naotoiwa's essays and photos

カテゴリ: music



 ジャンクカメラ&レンズを数千円で買ってしまった。といっても、外観も機関も新品同様。殆ど未使用のまま30年余、どこかに埋もれていたらしい。でも、カメラの価値としては現在ではほとんどゼロに等しい代物だ。キヤノンの一眼レフEOS630ズームレンズ付き。発売は1989年。

 昔々、バブル真っ盛りの頃にこのカメラを買ったことがある。若い頃から機械式のマニュアルカメラが好きで、こうしたオートフォーカスのプラカメ一眼レフには基本的に興味がなかった自分が、二十代の最後にこのカメラだけは買った。理由はEOS630のCMに使われていた曲がシルヴィ・バルタンの「Irrésistiblement(邦題:あなたのとりこ)」だったからだ。中学生の頃からシルヴィ・バルタンに憧れていたカメラ少年が、三十才になる直前に広告に惑わされて(?)EOS630を買い、これにポジフィルムを詰めて鎌倉中のいろんな場所を巡った。

 あれから三十年。ずいぶんと久しぶりにフィルムをEOS630に入れファインダーを覗き、シャッターボタンを押してみた。オートフォーカスの「ピ、ピ、ピッ」という音はうるさいけど、見かけの割にとても軽くて(さすがプラカメ!)スピーディに撮れることこの上ない。途中でフィルムを巻き上げたくなった場合もボタンひとつでOK。

red shoes

EF50mm f1.4 + EOS630 + Fuji100








 昔からの友人に「オマエ、若い頃からずっと耽美派のままだよね」とからかわれることが多い。ようはいい年をして相も変わらず社会性が足りないということなのだろう。おっしゃる通りかもしれぬ。でも、それって自分固有の特性なんだろうか。ひょっとしてそれは、80年代に青春の真っ只中にあった我々世代全体に共通する特性だったりするのではないだろうか。近頃、ふとそんな風に思う。
 あの頃、我々の最大の関心事は「社会」ではなく「個人」にあった。「個人」対「個人」、そして、その究極が「恋愛」だった。今から思えば、我々はかなりの時間とお金と戦略と情緒を「恋愛」に惜しげもなく注ぎ込んでいたのではないだろうか。誠心誠意、ロマンティックに身も心も捧げていたのだ。耽美的に。

 1981年に大橋純子が唄った「シルエット・ロマンス」(作詞:来生えつこ、作曲:来生たかお)の歌詞の一節は「ああ あなたに 恋心盗まれて もっとロマンス 私に仕掛けてきて ああ あなたに 恋模様染められて もっとロマンス ときめきを止めないで」であり、1985年にC-C-Bが歌った「Romanticが止まらない」(作詞:松本隆、作曲:筒美京平)の歌詞の一節は「誰か Romantic 止めて Romantic 胸が 胸が 苦しくなる 走る 涙に 背中 押されて Hold me tight せつなさは 止まらない」である。
 あるいは、1984年にアン・ルイスが唄った「六本木心中」(作詞:湯川れい子)、1986年に中森明菜が唄った「DESIRE-情熱」(作詞:阿木燿子)、どちらも曲のタイトルや歌詞がきわめて刹那的かつ耽美的。そして、どちらの曲もリードギターがむせび泣く。

 時代はその後80年代の後半に入り、いわゆるバブル期を迎えるわけで、そうした社会動静の中で、どうして我々の嗜好がかくも耽美的、刹那的、アンニュイな方向に向かっていたのか。改めて80年代の文化論を研究してみたくなるのである。自分自身の青春の出自を見つめ直すことも兼ねて。

yellow

Oplar 5cm f2.8 + FOCA PF3☆ + Fuji100 +Color Efex Pro






 先日、仕事で横浜方面に用事があったので、帰りに久しぶりに定番のコースを散歩してみた。桜木町駅からウォーターフロントへ出て、日本丸メモリアルパーク、みなとみらいの風景を眺めながら運河パークを渡って赤レンガ倉庫へ。そのまま山下公園に行って氷川丸を眺め、ホテルニューグランドから海を離れ中華街を経由して石川町駅へ。暖かくて桜も咲き始めていたし、潮風を感じながらの横浜は心地よい。

