伊藤整は大好きな小説家・詩人のひとりで、二十代の頃から『雪明かりの路』『若い詩人の肖像』『典子の生きかた』『感傷夫人』『誘惑』『氾濫』などを耽読していた。でも、当時、『変容』だけは途中で読むのを止めてしまった。二十代の自分が読むにはあまりにも老獪な小説に思えたからだろう。『変容』は作家が六十四歳で亡くなる前の年に書かれた作品である。
そして時は過ぎ、いつの間にか自分が作家の没年を超える年齢になった。今ならば「若い詩人」ではなく、『変容』を書いた老人・伊藤整の心境がダイレクトに分かるのではと思い、初めてこの小説を最初から丁寧に読み進めることにした。
案の上、人生をある程度長く生きた者だけが腹落ちする文章が随所に散りばめられている。
色々なためらいや考が私と仕事との間に立ちふさがる。ほとんど六十年になろうとする私の生涯には、色々なことが起っている。ついに解決できないままで、心の安まらない思い出が幾つもある。仕事の向うと、真剣な気持ちになる。すると、その真剣な気持でさきにこれを解決してくれ、というように、不安定な思い出が目の前に浮び出るのだ。
伊藤整『変容』(岩波文庫、1983年)p.20
愛と言うのは、執着という醜いものにつけた仮りの、美しい嘘の呼び名かと、私はよく思います。しかし執着が悟りを経て浄化したときに、そこに漂う清らかな空気の中に浮かぶ心が愛であるのか、と思うことがあります。執着やねたみや憎しみのあるところには、やがてそれをこやしとして愛というものが咲き出るのかも知れません。
同上 p.135





