naotoiwa's essays and photos

2026年04月


 現在、畠山美術館で開催されている「王朝のみやび」展と「守屋多々志の華麗な歴史画」展、素晴らしかった。

 「王朝のみやび」展では、改めて日本文化の「余白」の粋を堪能できる。例えば、酒井抱一の《富士見業原図屏風》。富士山は比叡山の何倍もの高さであると言葉で綴りながら、在原業平が見上げる先に肝心の富士山は描かれていない。逆に人物を敢えて描かない「留守文様」という手法もあるという。《蔦の細道蒔絵硯箱》では、蔦と楓という借景と、僧が背中に背負う笈(おい)という小道具のを描いて、肝心の主人公(伊勢物語の一節なのでこちらも在原業平)を描かない。あるいは、尾形乾山の《色絵藤透鉢》《色絵菊透鉢》。透かし絵ならぬ透かし鉢。所々、葉や茎の花びらの一部が立体的に刳り抜かれている。余白の美学、不在の美学のオンパレード。和歌や短歌で印される署名の「読人不知」(よみ人知らず)だってそうだ。匿名性の美学。

 「守屋多々志の華麗な歴史画」展も新たな発見が多かった。守屋さんが著名な日本画家で故郷が同じ岐阜県大垣市であることは知っていたが、生まれが船町(亡母の実家である)、育ったのは桐ヶ崎(高校まで過ごした家が桐ヶ崎町)で、卒業した小学校も高校も同じ(興文小学校、大垣北高校)だった。故郷の誉れ、尊敬すべき大先輩である。日本画の歴史画ももちろん素晴らしいが、1950年代にイタリアに留学していた時に描いた絵が特に味わい深かった。例えば、フィレンツェのサン・マルコ修道院、フラ・アンジェリコの絵がある窓辺を描いた《アンジェリコの窓》。昭和50年代に朝日新聞社から出版された『イタリア紀行』という画集があるらしい。大垣市にある守屋さんの美術館も改めてゆっくりと訪問してみたい。今年の夏は故郷で亡母の十三回忌の法要もあるし。

rainbow

Nikkor-S Auto 58mm f1.4 + Zf


 雨上がりの大きな虹。
 このレンズ、絞り込むと豹変する。
 色味は少し濁るが。


jizou

Nikko-S Auto 58mm f1.4 + Zf


 ニッコールFマウント、初期の大口径。
 おそらく自分と同い年の製造。
 開放だとここまで柔らかい。


海へ

Color Skopar 50mm f2.2 + M10-P


 海へ。



 ライカユーザーの評判がとてもいいみたいなので試しに使ってみたけど、たしかにこのレンズ、スペックは凡庸だが、素晴らしい写りをする。最短距離もライブビューを使えば50㎝。そしてなによりも軽くて小さい。鏡胴の外観も、アルミ製だが陳腐な感じもしない。

ayame

jizou

Color Skopar 50mm f2.2 + M9-P



 昨年9月にお亡くなりになった大学時代の恩師、河村錠一郎先生を偲ぶ会に伺った。合わせて、歴代のゼミ生で「河村錠一郎先生の想い出」を綴るエッセイ集を編纂することになったと連絡をいただいたので、僭越ながら私も寄稿させていただくことにした。

