人生100年時代。これからは3ステージではなく4ステージで人生を考えるべきだといろんな人が言っている。それによれば、50歳からこそが円熟の第3ステージ。25歳までの第1ステージ、50歳までの第2ステージに仕込んできたさまざまなモノゴトを花開かせる時期らしい。
さて、今までの我が人生、たぶん、人並み以上にいろんなことにチャレンジし、さまざまな自分を多角的に創り出そうと努力してきたつもりである。そしてこれからも、それらを組み合わせ、まだまだ新しいことにたくさんチャレンジしていくつもり。少なくとも70歳までは現役を貫く。その気力は十分にあると思っているし、新しい未来の自分にワクワクしている。
でも、同時に、今までよくやった、もう十分かもしれない、これからは、ほんとうに新しいことなんか起こりはしない。……そう思っている自分もいたりする。
決して厭世的になっているわけではなく、でも、仮に寿命が100歳まで延びようとも、何かに相応しい季節というのはやはり決まっていて、我々はそれを安易に引き延ばせるものではないのだ。だから、もう。でも、まだ。……このところ、そんな錯綜した気持ちがいつも心の奥底に沈殿していたのであるが、吉田篤弘さんの小説「おるもすと」を読んでいたら、しっくりと合点がゆく文章に出会った。
もうほとんど何もかも終えてしまったというのに、どうしても自分はそれを終えることができない。
僕はそうして、もうずいぶんといろいろな物や事を忘れてしまった。忘れてしまったのだから何も覚えていない。ただ、少し前まではいまよりもう少し複雑な何かや、やきもきする気がかりなことや不安なんかを抱えていたように思う。
その他のほとんどのことは終えてしまったり忘れてしまったりしたけれど、わざと少し色を塗り残すみたいに、想像する思いだけは、手つかずのまま変わらないようにと願っている。
吉田篤弘『おるもすと』より
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