naotoiwa's essays and photos

カテゴリ: literature



 伊藤整は大好きな小説家・詩人のひとりで、二十代の頃から『雪明かりの路』『若い詩人の肖像』『典子の生きかた』『感傷夫人』『誘惑』『氾濫』などを耽読していた。でも、当時、『変容』だけは途中で読むのを止めてしまった。二十代の自分が読むにはあまりにも老獪な小説に思えたからだろう。『変容』は作家が六十四歳で亡くなる前の年に書かれた作品である。
 そして時は過ぎ、いつの間にか自分が作家の没年を超える年齢になった。今ならば「若い詩人」ではなく、『変容』を書いた老人・伊藤整の心境がダイレクトに分かるのではと思い、初めてこの小説を最初から丁寧に読み進めることにした。

 案の上、人生をある程度長く生きた者だけが腹落ちする文章が随所に散りばめられている。

 色々なためらいや考が私と仕事との間に立ちふさがる。ほとんど六十年になろうとする私の生涯には、色々なことが起っている。ついに解決できないままで、心の安まらない思い出が幾つもある。仕事の向うと、真剣な気持ちになる。すると、その真剣な気持でさきにこれを解決してくれ、というように、不安定な思い出が目の前に浮び出るのだ。
伊藤整『変容』(岩波文庫、1983年)p.20


 愛と言うのは、執着という醜いものにつけた仮りの、美しい嘘の呼び名かと、私はよく思います。しかし執着が悟りを経て浄化したときに、そこに漂う清らかな空気の中に浮かぶ心が愛であるのか、と思うことがあります。執着やねたみや憎しみのあるところには、やがてそれをこやしとして愛というものが咲き出るのかも知れません。
同上 p.135

 
 中原中也に会いたくなって妙本寺を訪ねた。今年はこの時期に海棠の花も既に満開である。中原中也が小林秀雄といっしょにここを訪れたのは、亡くなる年の四月二十日のこと。

 小林秀雄が美学者然と、以下のように著述しているのに対して(『中原中也の思い出』より)、

 晩春の暮方、二人は石に腰掛け、海棠の散るのを黙つて見てゐた。花びらは死んだ様な空気の中を、まつ直ぐに間断なく、落ちてゐた。樹蔭の地面は薄桃色にべつとりと染まつてゐた。あれは散るのぢやない、散らしてゐるのだ、一とひら一とひらと散らすのに、吃度(きっと)順序も速度も決めてゐるに違ひない、何んといふ注意と努力、私はそんな事を何故だかしきりに考へてゐた。驚くべき美術、危険な誘惑だ、

 中也は素っ気なく以下のように記しているだけ。

 小林を誘つて日本一の海棠を見にゆく。大したこともなし。しかし、きれいなものなり。
『中原中也全集 第4巻 日記・書簡』(角川書店、1968年)p.268

 どちらも偉大な文学者。でも、中原中也はやはり特別。

妙本寺

海堂

Summilux 50mm f1.4 2nd + M9-P



 カフカの小篇、というか、まさに断片集を読んでいたら、こんな文章に遭遇した。そう言えば、自分も小さい頃、いつもこんな風なことばかり考えていたことを思い出す。この現実を装った世界のどこかに、つくりものの舞台のほころびが必ず隠れているはずだと。

 それにしても、カフカのレトリックはさすがである。劇場通りという名前の路地こそが現実であるということか。

 だれかがつくった贋の風景のなかで生きている。照明が明るくなれば朝で、すぐに暗くなればもう夜。単純なごまかしだ。しかし、舞台にいるあいだは、従わなければならない。ただ、もし逃げ出せるだけの力があるなら、そうしてもかまわないのだ。背景に向かっていって、スクリーンを切り裂き、そこに描かれた空がきれぎれの布となって舞うなかを通り抜け、そこらに置いてある小道具をとび越えて、現実の方へ、せまくて暗くて湿っぽい路地へと。その路地は、劇場に近いので昔から劇場通りと呼ばれてはいるが、本物の路地だし、本物が持つすべての深みをそなえている。

『カフカ断片集』(頭木弘樹編訳、新潮文庫、2024年)p.139


 
 この年末はエマヌエーレ・コッチャの『メタモルフォーゼの哲学』を読み耽っている。哲学書なのでもちろん難解な箇所も多々あるが、詩的な文章があちこちに散りばめられていて飽きることがない。(結果、多分に神秘主義的に感じてしまうこともあるのだけれど)

