いちおう、ワタクシも研究者の端くれなので(汗)、年に一本は論文もしくは研究ノートを執筆すべく格闘している。今年の夏に取り組んでいるのは、現代の広告クリエイティブと近代日本文学を関連付ける考察で、今までにもよく言われていることだが、かの太宰治の文章をコピーライターの資質として改めて検証するというものである。現在、三鷹の太宰治文学サロンにてその名もズバリ「コピーライター太宰治」展だってやっているし、そうしたことを論じる近代日本文学の研究者の方々は以前からたくさんいらっしゃるが、広告クリエイティブの研究者や広告の実務制作者が太宰治のコピーライティングについて詳細分析している書籍や論文はあまり見たことがない。ので、ここは太宰ファン歴かれこれ四十年余のワタクシが奮闘してみようかと。コピーライティングの見地から改めて太宰作品を読み直してみると、やはり女性の一人称文体の「斜陽」や「女生徒」がわかりやすく秀逸である。

 恋、と書いたら、あと、書けなくなった。

 あさ、眼をさますときの気持は、面白い。

 などなど。でも、コピーライティングの究極の奥義は、実は「フォスフォレッスセンス」という小品に隠されているのではないか、というのが現段階での論旨である。その根拠は、……

 さて。コピーライティングとは関係ない話だが、太宰がこの「フォスフォレッスセンス」を書いたのは亡くなる前の年の5月か6月。この作品の後に「斜陽」「人間失格」そして絶筆となった「グッド・バイ」が続くが、ワタクシはこの「フォスフォレッスセンス」にこそ、太宰の死に対する想いが最も表れているように思う。後半に出てくる、夫が南方から帰ってこない「あのひと」は、ともに入水した山崎富栄がモデルであろうし。