四年前、あのままサラリーマンを続けていたら今頃どうだったんだろうと、最近ふと思うことがある。定年まであと二年。でも、再雇用を希望すればプラス五年。六十歳からの収入は激減するだろうが、年金の受給額を勘案すればその方がかえって節税対策になったりもする。大企業の福利厚生はつくづくよくできているのだ。だから、あのままサラリーマン生活をまっとうしておけば、それはそれで安定した老後を送ることもできただろう。
 今後、公務員も民間のサラリーマンも定年が延長されたり、あるいは定年そのものがなくなるケースも増えてくるだろう。でも、どんなに人生100年時代になろうとも、企業の現場で活躍できる年齢のピークは厳然としてあって、それが創造的な職務であればなおさら、後進に道を譲らなくてはならない時期は早い段階で迫ってくる。

 自分の場合は、いつまでも現場のディレクターをやり続けたかったタチで、五十の半ば近くになってもそれなりに自分の能力に関しては自信を持っていたように思われる。誰よりもアイデアは出せるし、さまざまな見識はあるし、結果誰よりもセンスの良いディレクションができる。まだまだ「若いもんには負けん!」というやつである。でも、仮に能力的にはそうだったとしても、きっともう若い頃のようには、仕事仲間に対してチャーミングに微笑むことはできなかっただろうし、楽しげな会話を創り出し得なくなっていたのではないか。今思うとそんな気がする。「若いもんには負けん!」と思っているオッサンは一度、自分が仕事仲間とミーティングをしている風景を客観的に観察するべきだと思う。ほんとうにあなたは周りに対してネガティブな雰囲気を醸し出していないか? 

 さて。サラリーマンを辞めてひとりで仕事をしつつ、大学で教育と研究にも携わらせていただくようになった今は、ようやくこんな心境になれている気がする。前にいた会社の後輩たちがどんどん活躍して欲しいと思うし、仕事でごいっしょする仲間たちにはどんどん追い抜いて欲しいと。少しは成長したのかな?

 ちょっと前まではな、若いやつにはって気持ちがあったけど、最近はなんだか踏みつけられて乗り越えられることが快感になってきた。こいつはすごいな、俺より大物になるなって感じると嬉しくなってくる。むしろそういう奴がいないと、なんだまったくって思っちまう。
小路幸也『東京公園』(平成18年、新潮社)