 ここ数ヶ月、無謀にも専門の広告表現のみならず、文学やアートの分野まで横断して、いわゆるポスト・ヒューマニズムの表現について論考する研究ノートと格闘しているのだけれど、その礎となる思想・哲学として、ガタリ(『三つのエコロジー』)やマトゥラーナとヴァレラの「オートポイエーシス理論」、あるいはハーマンの「オブジェクト指向存在論」、そしてモートンの『自然なきエコロジー』などを読み重ねているが、そうした中で、もっとも感覚的にしっくりというか、すっきりと入ってきたのがコッチャの『植物の生の哲学』だった。ので、現在、次作の『メタモルフォーゼの哲学』へと読み進んでいるわけである。なかでも「食事とメタモルフォーゼ」の章が特に感慨深かった。

 食べることが意味するのは、物質を自分の身体へ注入すること、成分とエネルギーを飲み込むことではない。食べることは、他者の生を自分の身体に注入することを意味している。

 生理学的な必要よりは、はるかに錬金術的な秘儀に類似したこの奇妙な作業

 栄養補給はたんに否定的な状態(生き延びる可能性を作り出すための栄養や能力が欠けていること)の帰結だとみなされることはできず、別の種を経由することで他者に出会い、別のものになる必然性を表している。

エマヌエーレ・コッチャ『メタモルフォーゼの哲学』(松葉類・宇佐美達朗 訳、勁草書房、2022年)
それぞれ p.97,p.96,p101 より引用

 
 本日、年越しのための滋養を付けるべく、自然薯を一本を買って(大和芋ではない)とろろ蕎麦を食べたが、これを読んでいたら、なにやら体全体が ”変態” しつつある気がしてきた!(生育の過程で形態が変わる方の ”変態” です、念のため)
 

 



 還暦を過ぎた後も、自分が老人になっていく実感というのはあまりなかったが、年を越して来年の3月には65歳になる。いよいよ名実ともに高齢者(前期だけれど高齢者は高齢者)の仲間入りである。定年まで(幸いにもの本務校は70歳定年)あと5年。
 健康面でもいろいろ出始めた。今までは血液検査で指摘されるのは高脂血症(ほぼ遺伝)だけだったのに、今年になって血糖値にアテンションが入ったり、血圧も一時的ではあるが160近くまで(下も100以上)数値があがってしまった。腹部エコー検査を受ければ、膵臓に嚢胞ありで一年間経過を見ましょうと言われる。コロナの時期でさえ、コロナ、インフルのみならず風邪ひとつ引かなかったのに、今年の秋から冬にかけは、一ヶ月以上鼻炎をこじらせ(副鼻腔炎)微熱が続いた。担当医曰く「免疫力が落ちているみたいですね」。

 この状態で定年を迎えて、前期高齢者が後期高齢者になった十年後にはいったいどうなっているんだろう……と思いながら、筒井康隆原作の映画『敵』をWOWOWで見た。東京国際映画祭でブランプリを受賞したこのモノクロ映画を見ているうちにひとごとではなくなってきた。長塚京三さん演じる主人公は元大学教授75歳。十年後には自分もそう呼ばれているのかもしれないし、孤独好きなわりに煩悩たっぷりなところも身につまされる。

 急いで原作を読むことにした。タイトルにある「敵」とは誰なのか何の象徴なのか、よりもなによりも、妄想と実生活のそのディテール描写に圧倒された。各章のタイトルを眺めているだけでも、老人の一日の生活(および性活)と妄想と哲学の連なり具合、重なり具合が凄まじい。

「朝食」「友人」「物置」「講演」「病気」「麺類」「鷹司靖子」「八畳」「郵便物」「老臭」「肉」「親族」「書斎」「買物」「性欲」「夜間飛行」「食堂」「通信」「預貯金」「昼寝」「野菜」「敵」「信子」「玄関」「遺言」「孤独」「供物」「酒」「珍客」「風呂」「自裁」「煙草」「大学」「映画」「睡眠」「戦闘」「神」「真善美」「侵略」「舞台」「幻聴」「春雨」 
筒井康隆『敵』(新潮文庫、2000年)より
「鷹司靖子」は昔の教え子の名前、「夜間飛行」は若い女学生のいるバーの名前、「信子」は亡くなった妻の名前


 あとがきの解説で川本三郎さんは以下のように書いている。

 現実社会が後退していくと、逆に、自分の周囲が接近してくる。それまでは、なんでもないものに見えた引き出しのなかのこまごまとした文房具が大事に思えてくる。だからそれを、昆虫採集家が虫を整理するように丹念に記述していく。現実社会という大きな世界が後退し、身のまわりの小さな世界が接近してくる。この遠近の逆転が面白い。

