カテゴリ: music
pretty summer world
酷暑が続く。亜熱帯、いや熱帯になってしまった日本。
もう、シアワセな夏の日は、二度と戻ってこないのかも。
アール・クルーのアコースティックインストルメンタルであの頃の軽やかな夏を思い出す。
Why don’t we take a little piece of summer sky Hang it on a tree?
For that’s the way to start to make a pretty world for you and for me
Night Song
古めかしいビルの最上階にその店はある。入口を入ってすぐのところに大きなスピーカーが置かれている。これだけ見るといかにも昔のジャズ喫茶風なのだが、店主はどうやら、大仰なビックバンドや汗が飛び散るような熱の籠もったサックスが好きではないらしく、いつ来ても、囁くようなピアノソロかインプロヴァイズドなアカペラのヴォイスが流れている。
その日かかっていたのは Sidsel Endrosenの「NightSong」。
年を取ると毎晩の睡眠時間のことばかり気にかかる。夜中に目が覚めても、すぐにまた眠りに付こうと躍起になる。若い頃のように、柔らかい人工的な明かりに照らされる夜を楽しむことを忘れてしまう。「NightSong」を今一度。壁にはマーク・ロスコの複製画が架かっている。
いつまでも続く音楽
安らかに。
Bobby Caldwell passed away
京都で浪人時代を送っていた頃、この曲ばかり聴いていた。
人生がメロウだった頃。
1989年
1989年。アルバム「天晴」。
高橋幸宏さんと桐島かれんさん、カッコ良すぎ。
If you were coming in the Fall
大好きなエミリー・ディキンソンの詩のイメージに相応しい曲調だと思う。
If you were coming in the Fall,
I'd brush the Summer by
With half a smile, and half a spurn,
as Housewives do, a Fly.
If I could see you in a year,
I'd wind the months in balls ー
And put them each in separate Drawers,
For fear the numbers fuse ー
If only Centuries, delayed,
I'd count them on my Hand.
Subtracting, till my fingers dropped
Into Van Dieman's Land.
If certain, when this life was out ー
That yours and mine, should be
I'd toss it yonder, like a Rind,
and take Eternity.
But, now, uncertain of the length
Of this, that is between,
It goads me, like the Goblin Bee ー
That will not state ー its sting.
I'd brush the Summer by
With half a smile, and half a spurn,
as Housewives do, a Fly.
If I could see you in a year,
I'd wind the months in balls ー
And put them each in separate Drawers,
For fear the numbers fuse ー
If only Centuries, delayed,
I'd count them on my Hand.
Subtracting, till my fingers dropped
Into Van Dieman's Land.
If certain, when this life was out ー
That yours and mine, should be
I'd toss it yonder, like a Rind,
and take Eternity.
But, now, uncertain of the length
Of this, that is between,
It goads me, like the Goblin Bee ー
That will not state ー its sting.
亀井俊介(編)『対訳 ディキンソン詩集』(岩波文庫、1998年)pp.130-133
あなたのとりこ
ジャンクカメラ&レンズを数千円で買ってしまった。といっても、外観も機関も新品同様。殆ど未使用のまま30年余、どこかに埋もれていたらしい。でも、カメラの価値としては現在ではほとんどゼロに等しい代物だ。キヤノンの一眼レフEOS630ズームレンズ付き。発売は1989年。
昔々、バブル真っ盛りの頃にこのカメラを買ったことがある。若い頃から機械式のマニュアルカメラが好きで、こうしたオートフォーカスのプラカメ一眼レフには基本的に興味がなかった自分が、二十代の最後にこのカメラだけは買った。理由はEOS630のCMに使われていた曲がシルヴィ・バルタンの「Irrésistiblement(邦題:あなたのとりこ)」だったからだ。中学生の頃からシルヴィ・バルタンに憧れていたカメラ少年が、三十才になる直前に広告に惑わされて(?)EOS630を買い、これにポジフィルムを詰めて鎌倉中のいろんな場所を巡った。
あれから三十年。ずいぶんと久しぶりにフィルムをEOS630に入れファインダーを覗き、シャッターボタンを押してみた。オートフォーカスの「ピ、ピ、ピッ」という音はうるさいけど、見かけの割にとても軽くて(さすがプラカメ!)スピーディに撮れることこの上ない。途中でフィルムを巻き上げたくなった場合もボタンひとつでOK。

