naotoiwa's essays and photos

カテゴリ: music



 昨日に続いて、ローライフレックスである。たぶん、すべてのカメラの中で僕はローライフレックスが一番好きなのかもしれない。ハッセルよりも、そしてライカよりも。

 なんだかやっぱりシャレているのである、ローライフレックス。シャッターの感触が柔らかい。大仰な音などいっさいしない。そして、基本はウェストレベルファインダーなので、相手の顔を直裁に見つめる無粋からも解放される。ゆえに、ポートレートに最適。

 1959年のボサノヴァの名曲、ディサフィナード。この歌の中でローライフレックスのことが語られているのは有名なお話。1959年だと、ここで歌われているローライフレックスは2.8Eか3.5Eあたりだろうか。

 Fotografei você na minha rolleiflex.

 今日はこの名曲を、ナラ・レオンの声で聞きたい気分である。冬と春を飛び越えて。……ボサノヴァの歌詞を味わうためだけにポルトガル語を勉強するのも悪くないかも。ちなみに、ローライフレックスのポルトガル語の発音は「ホーレイフレックス」。







 Chilly Gonzales のピアノが好きである。予定調和のメロディにキラリと不協和音が混ざる。イージーリスニングのように安心させておきながら、思わぬ落とし穴が待っている。リリカルでクール。……その加減がちょうどいい。とても落ち着く。まさに chill な感じ。

 Chilly Gonzales のピアノはくぐもった日によく似合う。空気の粒子が細やかに振動する。Chilly Gonzales のピアノはなにかを想い出している時によく似合う。ぼんやりと未だこれからの夢を心の中に描いている時に、よく似合う。



 



 若い頃からパリに行くと必ず立ち寄る郊外の場所がある。どちらも中心部から一時間もかからないところにある。ひとつはフォンテーヌ・ブロー。パリ・リヨン駅から40分ほど。ここの宮殿はフランス・マニエリスムの宝庫だ。もうひとつはサンジェルマン・アン・レー。こちらはメトロからそのままRERに乗り継いで30分もあれば着く。

 サンジェルマン・アン・レーの駅から10分ほど歩くと観光案内所がある。そしてここは、かのドビュッシーの生家跡でもあるのだ。20代の頃、クラシック音楽といえばドビュッシーばかり聞いていた。同時代のフランスの音楽家にサン・サーンスやフォーレやラヴェル、そしてサティがいるが、一番好きだったのはやはりドビュッシー。彼の音楽を聞きながらギュスターブ・モローの絵でも眺めていれば、古今東西のさまざまな場所を自在に旅することができた。

 ドビュッシーの音楽にはベルガマスク組曲、子供の領分、アラベスク、映像、版画など数多くあるが、なかでも一番好きだったのは前奏曲集の中に収められている「沈める寺」という曲。la cathédrale engloutie.



 かつてブルターニュ半島にあったと言われるケルト人の伝説の町イズー(Is、Ys)。ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ(イズー)」で有名なイズーの生まれ故郷である。パリという街の名前の語源はこのイズーの町に由来するという説もある。イズーを凌ぐ(par-is)街だからParis、ということらしい。ま、それはさておき、そのイズーの町はいつしか海底に沈んでしまった。水の中のカテドラルから聞こえてくる音楽、それがドビュッシーの「沈める寺」だ。

 海底に沈んだと言えばアトランティス大陸を思い出すが、こちらの伝説はなにやら大仰である。それに比べ、イズーの伝説は静謐さに包まれている。その町は死者の海に面した岬の突端にあったという。




 会社に入ったのは80年代半ば、いわゆるバブル世代である。広告代理店だったし、おそらく、その恩恵をたくさん受けていたのだろう。でも、当時、心豊かにゼイタクをしている気分になれたことは一度もなかったように思う。むしろ常に刹那的な想いにつきまとわれていた。

 如才なく振る舞って、気の利いた風なことばかり言いながら、その実、いつも心の奥底で後悔ばかりしていた。当時流行っていた曲に「リフレインが叫んでる」というのがあったが、まさしくその歌詞通りだった気がする。「どうしてどうしてできるだけやさしくしなかったのだろう」……あの頃、夏の終わりに観音崎あたりまでひとりで車を飛ばしている時、カセットに入っていた曲だ。今、原曲でこの曲を聴く勇気はないので、JUJUのカバーで聴くことにする。




 当時、自分がゼイタクのまねごとをしていたとするならば、それはカルヴィン・トムキンズの本のタイトルではないけれど、「優雅な生活が最高の復讐である」と感じていたからだったように思う。

 さて、当時、自分は何に対して復讐をしていたのだろうか。自分が逃れることのできない風土に対してだったのだろうか。まったくもっておぼつかない未来に対してだったのだろうか。





 思案に暮れる。




 遅ればせながら、The Shape of Water、見てきた。エイリアンものは基本的には苦手なのだが、うわぁ〜、これはもう最高のラブロマンスである。ギレルモ・デル・トロ監督の映画はどうしてこんなにも映像が美しいのだろう。そして、音楽。思わずサントラ盤を購入してしまった。かの La Javanaise も入っている。現代のビリー・ホリディといわれるマデリン・ペルー(Madelene Peyroux)が唄う La Javanaise は本家のゲーンズブールやグレコに勝るとも劣らない、甘美で典雅で気怠いシャンソン&ワルツに仕上がっている。




