naotoiwa's essays and photos

カテゴリ: art



 大学時代の恩師である河村錠一郎先生の近著『イギリスの美、日本の美 ラファエル前派と漱石、ビアズリーと北斎』(東信堂、2021年)を読んでいたら、ワッツの描く「パオロとフランチェスカ」が夏目漱石の『行人』の中で言及されているくだりが出てきて(p.31)、数十年ぶりに『行人』を読み返してみたくなった。

 この小説は、兄一郎のニーチェばりの苦悩が手紙形式で描かれている作品で、あの名作『こころ』に通じる新聞小説だと言われているが、まずなによりも感銘するのは、漱石の描く女性たちの魅惑的な姿とその言動である。漱石の小説には、まさにラファエル前派の画家たちが描くファム・ファタルの日本女性版が数多く登場するが(その極めつけは『三四郎』のヒロインの里見美禰子であろう)、この『行人』に出てくる一郎の妻の直(なお)もまた蠱惑的である。それを漱石は、彼女の靨(えくぼ)の描写だけでここまで表現してしまうのである。脱帽。

嫂は平生の通り淋しい秋草のように其処らを動いていた。そうして時々片靨を見せて笑った。

不断から淋しい片靨さえ平生とは違った意味の淋しさを消える瞬間にちらちらと動かした。

それから、肉眼の注意を逃れようとする微細の渦が、靨に寄ろうか崩れようかと迷う姿で、間断なく波を打つ彼女の頬をありありと見た。


 そして、「柔かい青大将に」となる。これではパオロはフランチェスカの魅力にひとたまりもなくやられてしまうだろうと思いながら弟二郎を主人公とした前半の三章を読み終えた。(最終章の展開は、まだ読んだことがない人のためにここに書くことはやめておきます)

彼女の事を考えると愉快であった。同時に不愉快であった。何だか柔かい青大将に身体を絡まれるような心持もした。

 漱石はこの小説を書き終えた3年後に亡くなっているが、同じ墓地に眠る漱石も夢二もどちらも満五十才になることなく四十九才でこの世を去っていることを思うと、(当時としては決して夭折にはならないのかもしれないが)やはり残念でならない。

太字部分は夏目漱石『行人』(新潮文庫)からの引用。p.227、p.328、p.336、p.218




 大学の紀要に掲出予定の竹久夢二に関する研究ノートの原稿もほぼ仕上がったので、お礼方々、雑司ヶ谷のお墓にお参りに行ってきた。「知らせる人—それだけ。外に一人 アリシマ。」と日記に綴った盟友、有島生馬の筆による「竹久夢二を埋む」とだけ書かれた簡素な墓石の前に桔梗の花のブルーが凜として雨に濡れていた。夢二らしいお墓だと思った。

夢二墓

 ここ雑司ヶ谷には文人、画人たちの墓が他にもたくさんある。最も有名なのは夏目漱石の墓であろうが、永井荷風の墓も、そして夢二も大好きだったに違いない(『夢二画集 旅の巻』の中で金沢を訪れた際の紀行文に名前が出てくる)泉鏡花の墓もある。あるいは、生前いろいろといわくのあった画家の東郷青児の墓もある。
 ところで、荷風も鏡花も夢二より早く生まれているが亡くなったのは夢二の方が先である。満五十歳に満たなかった夢二はやはり夭逝だったと言うべきなのかもしれない。

 さて、研究ノート執筆のために日記や書簡の中で夢二の言葉をいろいろ調べていたところ、「『人生は芸術を模倣する』とフランスで死んだイギリス人が言ひました。私の人生は私の幼い時受けた芸術の影響を脱し得ないばかりでなく、或は実践してゐるかも知れません」というくだりに行き着いた。オスカー・ワイルドのことである。
 これを知って、いったい何十年ぶりだろう、オスカー・ワイルドの芸術論の『嘘の衰退』を読み耽っていた若い頃のことを思い出した。かつて、大学を卒業した後、就職をせずそのまま勉学を続けたいと考えたこともあった。研究したかったのはマニエリスム芸術論とオスカー・ワイルドの芸術至上主義。夢二研究のおかげで、今頃になって当時のことを思い出すこととなった。これもシンクロニシティ、なのだろうか。