cherry

 この街にじっくりと腰を据えて住んだのは一年足らずだけど(山手のイタリア山公園の近くに住んでいた)、若い頃からずっと憧れの街だった。大学生になりたての頃、「プロハンター」という横浜の街を舞台にしたテレビドラマがあって(藤竜也さん、草刈正雄さん、柴田恭兵さん)、クリエイションのアイ高野さんが唄っていた主題歌の「ロンリー・ハート」を毎週聞いていた。今でもよく歌詞を覚えているが、恥ずかしながら最近になって自分が大きな勘違いをしていたことに気がついた。向田邦子さんの「眠る杯」(「巡る杯」の聞き間違い)「夜中の薔薇」(「野中の薔薇」の聞き間違い)の類いである。問題の箇所は「天使の空、星が泳ぎ、俺たち汚す悲しみも」のところである。このドラマ、横浜エリアが舞台だったので、この後半部分をずっと「俺たち横須賀馴染みも」だとばかり思っていたというお話。(ま、一度改めてみなさんも聞いてみて下さい)

 まあ、その勘違いはともかく。自分の中では横浜は常に異国情緒たっぷりのカッコいい街であり続けた(まさに「薄荷たばこふかしてBLUESY」)。あれから約40年、その間にこのウォーターフロントエリアもずいぶんと新しく整備されていったが、山下公園の氷川丸と「赤い靴はいてた女の子像」、そしてニューグランドの旧館は変わっていない。

赤い靴

all photos taken by Jupiter-12 35mmf2.8 + KIEV ⅣaM + Lomo100



 東京も30度を超えた。いよいよ夏到来である。(その前に長い梅雨があるのだが)

 若い頃、夏が好きだった。といっても根っからのヒネくれ者ゆえ、みんなで海に行って泳いだりサーフィンしたり、というわけではなく。ひとりで部屋のベランダでアーウィン・ショーの『夏服を着た女たち』を読んだり、大貫妙子さんの『夏に恋する女たち』を聞きながら海岸線をドライブしたり。

 夏。女の人たちはみんな素敵だった。ワンピースから伸びた脚はすらりとして。少し短めに揃えたワンレングスの髪が潮風に揺らいで。眩しそうに世界を眺める瞳は憂いを含んで。

 あれから35年。時間は現実を押しつける。でも、記憶はどこまでも自由だ。時間に縛られることはない。

 あの曲は『SIGNIFIE』に入っていたっけ? 『CAHIER』だっけ? 『CAHIER』の方はインストゥルメンタルバージョンじゃなかったか。『CAHIER』、洒落たアルバムだったな。フランス語の歌詞の曲や、ワルツ曲。

 ということで、apple musicで検索。すぐに見つかった。ダウンロード完了。

 *サブスクの音楽配信、今ではほとんどの曲が聴けます。『夏に恋する女たち』。もちろんオリジナルもいいけれど、原田知世さんのカバーもいいですね。



 非常事態宣言が解除になって、東京の街はまたまた人で溢れ始めている。で、けっこうなパーセンテージでマスクを付けない人の数も目立ってきた。ランニング中にマスクをしてたら熱中症になりかねないとか、マスクでどこまで飛沫感染を防げるのかその精度が疑問、といった考え方もわからないではないが、万が一でも自分から相手に感染させることがないよう、その意思表示のためだけにも完全に終息するまでは外出時にはマスクをすべきだと思うのだけれど。

 さて、私自身はマスクをつける生活が完全にスタンダードになりつつある。ファッション性も気になるので倉敷の工房からデニムマスクも購入した。で、そんな生活が2ヶ月以上も続くと、実はこっちの方が理にかなっているような、外出先で他人に自分の「口」を見せたままにしていた今までの生活スタイルの方が不自然なような、そんな気分にもなってくる。よくよく考えると、「口」およびその奥に拡がる口腔というのは、呼吸もするし食物も摂取するし、はたまた愛情表現のメディアにもなるし、これはなかなかに多義的でそれゆえにこそなかなかにエロティックな存在ではないだろうか。イスラムの女性たちが外出時にはニカブやブルカといった黒布のフェイスマスクを常時付け、家族以外には口も鼻も見せないという風習を思い出す。

