naotoiwa's essays and photos

2025年12月


 
 この年末はエマヌエーレ・コッチャの『メタモルフォーゼの哲学』を読み耽っている。哲学書なのでもちろん難解な箇所も多々あるが、詩的な文章があちこちに散りばめられていて飽きることがない。(結果、多分に神秘主義的に感じてしまうこともあるのだけれど)

 ここ数ヶ月、無謀にも専門の広告表現のみならず、文学やアートの分野まで横断して、いわゆるポスト・ヒューマニズムの表現について論考する研究ノートと格闘しているのだけれど、その礎となる思想・哲学として、ガタリ(『三つのエコロジー』)やマトゥラーナとヴァレラの「オートポイエーシス理論」、あるいはハーマンの「オブジェクト指向存在論」、そしてモートンの『自然なきエコロジー』などを読み重ねているが、そうした中で、もっとも感覚的にしっくりというか、すっきりと入ってきたのがコッチャの『植物の生の哲学』だった。ので、現在、次作の『メタモルフォーゼの哲学』へと読み進んでいるわけである。なかでも「食事とメタモルフォーゼ」の章が特に感慨深かった。

 食べることが意味するのは、物質を自分の身体へ注入すること、成分とエネルギーを飲み込むことではない。食べることは、他者の生を自分の身体に注入することを意味している。

 生理学的な必要よりは、はるかに錬金術的な秘儀に類似したこの奇妙な作業

 栄養補給はたんに否定的な状態(生き延びる可能性を作り出すための栄養や能力が欠けていること)の帰結だとみなされることはできず、別の種を経由することで他者に出会い、別のものになる必然性を表している。

エマヌエーレ・コッチャ『メタモルフォーゼの哲学』(松葉類・宇佐美達朗 訳、勁草書房、2022年)
それぞれ p.97,p.96,p101 より引用

 
 本日、年越しのための滋養を付けるべく、自然薯を一本を買って(大和芋ではない)とろろ蕎麦を食べたが、これを読んでいたら、なにやら体全体が ”変態” しつつある気がしてきた!(生育の過程で形態が変わる方の ”変態” です、念のため)
 

 



 ビオゴン28mmF2.8(G mount)を買い足した。このレンズ、いいのである。階調がすばらしい。ハイライトもシャドウもどちらも粘る。以前に(10年ぐらい前)買ったものはMマウントに改造してライカで距離計連動させて使っている。でも、やはりもう少し寄りたい。本来の最短距離(50センチ)で使いたい。ということで買い直したのである。今回は素直にソニーのEマウントにヘリコイド付きのアダプターを付けて使うのである。
 あのチタンゴールドの鏡胴の色がどうしても苦手なので、数の少ないブラック鏡胴のものをずっと探していたのだけれど、先日、ようやくレンズ状態も良くて値段もリーゾナブルなものを見つけた。数が少ない分、通常のチタンゴールドのものよりは値段が張る。でも、このカールツアイスの名玉がライカレンズの五分の一ぐらいの値段で手に入るのだ。

 で、さっそく試写してみる。開放で撮ると、あれ? このレンズ、こんなにオールドレンズっぽかったかな、とちょっとびっくりしてしまった。ピントが合ったところはもちろん繊細にシャープなのだが、周辺はけっこうゆるく流れるし、ゴーストも出る。Mマウントに改造した方はきっちり端正に映る優等生なのに。対称型のビオゴンなので寄りすぎるとこうなるのか、あるいは個体差だろうか。でも、これはこれでけっこう気に入った。色温度も少し黄色に振って、オールドレンズらしさを強調してみることにする。

biogon1

biogon2

biogon3

all photos taken by Biogon 28mm f2.8 G mount + α7s


 90年代に京セラとツアイスがコラボしたこのGマウントレンズ、悪くないのである。例えば90ミリのゾナーなんてイマドキ2万円以下で程度のいいのが買えるが、マニアックなエルノスター型のレンズ構成である。今更ながら、プラナーの45ミリや35ミリも揃えてみたくなる。もちろん鏡胴の色はブラックで。

susuki

Sonnar 90mm f2.8 Gmount + α7s


 薄。


santa

Summilux 35mm f1.4 2nd + M9-P


 Merry Christmas.


