naotoiwa's essays and photos

2025年10月



 窓の向こうは高い石垣が続いていて、磨りガラスの先には冬が始まったばかりの灰色の空と、名もなき草花のシルエットが見えるだけ。店内にはシューベルトのピアノトリオが静かに流れている。それに柱時計のチクタク音と、時折、近くを通る電車の通過音がうっすらと重なる。静かな時間をお過ごしください、と店先の黒板に書かれてあった。案内されたのはミシン台を加工した飴色の一人用テーブル。アンティークなランプのスイッチを捻って文庫本の続きを読む。鳥のさえずりを解することのできる人の話だ。

 この店は古いアパートメントの一階にある。アパートメントは二階建てでそれぞれの階に四部屋ずつ、計八部屋が寄り添い重なり合っている。屋上にはりっぱな給水塔が置かれている。まるで映画「バグダッド・カフェ」に出てきたタンクみたいに。

tank

Elmar 90mm f4 (triplet) + MM (CCD)

波紋

Elmar 90mm f4 (triplet) + MM (CCD)


 水影。








 焦点距離年齢説(28歳は28ミリ、35歳は35ミリ、50歳は標準の50ミリ)はやはり正しいのかしれない。最近、中望遠レンズの方が生理的にしっくりくるようになった。

 手元に集まってくるレンズもライカマウントならば、ヘクトール73ミリF1.9やヘリアーの75ミリF1.8、90ミリも戦前のファットエルマーF4、エルマリート90ミリF2.8、テレエルマリート90ミリF2.8と、いつの間にか中望遠ばかりが増えている。となると、やっぱり次に欲しくなるのは、同じエルマーでもトリプレットの三枚玉。ボケも滲みもそろそろ卒業。収差がどうのこうのもそろそろおしまい。すっきりシャープなのが一番いい。で、長年の念願叶ってこの度、程度の良いトリプレットを入手することができた。
metalic

jizou

Elmar 90mm f4 (triplet) + M10-P


 評判通り繊細かつシャープなレンズである。特にメタリックな素材の表現は秀逸。でも、後ボケも想像以上に柔らか。F4とは思えない。たった三枚のレンズでここまで写る。

 レンズの枚数ってなんなのだろう。多ければいいってものじゃない。確かに有名なズミクロンの八枚玉は繊細かつまろやかだったけど(もう手元にはない)、色味はこのトリプレットほど清澄でなかったように記憶している。昔々はベストポケットコダックなど単玉(一枚玉)で撮影していたわけだし、レンズは枚数が多いほど良くて、イマドキは非球面レンズが何枚か入っているのがスタンダードという常識は疑ってかかった方がいいかもしれない。

 このトリプレット、貼り合わせがないからバルサム切れを起こすこともないし、曇りも生じにくい。それになによりも軽い。中望遠なのに200グラムあるかないかの軽さである。焦点距離年齢説もいいけれど、年を取ったらまずもって軽いレンズを選ぶべき。



 初めてデジタルのライカを買ったのは2012年。ウィーンのライカショップでM9-Pを購入した。当時は1ユーロが100円ちょっと。今じゃ考えられないくらいの円高。ので、日本で買うよりユーロ圏で買う方が格段に安かった。しかも旅行中のためタックスフリー。ということで、購入してそのまま夕暮れ時のプラーター公園まで行き、初めて撮ったのがこの写真。
vien

Summicron 50mm f2 4th + M9-P @Wien 2012

 レンズは日本から持って行ったズミクロン50ミリ。球面ズミクロンの第四世代(6ビットコードは付いていない)で、90年代後半に買ったレンズ。おそらく新品で買ったライカレンズはこれ一本だけだと思う。ライカレンズにしてはあまり個性がなさそうに思えるこのレンズを、最近、写真家の方も再評価しているもよう。https://camerafan.jp/cc.php?i=839

 それから、このM9-Pで世界中のいろんな街を撮りまくった。フィルムライクなCCDセンサーの色。ズミルックス35ミリの開放付近で撮るとなんとも柔らかな空気感が映り込む。
venice

Summilux 35mm f1.4 2nd + M9-P @Venezia 2013


 その後、例のセンサーガラス剥離が生じて、2012年に買った個体は手放すことになったが、CMOSセンサーでは出せないこの色合いが忘れられず、去年再度買い直すことに。……私のファーストデジタルライカである。



 中島敦の『光と風と夢』を再読中。これ、中島作品の中ではかなりの長編なので全集にしか収録されていないが、『かめれおん日記』や『山月記』以上に中島敦の代表作だと思う。芥川賞の候補にもなったという。『宝島』『ジギル博士とハイド氏』で有名なロバート・ルイス・スティヴンソンのサモア諸島での日記を装った小説。中島自身も同じく太平洋のパラオに滞在していたし、スティヴンソンは結核、中島は喘息。どちらも早逝している。スティヴンソン44歳、中島33歳。死生観も似ているのかもしれない。

 さて、自分も六十代も半ばを迎え、終活を考えることも多くなった。死ぬ時にどんな思いでいるのが自分らしいのか。中島やスティヴンソンには足下にも及ばないが、小さい頃から書くこと・表現することを存在の拠り処にしてきた者のひとりとして、以下のような文章を読むと感慨深い。自分もずっとそうしてきたし、今もそうしている。

 彼は外出の時いつも一冊のノートをポケットに持ち、路上で見るもの、聞くもの、考えついたことの凡てを、直ぐ其の場で文字に換えて見ることを練習した。其のノートには又彼の読んだ書物の中で「適切な表現」と思われたものが悉く書抜いてあった。

 だとしたら、

 死の冷たい手が彼をとらえる前に、どれだけの美しい「空想と言葉との織物」を織成すことが出来るか?

 これが、やっぱり人生の集大成としての価値基準なのではないだろうか。でも、こんな死に方もいい。キャプテン・ハミルトンが亡くなった夜に主人公が弔問に行った時の描写。

 一礼して私は表へ出た。月が明るく、オレンジの香が何処からか匂っていた。既に此の世の戦を終え、こんな美しい熱帯の夜、乙女等の唄に囲まれて静かに眠っている故人に対して、一種甘美な羨望の念を私は覚えた。

 そして、もしもこんな覚悟を持てたら最高の人生なんだろうなと思いつつ、『光と風と夢』を再読中。

 イエールでの喀血後、凡てのものに底が見えて来たように感じた。私は最早何事にも希望を抱かぬ。死蛙の如くに。私は、凡ての事に、落着いた絶望を以て這入って行く。宛(あたか)も、海へ行く場合、私が何時も溺れることを確信して行くのと同様に。ということは、何も、自暴自棄になっているのではない。それ所か、私は、死ぬ迄快活さを失わぬであろう。此の確信ある絶望は、一種の愉悦でさえある。


中島敦『光と風と夢』より
中島敦全集1(筑摩書房、1992年)所収
引用は順に、p.193、p.195、p.149、p.191

彼岸花

Portrait Heliar 75mm f1.8 + α7C


 彼岸花


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