naotoiwa's essays and photos

2023年08月



 同じ夢を何度も見る。

 封書が届く。その封書には「部屋の家賃が滞納されています」と書かれている。途方もない金額。僕がかつて住んでいたアパアトは、三十年もの間、解約されないままになっている。取り壊されることもなく、今も大きな櫻の木の陰に隠れてひっそりと建っている。三十年分の白い埃を床や簡素な書き物机の上に堆積させて。

時空

Hektor 5cm f2.5 + M10-P + Color Efex Pro

 寒い。手足の先が冷え切っている。三十年間封印されたあの部屋の扉を開ける前に、少しばかり暖を取っておこうと僕は考える。オレンジ色の明かりに誘われて、遊歩道沿いに建っているカフェのドアを開ける。カウベルの音が鳴り、その後、店の奥からなにやら物語めいた旋律のピアノの音色が聞こえてくる。窓際の席に案内される。熱いミルクティーを注文する。窓越しにあの櫻の木が見えている。その陰に建つアパアトのシルエットが闇の中で微かに滲んでいる。

 明日から僕はまたこの街で目覚め、昼間のうちは少しだけ外に出て陽に当たり、夜が更けてからはあの部屋に閉じ籠もり、またあの頃と同じように奇妙で孤独な夜を過ごすのだ。



 閉幕直前にソール・ライター展をもう一度。写真のみならず、彼の描いた絵もたくさん見られる。50〜60年代の Harper’s BAZZAR の世界が堪能できる展示室がある。イーストヴィレッジにあった彼のアトリエを再現したコーナーがある。そしてホールでは、大型のスクリーン10面にカラースライドプロジェクション。ソファに座って(座る場所を何度も変えながら)1時間ばかり一心不乱に見ていた。一番輝いていた時代のニューヨークのファッショナブルでカラフルな街の情景を、人々の姿を。

 写真家であり画家であり、そして詩人でもあるソール・ライター。彼の謙虚で内省的なまなざしにココロが揺らめく。久しぶりにポジのスライドフィルムを一眼レフカメラに詰めて写真が撮りたくなってしまった。昔使っていたコダックのカルーセルスライドプロジェクターが物置に眠っているハズ。

ソールライター

sword

voigtlaner 28mm f2.8 + DⅢ + Acros Ⅱ 100 + Color Efex Pro


 sword.




 今年の四月に村上春樹さんの新作『街とその不確かな壁』を読んで、改めて、1980年に「文學界」に発表した後、封印されてしまった『街と、その不確かな壁』が無性に読みたくなった、と以前に書いた。その後、神田の古本屋を巡ったり、サイトをチェックしたりしたが、この号の古本は高値がついて、もはや手が出せる金額ではない。半ば諦めかけていたところ、先日、古くからの友人が「その号なら、うちにあるよ」とのこと。その場で貸してもらえることになった。感謝。さすが、早稲田一文卒業の友である。

文學界

 作者はどうしてこの最初のバージョンを封印したかったのだろう。確かに、プロローグやエピローグ部分が概念的過ぎたり、蛇足な感じがしないでもないが、はたして全体の完成度だけの問題なのだろうか?
 いや、それよりもなによりも、ラストの主人公の行為である。主人公は自分の「影」とともに、あの「たまり」から壁のある街の外に脱出するのか、内に留まるのか。自分の創り出した概念に責任を持つのか、不条理だらけの現実に立ち戻るのか、いったいどちらを選択すべきなのか。この小説の究極とも思えるテーマについて、改めて考えさせられることになった。

picturesque

Hektor 5cm f2.5 + M10-P


 ピクチャレスク。


fox

Hektor 5cm f2.5 + M10-P


 ヘクトール50ミリ。ズマールとも違う。もちろんエルマーとも違う。


head

Elmar 50mm f3.5 (nickel, half rotation, Görz) + M10-M


 Lips.


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