naotoiwa's essays and photos

カテゴリ: literature



 子どもの頃、歳をとった大人たちの歯を鳴らす音がイヤでイヤでたまらなかった。シーシー、チィッチィッ、シーハーシーハー。そうやって、爪楊枝を併用しながら歯の隙間に詰まった食べカスを取り除くのだ。そうして、彼らには厭な口臭があった。近づくと甘ったるい汚臭がぷんとした。幼い頃のボクは、彼らの歯を鳴らす音とその口臭を、憎悪していた。

 昨日、久しぶりに開高健さんのデビュー作『パニック』を読み返していたら(芥川賞作家の大岡玲さんが岩波文庫で『開高健短篇選』を出されています。大岡玲さんとは光栄にも現在の本務校でごいっしょさせていただいていています)以下のような文章が出てきた。

 課長は胃がわるいのでひどく口が匂う。出入業者に招待された宴会の翌朝など、まるでどぶからあがったばかりのような息をしていることがある。生温かく甘酸っぱい匂いだ。口だけでなく、手や首すじからもその匂いはにじみ出てくるようだ。白眼の部分にある黄いろくにごった縞を見ると、いつも、この男はくさりかけているなと思わせられる。

 課長は楊枝のさきについた血をちびちびなめた。俊介は息のかからないように机から体をひき、相手の不潔なしぐさをだまって眺めた。課長はひとしきり派の掃除をすませると、眼をあげ、日報の綴りをちらりとふりかえってたずねた。


開高健 / 大岡玲(編)『開高健短篇選』(岩波文庫)、pp11-12


 『パニック』における鼠のおぞましい異常繁殖と死の舞踏のイメージが、この課長の口臭の描写と見事に呼応している。

 さて、自分も今や、当時憎悪していた大人たちの年齢になってしまった。で、彼らがシーハーしたくなる気持が今ではよくわかる。歳をとると歯茎が後退してどうしても歯の間に隙間や歯周ポケットができてしまうのだ。そこに食べカスが溜まる。手のひらを口の前にかざして自分の息を吹きかけてみたら、ぷんとかすかにあの匂いがした。……自分もついに「くさりかけて」きたのだろうか? 



 喉がチリチリする。風邪かな? 熱はないようだけれど(ま、歳をとると体の反応が鈍くなるからあまり熱も出ないんだけれどね)、でもやっぱり体がだるい。

 ベッドに仰向けに寝ころんで耳にワイヤレスのイヤホンを突っ込み、apple watchでミュージックアプリを開く。チリー・ゴンザレスのピアノソロを選択する。apple watch、アナログの腕時計が好きなので今まではずっと敬遠していたのだけれど、やっぱりこれは便利。手元でほとんどのことがコントロールできる。リューズ部分を回せば音量調節も瞬時だ。




 それから、仰向けになったまま本を読み始める。一年遅れで文庫本になった江國香織さんの小説だ。冒頭でいきなり自分と同じ年齢の男の話が出てきてドキリとしたが、どうやらこれは作中作で、ほんとうの主人公は別にいるようだ。

 三十分も読んでいたらウトウトしてきた。いつのまにかブックカバーが外れてしまっている。ゴンザレスのピアノ曲も二番目のアルバムに移っている。細かい雨が降っている。水滴が窓硝子の表面で蠢いている。

 えっと、どこまで読んだんだっけ? ああ、ここからだ。

 これは地の文なのか、またまた作中作なのか。頭の中がぼんやりしている。頭の中にも少しずつ外の湿気が浸食してきてだんだんよくわからなくなってくる。ただ寝ぼけているだけなのかもしれないし、浅い夢を見ているのかもしれない。あるいはその夢の中でまた別の現実が始まっているのかもしれない。




 いちおう、ワタクシも研究者の端くれなので(汗)、年に一本は論文もしくは研究ノートを執筆すべく格闘している。今年の夏に取り組んでいるのは、現代の広告クリエイティブと近代日本文学を関連付ける考察で、今までにもよく言われていることだが、かの太宰治の文章をコピーライターの資質として改めて検証するというものである。現在、三鷹の太宰治文学サロンにてその名もズバリ「コピーライター太宰治」展だってやっているし、そうしたことを論じる近代日本文学の研究者の方々は以前からたくさんいらっしゃるが、広告クリエイティブの研究者や広告の実務制作者が太宰治のコピーライティングについて詳細分析している書籍や論文はあまり見たことがない。ので、ここは太宰ファン歴かれこれ四十年余のワタクシが奮闘してみようかと。コピーライティングの見地から改めて太宰作品を読み直してみると、やはり女性の一人称文体の「斜陽」や「女生徒」がわかりやすく秀逸である。

 恋、と書いたら、あと、書けなくなった。

 あさ、眼をさますときの気持は、面白い。

 などなど。でも、コピーライティングの究極の奥義は、実は「フォスフォレッスセンス」という小品に隠されているのではないか、というのが現段階での論旨である。その根拠は、……

