naotoiwa's essays and photos

カテゴリ: literature



 自分はいったい何で出来ているのか。

 六十歳も過ぎると、もちろんそこにはノスタルジーな気分が多分に含まれているのだろうが、今までの自分を成り立たせてきた “成分” を客観的に分析してみたくなる。
 自分の場合はおそらく、若い頃に読み漁ってきたたくさんの小説がそうした “成分” の大半であると考えられるが、中でも「倉橋由美子」が占めるウエイトレシオはかなり高いのではないだろうか。『暗い旅』を読んで吉祥寺や鎌倉に住みたいと願い、『夢の浮橋』を読んで京都に憧れた。十代の頃からフランス被れになったのも「倉橋由美子」のせいだろう。

 先日、中公文庫から出ている『桜庭一樹と読む 倉橋由美子』を手に取って、彼女の初期の作品のいくつか(「合成美女」とか「亜依子たち」とか)を再読し、当時、自分の細胞壁のひとつひとつをヒタヒタと浸していた感覚がまざまざと甦ってくる思いがした再認識した。十代で「倉橋由美子」を耽読していた自分が、あの頃、自分のことを、親を含めたまわりの人々のことを、そしてこの世界のことをどのように感じていたのか。

 この文庫本の巻末で、桜庭一樹さんと王谷晶さんが対談して、穂村弘さんの言葉を紹介している箇所がある。

 穂村弘さんが倉橋由美子について「思春期の薬」というエッセイを書かれています。思春期の“病状”に「現実が怖い、他者が化け者に思える、自分は特別な存在だと無根拠に信じる、自分と同様に特別な他者とだけ美しく交わりたいと願う。」原因は自意識の過剰なんだけど、自分では治ることを望んでいなくて、治って大人になるのは敗北だと思っている。
対談「永遠の憧れ、倉橋由美子(桜庭一樹、王谷晶)より
『桜庭一樹と読む 倉橋由美子』(中公文庫、2023年)p.314

 まさにその通り。だとすると、あの頃の自分というのは、かなりイケ好かない青年ですよね?



 美術史学者の松原知生氏が2014年に書いた『物数寄考』が面白くて、ここのところ何度も読み返している。その理由は、本書のテーマである「骨董」にこそ、表現や美の本質が凝縮されているとつくづく感じるからだろう。例えば、本書の中でも度々使われている「現前」と「表象」。表現とはまさにこのふたつの相克であり混淆なのだと思う。ただ鑑賞するだけではなく、実際に手に取って触れられること(現前)、と同時に、距離があればあるほど、手の届かない彼方(遠い過去とか、訪れることの出来ない場所とか)にあればあるほどイメージは増幅されること(表象)。それらを叶えてくれるのが「骨董」というわけである。

 小林(秀雄)にとって、物質としての骨董が帯びる古色とは、歴史が自然の上に残す「極印」のごときものであり、(中略)それは、歴史の物理的痕跡であるという点でインデックス記号をなしており、重要なのはそうした「歴史の形骸」から「歴史の実物」を「類推」する、いわばアナロジー的な推論の技法なのである。
松原知生『物数寄考』(2014年、平凡社)p.70


 わたしは今日のものより昨日のもの、ここでできたものより、あちらでできたものの方が好きだ。つまり時間的にも、空間的にも遠くのものが好ましいわけである。遠くのものには、憧れがあり、夢があり、それ独特の、いうにいわれぬ美しさがある。(青柳瑞穂「壺のある風景」より)
同上『物数寄考』p.107


 で、本書ではそうした「骨董」の美の究極として、後半には「残欠」の話となる。

 残欠とは、残れるものと欠けたもの、現前と不在のあわいに位置する、両義的で曖昧なオブジェである。陶磁器における残欠の具体相は通常、二つのカテゴリーに分類される。すなわち、全体の形は一応のところ保たれているが一部が欠損している「疵物」、逆に、総体としての形状はもはや喪失しつつも部分的になお残存している「陶片」である。
同上『物数寄考』p.186


 彼(安東次男)が疵物の価値としてまず挙げるのは、完璧でないぶん「想像力」を自由にはばたかせる余地を見る者に与えてくれる点である。(中略)第二に、破損によってもたらされる偶然の効果の面白さが挙げられる。(中略)第三に、部分的に欠けることによって、素地や釉などの材質感がいっそう引き立つという点も挙げられる。さらに、すでに疵をおっているため「安心してあたりに投出しておける気安さ」も捨てがたい。
同上『物数寄考』p.208