EF50mm f1.4 + EOS630 + Fuji100
耽美派
昔からの友人に「オマエ、若い頃からずっと耽美派のままだよね」とからかわれることが多い。ようはいい年をして相も変わらず社会性が足りないということなのだろう。おっしゃる通りかもしれぬ。でも、それって自分固有の特性なんだろうか。ひょっとしてそれは、80年代に青春の真っ只中にあった我々世代全体に共通する特性だったりするのではないだろうか。近頃、ふとそんな風に思う。
あの頃、我々の最大の関心事は「社会」ではなく「個人」にあった。「個人」対「個人」、そして、その究極が「恋愛」だった。今から思えば、我々はかなりの時間とお金と戦略と情緒を「恋愛」に惜しげもなく注ぎ込んでいたのではないだろうか。誠心誠意、ロマンティックに身も心も捧げていたのだ。耽美的に。
1981年に大橋純子が唄った「シルエット・ロマンス」(作詞:来生えつこ、作曲:来生たかお)の歌詞の一節は「ああ あなたに 恋心盗まれて もっとロマンス 私に仕掛けてきて ああ あなたに 恋模様染められて もっとロマンス ときめきを止めないで」であり、1985年にC-C-Bが歌った「Romanticが止まらない」(作詞:松本隆、作曲:筒美京平)の歌詞の一節は「誰か Romantic 止めて Romantic 胸が 胸が 苦しくなる 走る 涙に 背中 押されて Hold me tight せつなさは 止まらない」である。
あるいは、1984年にアン・ルイスが唄った「六本木心中」(作詞:湯川れい子)、1986年に中森明菜が唄った「DESIRE-情熱」(作詞:阿木燿子)、どちらも曲のタイトルや歌詞がきわめて刹那的かつ耽美的。そして、どちらの曲もリードギターがむせび泣く。
時代はその後80年代の後半に入り、いわゆるバブル期を迎えるわけで、そうした社会動静の中で、どうして我々の嗜好がかくも耽美的、刹那的、アンニュイな方向に向かっていたのか。改めて80年代の文化論を研究してみたくなるのである。自分自身の青春の出自を見つめ直すことも兼ねて。

Oplar 5cm f2.8 + FOCA PF3☆ + Fuji100 +Color Efex Pro
横須賀馴染み?
先日、仕事で横浜方面に用事があったので、帰りに久しぶりに定番のコースを散歩してみた。桜木町駅からウォーターフロントへ出て、日本丸メモリアルパーク、みなとみらいの風景を眺めながら運河パークを渡って赤レンガ倉庫へ。そのまま山下公園に行って氷川丸を眺め、ホテルニューグランドから海を離れ中華街を経由して石川町駅へ。暖かくて桜も咲き始めていたし、潮風を感じながらの横浜は心地よい。

この街にじっくりと腰を据えて住んだのは一年足らずだけど(山手のイタリア山公園の近くに住んでいた)、若い頃からずっと憧れの街だった。大学生になりたての頃、「プロハンター」という横浜の街を舞台にしたテレビドラマがあって(藤竜也さん、草刈正雄さん、柴田恭兵さん)、クリエイションのアイ高野さんが唄っていた主題歌の「ロンリー・ハート」を毎週聞いていた。今でもよく歌詞を覚えているが、恥ずかしながら最近になって自分が大きな勘違いをしていたことに気がついた。向田邦子さんの「眠る杯」(「巡る杯」の聞き間違い)「夜中の薔薇」(「野中の薔薇」の聞き間違い)の類いである。問題の箇所は「天使の空、星が泳ぎ、俺たち汚す悲しみも」のところである。このドラマ、横浜エリアが舞台だったので、この後半部分をずっと「俺たち横須賀馴染みも」だとばかり思っていたというお話。(ま、一度改めてみなさんも聞いてみて下さい)
まあ、その勘違いはともかく。自分の中では横浜は常に異国情緒たっぷりのカッコいい街であり続けた(まさに「薄荷たばこふかしてBLUESY」)。あれから約40年、その間にこのウォーターフロントエリアもずいぶんと新しく整備されていったが、山下公園の氷川丸と「赤い靴はいてた女の子像」、そしてニューグランドの旧館は変わっていない。

all photos taken by Jupiter-12 35mmf2.8 + KIEV ⅣaM + Lomo100