引用文献:
長田幹雄(編)『夢二日記 4』(筑摩書房、昭和62年)p.347およびp.286

参考文献:
竹久夢二『初版本復刻 竹久夢二全集 夢二画集 旅の巻』(ほるぷ出版、1985年)
オスカー・ワイルド / 西村孝次 訳『オスカー・ワイルド全集 4』(青土社、1989年)


 原美術館。「光—呼吸 時をすくう5人」展の終了をもって、本日いよいよ閉館である。昭和十年代に建てられたアールデコの館。若い頃から何度も足繁く通った美術館である。仕事の雑事から自分を開放したくなったとき、ジャン=ピエール・レイノーの白いタイルの部屋が無性に恋しくなった。宮島達男さんの作品を初めて見たのもここである。代休を取って平日の昼間に車でこの美術館に来て(敷地内に駐車場があるのだ)、中庭に面したカフェ・ダールで遅めのランチを食べながら何時間もぼおっとしているのが至福の時だった。そこで考えをまとめて実現した企画もいくつかある。

 最後の展覧会は昨年末に予約してゆっくりと鑑賞した。亡くなられた佐藤雅晴さんの展示を最後に再びこの原美術館で見ることが出来てよかった。「東京尾行」。これからは、原美術館も佐藤雅晴さんも記憶の中でしかトレースできなくなる。




 この夏に取り組んでいた現代広告に関する論文の執筆もほぼ終了。それではということで、次のテーマに取りかかるべく、先日久しぶりに研究出張に出かけた。訪れたのは岡山の邑久と牛窓、そして、兵庫はたつの市の室津である。テーマは竹久夢二。
 夢二が生涯かけて行ったことのいくつかは、現代の広告クリエイティブを考察するにあたっても参考になることが多々ある。グラフィック広告のコピーとデザインの組み合わせは、夢二の言うところの画賛(絵の余白に添えられた文章)に原型があるようにも思われるし、日本橋の港屋絵草紙店で取り扱われていた商業デザインのアイテムは斬新なアイデアの宝庫だ。
 デザイナー、イラストレーターとしての夢二については語り尽くされているけれど、マニエリスム美術を専攻していた者にとって、夢二式美人のあのS字型にくねらせた細い体、傾けた首、長い手足はまた格別のものである。

 さて、今回論文のテーマとして書いてみたいのは、詩人として、コピーライターとしての夢二の表現についてである。「文字の代りに絵の形式で詩を画(か)いて見た。」というのは『夢二画集 春の巻』の中にある有名な文句であるが、夢二にとっては言葉と絵は分かちがたい一体のものであったのだろう。プライベートでも殺し文句の達人だ。例えば、最愛の彦乃に送った手紙の中の一節。

 話したいことよりも何よりもたゞ逢ふために逢ひたい。

 そして、『夢二画集 夏の巻』の中にあるこの文章。

 あゝ、早く『昔』になれば好いと思つた。

 この文章だけを切り出してみると、なんとも甘ったるい個人的なノスタルジアのように思われるが、決してそうではない。その前の文脈は以下の通り。

 僕は、淡暗い蔵の二階で、白縫物語や枕草子に耽つて、平安朝のみやびやかな宮庭生活や、春の夜の夢のよふな、江戸時代の幸福な青年少女を夢みてゐたのだ。あゝ、早く『昔』になれば好いと思つた。

