naotoiwa's essays and photos

2025年09月



 最近、中島敦がなんだかまた無性に恋しくなって、久しぶりに横浜山手を歩くことにした。彼が勤めていた横浜高等女学校のあった元町幼稚園の碑文を眺め、喜久家の二階を仰ぎ、墓地公開中の外人墓地の、スイドモア氏の墓碑隣に建つ歌碑を確かめる。

スイドモア

中島敦

Nokton 35mm f1.4 Ⅱ SC + M9


 中島敦を最初に読んだのは中学三年生の時。例に漏れず『かめれおん日記』だった。それから『山月記』『李陵』『光と風と夢』と読み進み、あっという間に全集に所収されていた作品のほとんどを読んでしまった。中島敦は33歳で亡くなっている。寡作の作家である。

 戦前の作家、早逝の作家と聞くと自意識たっぷりの私小説風の作風を想像するが(それはそれで嫌いではないのだけれど)、中島作品はそうした時代の雰囲気を鮮やかにヌケている。たしかに「かめれおん日記」も私小説的な構成になってはいるものの、かめれおんの飼育に絡めているところはポストヒューマンセントリックである。

 『狐憑』もそう。主人公のシャクはいろんな動物に取り憑かれる。

 今までにも憑きもののした男や女はあったが、こんなに種々雑多なものが一人の人間にのり移った例はない。ある時は、この部落の下の湖を泳ぎ廻る鯉がシャクの口を仮りて、鱗族達の生活の悲しさと楽しさを語った。ある時は、トオラス山の隼が、湖と草原と山脈と、またその向うの鏡のごとき湖との雄大な眺望について語った。草原の牝狼が、白けた冬の月の下で飢に悩みながら一晩中凍てた土の上を歩き廻る辛さを語ることもある。

 そして、中島作品がなによりも魅力的なのは、南洋の島々や、古代中国から古代エジプトやアッシリアまでと飛翔する彼の博識とそれを拡張する想像力である。昭和15年から17年にかけてのあの時期の日本で、どうやってこんなにも自在に時空を越えてゆけたのだろうか。

 そんな中島敦の小説の中で、繰り返して語られるテーマが文字の功罪。アッシリアの図書館を題材にした『文字禍』では、

 いつしかその文字が解体して、意味の無い一つ一つの線の交錯としか見えなくなって来る。単なる線の集りが、なぜ、そういう音とそういう意味とを有つことが出来るのか、そうしても解らなくなって来る。

 これなんぞはゲシュタルト崩壊そのもの。

 魂によって統べるられない手・脚・頭・爪・腹等が、人間ではないように、一つの霊がこれを統べるのではなくて、どうして単なる線の集合が、音と意味を有つことが出来ようか。

 文字の無かった昔、ビル・ナピシュチムの洪水以前には、喜びも智慧もみんな直接に人間の中にはいって来た。

 老博士は浅薄な合理主義を一種の病と考えた。そして、その病をはやらせたものは、疑もなく、文字の精霊である。

 君やわしらが、文字を使って書きものをしとるなどと思ったら大間違い。わしらこそ彼等文字の精霊にこき使われる下僕じゃ。

 人間の身体を見ても、その通り。みんな意味の無い奇怪な形をした部分部分に分析されてしまう。(中略)眼に見えるものばかりではない。人間の日常の営み、すべての習慣が、同じ奇体な分析病のために、全然今までの意味を失ってしまった。

 『悟浄出世』にも同じような指摘が描かれている。

 生きておる智慧が、そんな文字などという死物で書留められる訳がない。それは、煙をその形のままに手で執えようとするにも似た愚しさであると、一般に信じられておった。従って、文字を解することは、かえって生命力衰退の徴候として斥けられた。


 最近、強い文脈で書かれた言葉を目の当たりにすると引いてしまう。ストーリーテリングよりもストーリーウィービング。書き言葉よりも話し言葉。程度の差こそあれ、コトバに対して悲喜こもごも対峙し続けたことのある者ならばかならず行き着く(というか戻り来る)はずのこのことを、戦時下の日本においてズバリと示唆している中島敦が、今ふたたび、なんとも無性に恋しくて仕方がないのである。