 そうなのだ。年を取って社会から引退してしまうと、たぶん人は、なにかをする理由、なにかをする目的よりも、ただただそれをどのように(自分の流儀で)するのかのディテール中心の生活になっていく。人間嫌いなところも多分にある自分の場合、そういう生活もけっこう楽しみだったりもするが、それもこれも健康寿命あってのこと。父親が亡くなった年齢に近づいてきている。体調管理に気を付けて来年から始まってしまう前期高齢者に備えないと。。

 高松にて。店主がコラムニストの文学カフェ&バーでしばし寛ぐ。

半空

FUJINON 35mm f1.4 ASPH. + X-T30Ⅱ


 内田百閒がよく食べていたという英字ビスケットとともにブレンドコーヒーをいただいた。この英字ビスケットのことが載っている文庫本を店主に見せてもらう。内田百閒「御馳走帖」(中公文庫)に所収の『百鬼園日暦』である。

 郵便や新聞を見終る前に、ビスケットを囓つて牛乳を飲む。これで朝飯を終るのである。ビスケットは英字の形をした余りあまくないのを常用してゐる。アイやエルは劃が少いので口に入れても歯ごたへがない。ビイやジイは大概腹の穴が潰れて一塊りになつてゐるから口の中でもそもそする。さう云ふ色色の形を指先で選り分けて摘んで食べる。p.55

 あはは。なるほどなるほど。他にも内田百閒らしい、ひとを食ったような文章が随所に見られる。

 午後ずつと仕事をしてゐても、私は間食は決してしない。ただひたすらに夕食を楽しみにしてゐる。一日に一ぺんしかお膳の前に坐らないのだから、毎日山海の珍具佳肴を要求する。p.56

 これじゃあ、晩飯つくるひとは大変ですね。

 蕎麦屋もすつかり馴れて必ず正午にお待ち遠様と云つて届ける。五分かせいぜい十分位までは腹が立たないが、それ以上遅れるとむしやくしやして来る。p.56

 でもって、短気である。この短気なところは他人ごとではない。なのに百閒は世間一般に言うところの神経質なひとではないようだ。

 夜は安眠する。八時間から十時間ぐらゐ眠りつづける事は何でもない。自分で随分賢いと思ふ事も多いが、こんな長い時間ぐうぐう寝てゐられるところを見ると、本当は腹のどこかにが抜けてゐるのではないかと疑はしくなる事もある。p.57

 こんなに安眠できるのだからうらやましい限りである。猫(ノラ)や小鳥を愛した百閒。学生達に愛された百閒。口は悪くとも心根の優しいひとだったんだろう。(なんて面と向かって言ったらどんな辛辣な言葉が返ってくることかw)




 中島敦の『光と風と夢』を再読中。これ、中島作品の中ではかなりの長編なので全集にしか収録されていないが、『かめれおん日記』や『山月記』以上に中島敦の代表作だと思う。芥川賞の候補にもなったという。『宝島』『ジギル博士とハイド氏』で有名なロバート・ルイス・スティヴンソンのサモア諸島での日記を装った小説。中島自身も同じく太平洋のパラオに滞在していたし、スティヴンソンは結核、中島は喘息。どちらも早逝している。スティヴンソン44歳、中島33歳。死生観も似ているのかもしれない。

 さて、自分も六十代も半ばを迎え、終活を考えることも多くなった。死ぬ時にどんな思いでいるのが自分らしいのか。中島やスティヴンソンには足下にも及ばないが、小さい頃から書くこと・表現することを存在の拠り処にしてきた者のひとりとして、以下のような文章を読むと感慨深い。自分もずっとそうしてきたし、今もそうしている。

 彼は外出の時いつも一冊のノートをポケットに持ち、路上で見るもの、聞くもの、考えついたことの凡てを、直ぐ其の場で文字に換えて見ることを練習した。其のノートには又彼の読んだ書物の中で「適切な表現」と思われたものが悉く書抜いてあった。

 だとしたら、

 死の冷たい手が彼をとらえる前に、どれだけの美しい「空想と言葉との織物」を織成すことが出来るか?

