先日、某広告専門誌の方から取材を受けた。研究者としての今までの自分の履歴とこれからの専門領域についてのインタビューである。自分は実務家教員であり、アカデミズムの世界でずっとやってこられた他の研究者のみなさんのように系統だった学術的履歴は持ち合わせてはいない。ので、こうした話ができる資格は毛頭ないが、恥を承知ではるか昔を思い起こすと、高校生の頃、オスカー・ワイルドに傾注し原文を読み耽っていたのが最初なのかもしれない。その後、一浪して大学に入るまでいろいろあったが、大学では尊敬する河村錠一郎先生のゼミに入り、そこでマニエリスム美術や世紀末芸術に心酔した。シュニッツラーの小説を読み、セセッションの美術に憧れた。

 だから、もしも自分の研究の原点みたいなものがあるとしたら、おそらくはそのあたりなのだろうと思う。ワイルドの「ドリアン・グレイの肖像」やシュニッツラーの「夢小説」「闇への逃走」等のペエジを開く度、今でも特別なトキメキがまざまざと甦ってくる。彼らの生きた時代の空気を吸いたくて、ロンドンのサヴォイホテル周辺やウィーンのリング通りを徘徊したこともある。また、日本近代文学では、中学生の頃からずっと太宰治と中原中也に恋い焦がれ続けている。ワイルドやシュニッツラーとは一見関係なさそうにも思えるが、その根底に共通して流れているのは「芸術至上主義」への憧れではなかったか。

 さて、これからの自分の研究は、まずもって専門領域である広告コミュニケーション分野のクリエイティブ論やデザイン論の深度を高めていくことにあるのは言うまでもないが、その合間を縫って、今まで自分が直感的に興味を持ち続けてきたこうした文学や美術と広告芸術の繋がりを模索し学際的に体系化することができたらと思っている。そのヒントはやはり「芸術至上主義」にあるのではないかと改めて気づくことができたインタビューだった。

 話は脇にそれるが(でも、ひょっとしてこれも関係あるかも)、自分が1920年〜30年代の古いコンタックスやライカのヴィンテージカメラの、あの黒とニッケルの色合いにどうしようもなく心引かれるのも、その色味とデザインがウィーン分離派の流れを受けているからではないだろうか。以下、竹田正一郎著『コンタックス物語』の冒頭の蠱惑的な文章を引用しておく。

 パリのカフェでの談笑が被写体になり、ベルリンのキャバレーの舞台に人はカメラを向けた。音楽、ざわめき、シャンパングラス、キャビアのサンドイッチ、照明の輝き、香水の匂い、ボブ(断髪)、燕尾服の給仕、紫煙、ビロードのドレスの胸のスミレのコルサージュ(花束)、「コンタックス」や「ライカ」は、これらの都会の風物の、一部となったのである。

 しかしそれと同時に、カメラは世界の深層に下りてゆく道であり、過去と死に通じる手段でもある。ヴァルター・ベンヤミンが指摘するごとく、それは精神分析がわれわれの内部から無意識を引きずり出すように、世界の中からもう一つの世界、つまり世界の無意識とでもいうべきものを、引きずり出すのに貢献している。つまり撮影のときに見えていなかったものが、写真によって明らかになり、それによってわれわれは、世界の中に埋没していた深い世界、普通に見ているときの世界よりも、もっと複雑でもっと大きい世界があることに、気づかされるのだ。


竹田正一郎著『コンタックス物語 ツァイス・カメラの足跡』(朝日ソノラマ、2006年)より