naotoiwa's essays and photos

カテゴリ: literature



 8月である。台風も去ってようやく梅雨が明けた。去年より一ヶ月も遅い。というか、去年の梅雨明けが異常に早すぎたのだけれど。でも、そのせいか、35度を超す猛暑日なのに、明け方には蜩がもうかまびすしく鳴いている。盛夏と晩夏がいっしょにやってきたみたい。まさに、太宰治が『ア、秋』で書いていることだなあとしみじみ思う。

 秋ハ夏ト同時ニヤッテ来ル。と書いてある。
 夏の中に、秋がこっそり隠れて、もはや来ているのであるが、人は、炎熱にだまされて、それを見破ることが出来ぬ。耳を澄まして注意をしていると、夏になると同時に、虫が鳴いているのだし、庭に気をくばって見ていると、桔梗の花も、夏になるとすぐ咲いているのを発見するし、蜻蛉だって、もともと夏の虫なんだし、柿も夏のうちにちゃんと実を結んでいるのだ。
 秋は、ずるい悪魔だ。夏のうちに全部、身支度をととのえて、せせら笑ってしゃがんでいる。


jizoh

Summicron 35mm f2 2nd + MM



 昨日、仕事の合間に三鷹市の芸術文化センターに太宰治を「聴き」に行った。太宰治朗読会は今年で19回目だという。毎年名だたる俳優の方が来る。今回は田中哲司さん。朗読する作品は「恥」と絶筆となった「グッド・バイ」。

グッドバイ


 素晴らしい舞台だった。田中さんの声色、表情は言うに及ばず、演出がいい。といっても大がかりな美術や映像があるわけでもなく、舞台にはシンプルな折りたたみ椅子がただひとつ。でも、田中さんは時に座りながら、時に舞台の袖から袖まで歩き回りながら、読み終える毎に原稿用紙を一枚ずつ床に落としていくのだ。それらが散乱し、やがて床を埋め尽くしていく。あとは最低限の効果音(SE)だけ。でも、役者の肉声とSEのみの究極の引き算の演出だからこそ、見る人、聴く人の感覚を揺さぶるのである。

 さて、太宰の「グッド・バイ」。編集者の田島と鴉声の美女キヌ子のやりとりが抱腹絶倒。最高にウィット&ユーモアに富んだコメディ作品である。

 朗読会が終わった。せっかくなので芸術文化センター隣の禅林寺にある太宰治の墓を久しぶりに訪ねてみることにする。白い百合の花がたくさん供せられていた。

 墓前にて。

 太宰治さん。やっぱりあなたはすごい人だ。「グッド・バイ」の13回目の連載を書いて6月13日が命日。出来過ぎている。どうやったら、そんなふうに軽やかに自分の人生の最後のシナリオを演出できるのですか? もしかしたら、あまりにへべれけに酔っ払っていて、なにがなんだかわからなくなってしまったのですか? あるいは、実は自分は死ぬつもりなんかなかったのですか? いったいどんな思いであなたは「グッド・バイ」と書いたのでしょうか。





 個人で仕事をする際の屋号は「もの・かたり。」にしている。英語で mono-cataly と表記しているのはカタリスト(catalyst) を意識してのことであるが、表現に携わる仕事をしている者にとって、「物語=ストーリーテリングとはなにか」というのは永遠のテーマである。

 先日、小川洋子さんとクラフト・エヴィング商會の『注文の多い注文書』を読んでいたら、あとがきに相当する『物と時間と物語』の中で以下のような文面を見つけた。まさにまさに。これ、ずっと思っていたことである。


H:そういえば、どうして物語の「もの」って「物」なんだろう。人間の「者」じゃなくて。
O:たしかに、人が語るものなのに不思議です。
A:きっと、「物」の方が物語を知っているんですね。
H:どうして、人も「もの=者」っていうのかな?
A:そういえば、物には魂がある、と昔の日本人は気づいてました。いまはみんな忘れちゃったみたいですけど、昔はそれが当たり前でした。
小川洋子 / クラフト・エヴィング商會『注文の多い注文書』(ちくま文庫、2019年)p.208

*Oは小川洋子さん、Hは吉田浩美さん、Aは吉田篤弘さん




 ガルシア・マルケスの『百年の孤独』。読み返すのはこれで何度目になるだろう? 単行本で400ページ以上。そう易々と読み続けられる本ではない。毎晩寝る前に20ページぐらい読む。その結果、あまりの虚無感で塞ぎ込むように目を閉じてしまうか、あるいは、むせかえるような熱気で目が冴えて、ベッドを抜け出しそのまま朝を迎えることになるか。毎晩、確率はふたつにひとつ。
 さて、そんなガルシア・マルケスの『百年の孤独』。何度読み返しても、いっこうに読み終えた感じがしない。ますます無限ループのなかに迷い込んでいく気分になる。世代が変わっても登場人物たちは親の名前を延々と継いでいく。結果、途中から誰が誰だかわからなくなる。双子のような兄弟は容姿も性格も正反対。けれどもどちらも同じ女と同衾したりする。保守党と自由党の区別は付かなくなり、100歳を過ぎても生き続ける女もいれば、死んだ後も亡霊として生き続ける男もいる。

