昔から坂のある町が好きだったが、若い頃は、そのベクトルは常にプラス方向。上へと坂を登っていくイメージである。昔書いた文章の断片に「ひとは高台に立って思惟を高め、孤独に耐えられなくなると坂道を下る。現実の狭視にやり切れなくなると再び坂道を登る」などとある。でも、年を取ってからは逆のようである。ベクトルはマイナス方向。下へと坂を降りていくことに強く惹かれる。先日訪れた新宿荒木町などはまさにそうした場所で、町全体がすり鉢状の窪地になっており(その中心が津の守弁財天の策の池)、陽が落ちると、人々はかつて花街があったエリアへと坂を下っていく。
坂道


 平野啓一郎さんの『ある男』(現在、映画も上映中)にも荒木町が登場する。弁護士の城戸が後藤美涼に初めて会ったのがこの町のバーである。

 スタッズのついた黒いキャップを被っていて、耳にかけた明るめの髪が、華奢な肩に垂れている。中高(なかだか)のすっきりした顔で、グレーのカラーコンタクトの入った眸が、唇と共に艶々していた。美人だな、と城戸は正直に思った。
平野啓一郎『ある男』(文春文庫、2021年)p.63

 今なら、自分だけの隠れ場を持つなら、断然、坂を下った処がいい。ちなみに、私もこの「中高(なかだか)のすっきりした顔」にとても弱いことはさておき。。
fox


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