曲がりなりにもクリエイティブを生業としているものにとって、「コンテンツとコンテキスト」の関係は永遠の課題である。コンテンツとは内容そのもの、一方のコンテキストとは文脈のことである。

 我々は若い頃から、アイデアとは、コンテンツ(内容)ではなくコンテキスト(文脈)に宿ると教わってきた。いかに言うか?老眼鏡と言えば身も蓋もないが、それをリーディンググラスとしてみたらどうだろう?あるいは、同じ結論を述べるにしても、その前に意外な物言いをしてみる。相手にとって気になる文脈に組み立て直すのである。ようは、「ものは言い様」ということである。

 しかし、今のクリエイティブは様相が変わってきている。気の利いた文脈で洒落たことを言うヒマがあったら、圧倒的なコンテンツ力で押し通す。アイデアの構造はむしろ単純な方がいい。「みんながマネしやすい=拡散しやすい」という訳である。

 どちらがクリエイティブとして正しいのかは簡単には判断できないけれど、最近、非広告分野の人たちとの付き合いが多くなって、そうした状況の中で思うことは、やはり従来の気の利いた文脈だけの勝負ではこれからは食ってはいけないということである。気の利いたコピーが書ける、チャーミングな演出ができるだけではダメで、それをオリジナルの脚本や作品に仕上げきるパワーと精緻さと普遍性が必要なのだ。

 先日、ある大手プロダクションの社長とそんなことを話していたら、残念ながら従来の広告業界のクリエイティブにはそこまでの力がまだない。でも、文脈のクリエイティブの実戦経験を豊富に持つものならば、ちょっと意識改革をするだけで、コンテンツそのものを創り上げるレイヤーに移行できるはずなのだけれど、とおっしゃっていた。まさにその通り、だと思う。

 そんな話をしていて、たぶん、自分が広告会社を辞めた理由の一因はこのあたりにありそうだなと改めて気がついた。「ものは言い様」だけで生計を立てていけるほどこれからの世の中は甘くないと思ったのである。洒落た頓智だけ言い続けて生涯を終わるのはかえってなんだかダサくねえかと思ったのである。

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