 若い頃は鮮やかなストーリーメイカーに憧れた。四十代までは巧みなストーリーテラーに脱帽した。でも、最近は、神話の時代のオーラルな物語に立ち返ったような、ストーリーウィーバー(story weaver ストーリーを紡ぐ人)に心ときめく。ガルシア・マルケスは間違いなくその筆頭の作家だと思う。

胞子

GR 18.3mm f2.8 of GRⅢ



 ゴールデンウィークはどうやらずっと雨模様らしい。

rain


 雨に閉ぢ込められたまま、ジャック・フィニィの小説を読み進む。自己催眠で過去にタイムトラベリングする話だ。ジャック・フィニィは広告のコピーライターでもあったひと。彼が書く1940〜50年代のニューヨークの描写が好きである。

 いつものとおりの日だった。金曜日で、昼休みまであと二十分、勤務が終わる時間まで、そして週末まであと五時間、休暇まで十か月、定年まで三十七年ある。
ジャック・フィニィ/ 福島正実訳 『ふりだしに戻る(上巻)』(角川文庫)p.7


 こんな気分で戦後のNYの広告代理店に勤められるのなら、もう一度広告会社のサラリーマンをやってみるのも悪くないな、などと思ってみたりする。

 そして、同時に、G・ガルシア・マルケスを数年ぶりに読み直してみる。町中のひと全員が不眠症に陥る話が出てくる。

 この不眠症のもっとも恐ろしい点は眠れないということではない(体はまったく疲労を感じないのだから)、恐ろしいのは、物忘れという、より危険な状態へと容赦なく進行していくことだった。つまり、病人が不眠状態に慣れるにつれてその脳裏から、まず幼年時代の思い出が、つぎに物の名称と観念が、そして最後にまわりの人間の身元や自己の意識さえ消えて、過去を喪失した一種の痴呆状態に落ちいるというのだ。
G・ガルシア・マルケス / 鼓直訳 『百年の孤独』(新潮社)p.50

 眠れるどころか、一日じゅう目を覚ましたまま夢を見つづけた。そのような幻覚にみちた覚醒状態のなかで、みんなは自分自身の夢にあらわれる幻を見ていただけではない。ある者は、他人の夢にあらわれる幻まで見ていた。
同上 p.51

 過去を詳細に想い出す話と過去をすべて忘れ去ってしまう話。これらを交互に読み進めていくというのも悪くない、かも。



 さて、突然ですが、この春から、ちょいと古風な恋愛小説を一篇書いてみることにしました。一年間かけて毎月一章ずつ。そのくらいのペースだったら普段の仕事の合間を縫いながらでもなんとかなるのでは、と思った次第です。結果、合計8万字(400字詰め原稿用紙換算で200枚分)ぐらいの中編小説になればと考えています。

 完全書き下ろしなので、話の結末は今のところ全く決まっていません。タイトルも未定です。来年の三月に完成した際に、みなさんのご意見もお聞きしながら内容に相応しいタイトルを付けようと思っています。

 と言っても、元ネタになる素材があることはあるのです。あるひとの日記が手元にありまして、それを自由にアレンジしてよいという許可を得ています。

 もちろん、私には有明淑さんが書いた日記を名作「女生徒」に仕上げるような能力は到底ありません。ので、私の役割は、原文にはない意外性を織り交ぜながら文脈を整えていくクリエイティブディレクション&編集、といったところでしょうか。そういう意味では、普段仕事でやっていることとあまり変わりはありません。

 その日記は、東京近郊の、とある有名な街が舞台になっていました。これを小説に仕立ててみようと思い立ったのは、その街が、私自身にとっても若い頃から長年親しんできた大好きな場所だったからでもあります。

 まずは、プロローグ部分を書いてみました。こちらを読んで、もしも興味を持っていただけたら、来月から一章ずつ読み進めていってください。舞台となっているその街の、季節ごとのブンガク的な観光案内としても役立ててもらえればと思います。(本文中には、敢えてその街の名前も、観光スポットや店の名前も出しませんが、検索していただければそれぞれが何処のことなのかすぐにわかると思います)