 これが、やっぱり人生の集大成としての価値基準なのではないだろうか。でも、こんな死に方もいい。キャプテン・ハミルトンが亡くなった夜に主人公が弔問に行った時の描写。

 一礼して私は表へ出た。月が明るく、オレンジの香が何処からか匂っていた。既に此の世の戦を終え、こんな美しい熱帯の夜、乙女等の唄に囲まれて静かに眠っている故人に対して、一種甘美な羨望の念を私は覚えた。

 そして、もしもこんな覚悟を持てたら最高の人生なんだろうなと思いつつ、『光と風と夢』を再読中。

 イエールでの喀血後、凡てのものに底が見えて来たように感じた。私は最早何事にも希望を抱かぬ。死蛙の如くに。私は、凡ての事に、落着いた絶望を以て這入って行く。宛(あたか)も、海へ行く場合、私が何時も溺れることを確信して行くのと同様に。ということは、何も、自暴自棄になっているのではない。それ所か、私は、死ぬ迄快活さを失わぬであろう。此の確信ある絶望は、一種の愉悦でさえある。


中島敦『光と風と夢』より
中島敦全集1(筑摩書房、1992年)所収
引用は順に、p.193、p.195、p.149、p.191



 最近、中島敦がなんだかまた無性に恋しくなって、久しぶりに横浜山手を歩くことにした。彼が勤めていた横浜高等女学校のあった元町幼稚園の碑文を眺め、喜久家の二階を仰ぎ、墓地公開中の外人墓地の、スイドモア氏の墓碑隣に建つ歌碑を確かめる。

スイドモア

中島敦

Nokton 35mm f1.4 Ⅱ SC + M9


 中島敦を最初に読んだのは中学三年生の時。例に漏れず『かめれおん日記』だった。それから『山月記』『李陵』『光と風と夢』と読み進み、あっという間に全集に所収されていた作品のほとんどを読んでしまった。中島敦は33歳で亡くなっている。寡作の作家である。

 戦前の作家、早逝の作家と聞くと自意識たっぷりの私小説風の作風を想像するが(それはそれで嫌いではないのだけれど)、中島作品はそうした時代の雰囲気を鮮やかにヌケている。たしかに「かめれおん日記」も私小説的な構成になってはいるものの、かめれおんの飼育に絡めているところはポストヒューマンセントリックである。

 『狐憑』もそう。主人公のシャクはいろんな動物に取り憑かれる。

 今までにも憑きもののした男や女はあったが、こんなに種々雑多なものが一人の人間にのり移った例はない。ある時は、この部落の下の湖を泳ぎ廻る鯉がシャクの口を仮りて、鱗族達の生活の悲しさと楽しさを語った。ある時は、トオラス山の隼が、湖と草原と山脈と、またその向うの鏡のごとき湖との雄大な眺望について語った。草原の牝狼が、白けた冬の月の下で飢に悩みながら一晩中凍てた土の上を歩き廻る辛さを語ることもある。

 そして、中島作品がなによりも魅力的なのは、南洋の島々や、古代中国から古代エジプトやアッシリアまでと飛翔する彼の博識とそれを拡張する想像力である。昭和15年から17年にかけてのあの時期の日本で、どうやってこんなにも自在に時空を越えてゆけたのだろうか。

 そんな中島敦の小説の中で、繰り返して語られるテーマが文字の功罪。アッシリアの図書館を題材にした『文字禍』では、

 いつしかその文字が解体して、意味の無い一つ一つの線の交錯としか見えなくなって来る。単なる線の集りが、なぜ、そういう音とそういう意味とを有つことが出来るのか、そうしても解らなくなって来る。

 これなんぞはゲシュタルト崩壊そのもの。

 魂によって統べるられない手・脚・頭・爪・腹等が、人間ではないように、一つの霊がこれを統べるのではなくて、どうして単なる線の集合が、音と意味を有つことが出来ようか。

 文字の無かった昔、ビル・ナピシュチムの洪水以前には、喜びも智慧もみんな直接に人間の中にはいって来た。

 老博士は浅薄な合理主義を一種の病と考えた。そして、その病をはやらせたものは、疑もなく、文字の精霊である。

 君やわしらが、文字を使って書きものをしとるなどと思ったら大間違い。わしらこそ彼等文字の精霊にこき使われる下僕じゃ。

 人間の身体を見ても、その通り。みんな意味の無い奇怪な形をした部分部分に分析されてしまう。(中略)眼に見えるものばかりではない。人間の日常の営み、すべての習慣が、同じ奇体な分析病のために、全然今までの意味を失ってしまった。

 『悟浄出世』にも同じような指摘が描かれている。

 生きておる智慧が、そんな文字などという死物で書留められる訳がない。それは、煙をその形のままに手で執えようとするにも似た愚しさであると、一般に信じられておった。従って、文字を解することは、かえって生命力衰退の徴候として斥けられた。


 最近、強い文脈で書かれた言葉を目の当たりにすると引いてしまう。ストーリーテリングよりもストーリーウィービング。書き言葉よりも話し言葉。程度の差こそあれ、コトバに対して悲喜こもごも対峙し続けたことのある者ならばかならず行き着く(というか戻り来る)はずのこのことを、戦時下の日本においてズバリと示唆している中島敦が、今ふたたび、なんとも無性に恋しくて仕方がないのである。