*引用はすべて、中島敦『ちくま日本文学全集 中島敦』(筑摩書房、1992年)による
『狐憑』は p.172 『文字禍』は順に p.192、p.193、p.195、p.197、p.200、p.201『悟浄出世』は p.367より

山車

Elmar 3.5cm f3.5 (nickel) + M10-M


 山車。


三頭

聖水

Heliar classic 50mm f1.5 + M10-M


 拝所にて。



 オールドレンズ&カメラの収集撮影をはじめてかれこれ30年近くになるけれど、最近のヴィンテージレンズ&カメラの高騰はすさまじい。特にライカ。10年前の2倍3倍はアタリマエである。円安の影響もあるだろうが、まずもってタマ数がもう日本にはほとんどなくなってきているのだろう。2倍3倍の値段がしても程度の良いものがどんどん減ってきている。そんな中でコンディションの良いものを探すのは(しかもリーゾナブルに)至難の業で、たまに遭遇するもののほとんどが強者のコレクターが長年保管していたものに限られる。言い換えれば、長年のコレクターが手放さない限り、今ではそうした良いコンディションのオールドレンズ&カメラには巡り会えないわけで、ということは、そういった状況(往年のユーザーが年を取られて老眼がひどくなりもう使えなくなったとか、残念ながらお亡くなりになって遺品整理で譲渡されたか)が起こらない限り、市場には出回らないということである。

 なんとも切ない話だが、最近、自分もそろそろ同じような年齢に近づいてきているのかもと思いながら、防湿庫にあるレンズをひとつひとつLEDライトにかざして眺めてみると、数年前まで曇りひとつなかったと記憶していたレンズの中玉の周辺がうっすらと曇っていたり、当時は気づかなかった小さなバルサム切れのドットを発見したりする。古いものに至っては90年以上経過しているレンズもあるので、いよいよ経年変化が表面化したのか、あるいはここ数年の夏の異常な高温で、いくら防湿庫で湿度だけコントロールしていてもダメなのか。何本かレンズをクリーニングに出してはみるものの、キリがない。

 レンズの経年変化は自分自身の経年変化を可視化されているようにも思われて、ちょっと憂鬱な気分になってしまう今日この頃である。

hektor

 久しぶり巡り会えたコンディションの良いヘクトール7.3cmf1.9を、同じ3群6枚トリプレット構造のヘリアー75ミリf1.8にて撮影。ややこしい。

dawn

Summilux 35mm f1.4 + M9-P


 shot like a picture postcard.


菩薩2

Hektor 7.3cm f1.9 + α7s


 マクロヘリコイドアダプター付きのミラーレスで1メートル以下に寄ってみる。開放でピーキングもしっかり来てる。ピントも秀逸。当たり玉。







 
 ライカのオールドレンズの中では、やはり戦前のヘクトールが一番好きである。三群六枚のトリプレット構成。ニッケルの5cm(1930年製)、クロームの2.8cm(1935年製)を所有している。で、もうひとつが中望遠の7.3cm。かの木村伊兵衛さん愛用のポートレートレンズである。

 こればかりは今までずっと買っては売り(オンラインで購入して予想していたコンディションの個体が届かず返品をお願いしたこともある)売っては買いの繰り返し、どうしても最終的に満足のいく個体に巡り会えていなかった。

 個体差が大きい。開放でただのぼんやりレンズもあるし、芯がきちんと残った滲みレンズもある。周辺までけっこうシャープなレンズもある。レンズ表面の痛み、擦れ傷による曇り、バルサム切れした個体が多い(そろそろ90年ぐらい経過しているレンズなのだから仕方なし)。また、ヘリコイドが回転型なのか直進型なのか(それによって最短距離が1.5メートルのものもあれば1.1メートルぐらいまで近づけるものもある)、鏡胴デザインがブラックニッケルなのかブラッククロームなのか(オールブラックは稀少過ぎてもはや高嶺の花)。専用のフードとキャップが付帯しているかどうか。……こうした複雑な組み合わせの中で、満足のいく個体を探し出すのは至難の業である。探し求めて苦節十年。

 そうしてようやく巡り会えたのである。1934年製のブラック・クローム。直進ヘリコイド。おそらく流通数は一番多いタイプ。ゆえに、稀少性はそんなに高くない。直進ヘリコイドなので1.5メートルよりも寄ることもできない。でも、レンズが今までに見たヘクトール7.3cmの中で群を抜いて綺麗なのである。LEDで隅々まで調べないとわからないうすーい曇りが中玉にあるだけで擦れ傷なし、レンズ焼けなし。思わず「これ、研磨してませんよね?」とお店の人に聞いてしまった。コレクターさんが大切に保管されていたものとのこと。

