シアワセってなんだろう、と時々、柄にもないことを考える。やはり、安定して予定調和に守られてこそのシアワセなんだろうか、それとも happiness の語源が示すとおり、毎日が happening の連続こそをシアワセと言うのだろうか。

 じぶんってなんだろう、と時々、柄にもないことを考える。この、他者とはゼッタイに違う、唯一無二のじぶん。じぶん、じぶん。じぶんが死んだら世界はなくなる?でも、はたして、じぶんを明解に確立していることはほんとうにシアワセなことなんだろうか。年を重ねるにつれてその疑いが増す。

 ボードレールはこう言った。守られたじぶんなんて「金庫の中に閉ざされたエゴイスト」に過ぎないと。さあ、諸君、群衆の中で沐浴(ゆあみ)しよう、群衆の中で自分の囲いを外し、未知なるものすべてにじぶんをそっくり与えようと。神聖なる売春をしようと。

 匿名性の中に紛れ込み、世界の中に完全に溶け込んでしまうことは魅惑の極みである。だけれども、これほど恐ろしいこともない。じぶんはあらゆるところに属していて、ゆえにじぶんはどこにも属していない。

 そんなことを、時々、柄にもなく考える。