 さて。コピーライティングとは関係ない話だが、太宰がこの「フォスフォレッスセンス」を書いたのは亡くなる前の年の5月か6月。この作品の後に「斜陽」「人間失格」そして絶筆となった「グッド・バイ」が続くが、ワタクシはこの「フォスフォレッスセンス」にこそ、太宰の死に対する想いが最も表れているように思う。後半に出てくる、夫が南方から帰ってこない「あのひと」は、ともに入水した山崎富栄がモデルであろうし。



 8月である。台風も去ってようやく梅雨が明けた。去年より一ヶ月も遅い。というか、去年の梅雨明けが異常に早すぎたのだけれど。でも、そのせいか、35度を超す猛暑日なのに、明け方には蜩がもうかまびすしく鳴いている。盛夏と晩夏がいっしょにやってきたみたい。まさに、太宰治が『ア、秋』で書いていることだなあとしみじみ思う。

 秋ハ夏ト同時ニヤッテ来ル。と書いてある。
 夏の中に、秋がこっそり隠れて、もはや来ているのであるが、人は、炎熱にだまされて、それを見破ることが出来ぬ。耳を澄まして注意をしていると、夏になると同時に、虫が鳴いているのだし、庭に気をくばって見ていると、桔梗の花も、夏になるとすぐ咲いているのを発見するし、蜻蛉だって、もともと夏の虫なんだし、柿も夏のうちにちゃんと実を結んでいるのだ。
 秋は、ずるい悪魔だ。夏のうちに全部、身支度をととのえて、せせら笑ってしゃがんでいる。


jizoh

Summicron 35mm f2 2nd + MM



 昨日、仕事の合間に三鷹市の芸術文化センターに太宰治を「聴き」に行った。太宰治朗読会は今年で19回目だという。毎年名だたる俳優の方が来る。今回は田中哲司さん。朗読する作品は「恥」と絶筆となった「グッド・バイ」。

グッドバイ


 素晴らしい舞台だった。田中さんの声色、表情は言うに及ばず、演出がいい。といっても大がかりな美術や映像があるわけでもなく、舞台にはシンプルな折りたたみ椅子がただひとつ。でも、田中さんは時に座りながら、時に舞台の袖から袖まで歩き回りながら、読み終える毎に原稿用紙を一枚ずつ床に落としていくのだ。それらが散乱し、やがて床を埋め尽くしていく。あとは最低限の効果音(SE)だけ。でも、役者の肉声とSEのみの究極の引き算の演出だからこそ、見る人、聴く人の感覚を揺さぶるのである。

 さて、太宰の「グッド・バイ」。編集者の田島と鴉声の美女キヌ子のやりとりが抱腹絶倒。最高にウィット&ユーモアに富んだコメディ作品である。

 朗読会が終わった。せっかくなので芸術文化センター隣の禅林寺にある太宰治の墓を久しぶりに訪ねてみることにする。白い百合の花がたくさん供せられていた。



 個人で仕事をする際の屋号は「もの・かたり。」にしている。英語で mono-cataly と表記しているのはカタリスト(catalyst) を意識してのことであるが、表現に携わる仕事をしている者にとって、「物語=ストーリーテリングとはなにか」というのは永遠のテーマである。

 先日、小川洋子さんとクラフト・エヴィング商會の『注文の多い注文書』を読んでいたら、あとがきに相当する『物と時間と物語』の中で以下のような文面を見つけた。まさにまさに。これ、ずっと思っていたことである。


H:そういえば、どうして物語の「もの」って「物」なんだろう。人間の「者」じゃなくて。
O:たしかに、人が語るものなのに不思議です。
A:きっと、「物」の方が物語を知っているんですね。
H:どうして、人も「もの=者」っていうのかな?
A:そういえば、物には魂がある、と昔の日本人は気づいてました。いまはみんな忘れちゃったみたいですけど、昔はそれが当たり前でした。
小川洋子 / クラフト・エヴィング商會『注文の多い注文書』(ちくま文庫、2019年)p.208

*Oは小川洋子さん、Hは吉田浩美さん、Aは吉田篤弘さん




 ガルシア・マルケスの『百年の孤独』。読み返すのはこれで何度目になるだろう? 単行本で400ページ以上。そう易々と読み続けられる本ではない。毎晩寝る前に20ページぐらい読む。その結果、あまりの虚無感で塞ぎ込むように目を閉じてしまうか、あるいは、むせかえるような熱気で目が冴えて、ベッドを抜け出しそのまま朝を迎えることになるか。毎晩、確率はふたつにひとつ。
 さて、そんなガルシア・マルケスの『百年の孤独』。何度読み返しても、いっこうに読み終えた感じがしない。ますます無限ループのなかに迷い込んでいく気分になる。世代が変わっても登場人物たちは親の名前を延々と継いでいく。結果、途中から誰が誰だかわからなくなる。双子のような兄弟は容姿も性格も正反対。けれどもどちらも同じ女と同衾したりする。保守党と自由党の区別は付かなくなり、100歳を過ぎても生き続ける女もいれば、死んだ後も亡霊として生き続ける男もいる。

