2024年02月
自分の ”成分”
自分はいったい何で出来ているのか。
六十歳も過ぎると、もちろんそこにはノスタルジーな気分が多分に含まれているのだろうが、今までの自分を成り立たせてきた “成分” を客観的に分析してみたくなる。
自分の場合はおそらく、若い頃に読み漁ってきたたくさんの小説がそうした “成分” の大半であると考えられるが、中でも「倉橋由美子」が占めるウエイトレシオはかなり高いのではないだろうか。『暗い旅』を読んで吉祥寺や鎌倉に住みたいと願い、『夢の浮橋』を読んで京都に憧れた。十代の頃からフランス被れになったのも「倉橋由美子」のせいだろう。
先日、中公文庫から出ている『桜庭一樹と読む 倉橋由美子』を手に取って、彼女の初期の作品のいくつか(「合成美女」とか「亜依子たち」とか)を再読し、当時、自分の細胞壁のひとつひとつをヒタヒタと浸していた感覚がまざまざと甦ってくる思いがした再認識した。十代で「倉橋由美子」を耽読していた自分が、あの頃、自分のことを、親を含めたまわりの人々のことを、そしてこの世界のことをどのように感じていたのか。
この文庫本の巻末で、桜庭一樹さんと王谷晶さんが対談して、穂村弘さんの言葉を紹介している箇所がある。
穂村弘さんが倉橋由美子について「思春期の薬」というエッセイを書かれています。思春期の“病状”に「現実が怖い、他者が化け者に思える、自分は特別な存在だと無根拠に信じる、自分と同様に特別な他者とだけ美しく交わりたいと願う。」原因は自意識の過剰なんだけど、自分では治ることを望んでいなくて、治って大人になるのは敗北だと思っている。
対談「永遠の憧れ、倉橋由美子(桜庭一樹、王谷晶)より
『桜庭一樹と読む 倉橋由美子』(中公文庫、2023年)p.314
『桜庭一樹と読む 倉橋由美子』(中公文庫、2023年)p.314
まさにその通り。だとすると、あの頃の自分というのは、かなりイケ好かない青年ですよね?