムービー大作である。そして、イマドキ敬遠されがちな言葉の独白だけのロングショットの数々、3時間があっという間に過ぎた。でもって、三浦透子さんがとにかくカッコいい。

 ネタバレになってしまうといけないので映画のストーリーについてはここには書きませんが、また昔に戻って(?)無性に煙草を吸いながら車の運転がしたくなる映画です。車を疾走させながら煙草の煙を肺の深くまで吸い込み(いくら体に悪いと知ってはいても)、ふうっーと吐き出さないことには紛らわすことのできないことが人生にはまだまだたくさんあるような気がします。

 そして、車の運転が上手な女性について。個人的にそうした女性は今までに何人か知っていますが(彼女たちはみんな左ハンドルのマニュアル車を、右手の手首を優雅にくねらせながらシフトチェンジしていた)、その上手さはそのままスピード超過であの世に繋がってしまいそうな浮遊感と表裏一体でした。そうではなく、「渡利みさき」さんみたいに、助手席に座っているひとをこちら側の世界にしっかりと繋ぎとめ、無言で人生の再生を促しながら走り続けてくれる運転の上手な女性には、残念ながらまだ出会ったことがないように思います。



 最近、死んだ父親に無性に逢いたくてしようがなくなる時がある。自分に似ているひとはいても、自分が似ているひとはもはやこの世に存在しない、そのことがどうにもせつないからだろうか。私は死んだ父親とはほとんど同じような体型・体質で、六十歳を過ぎてこれから自分の身体のどの部位がどのように衰えていくのか、その過程もその程度も、父親が辿った十数年間を思い起こせばなんとなく想像がつく。遺伝子というのはつくづくそら恐ろしいが、はてさて、そうした自分の老後についても父親から直接アドヴァイスが聞きたいし、自分が生まれる前、若かりし日の父親がいったいどんな思いで戦争に行き、どんな思いで戦後の人生を始めたのか。そして、七十一歳で死ぬ時、いったい何を想い、何に感謝し何に未練を覚えたのか。そうした本音を直に本人から聞いてみたい。

 でも、そうしたことは決してかなうことがない。生きている者と死んでいる者は、川上未映子さんが「十三月怪談」の中で書いているように、ほんとうに、お互いがお互いに対して「無力」なのだ。そのことがつくづくやるせない今日この頃である。

 でもわたしがいまぼんやりとソファにすわってずっと思ってることっていうのは、死んだ人間っていうのはほんとに無力なんだなって、たぶんそういうことだった。自分が生きているときは、生きてる人間っていうのは死んだひとにたいして、あるいは死んでゆこうとしてる人にたいして無力だなって思ってるところがあった。なんにもいえないし。でも、死んだひとっていうのは生きてるひとになにひとつだってしてあげることはできないし、さわることだってできないし、もうなにもできなくって、ほんとうにちがう世界にいるんだなってそう思う。

川上未映子『愛の夢とか』(講談社、2013年)収録「十三月怪談」より


身一点

Elmarit 24mm f2.8 ASPH. of X2 + Color Efex Pro


 ゆふがた、空の下で、身一點に感じられれば、萬時に於て文句はないのだ。
中原中也 「山羊の歌」より「いのちの聲」



 今日の関東地方は真夏に戻ったように30度を超える快晴となった。でも、空気は乾燥して日に日に秋らしさが増している。おととい(21日)の中秋の名月も目が醒めるような美しさだった。
片影

Russar 20mm f5.6 + MM

 こんな、一瞬、夏に戻ったような、でももう秋の清澄さが十二分に感じられる日に思い出す文章がある。竹久夢二が日本橋に港屋絵草紙店を開店した際の挨拶状である。先日脱稿したばかりの夢二に関する論文にも引用したが、季語「片影」の使い方が素敵である。店主である妻、他万喜の名前で書かれているが、文案は竹久夢二もしくはふたりの共同執筆であったろう。


