naotoiwa's essays and photos

カテゴリ: music






 
Oh, see there beyond the hill.
 The bright colors of the rainbow.
 Some magic from above.
 Made this day for us just to fall in love.

rainbow


 
Someday we shall return.
 To this place upon the meadow.
 We'll walk out in the rain.
 Hear the birds above singing once again.




 心奪われるメロディがある。例えば、アイルランド民謡の Woman of Ireland。

 初めて聞いたのは、大学1年生の時。ボブ・ジェームスのレコードにフィーチャーされていた。




 それから、かつてはケイト・ブッシュのボーカルで、今ではフランス人のノルウェン・ルロアの歌声が好みだ。




 そう言えば、70年代のキューブリック監督の映画「バリー・リンドン」の中でもこの曲、効果的に使われていた。

 アイルランド。行ってみたい。











You will remember
When this is blown over
And everything's all by the way
When I grow older
I will be there at your side
To remind you how I still love you
I still love you



 昨日に続いて、ローライフレックスである。たぶん、すべてのカメラの中で僕はローライフレックスが一番好きなのかもしれない。ハッセルよりも、そしてライカよりも。

 なんだかやっぱりシャレているのである、ローライフレックス。シャッターの感触が柔らかい。大仰な音などいっさいしない。そして、基本はウェストレベルファインダーなので、相手の顔を直裁に見つめる無粋からも解放される。ゆえに、ポートレートに最適。

 1959年のボサノヴァの名曲、ディサフィナード。この歌の中でローライフレックスのことが語られているのは有名なお話。1959年だと、ここで歌われているローライフレックスは2.8Eか3.5Eあたりだろうか。

 Fotografei você na minha rolleiflex.

 今日はこの名曲を、ナラ・レオンの声で聞きたい気分である。冬と春を飛び越えて。……ボサノヴァの歌詞を味わうためだけにポルトガル語を勉強するのも悪くないかも。ちなみに、ローライフレックスのポルトガル語の発音は「ホーレイフレックス」。







 Chilly Gonzales のピアノが好きである。予定調和のメロディにキラリと不協和音が混ざる。イージーリスニングのように安心させておきながら、思わぬ落とし穴が待っている。リリカルでクール。……その加減がちょうどいい。とても落ち着く。まさに chill な感じ。

 Chilly Gonzales のピアノはくぐもった日によく似合う。空気の粒子が細やかに振動する。Chilly Gonzales のピアノはなにかを想い出している時によく似合う。ぼんやりと未だこれからの夢を心の中に描いている時に、よく似合う。



 



 若い頃からパリに行くと必ず立ち寄る郊外の場所がある。どちらも中心部から一時間もかからないところにある。ひとつはフォンテーヌ・ブロー。パリ・リヨン駅から40分ほど。ここの宮殿はフランス・マニエリスムの宝庫だ。もうひとつはサンジェルマン・アン・レー。こちらはメトロからそのままRERに乗り継いで30分もあれば着く。

 サンジェルマン・アン・レーの駅から10分ほど歩くと観光案内所がある。そしてここは、かのドビュッシーの生家跡でもあるのだ。20代の頃、クラシック音楽といえばドビュッシーばかり聞いていた。同時代のフランスの音楽家にサン・サーンスやフォーレやラヴェル、そしてサティがいるが、一番好きだったのはやはりドビュッシー。彼の音楽を聞きながらギュスターブ・モローの絵でも眺めていれば、古今東西のさまざまな場所を自在に旅することができた。

 ドビュッシーの音楽にはベルガマスク組曲、子供の領分、アラベスク、映像、版画など数多くあるが、なかでも一番好きだったのは前奏曲集の中に収められている「沈める寺」という曲。la cathédrale engloutie.



 かつてブルターニュ半島にあったと言われるケルト人の伝説の町イズー(Is、Ys)。ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ(イズー)」で有名なイズーの生まれ故郷である。パリという街の名前の語源はこのイズーの町に由来するという説もある。イズーを凌ぐ(par-is)街だからParis、ということらしい。ま、それはさておき、そのイズーの町はいつしか海底に沈んでしまった。水の中のカテドラルから聞こえてくる音楽、それがドビュッシーの「沈める寺」だ。

 海底に沈んだと言えばアトランティス大陸を思い出すが、こちらの伝説はなにやら大仰である。それに比べ、イズーの伝説は静謐さに包まれている。その町は死者の海に面した岬の突端にあったという。




 会社に入ったのは80年代半ば、いわゆるバブル世代である。広告代理店だったし、おそらく、その恩恵をたくさん受けていたのだろう。でも、当時、心豊かにゼイタクをしている気分になれたことは一度もなかったように思う。むしろ常に刹那的な想いにつきまとわれていた。

 如才なく振る舞って、気の利いた風なことばかり言いながら、その実、いつも心の奥底で後悔ばかりしていた。当時流行っていた曲に「リフレインが叫んでる」というのがあったが、まさしくその歌詞通りだった気がする。「どうしてどうしてできるだけやさしくしなかったのだろう」……あの頃、夏の終わりに観音崎あたりまでひとりで車を飛ばしている時、カセットに入っていた曲だ。今、原曲でこの曲を聴く勇気はないので、JUJUのカバーで聴くことにする。




 当時、自分がゼイタクのまねごとをしていたとするならば、それはカルヴィン・トムキンズの本のタイトルではないけれど、「優雅な生活が最高の復讐である」と感じていたからだったように思う。

 さて、当時、自分は何に対して復讐をしていたのだろうか。自分が逃れることのできない風土に対してだったのだろうか。まったくもっておぼつかない未来に対してだったのだろうか。





 思案に暮れる。


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