この本を読むと、やっぱりこういうものを買ってしまいたくなる。ただし、サイフォンで淹れた珈琲はドリップ式とはやっぱり味が違う。好みの問題もあるので、誰にも迷惑をかけないようにと(?)とりあえず、おひとりさま用を購入。

サイフォン

 
 昔々、あれは昭和50年代の初め頃、数学が苦手なワタクシに母親が家庭教師を雇ってくれた。センセイがやってくるのは土曜日の午後。さっぱり分からぬ数式に煩悶している午後3時。トントントンと母親が階段を上ってくる音がして、ドアが開くと、芳しい珈琲の香り。イチゴのショートケーキとともにしばし休憩。

 あの珈琲を、母親は毎回サイフォンで淹れていた。母親は決して料理に凝ったりする方ではなかったが(どちらかというとさっさと出来合いのもので済ませてしまいたいタイプ)、なぜか珈琲だけは、上下のガラスカップやフィルターの洗浄、アルコールランプのメンテ等、面倒なことこの上ないサイフォン式を労を惜しまず使っていた。

 沸騰したお湯と珈琲豆のエキスがすべて一体になって浸潤したこの味、懐かしい。

 あ、そろそろ燃料用アルコールがなくなりそうだ。薬局で買ってこなくては。