やはり、この世界の秘密を解く鍵は「音」と「匂」の中に隠されている気がしてならない。

 私は少年の時に夏の朝、鎌倉八幡宮の庭の蓮の花の開く音をきいたことがあった。秋の夕、玉川の河原で月見草の花の開く音に耳を傾けたこともあった。夢のような昔の夢のような思い出でしかない。ほのかな音への憧憬は今の私からも去らない。私は今は偶然性の誕生の音を聞こうとしている。(中略)
 匂も私のあくがれの一つだ。私は告白するが、青年時代にはほのかな白粉の匂に不可抗的な魅惑を感じた。巴里にいた頃は女の香水ではゲルランのラール・ブルー(青い時)やランヴァンのケルク・フラール(若干の花)の匂が好きだった。匂が男性的だというので自分でもゲルランのブッケ・ド・フォーン(山羊神の花束)をチョッキの裏にふりかけていたこともあった。今日ではすべてが過去に沈んでしまった。そして私は秋になってしめやかな日には庭の木犀の匂を書斎の窓で嗅ぐのを好むようになった。私はただひとりでしみじみと嗅ぐ。そうすると私は遠い遠いところへ運ばれてしまう。私が生まれたよりももっと遠いところへ。そこではまだ可能が可能のままであったところへ。

九鬼周造 「音と匂──偶然性の音と可能性の匂」