一昨日の線状降水帯。名古屋近郊に住んでいる姉は電車が止まって自宅に戻れなくなった。東京も20時頃からものすごい雨量で、幸いにも自宅前の道路は冠水しなかったが、借りている駐車場は地下に格納するタイプの機械式、道路からの雨が排水口を越えてしまわないかと気が気ではなかった。重い雨音は夜半過ぎまで途切れることなく続いた。
ここ数年、台風や線状降水帯による災害が各地で起きている。他人事ではない。元来は雨好きの私も、そんなことを言っていられる場合ではなくなる。
私は、雨が好きである。雨が降り始めると、頭の中がしっとりと潤んでくる。晴れの日が何日にも続くと偏頭痛に悩まされる。ふつうは反対でしょ、とひとは云う。ふつうのひとは低気圧が近づいて来たときに頭が痛くなるわけで。
若い頃からオープンカー好きなのも、晴れた日にルーフを全開にして海岸沿いの国道を走りたいからではない(秋の、空の高い日にはそれはそれで心地よいのだけれど)。雨の日にソフトトップを閉じて乗るオープンカーが好きなのである。ソフトトップに落ちるあの雨音が好きなのである。
雨の、雨音の、どんなところに惹かれるのか? 以前からその理由をきちんと言葉にしたいと思っていたが、こんなにも的確な表現が既になされているのならば、なにも付け加えることはない。さすがは吉田篤弘さんである(そう言えば『つむじ風食堂の夜』の主人公は「雨降り」を研究する先生という設定になっていたっけ)。
あの傘というものは、必ずしも空から降ってくる水をよけているだけではない。降っているのは水だけではなく、じつのところ、色々なものが降っている。たぶん、そうだ。私はそこのところをうまく云えない。「悲しみ」という言葉を当てはめたい気もするが正解ではない。もっと心もとない、いつまでも思いが定まらないような、そんな名付けようのないものが雨には含まれている。
「どっちもどっち」より。吉田篤弘『レインコートを着た犬』(中央公論新社、2015年)に所収 p.106
雨は、そこはかとなく、とりとめもなく降ってこそである。もちろん、激しく降るスコールも悪くない。でも、スコールは短時間でさっと上がるからスコールなのであり、延々と降り続けて水害をもたらしたりはしない。
一昨日の雨の影響で、雨漏りがしていないか心配である。リフォームしてからもう四半世紀を過ぎているので、長雨が続くと自宅の外壁から染み込んた雨がどこからか、ポタ、ポタ、ポタ。
ロビーのバケツに、ぽつり、ぽつりと、と雨だれが落ち、遠いような近いようなその音を聞いていると、昔のことが、ぽつり、ぽつり、と思い出された。雨が降ると昔の時間が戻ってくるような気がする。
「雨と美少女」より。吉田篤弘『レインコートを着た犬』に所収 p.117
雨漏りも、こんな風情でこれからも楽しめればと願うばかりである。東京の線状降水帯はとりあえず峠を越えたようだが、また週末も要注意とのこと。
雨が猛威をふるって生命を脅かす存在になりうることは知っている。それでもなぜか雨に心が騒ぐ。
「一人二役」より。吉田篤弘『レインコートを着た犬』に所収 p.136

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