 下街の歩道にも秋がまゐりました。港屋は、いきな木版繪や、かあいゝ木版画や、カードや、繪本や、詩集や、その他、日本の娘さんたちに向きさうな繪日傘や、人形や、千代紙や、半襟なぞを商ふ店で厶(ござ)います。女の手ひとつでする仕事ゆえ不行届がちながら、街が片影になりましたらお散歩かたがたお遊びにいらして下さいまし。

「増訂版 金沢湯涌夢二館収蔵品総合図録 竹久夢二」(金沢湯涌夢二館、2013年、2021年改訂)p.156参照



 久しぶりの38度である。コロナワクチン二回目接種後2日目のことである。事前に友人からけっこう辛いと聞いてはいたが、2017年の1月にインフルエンザを発症したとき以来である。両目の奥の頭重、首筋から肩のひどい張り、腰痛、関節痛。足が異様に冷える。冷房を消した蒸し暑い部屋の中でも汗がかけない。
 まあ、こんなことも予想して、原田マハさんの『リボルバー』をベッドサイドに置いていたのだが、どんなに内容が面白くても文字を読むこと自体が辛い。ので、馴染んだサリンジャーの短編集『このサンドイッチ、マヨネーズ忘れてる ハプワーズ16、1924年』を手に取ってみる。特に好きなのが『ぼくはちょっとおかしい』で、退学になってしまったホールデンが60歳を迎えた恩師のスペンサー先生の自宅にお別れの挨拶に行く場面である。

「そして、ぼけたような状態なのに、楽しそうだ。それにしても先生はいったいなんのために生きているんだろう、もうすべてが終わっているのに、と思ったりすることがある。だけど、それはちがう。考えすぎだ。(中略)ときどき、老人のほうがうまい生き方をしているような気がする。ただ交代したいとは思わない。」

「人に先んじようとするなら、人生に適応していかなくちゃいけないとか。」

「まだ会っていない女の子が好きだ。後頭部しかみえない女の子がいい。」

 なるほどね、人生、先んじるためにまずは適応か。名言である。あと、『ハプワーズ16、1924年』に出てくる、

「理想的というのは完璧とはまったくちがう。「理想」というのは人類の幸福のために大昔からずっと取っておかれたものなんだ! ぼくはそれを、希望に満ちた、理にかなったゆるさと呼びたい。ゆるさ、ぼくはこのささやかな、ゆるさが大好きなんだ。」

 これもすばらしい。でもね、……というところで意識朦朧となり(38度を超えたようだ)、たまらずカロナール(アセトアミノフェン)に手を出した。

 若い頃はよく熱を出した。あの頃はアセトアミノフェンじゃなくてまだアスピリンが主流だった。風邪を治すためにはアスピリンを飲んで厚着して大汗をかいて一晩ぐっすり眠る。すると翌日、頭の中がミントの葉っぱを噛んだみたいにすっきりとしている。夏の雨も上がっている。病みあがりと雨あがりとアスピリン。「まだ会っていない女の子」に出会える気がしたものだ。

 と、比較的余裕のある思考ができたのもここまで。あとは、Hallelujah。




(追記)おかげさまで、接種三日目の朝、回復いたしました。


引用文献:
J.D.サリンジャー / 金原瑞人(訳)『このサンドイッチ、マヨネーズ忘れてる ハプワーズ16、1924年』(新潮社、2018年)

引用箇所:
『ぼくはちょっとおかしい』p.24,25,34 『ハプワーズ16、1924年』p.223




 大学時代の恩師である河村錠一郎先生の近著『イギリスの美、日本の美 ラファエル前派と漱石、ビアズリーと北斎』(東信堂、2021年)を読んでいたら、ワッツの描く「パオロとフランチェスカ」が夏目漱石の『行人』の中で言及されているくだりが出てきて(p.31)、数十年ぶりに『行人』を読み返してみたくなった。