 改めて1960年代にゲーンズブールが煙草をくゆらせながら唄った La Javanaise も見てみる。ダダイスト、ゲーンズブール。格好良すぎる。





 街を好きになる理由は「音」と「声」である。もちろん美しい景観や色彩が伴えばそれに越したことはないが、なによりも、音、音楽、そこに住む人々の話す声に惹かれて、その街のことが好きになる。

 昔も今もパリがずっと好きな理由もそのあたりにあるのだろう。パリジャンたちが話すフランス語のイントネーション。メトロの振動音、ホームでストリートミュージシャンが奏でる楽器の音色、そして教会の鐘の音。

 十年ほど前のクリスマスの夜、パリ在住の世界的な音楽家である三宅純さん一家に誘われて聞いたノートルダム寺院のミサは忘れられない。あのポリフォニックなコーラスの響きがフランキンセンス(乳香)の精油の煙とともに今もまざまざと脳裏に蘇る。当時十二歳だった愚息がパリに憧れたのも、たぶんあの一夜の経験があってのことだろうと思う。音や匂いの記憶はなかなか消えることは、ない。

notredame

Summilux 35mm f1.4 2nd + M9-P



 最近、睡眠負債という言葉が取り沙汰されることが多い。たしかに日々の睡眠不足が積み重なると心身ともに健康を損なう。でも、自分の場合、若い頃から睡眠は5時間程度で十分だったし(それ以上眠ると頭がぼんやりとしてかえって頭痛がしてくる)、おまけに、ある程度年を取れば、7時間も8時間もノンストップで眠れることなんて希だろう。

 でも、この映像を見ていたら、無性にぐっすりと眠りたくなった。ロンドンの John Lewis 百貨店毎年恒例のクリスマスAD。素晴らしい。今年はあのミッシェル・ゴンドリーの作品なのだからいいに決まっている。おまけにフューチャーしている曲が名曲 golden slumbers ときた。ポールのメロディもいいが、トーマス・デッカーの詩がなんといっても心を打つ。

 Once there was a way to get back homeward
  Once there was a way to get back home
 Sleep, pretty darling, do not cry 
  And I will sing a lullaby
 Golden slumbers fill your eyes
 Smiles awake you when you rise
 Sleep, pretty darling, do not cry
  And I will sing a lullaby




 今夜ぐらいは、ぐっすりと子供の頃のような眠りに包まれたい。居眠りでもいいから。……ララバイ。



 小学校4年生の時に少年合唱団で「美しき青きドナウ」を唄って以来(?)、クラシック音楽の中でも3/4拍子のWALTZには格別心引かれる。それは今も変わらない。イヴァノビッチの「ドナウ川のさざなみ」、ショパンの7番や9番の別れのワルツは言うに及ばず、ヨハン・シュトラウスもいいけれど、リヒャルト・シュトラウスの「薔薇の騎士」が大好きで、二十代の頃はラベルの「優雅で感傷的なワルツ」に心酔した。

 でも、今までに聴いたことのあるWALTZの中で一番好きなものは?と問われれば、ダニエル・シュミット監督の映画「ヘカテ」の中で使われていたカルロス・ダレッシオ作曲のWALTZと答える。

 映画「ヘカテ」。大学生の頃、主演のベルナール・ジロドーのマネして麻の純白のスーツやスペンサージャケットを買った。今までの人生に悔いがあるとすれば、一度も海外赴任しなかったことだろうか。この映画の主人公のようにモロッコあたりに駐在していれば、間違いなく身を持ち崩していただろうけれどw




 そのひとは、古めかしい三階建てのビルの一室で、たくさんの本に囲まれて暮らしている。ここは、時代に取り残された小さな文学館である。ここで、そのひとは、毎日朝の九時から夕方の五時半まで受付に座って、たまにやってくる観光客相手に郷土の作家についていろいろ説明をしたり、地元の老若男女の人たちと小声で世間話をしたり、そして、他に誰も居ない時(ほとんどの時間帯がそうだ)には、ずっとひとりで本を読み続けている。読書用の眼鏡を鼻先にズラしながら。
 館内にはスクリャービンのピアノ曲が流れている。モダンなのかクラシックなのか、抽象派なのか大仰なロマン派なのかよくわからないロシアの作曲家。そういうのが彼女の好みなのだろう。

 彼女は、決して、自分で文章を書いたりすることはない。朗読することもない。ただ毎日、好きな作家の言葉を目で追い、その言葉にさまざまな感情を喚起させられ、それが心の襞の中に大切に保存されていくばかり。

 ここは、北国の港町である。夏も冬も、街中の空の至るところにたくさんのカモメが飛んでいる。そして、カモメたちはひとの悲鳴にも似た甲高い声でいつまでも鳴いている。

司書

Summilux 35mm f1.4 2nd + M9-P




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