さて、論文の校正も終了した。自宅に戻ろう。ということで、大学の研究室の窓を閉めようとしたら、一匹のヤモリが窓に貼り付いていた。「さあ、そろそろ日も暮れるし、キミたちの活動の時間でしょ?」と窓枠のサッシを動かし、外に出そうとするが、ヤモリ君は窓のこちら側から動かない。「窓閉めるよ。来週までここには来ない。部屋の中には捕獲する虫はいないから、ここにずっといたら飢え死にしちゃうよ」……と言ってみても、やっぱりヤモリ君は動かない。そして、その黒い目で私の方をジッと見ている。「困った子だねえ」私はそっとやさしく掌でヤモリ君を掴むと(おびえるとヤモリは自分で自分の尾を切ってしまう)、プラスチックの虫籠(なぜか研究室にはそういうものまで置いてある)に入れて自宅まで持ち帰ることにした。
私は大のヤモリ好きである。あの手の形がたまらなくカワイイのだ。ヤモリだと勘違いして(実際はトカゲらしい)あのロゴの入ったアニエスべー の昔からのファンである。
先日、大好きな小川洋子さんの短編集『掌に眠る舞台』を読んでいたら、最後に「無限ヤモリ」と題された短編小説が掲載されていた。そこに、ヤモリの魅力が見事に集約されている。「五本の指が小さな花びらのようにパッと開いて」……まさに、まさに。
ヤモリをこれほど間近で眺めるのは初めてだった。改めてよく観察してみれば、彼らがいかに均整の取れた体つきをしているかが分かった。特に体調の半分ほどを占める尾はしなやかで、先端の一点までが細やかな動きを見せ、どんな形も自在に描くことができた。体の表面はゴツゴツしているが艶があり、背中に一筋盛り上がる背骨は思いのほかたくましかった。頭は整った菱形で、そこからはみ出すほどに大きな真っ黒い眼球は、思慮深く周囲の様子を窺っていた。しかし何より印象的なのは彼らの脚だった、くの字に折れ曲がったその先端に、五本の指が小さな花びらのようにパッと開いて虫篭の底に張りついていた、グロテスクな姿の中でその指だけが、不釣り合いに可愛らしかった。
小川洋子『掌に眠る舞台』(集英社文庫、2026年)p.256
さすが、小川洋子さん、と思わず唸ってしまった短編集。なぜタイトルが「無限ヤモリ」なのかは、読んでからのお楽しみ。オススメ!