紅葉

Hektor 7.3cm f1.9 + M9-P


 red leaves in winter







 還暦を過ぎた後も、自分が老人になっていく実感というのはあまりなかったが、年を越して来年の3月には65歳になる。いよいよ名実ともに高齢者(前期だけれど高齢者は高齢者)の仲間入りである。定年まで(幸いにもの本務校は70歳定年)あと5年。
 健康面でもいろいろ出始めた。今までは血液検査で指摘されるのは高脂血症(ほぼ遺伝)だけだったのに、今年になって血糖値にアテンションが入ったり、血圧も一時的ではあるが160近くまで(下も100以上)数値があがってしまった。腹部エコー検査を受ければ、膵臓に嚢胞ありで一年間経過を見ましょうと言われる。コロナの時期でさえ、コロナ、インフルのみならず風邪ひとつ引かなかったのに、今年の秋から冬にかけは、一ヶ月以上鼻炎をこじらせ(副鼻腔炎)微熱が続いた。担当医曰く「免疫力が落ちているみたいですね」。

 この状態で定年を迎えて、前期高齢者が後期高齢者になった十年後にはいったいどうなっているんだろう……と思いながら、筒井康隆原作の映画『敵』をWOWOWで見た。東京国際映画祭でブランプリを受賞したこのモノクロ映画を見ているうちにひとごとではなくなってきた。長塚京三さん演じる主人公は元大学教授75歳。十年後には自分もそう呼ばれているのかもしれないし、孤独好きなわりに煩悩たっぷりなところも身につまされる。

 急いで原作を読むことにした。タイトルにある「敵」とは誰なのか何の象徴なのか、よりもなによりも、妄想と実生活のそのディテール描写に圧倒された。各章のタイトルを眺めているだけでも、老人の一日の生活(および性活)と妄想と哲学の連なり具合、重なり具合が凄まじい。

「朝食」「友人」「物置」「講演」「病気」「麺類」「鷹司靖子」「八畳」「郵便物」「老臭」「肉」「親族」「書斎」「買物」「性欲」「夜間飛行」「食堂」「通信」「預貯金」「昼寝」「野菜」「敵」「信子」「玄関」「遺言」「孤独」「供物」「酒」「珍客」「風呂」「自裁」「煙草」「大学」「映画」「睡眠」「戦闘」「神」「真善美」「侵略」「舞台」「幻聴」「春雨」 
筒井康隆『敵』(新潮文庫、2000年)より
「鷹司靖子」は昔の教え子の名前、「夜間飛行」は若い女学生のいるバーの名前、「信子」は亡くなった妻の名前


 あとがきの解説で川本三郎さんは以下のように書いている。

 現実社会が後退していくと、逆に、自分の周囲が接近してくる。それまでは、なんでもないものに見えた引き出しのなかのこまごまとした文房具が大事に思えてくる。だからそれを、昆虫採集家が虫を整理するように丹念に記述していく。現実社会という大きな世界が後退し、身のまわりの小さな世界が接近してくる。この遠近の逆転が面白い。

 そうなのだ。年を取って社会から引退してしまうと、たぶん人は、なにかをする理由、なにかをする目的よりも、ただただそれをどのように(自分の流儀で)するのかのディテール中心の生活になっていく。人間嫌いなところも多分にある自分の場合、そういう生活もけっこう楽しみだったりもするが、それもこれも健康寿命あってのこと。父親が亡くなった年齢に近づいてきている。体調管理に気を付けて来年から始まってしまう前期高齢者に備えないと。。

airplane

FUJINON XF 35mm f1.4 ASPH. + X-T30Ⅱ


airplane through the rainbow.





silhouette

Summilux 35mm f1.4 2nd + M9-P


 silhouette


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