 レンズの外観も内部の状態も群を抜いて「美品」なのだが、果たして写りは? 解像度は? 滲み方は? 購入の際に簡単に試写はしたけれど、まだ詳細にはチェックしていない。ドキドキしながらの試写結果はいかに。

 どちらも開放f1.9。最初の一枚は地蔵菩薩の光の差す頬にフォーカス、二枚目は錫杖にフォーカス。どちらもライブビューは使わず、レンジファインダーの二重像合致のみ。背景によってボケがとろけるようにもなるし、ざわつく二重ボケにもなる。ようやく巡り逢えた大好きなヘクトール7.3cm。

 あわよくば、やはりもう少し寄れる回転ヘリコイドタイプが懐かしいのだけれど。欲を言えばきりがない。レンズ沼はまだもう少し、つづく。

菩薩

錫杖

Hektor 7.3cm f1.9 + M10-P



 

歯痛

Hektor 7.3cm f1.9 + M10-P


 歯痛。




 遅まきながら岩井圭也さんの『文身』を拝読した。「私小説」「文士」……今ではクラシック過ぎる言葉になってしまったあの世界を見事に蘇らせてくれている。ラスト近くの、主人公の娘が語る言葉が身に沁みる。

 小説と一心同体になった時、作家は文士になる。〈文身〉にそんな一節があった。私は文士が嫌いだった。世間に甘えて、破天荒な生き方を許してもらおうとする身勝手な存在。だが今は、そこに無上の憧れを感じている。小説と一心同体になることは、不滅の命を得ることに等しい。私は文字列として、いつまでも生き続けられる。大切な人に忘れ去られることもなく、永遠に。
岩井圭也『文身』(祥伝社文庫、令和5年初版、p.339)


 小説が現実を模倣するのか、あるいは現実が小説を模倣するのか。……これは芸術とは何かを考える際の永遠のテーマでもある。例えば、オスカー・ワイルドの「芸術至上主義」。

 ぼくの指摘したいのはただ「藝術」が「人生」を模倣するよりはるか以上に「人生」こそ「藝術」を模倣するという一般原理だけなのだ、
オスカー・ワイルド / 西村孝次 訳『嘘の衰退 ひとつの観察』
『オスカー・ワイルド全集 4』(青土社、1989年)に所収。p.37


 以前、大学の紀要に書いた竹久夢二研究のノートでも、川端康成の『末期の眼』の中の一節を引用させていただいたことがある。

 伊香保で会う数年前、芥川竜之介氏の弟子のような渡辺庫輔氏に引っぱられて、夢二氏の家を訪れたことがある。夢二氏は不在であった。女の人が鏡の前に坐っていた。その姿が全く夢二氏の絵そのままなので、私は自分の眼を疑った。やがて立ち上って来て、玄関の障子につかまりながら見送った。その立居振舞、一挙手一投足が、夢二氏の絵から抜け出したとは、このことなので、私は不思議ともなんとも言葉を失ったほどだった。画家がその恋人が変れば、絵の女の顔なども変るのは、おきまりである。小説家だって同じだ。芸術家でなくとも、夫婦は顔が似て来るばかりでなく、考え方も一つになってしまう。少しも珍らしくないが、夢二氏の絵の女は特色がいちじるしいだけ、それがあざやかだったのである。あれは絵空事ではなかったのである。夢二氏が女の体に自分の絵を完全に描いたのである。芸術の勝利であろうが、またなにかへの敗北のようにも感じられる。
川端康成(著)川西政明(編)『川端康成随筆集』(岩波文庫、2013年、pp.24-25)


 表現に携わる者はみな、程度の差こそあれ、フィクションがリアルを創る、と考えているのではないだろうか。

CS35F3.5

Color Skopar 35mm f3.5 + M10-P


 現代版エルマー35ミリF3.5を井の頭公園にて試す。かなりシャープ。
 でも、どうしてLマウントで販売しないのだろう。
 エルマー35ミリのオマージュならば当然バルナックにつけたくなるよね?


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