大学で担当しているゼミの名称を「ひとと違ったことを考えられるようになる、ためのゼミ」あるいは「ひとと違う考えをカタチにできるようになる、ためのゼミ」としてみた。ちょいと気に利いた風なことを言ってみたくなるのは良くも悪くも広告業界育ちのせいであるが、この、ひとと違う自分、なんて言い回し、ほんとうはそんなに容易く実務的に使う言葉ではないと思っている。たぶん。

 だって。あなたとわたし。もともと違っているのがアタリマエなのである。どんなに同じような体験を重ね、同じような生活を送り、同じような記憶を脳に蓄積していようとも、あなたとわたしは最初から計り知れないほど違っているのである。きっと。感じていることを言葉にしたり絵に描いたりしてみると、うまく意思疎通もできるし、似たもの同士なあなたとわたし。でも、あなたがほんとうに今なにをどう感じているのかはわたしには永遠に理解できない。なぜならば、あなたとわたしとでは、それぞれが抱え込んでいるクオリア(感覚質)が根本的に違うはずだから。たぶん。

 だから、安易に「Be different」とか「ひとと違ったことを考えられるようになるためのテクニック、あるいはスキル教えます」などと口にする人間(私のことである)なんぞは信頼してはいけないのである。ではなくて、その人間がどのくらい複層的にそうしたことを口にしているのか、隠喩のそのまた隠喩まで想像してくれることを、その人間は期待しているのである。きっと。

 はてさて。ところで、うちのこの犬はどんなクオリアを抱え込んで世界を認識しているのだろうか。地上30センチぐらいのローアングルから見る世界。人間の100万倍以上と言われる嗅覚で嗅ぎ取るこの世界。はたしてそれらはどんな世界なのだろう。そうしたことを想像するのも動物を飼う楽しみのひとつである。

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