どんな仕事、どんな職業にも、人には絶頂期というものがある。残念ながらその時期を過ぎると、能力もセンスも下降線を辿っていく。出来得ることなら葛飾北斎のように80歳を過ぎてもバリバリの現役画家でいたいし、伊藤人誉のように「九十歳を過ぎてから却って小説が書けるようになりました」などと言ってみたいものだが、そうした特殊な天才を別にすると、たいがいは40歳を過ぎてしばらくしたあたりでピークを迎える。スポーツ選手などはそのピークが10年近く早い場合もある。で、我々はそうした年齢を過ぎた後、これからの自分の人生をどうエディトリアルしていくのかに苦悩するわけである。会社員であれば、マネジメントに転向する、あるいは同じ仕事をしながらも後輩の育成にシフトしていく、というのがお決まりのパターンであろうか。あるいは、今までの資産を生かしつつもまったく異なる職業に転向する場合もあるだろう。所謂第二の人生というわけである。人生の後半を面白くするのは、このシフトチェンジをいかに自分が納得いくレベルで行えるかにかかっているような気がする。自分の1stステージにおける資産が枯れ切ってからでは遅い。いつまでも今までの自分にしがみついていては、たぶん、あまり良い結果は得られない。

 2015年に公開されたアメリカ映画で「Re・ライフ」(原題、Rewright)というのがある。主演ヒュー・グラント。かつてのハリウッドのスター脚本家が歳を取ってから売れなくなって、第二の人生を教職に見いだす話である。



 ヒュー・グラントはこの手の役回りを演じさせると本当にいい味を出す。2007年の「ラブソングができるまで」も同じような役回り。(ま、監督と脚本が同じマーク・ローレンスだし)こちらは、かつての花形ロックンローラーがもう一度ヒット作を創り出すお話。



 「Re・ライフ」をもう一度見直してみた。つくづく人生の滋味に溢れた映画である。第二の人生はあくまで第二の人生。決して絶頂期が甦るわけではない。でも、歳を取ったからこそ新たに出来ること・感じられることは、この世の中にはまだまだたくさんある、と思うのだ。