 この小説は、兄一郎のニーチェばりの苦悩が手紙形式で描かれている作品で、あの名作『こころ』に通じる新聞小説だと言われているが、まずなによりも感銘するのは、漱石の描く女性たちの魅惑的な姿とその言動である。漱石の小説には、まさにラファエル前派の画家たちが描くファム・ファタルの日本女性版が数多く登場するが(その極めつけは『三四郎』のヒロインの里見美禰子であろう)、この『行人』に出てくる一郎の妻の直(なお)もまた蠱惑的である。それを漱石は、彼女の靨(えくぼ)の描写だけでここまで表現してしまうのである。脱帽。

嫂は平生の通り淋しい秋草のように其処らを動いていた。そうして時々片靨を見せて笑った。

不断から淋しい片靨さえ平生とは違った意味の淋しさを消える瞬間にちらちらと動かした。

それから、肉眼の注意を逃れようとする微細の渦が、靨に寄ろうか崩れようかと迷う姿で、間断なく波を打つ彼女の頬をありありと見た。


 そして、「柔かい青大将に」となる。これではパオロはフランチェスカの魅力にひとたまりもなくやられてしまうだろうと思いながら弟二郎を主人公とした前半の三章を読み終えた。(最終章の展開は、まだ読んだことがない人のためにここに書くことはやめておきます)

彼女の事を考えると愉快であった。同時に不愉快であった。何だか柔かい青大将に身体を絡まれるような心持もした。

 漱石はこの小説を書き終えた3年後に亡くなっているが、同じ墓地に眠る漱石も夢二もどちらも満五十才になることなく四十九才でこの世を去っていることを思うと、(当時としては決して夭折にはならないのかもしれないが)やはり残念でならない。

太字部分は夏目漱石『行人』(新潮文庫)からの引用。p.227、p.328、p.336、p.218




 大学の紀要に掲出予定の竹久夢二に関する研究ノートの原稿もほぼ仕上がったので、お礼方々、雑司ヶ谷のお墓にお参りに行ってきた。「知らせる人—それだけ。外に一人 アリシマ。」と日記に綴った盟友、有島生馬の筆による「竹久夢二を埋む」とだけ書かれた簡素な墓石の前に桔梗の花のブルーが凜として雨に濡れていた。夢二らしいお墓だと思った。

夢二墓

 ここ雑司ヶ谷には文人、画人たちの墓が他にもたくさんある。最も有名なのは夏目漱石の墓であろうが、永井荷風の墓も、そして夢二も大好きだったに違いない(『夢二画集 旅の巻』の中で金沢を訪れた際の紀行文に名前が出てくる)泉鏡花の墓もある。あるいは、生前いろいろといわくのあった画家の東郷青児の墓もある。
 ところで、荷風も鏡花も夢二より早く生まれているが亡くなったのは夢二の方が先である。満五十歳に満たなかった夢二はやはり夭逝だったと言うべきなのかもしれない。

 さて、研究ノート執筆のために日記や書簡の中で夢二の言葉をいろいろ調べていたところ、「『人生は芸術を模倣する』とフランスで死んだイギリス人が言ひました。私の人生は私の幼い時受けた芸術の影響を脱し得ないばかりでなく、或は実践してゐるかも知れません」というくだりに行き着いた。オスカー・ワイルドのことである。
 これを知って、いったい何十年ぶりだろう、オスカー・ワイルドの芸術論の『嘘の衰退』を読み耽っていた若い頃のことを思い出した。かつて、大学を卒業した後、就職をせずそのまま勉学を続けたいと考えたこともあった。研究したかったのはマニエリスム芸術論とオスカー・ワイルドの芸術至上主義。夢二研究のおかげで、今頃になって当時のことを思い出すこととなった。これもシンクロニシティ、なのだろうか。


引用文献:
長田幹雄(編)『夢二日記 4』(筑摩書房、昭和62年)p.347およびp.286

参考文献:
竹久夢二『初版本復刻 竹久夢二全集 夢二画集 旅の巻』(ほるぷ出版、1985年)
オスカー・ワイルド / 西村孝次 訳『オスカー・ワイルド全集 4』(青土社、1989年)

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