文庫になったので、遅ればせながら内館牧子さんの「終わった人」を読んだ。
五十代後半の我々世代にとって、ほんとうに身につまされる小説である。あと数年で定年を迎える知人たちも、今、みんなとても悩んでいる。スッパリ六十歳で辞めるか、給料半額以下になっても五年間の定年延長を選択するか。あるいは、子会社に転籍して数年間は給料据え置きを狙うか。
自分もサラリーマンを辞める際には苦悶する日々が続いたが、若い頃から、二者択一で悩んだときにはいつも次のような価値判断で岐路を選択して来たように思う。
それは、リスクはあろうとも、現状維持で待つよりは動いた方がゼッタイにいい、ということ。そして、常に新しいことにチャレンジする方に賭けた方がいい、ということ。「変わる」ことを積極的に選択すべし。かつてヴィスコンティ監督の映画の中で「変わらないために変わる」なんて台詞があったけれど、そんな貴族の矜持めいたものはさっさと捨てて、あるいは、心の奥底にひた隠しに隠して、ストレートに「変わるために変わる」道を選んだ方がいい、ということ。
でも。改めて思い返してみると、自分の場合は「手に職」とまではいかないまでも、それでも専門的な技量や知識・人脈が得られる職場環境に恵まれていたからよかったものの、ずっと営業畑や管理畑に所属していた人(そして、彼らこそが会社の屋台骨を支えてきてくれたのだ)にとっては、五十代後半からの転職や起業はかなり大きなリスクを伴う。同等の給料を支払ってくれる会社などまず見つからない。大企業のマネジメント職というのは、その後、なんともツブシが効かない人種になってしまうのである。メチャクチャ優秀なのに、ただ単に派閥争いに負けたというだけで「終わり」になる。自分が直接闘って敗れたのならまだしも、自分の上司が敗れたというだけで。この本の中にも出てくるが、サラリーマンとは他人にカードを握られた人生なのだ。
小説「終わった人」の主人公もまさしくそれで、東大法学部卒メガバンク入行、エリート街道まっしぐら、役員手前まで行ったものの最後は子会社に出向になり定年を迎える。仕事で「成仏」できなかった反動からか、新興のIT企業の顧問を引き受け、その後、巨額の個人資産を失うはめになる。長年連れ添った妻に三行半を突きつけられるが、それでも彼は以前よりも晴れ晴れとしている印象を受ける。無為な年金生活を送るより、数千万スッてでも、動かないよりは動いた方がマシ、ということか。
それにしても、内舘牧子さんはどうしてこんなにも男性心理が手に取るようにわかるのであろうか。さすがである。最後の方で、娘が離婚危機の両親に向かって(特に母親に)吐く台詞がメチャクチャ格好良かった。
あと、この小説には石川啄木の詩が通底している。主人公が盛岡出身なのだ。啄木ファンとしても十分楽しめる小説である。
映画も上映されているみたいだし、見てみよう。主人公の舘ひろしが恋心を抱く久里さん役は広末涼子。
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