 若い頃は鮮やかなストーリーメイカーに憧れた。四十代までは巧みなストーリーテラーに脱帽した。でも、最近は、神話の時代のオーラルな物語に立ち返ったような、ストーリーウィーバー(story weaver ストーリーを紡ぐ人)に心ときめく。ガルシア・マルケスは間違いなくその筆頭の作家だと思う。

胞子

GR 18.3mm f2.8 of GRⅢ



 ゴールデンウィークはどうやらずっと雨模様らしい。

rain


 雨に閉ぢ込められたまま、ジャック・フィニィの小説を読み進む。自己催眠で過去にタイムトラベリングする話だ。ジャック・フィニィは広告のコピーライターでもあったひと。彼が書く1940〜50年代のニューヨークの描写が好きである。

 いつものとおりの日だった。金曜日で、昼休みまであと二十分、勤務が終わる時間まで、そして週末まであと五時間、休暇まで十か月、定年まで三十七年ある。
ジャック・フィニィ/ 福島正実訳 『ふりだしに戻る(上巻)』(角川文庫)p.7


 こんな気分で戦後のNYの広告代理店に勤められるのなら、もう一度広告会社のサラリーマンをやってみるのも悪くないな、などと思ってみたりする。

 そして、同時に、G・ガルシア・マルケスを数年ぶりに読み直してみる。町中のひと全員が不眠症に陥る話が出てくる。

 この不眠症のもっとも恐ろしい点は眠れないということではない(体はまったく疲労を感じないのだから)、恐ろしいのは、物忘れという、より危険な状態へと容赦なく進行していくことだった。つまり、病人が不眠状態に慣れるにつれてその脳裏から、まず幼年時代の思い出が、つぎに物の名称と観念が、そして最後にまわりの人間の身元や自己の意識さえ消えて、過去を喪失した一種の痴呆状態に落ちいるというのだ。
G・ガルシア・マルケス / 鼓直訳 『百年の孤独』(新潮社)p.50

 眠れるどころか、一日じゅう目を覚ましたまま夢を見つづけた。そのような幻覚にみちた覚醒状態のなかで、みんなは自分自身の夢にあらわれる幻を見ていただけではない。ある者は、他人の夢にあらわれる幻まで見ていた。
同上 p.51

 過去を詳細に想い出す話と過去をすべて忘れ去ってしまう話。これらを交互に読み進めていくというのも悪くない、かも。



 僕はひとり、久しぶりに訪れたその街の、緩やかに蛇行する通りをゆっくりと歩いている。通りに沿って並んでいるカフェやレストラン、ギフトショップの建物に紛れてホテルが一軒建っている。それは、ずっと昔に廃業したはずのホテルだったりする。
 僕は通りを歩き続ける。風はそよとも吹かない。通りはオレンジ色の照明に照らされて、まるで映画のセットのようだ。ひょっとして、これは現実の世界ではないのかも、と僕は思い始める。だったら、それならそれで全然構やしないのだ。みんな拵えものでいいんじゃないの、と僕は思う。それにうつつを抜かして生きている人生で構わないんじゃないの、と僕は思う。プーシキンの「エレジー」を想い出しながら。


 もの狂おしき年つきの消えはてた喜びは、にごれる宿酔に似てこころを重くおしつける。
 すぎた日々の悲しみは、こころのなかで、酒のように、ときのたつほどつよくなる。
 わが道はくらく、わがゆくさきの荒海は、くるしみを、また悲しみを約束する。
 だが友よ、死をわたしはのぞまない。わたしは生きたい、ものを思い苦しむために。
 かなしみ、わずらい、愁いのなかにも、なぐさめの日のあることを忘れない。
 ときにはふたたび気まぐれな風に身をゆだね、こしらえごとにうつつを抜かすこともあるだろう。
 でも小気味のいい嘘を夢の力で呼びおこし、としつきはうつろい流れても。


清水邦夫『夢去りて、オルフェ』(1988年、レクラム社)

*原典はプーシキン詩集のなかの「エレジー」。金子幸彦氏の訳とは最後の部分が異なっているが、ここでは清水邦夫氏の戯曲での訳を引用。



 何年ぶりかに浄瑠璃寺を訪れた。今までに何度か、吉祥天や三重塔の中の薬師如来の特別開扉に合わせて足を運んだことがあるが、今回は、ただ満開の馬酔木の花を見るためだけに。

浄瑠璃寺2


 二時間あまりも歩きつづけたのち、漸っとたどりついた浄瑠璃寺の小さな門のかたわらに、丁度いまをさかりと咲いていた一本の馬酔木をふと見出したときだった。

 その小さな門の中へ、石段を二つ三つ上がって、はいりかけながら、「ああ、こんなところに馬酔木が咲いている。」と僕はその門のかたわらに、丁度その門と殆ど同じくらいの高さに伸びた一本の灌木がいちめんに細かな白い花をふさふさと垂らしているのを認めると、自分のあとからくる妻のほうを向いて、得意そうにそれを指さして見せた。


堀辰雄『浄瑠璃寺の春』


浄瑠璃寺1


photos taken by Summilux 35mm f1.4 2nd + M10-P

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