 夢二は少年の頃から、過去の時代そのものの郷愁にとらわれていたということなのだろう。彼が最初に「中学世界」に投稿したポンチ絵は伊勢物語の中の「筒井筒」へのオマージュであったし、のちに吉井勇が「新訳絵入 伊勢物語」を上梓した際にはその挿絵を夢二が描いている。
 大正というモダンでロマンチックな時代の申し子のような竹久夢二は、生涯をかけていにしえの時代そのものに憧れ続けた人だったのではあるまいか。私は心理学には門外漢であるが、ノスタルジアには個人的ノスタルジアと歴史的ノスタルジアがあるという。夢二のつぶやく言葉、描く世界のそれは、一見、極めて個人的なものに見えて、その実かなり客観的な歴史的ノスタルジアだったのではないだろうか。そのあたりのことを次の論文では書いてみたいと思っている。

 岡山からの帰りに室津に寄った。宿泊したのは「きむらや」。夢二はこの地で「室之津」と題した絵を数点描いている。この絵のモデルとなった女性のお孫さんに当たる方が現在の女将である。
 室津と言えば、お夏清十郎物語。そして遊女発祥の地。夢二はおそらくこの町の過去、歴史そのものに憧れていたのだろう。大正6年の彦乃宛ての手紙の中では以下のように書いている。

 そこに住む人たちはみんな近松の浄瑠璃にあるやうな言葉をつかふ。なんといふ静かなものかなしい趣きをもった港だらう。西鶴の五人女のお夏のくだりに<春の海静かに室津は賑へる港なり>とある

 この町の浄運寺には法然上人に帰依した遊女の元祖と言われている友君の碑や、その座像、あるいはお夏ゆかりと称される木像も残っている。夢二も間違いなくここを訪れ、そのインスピレーションもあって「お夏狂乱」を描いたのだろうと勝手に想像力をたくましくしている。

浄運寺1

浄運寺2


参考文献
竹久夢二『夢二画集 春の巻』(洛陽堂、明治42年)
竹久夢二『夢二画集 夏の巻』(洛陽堂、明治43年)
長田幹雄 編『夢二書簡 1』(夢寺書坊、平成3年)
高階秀爾 他監修『夢二美術館 2 恋する女たち』(学習研究社、1988年)


all photos taken by Summilux 35mm f1.4 2nd + M10-P




 土日はどこにも出かけず、部屋で竹久夢二の画集ばかりを見ている。夢二といえば、ザ・大正浪漫で片付けてしまう人も多いが、夢二は正当な(という言い方もヘンだが)マニエリスム&世紀末美術の画家である。夢二の描く女性たち、道行きの男女たちは、みなメランコリックで虚無的な表情をして、か細くうつむき加減、S字型に体をくねらせている。まさにフィグーラ・セルペンティナータ。道行きの男女の脚は二人三脚、サンボリックに融合している。
 そして夢二はセンティメンタルなだけではない、正当な詩人でもある。

「忘れたり。思ひ出したり。思ひつめたり。思い捨てたり。」

 なんて連句、ナカナカのものだ。そして、コピーライターの資質も抜群。

「あゝ、早く『昔』になれば好いと思つた。」

 これほどドキリとするコピーはない。もちろん、甘いだけの文章もいっぱいあるけれど。

「そしてまた、夕方の散歩とか郊外の小旅行とか、しめやかな五月の夜のことなど、を、あまい心持で空想しても見る。」(彦乃宛、大正六年四月四日の手紙より)








 102年前にスペイン風邪で死んだエゴン・シーレのことを想う。

 Edith, six months pregnant, contracts the deadly Spanish Flu in October and dies on the 28th. Egon, already ill, lasts scarcely three days longer, succumbing to the virus early in the morning of October 31st.




