土日はどこにも出かけず、部屋で竹久夢二の画集ばかりを見ている。夢二といえば、ザ・大正浪漫で片付けてしまう人も多いが、夢二は正当な(という言い方もヘンだが)マニエリスム&世紀末美術の画家である。夢二の描く女性たち、道行きの男女たちは、みなメランコリックで虚無的な表情をして、か細くうつむき加減、S字型に体をくねらせている。まさにフィグーラ・セルペンティナータ。道行きの男女の脚は二人三脚、サンボリックに融合している。
そして夢二はセンティメンタルなだけではない、正当な詩人でもある。
「忘れたり。思ひ出したり。思ひつめたり。思い捨てたり。」
なんて連句、ナカナカのものだ。そして、コピーライターの資質も抜群。
「あゝ、早く『昔』になれば好いと思つた。」
これほどドキリとするコピーはない。もちろん、甘いだけの文章もいっぱいあるけれど。
「そしてまた、夕方の散歩とか郊外の小旅行とか、しめやかな五月の夜のことなど、を、あまい心持で空想しても見る。」(彦乃宛、大正六年四月四日の手紙より)