インターネット四半世紀である。1995年にウィンドウズ95が発売。この年、流行語大賞のトップテンにインターネットという言葉がノミネートされた。あれから25年。正確に言えばインターネットではなく WWW(world wide web)の歴史が1990年代から本格的に始まったわけだが、その間にメディア環境もテクノロジーもべき乗に変化していった。今ではインターネットで検索しSNSでコミュニケーションすることが我々の日常生活。プライバシーの感覚もインターネット前と後では180度変わってしまった。

 フェイスブックの日本語版が公開されたのは2008年。デジタルのクリエイティブを生業としていた私はすぐに参加し、自分の日々のデータをアップロードし友人のアクティビティに「いいね」を押しコメントを付け続けた。でも、ここ5年ぐらい、フェイスブックをはじめとする各種SNSに対してはあまりアクティブとは言えない。友人たちの近況を知るのは楽しいし、彼ら彼女らの読む本、訪れる展覧会、チェックしているニュースソースを知ることは自分にとってとても役に立つ。でも、そのコミュニティの中に自分がじわじわと固定化されていく気分になるのはなぜだろう? 新しい友人が増え続けてますますネットワークの幅が拡大していっているはずなのに。その理由をロジカルに説明することができなくてなんとも歯がゆいのだが(哲学者・批評家の東浩紀さんがそのあたりのことを各著作の中できちんと説明されていたはずなので、近いうちに精読し直したい)、チャーミングなセレンディピティが生まれる気があまりしない。

 実際、最近遭遇したセレンディピティを思い返してみると、国会図書館で見つけた論文に魅惑されてその著者に会いに行こうと決心したり、気まぐれに訪れた地方のバスツアーで隣の席になった方と仲良くなったり、講演の後で「話が面白かった!」と追いかけてきてくれた方と話し込んだりと、きっかけはSNSではなくすべてリアルなシチュエーションからだった。だから2020年の年初に、私は次のように決心したのである。新しい方々との出会い、あるいは旧知の方々との今までとは違う付き合いを探して、これからはよりいっそう自分から積極的にリアルな場所でのダイレクトなコミュニケーションを追い求めていきたいと。SNSはその継続のためにあればいい。

 ところが、この新型コロナウイルスの深刻な感染拡大である。相手と直接会えない、直接確かめ合えないことの切なさとつらさ。でも、今のこの状況では感傷的なことを言っている余地は皆無だ。直接会えなくともオンラインで互いの気持ちをどこまで伝え合えるのかを必死に考えながら、zoomを使ったオンライン授業の準備をし、新年度になって人生をリフレッシュした友人たちと会える日々を楽しみに待つ毎日である。

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Elmar 35mm f3.5 L + M9-P + Silver Efex Pro


 新型コロナウイルスでお亡くなりになった方々に謹んで哀悼の意を表すとともに、体調を崩されている方々の一日も早い回復を、そして一日も早いウイルスの終息を祈りつつ。よりいっそう自らの行動に自戒を込めて。2020年4月1日。