 先週末より、大型イヴェント・公演が相次いで中止になり、学校は休校、企業も自宅勤務。テーマパークも休園である。まあ、これだけITが進化した現代だから、仕事のほとんどはテレワークでも可能だろう。教育もしかり。4月以降もこの状況が改善されなければ、大学の授業も真剣にオンラインを検討しなくてはならない。

 さて、この週末、上野の美術館・博物館も休館となった。実際に行けないのならば致し方なし。せめてヴァーチャルで常設展示でも、ということで google art & culture。……まあ、よく出来ている。美術館まるごとストリートビュー。気に入った絵画は拡大してけっこうディテールまで鑑賞できる。外出自粛でずっと家にいるのであれば、こちらで世界の美術館巡りをするのも悪くない。例えば、大好きなパルミジャニーノの「首の長いマドンナ」をストリートビューで鑑賞することだって出来るのだ。

 いい時代になったものだ。あのウフィッツィに、整理券も取らず並ばずに入場できて、他の観客に気兼ねせずに名だたる名画を鑑賞できるのだから。でも、……ひとっこひとりいないフィレンツェのウフィッツィ美術館? なんだかゾッとしてしまった。

 これからはますますリアルとヴァーチャルの境がなくなっていく、とはよく言われることだけれど、ほんとうにそうだろうか? 私には逆に、リアルとヴァーチャルの境がシームレスになればなるほど、ほんとうのリアルがよりいっそうかけがえなく、愛おしく思えてくる。マニエリスムの名画を見たければ、まずはフィレンツェの街で花の大聖堂のあの鐘の音を聞くべきなのだ。そして、ウフィッツィのヴァザーリの回廊のことを知り、ポントルモやブロンズィーノのあの「青」の色の妖艶さを実際に見ることだ。でないと、マニエリスム絵画の「アウラ」を感じることなんてできないと思うのだけれど。

 もう間もなくすれば、そうしたアウラさえ体感できるようなVR/AR技術が開発されるのかもしれない。そして、人々はシェルタリングされた自分の部屋から出ることが出来なくなって(ウィルスや放射能等で汚染されて出るに出られず)、この世界は、まるで昔からある定番の未来小説みたいに変貌していってしまうのだろうか、と考えたところでますます気が滅入ってしまった。

 ああ、フィレンツェ行きたいっ。でも、イタリアもコロナ感染、大変なんですよね。トホホ。



 腕時計が好きである。海外に行くと蚤の市で手巻きのアンティークの掘り出し物を探したりする。ブランドものには残念ながら手も足も出ない。でももしも、ひとつだけ好きな腕時計を買ってもいいと言われたら(だれもそんなこと言ってはくれないだろうけどw)、IWCかパネライかベルロスか、いや、やはりここはフランク・ミュラーを選ぶだろう。……フランク・ミュラー。最近は今ひとつ評判が良くないみたいだけれど、(腕時計マニアの友人に言わせると、フランクの普及モデルの自動巻きは汎用のムーブメントを使っている割に高価すぎる。パワーリザーブがあまり持続しないし、PVD塗装はすぐに剥げてくるらしい)でも、あのアールデコでビザンなデザインはやっぱりとても蠱惑的だし、複雑時計の設計哲学が他のメーカーとは比べものにならないと思う。そう言えば、どこかで彼の名言を読んだことがある。……検索してみる。……ああ、これだ。

 人生に挑戦するのに年齢なんて関係ない。そもそもこの世に時間などない。それは人間が勝手に作ったものだ。私は時計師だからそのことがよくわかる。

 この彼の哲学を反映したモデルが、例えばクレージー・アワーズなのだろう。1から12までの数字は一見ランダムにシャッフルされたように配置されている。で、正時になると短針が突然大きくジャンピングするのだ。稀代の時計師のつくった複雑時計をこっそり左手の手首に忍ばせて、「そもそもこの世に時間などない」と自分もうそぶいてみたいものだ。



