新型コロナウイルスの感染拡大は容易には終息しそうもなく、我々はこの状況を1年〜2年スパンで考えないといけないようだ。afterコロナではなくwith コロナという意識が我々の中で出来つつある。自分もそう思う。高温多湿の夏場にいったん小康状態にはなるものの、また秋から冬にかけて、そして来年の春先と、この戦いはかなり長く続くと覚悟しなければならない。その間に画期的な治療薬やワクチンが開発されない限り、ロシアンルーレットみたいに毎日誰かが亡くなってしまう。それは自分かもしれないし自分の大切な家族・友人かもしれない。なんとも暗鬱な、そして常にヒリヒリとした緊張感の中で我々はこれからの人生を生きていくことになる。だからといって、厭世的になってばかりもいられない。私の場合、まずは大学教員として、いかに学生のみなさんが納得し満足してくれるオンライン授業を構築できるか、試行錯誤を重ねつつもなるべく短期間の間に自分なりのベストの手法を提示しなくてはならない。ひとりのクリエイティブ・ディレクターとして、ひととひととが直接会えない時代の「コミュニケーション」をどう考えるのか、それをどのように表現していけるのかを考え抜かなくてはならない。今こそこの困難な状況に向かって建設的にチャレンジしていくべき時だ。

 けれども、同時にこんなことも思う。自分たちの世代はつくづく恵まれていた世代だったのだと。1980〜90年代に20〜30代を過ごすことができた自分たち。もちろんその間に世界ではイデオロギーが終焉を迎え、日本ではバブルの狂乱とその崩壊、2000年代後半からは長く続く不景気に見舞われたが、とりあえず、日本全国津々浦々何処にでも行けたし、憧れと冒険心を持って世界中のほとんどの場所を訪れることができた。そうしたさまざまな場所でさまざまな経験をし、さまざまな人からダイレクトにかつリアルに受けた刺激が現在の自分の思索の糧になっている。それが2000年を過ぎて、2001年の9.11、2011年には3.11、そして今年の新型コロナウイルスと、10年に一度のスパンでそれまでの思考をリセットさせられるほどの強烈な体験を我々は強いられている。1980年代生まれ以降の若い人たちは、20代〜30代のアドレッセンスを、この世界を、心から素晴らしいと思えたことがあったのだろうか。自分たちの世代に「世界は素晴らしい」と心から思えた瞬間が何度かあったように。……そんなことを思っていたら、夢二じゃないけれど「早く昔になればいい」、彼ら彼女らにも「あの昔」を味わせてあげたらなあ、なんておせっかいな(大きなお世話な)ことまで考える始末で、これはなんとも建設的ではないなあと反省しつつ、でも実は、「昔に戻る」ことこそ最も勇気が要って建設的なことなのではないか、そうどこかで確信している自分もいたりするようだ。take me back to then when life was mellow.