僕はひとり、久しぶりに訪れたその街の、緩やかに蛇行する通りをゆっくりと歩いている。通りに沿って並んでいるカフェやレストラン、ギフトショップの建物に紛れてホテルが一軒建っている。それは、ずっと昔に廃業したはずのホテルだったりする。
 僕は通りを歩き続ける。風はそよとも吹かない。通りはオレンジ色の照明に照らされて、まるで映画のセットのようだ。ひょっとして、これは現実の世界ではないのかも、と僕は思い始める。だったら、それならそれで全然構やしないのだ。みんな拵えものでいいんじゃないの、と僕は思う。それにうつつを抜かして生きている人生で構わないんじゃないの、と僕は思う。プーシキンの「エレジー」を想い出しながら。


 もの狂おしき年つきの消えはてた喜びは、にごれる宿酔に似てこころを重くおしつける。
 すぎた日々の悲しみは、こころのなかで、酒のように、ときのたつほどつよくなる。
 わが道はくらく、わがゆくさきの荒海は、くるしみを、また悲しみを約束する。
 だが友よ、死をわたしはのぞまない。わたしは生きたい、ものを思い苦しむために。
 かなしみ、わずらい、愁いのなかにも、なぐさめの日のあることを忘れない。
 ときにはふたたび気まぐれな風に身をゆだね、こしらえごとにうつつを抜かすこともあるだろう。
 でも小気味のいい嘘を夢の力で呼びおこし、としつきはうつろい流れても。


清水邦夫『夢去りて、オルフェ』(1988年、レクラム社)

*原典はプーシキン詩集のなかの「エレジー」。金子幸彦氏の訳とは最後の部分が異なっているが、ここでは清水邦夫氏の戯曲での訳を引用。