 書く自分に緊張感を持たせるために、次回からは有料コンテンツにさせていただくかもしれませんが、その際はご了承ください。

 *では、始めたいと思います。こちらからどうぞ。



 僕はひとり、久しぶりに訪れたその街の、緩やかに蛇行する通りをゆっくりと歩いている。通りに沿って並んでいるカフェやレストラン、ギフトショップの建物に紛れてホテルが一軒建っている。それは、ずっと昔に廃業したはずのホテルだったりする。
 僕は通りを歩き続ける。風はそよとも吹かない。通りはオレンジ色の照明に照らされて、まるで映画のセットのようだ。ひょっとして、これは現実の世界ではないのかも、と僕は思い始める。だったら、それならそれで全然構やしないのだ。みんな拵えものでいいんじゃないの、と僕は思う。それにうつつを抜かして生きている人生で構わないんじゃないの、と僕は思う。プーシキンの「エレジー」を想い出しながら。


 もの狂おしき年つきの消えはてた喜びは、にごれる宿酔に似てこころを重くおしつける。
 すぎた日々の悲しみは、こころのなかで、酒のように、ときのたつほどつよくなる。
 わが道はくらく、わがゆくさきの荒海は、くるしみを、また悲しみを約束する。
 だが友よ、死をわたしはのぞまない。わたしは生きたい、ものを思い苦しむために。
 かなしみ、わずらい、愁いのなかにも、なぐさめの日のあることを忘れない。
 ときにはふたたび気まぐれな風に身をゆだね、こしらえごとにうつつを抜かすこともあるだろう。
 でも小気味のいい嘘を夢の力で呼びおこし、としつきはうつろい流れても。


清水邦夫『夢去りて、オルフェ』(1988年、レクラム社)

*原典はプーシキン詩集のなかの「エレジー」。金子幸彦氏の訳とは最後の部分が異なっているが、ここでは清水邦夫氏の戯曲での訳を引用。



 何年ぶりかに浄瑠璃寺を訪れた。今までに何度か、吉祥天や三重塔の中の薬師如来の特別開扉に合わせて足を運んだことがあるが、今回は、ただ満開の馬酔木の花を見るためだけに。

浄瑠璃寺2


 二時間あまりも歩きつづけたのち、漸っとたどりついた浄瑠璃寺の小さな門のかたわらに、丁度いまをさかりと咲いていた一本の馬酔木をふと見出したときだった。

 その小さな門の中へ、石段を二つ三つ上がって、はいりかけながら、「ああ、こんなところに馬酔木が咲いている。」と僕はその門のかたわらに、丁度その門と殆ど同じくらいの高さに伸びた一本の灌木がいちめんに細かな白い花をふさふさと垂らしているのを認めると、自分のあとからくる妻のほうを向いて、得意そうにそれを指さして見せた。


堀辰雄『浄瑠璃寺の春』


浄瑠璃寺1


photos taken by Summilux 35mm f1.4 2nd + M10-P



 四畳半とし云へば、何やら茶人めいたる清淡雅致の一室を聯想すべけれど、我が居室は幸にして然る平凡なるものにあらず。と云へば又、何か大仕掛のカラクリにてもある様なれど、さにもあらず。有体に自白すれば、我が四畳半は、蓋し天下の尤も雑然、尤もむさくるしき室の一ならむ。而して又、尤も暢気、尤も幸福なるものゝ一ならむ。

石川啄木『閑天地』


我が四畳半

GR 18.3mm f2.8 of GRⅡ



 ずっと日記をつけている。1997年からだから今年で22年目になる。毎日欠かさずと言いたいところだが、まとめて一週間分なんてことはザラにある。最近は記憶力が落ちて、一週間遡るのは至難の業だけれど。
 1997年は父親が死んだ年である。命日の1月7日からずっと日記をつけている。たぶん、あの時から自分の中のなにかが変わったんだろうと思う。それがなんなのかはよくわからないのだけれど。人生のウエイトレシオが未来から過去へとシフトする年だったのだろうか。36歳。71歳までの折り返し地点。ちなみに父親は71歳で亡くなった。

 で、最近思うこと。どうせならもっと早くから日記をつけていればよかった。つくづくそう思うのだ。二十歳の頃の、いやティーンエージャーだった頃の自分が日々なにを感じなにを思いどんな行動をしたのか、そのログデータの詳細を今見ることができたらと。そんなものを確認してどうする? でもやはり世界の謎の大半は自分自身の謎なわけで、それをこれからの残りの人生の中で解き明かしていかないとケリがつかないような気がして。

 ポール・オースターの自伝的小説の中に、以下のような文章がある。

 日誌でわからないのは、いったい誰に向けて語ればいいのかだった。自分に向けて語るのか、それとも誰か他人に向けてか。自分にだとすれば、なんとも奇妙でややこしい話に思える。なぜわざわざ自分がもう知っていることを自分に語るのか。

 あのころは君はまだ若く、やがて自分がどれだけ多くを忘れることになるかわかっていなかった。現在に没頭するあまり、実は未来の自分に宛てて書いているのだということが見えてなかったのだ。かくして君は日誌を放棄し、以後四十七年間、少しずつ、ほとんどすべてが失われていった。


ポール・オースター『内面からの報告書』(2017年、新潮社)、pp152-153


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