今にも雪が舞い落ちてきそうな冬空の下、僕は古いローライフレックスを首からぶら下げて凍えながら街を歩いている。馴染みの古本屋は本日休業、シャッターを下ろして店ごと悴んでいる。その脇に地蔵が一体、色あせた朱の頭巾を被ってぽつりと寂しそうに立っている。摩耗してほとんど表情が読み取れないその横顔に西日が赤々と差している。シャッターボタンに人差し指を当てる。金属の先端がツンと冷えている。巻き上げてあったかどうだったか。現像してみたら二重露光だらけかもしれぬ。あるいは何も写ってない箇所が何カットもあるかもしれぬ。入れたフィルムはISO400だったか100だったか。そもそもカラーだったかモノクロだったか。

 通りをしばらく進むと、最近出来たばかりらしい大型の新築のマンションが見えてきた。エントランス前に置いてあるパンフレットを手に取ると、ここはマンションではなく有料老人ホームらしい。「要介護認定5の方も認知症の方も入居可、胃瘻の方の介護も万全」と書かれている。入居時2500万、月額家賃30万。各階の窓辺には花もなければカーテンもかかっていない。おそらくはまだほとんどが空室なのだろう。僕は自分が二十年後ここで生活している情景を思い浮かべる。
 その老人ホームの先には、築30年以上は経過しているであろうプレハブの安アパアトが二軒建っている。手前の建物の一階のドアのひとつが開いて、若い学生がひとり外に出てくる。饐えて黴びた部屋の匂いがぷんとする。もうひとつの建物の二階のドアがひとつ開いて、外階段を降りてくるハイヒールの音がする。甘ったるい香水の匂いがぷんとする。僕は自分が三十年前ここで生活している情景を思い浮かべる。

 それから、僕はなんともウンザリした気分になってきて、……なににウンザリしたのだろう。想い出すことにか、思い起こすことにか。いやおそらくは、いつもそんなことを繰り返してばかりいる我々人間の、間延びしたやり口そのものに僕はウンザリしたのかもしれぬ。

 回れ右をして来た道を引き返す。すると風景が一変し始めた。通りの反対側に「架空ショップ」という看板を出した店がある。ないものを売っている店ということか、あるいは店内には誰もいないということか、はたまた店そのものが実際は存在していないということか。
 そうだ、いっそのこと、みんな架空だったらいいのにと思う。誰かが今日一日のこの街で繰り広げられるあらゆるシーンのシナリオを書いて、それをみんながひたすら演じるのだ。次の日はまた誰か別の人がシナリオを書いて。その方が現実なんかよりずっとシズル感がある。

 いつの間にか、いつもの公園に戻ってきた。併設された動物園のゲートをくぐることにする。無性に人間以外の生きものが見たくなったのだ。時刻は16時ちょうど。「あと一時間で閉園になりますがよろしいですか?」

 山羊のお腹はどうしてこんなに大きいのだろうと僕は思う。横にこんもりと膨れ上がっている。妊娠しているのか、たくさん草を食んだのか、あるいは悪い腫瘍ができているのか。フェネック狐はどうしてこんなに耳が立っているのだろうと僕は思う。どうしてネコ科じゃなくてイヌ科なんだろう。どうしてこんな不可思議な鳥みたいな鳴き声なんだろう。

 ワシミミズクにじっと見つめられながら、僕はローライフレックスのファインダーを上から覗く。二眼レフの鏡像が左右逆転するのは知っているが、上下は現実のままなのか、あるいは上下もほんとうは逆転しているのではないかと僕は不安になる。……シャッターボタンに人差し指を当てる。金属の先端がツンと冷えている。巻き上げしてあったかどうだったか、またわからなくなってくる。

magic hour

Summitar 5cm f2 + M9-P