ここのところ、「鼻」のことでアタマの中が一杯なのである。花粉症がひどくなったわけではない。蓄膿がひどくなったわけでもない(若い頃からずっと慢性の副鼻腔炎ではあるが)。

 原因は谷崎潤一郎の『武州公秘話』にある。『乱菊物語』に引き続き、この歴史小説のスタイルを取った『武州公秘話』を久しぶりに読み返してみたのであるが、合戦の最中、討ち取った相手の首を持ち帰る余裕がない時に鼻だけを削いで持ち帰ってくる「女首」の話に始まり、この小説の中で連綿と続いていく表象が「鼻」なのである。あるいは「鼻のない顔」である。

 となると、次に再読すべきなのはもちろんゴーゴリの『鼻』であり、芥川龍之介の『鼻』となる。特にゴーゴリの『鼻』は最初に読んだのは中学生の頃だろうか。カフカの『変身』と同じ匂いを感じた。カフカを戯作文学風にした感じ。

 ま、それはさておき、人はなぜにこんなに「鼻」にフェティッシュに興味を抱くのであろうか。自己のアイデンティティの要である「顔」の、そのまた中心に隆起しているからだろうか。