今年は丑(うし)年である。自分の干支と同じ。ということは、年男? ということは、つまり……。そうなのである。今年の誕生日で五回目の年男、還暦を迎えるのである。(目眩がしますw)
 昔、実家の和室の床の間に二頭の牛の置物が飾ってあった。大きな牛と小さな牛。父が昭和四十年代に買ったものである。私は父が三十六歳の時の子で、どちらも干支が同じなのである。親牛と子牛。

 さて去年は、……六星占星術によると私は去年から大殺界に入っているのだが、全世界がパンデミックな状態で、どこまでが自分ひとりの運気の問題だったのかまるで見当がつかない。

 そんな中、大学の研究分野では論文をひとつ仕上げた。現代の広告クリエイティブにおける実在論的傾向に関する考察で、今年2月に公開予定。そして、引き続き次の論文ももうすぐ第一稿があがる。(こちらは竹久夢二のノスタルジア研究)大学の授業も試行錯誤の連続だった。でも、オンラインだってここまでのことは出来るという目処が自分なりには付いたと思っている。ご多分に漏れず個人でお受けしている仕事は激減した。これから、大学の教育と研究と個人の仕事の両立をどのように図っていくべきか、思案のしどころではある。でも、戸惑っていても何も解決しない。事態が安易に元に戻るとは考えない方がいい。去年一年間でこの世界の価値観が大きく変わってしまった。今年もそれを受け入れて前に進むだけである。

 年末年始は安藤鶴夫さんの古い小説なんぞを読んでいた。『巷談 本牧亭』。この作品が直木賞を受賞したのは昭和三十八年。私が生まれた二年後である。親牛が若かった頃の時代の匂いを嗅いでみたくて。親牛は六回目の年男を迎えた年に(誕生日を迎えることなく)この世を去ったが(生きていたら今年八回目の年男)、さて、子牛の方はいかに。