 自分は古美術に耽溺するほどの素養もないし財力もないが、ひょっとして、昔からオールドレンズやカメラを収集しているのは同じ思いからかもしれない。第二次大戦以前のニッケル仕上げのカメラをいじりながらゼセッションの頃のドイツやオーストリアに思いを馳せる。
 また、以前は神経症のように瑕疵のない美品ばかりを探していたが、最近では、敢えてバルサムが切れていたり白濁したり、銘板が欠けていたりといった「疵物」を好んで買い求めるようになった。いつの間にか「骨董という病」が私の中でも進行しているのかもしれぬ。



 最近、川端康成の晩年の小説ばかり読み耽っている。『山の音』『千羽鶴』『波千鳥』『反橋』『しぐれ』『たまゆら』等々。『山の音』の尾形信吾は数えの六十二歳。いつの間にか自分も信吾と同年代になったようで、以下のような文を目にするとリアルに身につまされる思いがする。

「能面は、そうやって、やや高めに手を伸ばして見るんだそうだ。われわれの老眼の距離が、むしろいいわけさ。そうして、目は少し伏目に、曇らせて……。」

「老眼になり始めはね、飯の茶碗をこう持ち上げると、飯粒がぼうとぼやけて来て、一粒一粒が見えなくなる。実に味気なかったね。」

「白毛を抜いているうちに、北本の頭は白くなってゆくんだそうだ。一本の白毛を抜くと、その隣の黒い毛が二三本、すうっと白くなるという風でね。北本は白毛を抜きながら、よけい白毛になる自分を、鏡の中に見据えているわけだ。なんとも言えない目つきでね。頭の毛が目立って薄くなって来た。」


以上、川端康成『山の音』(新潮文庫、初版昭和32年)p.96, p.99, p.127

 さて、手元にあるこの新潮文庫、奥付を見ると第41版、昭和53年である。当時、高校二年生の自分に、敗戦後、自らの老境も迎えた川端の(『山の音』を出版した時は55歳か)いったいなにが理解できていたのだろうか。

少女

Elmar 50mm f3.5 (early) + DⅢ + Ilford HP5 plus 400



空模様

Elmar 50mm f3.5 (early) + DⅢ + Ilford HP5 Plus 400


 昨日も秋にはときどきある、朝もひるも夕暮れのような空模様のまま夜になるとしぐれが来ましたが、(中略)じっと耳をすましてみますと落葉の音は聞こえません。ところがぼんやり読んでおりますとまた落葉の音が聞こえます。私は寒けがしました。この幻の落葉の音は私の遠い過去からでも聞えて来るように思ったからでありました。
川端康成『しぐれ』

川端康成『反橋/しぐれ/たまゆら』(講談社文芸文庫)p.24

詩人の住む

Summilux 35mm f1.4 2nd + M10-P


 札幌は秋風の国なり、木立の市なり。おほらかに静かにして人の香よりは樹の香こそ勝りたれ。大いなる田舎町なり、しめやかなる恋の多くありさうなる郷なり、詩人の住むべき都会なり。

石川啄木「秋風記」より




 今年の四月に村上春樹さんの新作『街とその不確かな壁』を読んで、改めて、1980年に「文學界」に発表した後、封印されてしまった『街と、その不確かな壁』が無性に読みたくなった、と以前に書いた。その後、神田の古本屋を巡ったり、サイトをチェックしたりしたが、この号の古本は高値がついて、もはや手が出せる金額ではない。半ば諦めかけていたところ、先日、古くからの友人が「その号なら、うちにあるよ」とのこと。その場で貸してもらえることになった。感謝。さすが、早稲田一文卒業の友である。

文學界

 作者はどうしてこの最初のバージョンを封印したかったのだろう。確かに、プロローグやエピローグ部分が概念的過ぎたり、蛇足な感じがしないでもないが、はたして全体の完成度だけの問題なのだろうか?
 いや、それよりもなによりも、ラストの主人公の行為である。主人公は自分の「影」とともに、あの「たまり」から壁のある街の外に脱出するのか、内に留まるのか。自分の創り出した概念に責任を持つのか、不条理だらけの現実に立ち戻るのか、いったいどちらを選択すべきなのか。この小説の究極とも思えるテーマについて、改めて考えさせられることになった。