 根津美術館で「酒呑童子絵巻」を見る。

 ご存じ鬼退治のお話である。最後は源頼光と彼の率いる四天王たち(♪マサカリ担いだ金太郎♪の坂田金時とか)によって鬼の酒呑童子は首を刎ねられ成敗されてしまうが、住吉弘尚の筆による絵巻では、その前半に酒呑童子の出生の話も描かれている。酒呑童子は伊吹大明神の子であるらしい。で、その伊吹大明神の元を辿ると八岐大蛇(やまたのおろち)にまで行き着く。八岐大蛇が須佐之男命に敗れて逃げ込んだ先が伊吹山だと言うのだ。

 そうした解説を読んでいるとなんとも感慨深げな気持になる。なぜなら、伊吹山は我が故郷の山だからである。幼い頃、何度も電車の窓から眺め続けた山なのである。

 あの慣れ親しんだ伊吹山に鎮座していたのが八岐大蛇だったとは!……たしかに伊吹山は荒ぶる山だった。冬に東海道新幹線に乗っていると米原あたりから急に雪景色に転ずることが多いが、あれは伊吹山から吹き下ろしてくる雪のせいである。余談だが、亡くなった父親は伊吹山でスキーをしていて大けがをし、その時の輸血が原因でC型肝炎になった。

 夏にはよく父親に車で伊吹山周辺までドライブに連れて行ってもらったものだ。父親の実家が岐阜県の揖斐川町にあったからである。そして、そのまま滋賀の方まで抜けると、……伊吹山の向こう、滋賀県側には泉鏡花の小説で有名な夜叉ヶ池がある。ここに生息していたと伝わっているのも龍、すなわち蛇である。やはり伊吹山周辺にはなにやら「荒ぶるものたち」が存在していたのかもしれぬ。

 そんな故郷の想い出を辿りながら三つの異なった酒呑童子絵巻を鑑賞していたのであるが、絵画としては、狩野山楽の筆によるものが素晴らしかった。特に酒呑童子の住む館の庭の描写。異時同図法で描かれているのだ。春の桜も夏の緑も秋の紅葉も、そして冬枯れもすべてが同じ場所に共存して描かれている。異時同図法。……さまざまな時間帯に起こったことを同時に同じ構図の中に描き込む手法。その結果、この庭は異界の庭になると解説文には書かれていたが、私にはそれは「異界」というよりも「永遠」の崇高な世界に感じられた。



 行こう行こうと思いながらなかなか行けなかったジャン=ポール グード展。けっきょく閉幕直前に銀座のシャネル・ネクサスホールに駆け込んだ。すごい混雑である。若い人たちもいっぱい来ている。今回の展覧会のアンバサダーにモデルのKōki(キムタクと工藤静香の娘ですね)が起用されたからかもしれない。最近のCHANCEのボウリングのCMなど、とても分かりやすいものも多くなっているからかもしれない。でも、我々世代にとってグードと言えば、80年代のグレイス・ジョーンズを起用したあの衝撃的なグラフィックデザインや、90年代のエゴイストのCM、あるいは鳥籠に閉じ込められたヴァネッサ・パラディのCOCOのCMが強烈に印象に残っている。





 今回の展覧会用の新作では、今度はシャネル自身が鳥籠の中を羽ばたく『Stomy Whether』のインスタレーションがチャーミングだった。

 最近、ヴァネッサ・パラディの娘(父親はジョニー・デップ)がシャネルの新しいミューズに選ばれたとも聞く。リリー・ローズ。




 時代は一巡りしても、シャネルの、そしてグードのクリエイティビティは涸れることがない。Jean-Paul Goude。今年で御年78歳。人は、グラフィックデザイナーであり映像ディレクターであり、アーティストである彼のことを image maker と呼ぶ。

 最近の広告においては、「リアリティが大切」「これからの時代のストーリーテリングはノンフィクションであることが鍵になる」などといったクリティックばかりが目に付くが(そして、自分も普段はよくそんなことを言っているがw)、やはり、強烈なイメージメーカーによる強烈なフィクションの力はスゴイ。……グードのクリエイティブに触れるとつくづくそう思えてくる。




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