*引用はすべて、中島敦『ちくま日本文学全集 中島敦』(筑摩書房、1992年)による
『狐憑』は p.172 『文字禍』は順に p.192、p.193、p.195、p.197、p.200、p.201『悟浄出世』は p.367より



 遅まきながら岩井圭也さんの『文身』を拝読した。「私小説」「文士」……今ではクラシック過ぎる言葉になってしまったあの世界を見事に蘇らせてくれている。ラスト近くの、主人公の娘が語る言葉が身に沁みる。

 小説と一心同体になった時、作家は文士になる。〈文身〉にそんな一節があった。私は文士が嫌いだった。世間に甘えて、破天荒な生き方を許してもらおうとする身勝手な存在。だが今は、そこに無上の憧れを感じている。小説と一心同体になることは、不滅の命を得ることに等しい。私は文字列として、いつまでも生き続けられる。大切な人に忘れ去られることもなく、永遠に。
岩井圭也『文身』(祥伝社文庫、令和5年初版、p.339)


 小説が現実を模倣するのか、あるいは現実が小説を模倣するのか。……これは芸術とは何かを考える際の永遠のテーマでもある。例えば、オスカー・ワイルドの「芸術至上主義」。

 ぼくの指摘したいのはただ「藝術」が「人生」を模倣するよりはるか以上に「人生」こそ「藝術」を模倣するという一般原理だけなのだ、
オスカー・ワイルド / 西村孝次 訳『嘘の衰退 ひとつの観察』
『オスカー・ワイルド全集 4』(青土社、1989年)に所収。p.37


 以前、大学の紀要に書いた竹久夢二研究のノートでも、川端康成の『末期の眼』の中の一節を引用させていただいたことがある。

 伊香保で会う数年前、芥川竜之介氏の弟子のような渡辺庫輔氏に引っぱられて、夢二氏の家を訪れたことがある。夢二氏は不在であった。女の人が鏡の前に坐っていた。その姿が全く夢二氏の絵そのままなので、私は自分の眼を疑った。やがて立ち上って来て、玄関の障子につかまりながら見送った。その立居振舞、一挙手一投足が、夢二氏の絵から抜け出したとは、このことなので、私は不思議ともなんとも言葉を失ったほどだった。画家がその恋人が変れば、絵の女の顔なども変るのは、おきまりである。小説家だって同じだ。芸術家でなくとも、夫婦は顔が似て来るばかりでなく、考え方も一つになってしまう。少しも珍らしくないが、夢二氏の絵の女は特色がいちじるしいだけ、それがあざやかだったのである。あれは絵空事ではなかったのである。夢二氏が女の体に自分の絵を完全に描いたのである。芸術の勝利であろうが、またなにかへの敗北のようにも感じられる。
川端康成(著)川西政明(編)『川端康成随筆集』(岩波文庫、2013年、pp.24-25)


 表現に携わる者はみな、程度の差こそあれ、フィクションがリアルを創る、と考えているのではないだろうか。


「あなたは自分の完璧さについての幻想を捨てるべきだと思うわ。自分でも幻想だとよくご存じのはずですから。ほかの人間とうまくやっていくことを学ぶべきよ。英雄の時代は終わったの。いまは人間の時代。あなたが想像しているよりもずっと深い意味でね。人はもう聖人にならなくていいし、罪を罰せられることもないの。誰が正しいわけでも間違っているわけでもなくて、みな同じ運命、みな同じ人間——そして人間は完璧じゃない。明日かれらの間違いを証明してもあなたが得るものは何もない。ただそうするのが現実的だから、こころよく降参しなきゃいけないの。かれらが間違っているからこそ、あなたは黙っているべきなの。そのことで感謝されるでしょう。譲歩しなさいよ。そうすれば相手も譲歩してくるわ。持ちつ持たれつ。与えて受け取るの。折り合いをつけるの。それがこの時代のやり方。あなたも受け入れるときと。そんなことをするには善良すぎるなんて言わせないわ。そうじゃないことはわかっているはずよ。わたしがそれを知っていることも、あなたにはわかっているの」

アイン・ランド『肩をすくめるアトラス 第二部 二者択一』(2014年、アトランティス)p.216

 
 もちろん自分は全くもって聖人でも英雄でもないが、60歳を過ぎた今になっても、こうした言葉をなかなか素直に受け入れられない人間のままである。それで損をしたことは今までに何度もあるのだけれど。まあ、こればっかりは仕方がないですね。

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