 
 吉田修一さんの「横道世之介」シリーズ第三弾。そして、おそらくはこれが完結編。第一弾から読んでいるので主人公の運命はあらかじめ分かっているのに、こんなにも明るく楽しい気持ちになれるのはなぜだろう? その答えは世之介が書いた手紙の中にあった。

 人生の時間ってさ、みんな少し多めにもらってるような気がするんだ。自分のためだけに使うには少しだけ多い。だから誰かのために使う分もちゃんとあって、その誰かが大切な人や困ってる人だとしたら、それほどいい人生はないと俺は思います。
吉田修一『永遠と横道世之介』(毎日新聞出版、2023)下巻、p.382


 舞台は吉祥寺(の南)、そして鎌倉。綿100%の生成のTシャツで十分に心地良かった頃の、穏やかな夏の日を思い出させてくれる小説である。

kamakura

Summilux 35mm f1.4 2nd + α7s

熊本の礎石

Elmar 50mm f3.5 (nickel,full rotation) + Ⅲ (DⅢ) + Acros100 II


 熊本の五高記念館にて。




 村上春樹さんの新作『街とその不確かな壁』読了。良くも悪くも、長年村上作品を読み続けてきた者にとっては想定内の読後感だった。第一部はかつての中編小説の書き直しなので当然と言えば当然なのだが(その後、既に一度書き直しにトライされているので今回は二度目ということになる)。
 読者である自分も40年近く前にそのままタイムスリップしていく。『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』。新卒で会社に入社して二年目の夏、この分厚い本を徹夜で読み切って会社に出社した日のことを思い出す。当時23歳。あの時の「壁」「古い夢」「影」たちが再び甦ってくる。その後、自分も30歳になり40歳になり、50歳になり、そして今では60歳を超えた。その中途中途で何度、こう思ったことだろう。

私はどうやら本格的に、習慣を自動的になぞって生きていく孤独な中年男になりつつあるようだ。
村上春樹『街とその不確かな壁』(新潮社、2023年)p.467

 それでもまだ、今でもこう思えるから、読者は村上作品を読み続けるのだと思う。

私の心には、私が十分に知り得ない領域がまだ少しは残っているのだろう。時間にも手出しできない領域が。
村上春樹『街とその不確かな壁』(新潮社、2023年)p.545

 改めて、最初に1980年に「文学界」に発表した後、封印されてしまった「街と、その不確かな壁」が無性に読みたくなった。同じ事を考えている読者が大勢いるだろうから「文学界」1980年9月号は更にプレミアムがついてますます入手困難だろうけれど。ならば国会図書館にでも行ってコピーを取ってくるしかないか(これも同じ事を考える人が大勢いそうだけれど)。



 都内にお花見の名所は多々あれど、江戸情緒を感じたいならやはり浅草、隅田公園。普段は台東区側から隅田川を望んでそのまま帰路につくことも多いが、久しぶりにリバーウォークを経由して墨田区側に渡ってみた。このあたりは堀辰雄の旧居跡としても知られている。堀辰雄と言えば軽井沢だが、幼少の頃は向島に住んでおり、当時のことは『幼年時代』などに細やかに描かれている。ここに記されている牛嶋神社の撫で牛もしかり。

 おばあさんは私の家にくると、いつも私のお守りばかりしていた。そうしておばあさんは大抵私を数町先きの「牛の御前」へ連れて行ってくれた。私はそのどこかメランコリックな目ざしをした牛が大へん好きだった。「まあ何んて可愛い目んめをして!」なんぞと、幼い私はその牛に向って、いつもおとなの人が私に向って言ったり、したりするような事を、すっかり見よう見真似で繰り返しながら、何度も何度もその冷い鼻を撫でてやっていた。その石の鼻は子供たちが絶えずそうやって撫でるものだから、光ってつるつるとしていた。それがまた私には何んともいえないなめらかな快い感触を与えたものものらしかった。……

堀辰雄『幼年時代・晩夏』(新潮文庫、昭和30年)p.12

牛

Summilux 35mm f1.4 2nd + M10-P

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