 そんなことをぼんやり考えていたら、クラシック音楽のプロデュース・ディレクションをやっている友人の方から、こんな素敵な動画を紹介してもらった。黒マスクを付けた黒ずくめの衣装のソプラノ歌手の表情とマスク越しの歌声が、なんとも。。座ったままというのがまた。。



 なんでもかんでもさらけ出して、それが自分のアイデンティティ(individual)いうのが近代以降の発想だが、それだけじゃ、美意識は深化しないよね?



 新型コロナウイルスの感染拡大は容易には終息しそうもなく、我々はこの状況を1年〜2年スパンで考えないといけないようだ。afterコロナではなくwith コロナという意識が我々の中で出来つつある。自分もそう思う。高温多湿の夏場にいったん小康状態にはなるものの、また秋から冬にかけて、そして来年の春先と、この戦いはかなり長く続くと覚悟しなければならない。その間に画期的な治療薬やワクチンが開発されない限り、ロシアンルーレットみたいに毎日誰かが亡くなってしまう。それは自分かもしれないし自分の大切な家族・友人かもしれない。なんとも暗鬱な、そして常にヒリヒリとした緊張感の中で我々はこれからの人生を生きていくことになる。だからといって、厭世的になってばかりもいられない。私の場合、まずは大学教員として、いかに学生のみなさんが納得し満足してくれるオンライン授業を構築できるか、試行錯誤を重ねつつもなるべく短期間の間に自分なりのベストの手法を提示しなくてはならない。ひとりのクリエイティブ・ディレクターとして、ひととひととが直接会えない時代の「コミュニケーション」をどう考えるのか、それをどのように表現していけるのかを考え抜かなくてはならない。今こそこの困難な状況に向かって建設的にチャレンジしていくべき時だ。

 けれども、同時にこんなことも思う。自分たちの世代はつくづく恵まれていた世代だったのだと。1980〜90年代に20〜30代を過ごすことができた自分たち。もちろんその間に世界ではイデオロギーが終焉を迎え、日本ではバブルの狂乱とその崩壊、2000年代後半からは長く続く不景気に見舞われたが、とりあえず、日本全国津々浦々何処にでも行けたし、憧れと冒険心を持って世界中のほとんどの場所を訪れることができた。そうしたさまざまな場所でさまざまな経験をし、さまざまな人からダイレクトにかつリアルに受けた刺激が現在の自分の思索の糧になっている。それが2000年を過ぎて、2001年の9.11、2011年には3.11、そして今年の新型コロナウイルスと、10年に一度のスパンでそれまでの思考をリセットさせられるほどの強烈な体験を我々は強いられている。1980年代生まれ以降の若い人たちは、20代〜30代のアドレッセンスを、この世界を、心から素晴らしいと思えたことがあったのだろうか。自分たちの世代に「世界は素晴らしい」と心から思えた瞬間が何度かあったように。……そんなことを思っていたら、夢二じゃないけれど「早く昔になればいい」、彼ら彼女らにも「あの昔」を味わせてあげたらなあ、なんておせっかいな(大きなお世話な)ことまで考える始末で、これはなんとも建設的ではないなあと反省しつつ、でも実は、「昔に戻る」ことこそ最も勇気が要って建設的なことなのではないか、そうどこかで確信している自分もいたりするようだ。take me back to then when life was mellow.










Il fait froid dans le monde.
Il fait froid.
Il fait froid.
Il fait froid.
Ça commence à se savoir.
Ça commence à se savoir.




 その女は俯いて、ひとりで一心不乱に本を読んでいた。わたしの座っている場所からは、女の後ろ姿しか見えない。女は黒いセエタアを着ている。ワンレングスに切りそろえた首筋が抜けるように白い。真鍮の灰皿の中に置き去りになった煙草の紫煙が、女の付けている香水と混ざり合い、時折ここまで漂ってくる。店内には、古いシャンソンが流れている。






 フォーレの、フォーレによる。

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