 高校生の頃、オスカー・ワイルドの芸術至上主義に憧れ、将来はイギリス文学を専攻する気満々(?)だった私ですが、共通一次試験の初年度に当たって散々な目に遭い、翌年、社会科学の大学に入学しました。もちろん一橋大学の社会学部は当時から社会科学と人文科学の融合を目指した学部でしたが、自分が興味を持てる専門科目がなかなか見つからず、受験し直そうかと真剣に悩んでいたそんな時、河村錠一郎先生のゼミを知りました。そして、その日からこの大学が大好きになりました。
 毎週毎週、刺激的なテキストばかりが用意されていました。ある時はイタリアのマニエリスム画家、パルミジャニーノの《長い首のマドンナ》、ある時はイギリスのジャコビアン期の詩人、ジョン・ダンの『エレジー・唄とソネット』、またある時はラファエル前派の画家、ロセッティの《ベアータ・ベアトリクス》、そしてある時は十九世紀末の画家、ビアズリーの《サロメ》。……時空を自在にかけ巡る蠱惑的なゼミナールでした。
 ゼミ以外は授業の出席も成績も芳しくなかった私は、他大学の大学院で学芸員を目指すこともかなわず民間企業に就職しましたが、その後、三十年近く広告会社で、そして今も、クリエイティブ領域の仕事で自分なりの「表現」にこだわり続けてこられたのは、河村先生のおかげです。
 五十歳を過ぎて広告会社を辞め、大学の研究者を目指したのも、学生時代の河村ゼミのあの雰囲気が忘れられなかったからだと思います。
 さて、一橋大学には、その後、大学院に言語社会研究科が設立され、今では美術界はもとより人文科学の各分野においても素晴らしい人材を多数輩出しています。河村先生が一橋大学の地に蒔かれた種が華々しく開花したこと、河村ゼミの卒業生のひとりとして誇らしい限りです。(もう少し遅く生まれていたら、私も母校の大学院目指して猛勉強していたかも?)
 あの夏の日、研究室の冷蔵庫でキリリと冷えたイタリアの白ワインをごちそうになりながら、私たちが交代で「エレジー・唄とソネット」をたどたどしく朗読しているのを見かねて、きれいなクイーンズ・イングリッシュの発音を聞かせてくださった先生の芸術至上主義者たる優美なお姿が、今でも脳裏に浮かびます。
 私が現在、専門の広告分野の論文や研究ノートにおいても、なにかにつけて文学や美術、美学に関連付けてしまうのは、みんな河村先生のせいですね、きっと。

 合掌。

半跏思惟

Triplet Elmar 90mm f4 + MM (CCD)


 半跏思惟像?in the kitchen.




 伊藤整は大好きな小説家・詩人のひとりで、二十代の頃から『雪明かりの路』『若い詩人の肖像』『典子の生きかた』『感傷夫人』『誘惑』『氾濫』などを耽読していた。でも、当時、『変容』だけは途中で読むのを止めてしまった。二十代の自分が読むにはあまりにも老獪な小説に思えたからだろう。『変容』は作家が六十四歳で亡くなる前の年に書かれた作品である。
 そして時は過ぎ、いつの間にか自分が作家の没年を超える年齢になった。今ならば「若い詩人」ではなく、『変容』を書いた老人・伊藤整の心境がダイレクトに分かるのではと思い、初めてこの小説を最初から丁寧に読み進めることにした。

 案の上、人生をある程度長く生きた者だけが腹落ちする文章が随所に散りばめられている。

 色々なためらいや考が私と仕事との間に立ちふさがる。ほとんど六十年になろうとする私の生涯には、色々なことが起っている。ついに解決できないままで、心の安まらない思い出が幾つもある。仕事の向うと、真剣な気持ちになる。すると、その真剣な気持でさきにこれを解決してくれ、というように、不安定な思い出が目の前に浮び出るのだ。
伊藤整『変容』(岩波文庫、1983年)p.20


 愛と言うのは、執着という醜いものにつけた仮りの、美しい嘘の呼び名かと、私はよく思います。しかし執着が悟りを経て浄化したときに、そこに漂う清らかな空気の中に浮かぶ心が愛であるのか、と思うことがあります。執着やねたみや憎しみのあるところには、やがてそれをこやしとして愛というものが咲き出るのかも知れません。
同上 p.135

桜の森へ

Color Skopar 35mm f3.5 + MM(CCD)


 桜の森へ。


2012妙本寺

Planar C 80mm f2.8 + Hasselblad 500C/M + Fuji Pro400N

@鎌倉妙本寺 2012


 街の写真屋さんで35ミリフィルムの現像をしてくれるところはまだいくつかあるが、どこも店内で対応できるのはカラーネガフィルムのみ。モノクロフィルムもポジフィルムも外部のラボに出して一週間以上の待ち。だったらブローニーフィルムで撮っても現像の手間は変わらない。

 十四年前にハッセルブラッドで撮った鎌倉妙本寺のこの写真。繊細かつ柔らかく、デジタルではまだまだ表現し切れない世界がブローニーには残されていると思う。

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