2023年04月
peace park
Elmar
「壁」「古い夢」「影」
村上春樹さんの新作『街とその不確かな壁』読了。良くも悪くも、長年村上作品を読み続けてきた者にとっては想定内の読後感だった。第一部はかつての中編小説の書き直しなので当然と言えば当然なのだが(その後、既に一度書き直しにトライされているので今回は二度目ということになる)。
読者である自分も40年近く前にそのままタイムスリップしていく。『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』。新卒で会社に入社して二年目の夏、この分厚い本を徹夜で読み切って会社に出社した日のことを思い出す。当時23歳。あの時の「壁」「古い夢」「影」たちが再び甦ってくる。その後、自分も30歳になり40歳になり、50歳になり、そして今では60歳を超えた。その中途中途で何度、こう思ったことだろう。
私はどうやら本格的に、習慣を自動的になぞって生きていく孤独な中年男になりつつあるようだ。
村上春樹『街とその不確かな壁』(新潮社、2023年)p.467
それでもまだ、今でもこう思えるから、読者は村上作品を読み続けるのだと思う。
私の心には、私が十分に知り得ない領域がまだ少しは残っているのだろう。時間にも手出しできない領域が。
村上春樹『街とその不確かな壁』(新潮社、2023年)p.545
改めて、最初に1980年に「文学界」に発表した後、封印されてしまった「街と、その不確かな壁」が無性に読みたくなった。同じ事を考えている読者が大勢いるだろうから「文学界」1980年9月号は更にプレミアムがついてますます入手困難だろうけれど。ならば国会図書館にでも行ってコピーを取ってくるしかないか(これも同じ事を考える人が大勢いそうだけれど)。
sweeping
墓石
相応の歳をとったせいであろうが、最近、墓のことを真剣に考えることが多くなった。親の墓は今後どうしたらいいのか、自分の子供の代まで永代供養を望むのはいかがなものか。同世代の友人の中には、既に終活を終えて自身の墓を生前に建立した人もいる。
まあ、それはさておき。そもそも自分は自分の墓を建立したいのか。新たにつくるのならどんな墓がいいのか。定番の縦型三段は抹香臭くてちょっと苦手。墓碑に戒名が彫るのもノーサンキュー。
今までいろんなお寺の墓や外人墓地を見てきたが、その中で一番素敵だなあと思ったのは、多磨霊園にある堀辰雄と夫人のお墓である。形はシンプルなプレート型。そこに前と生没年のみが記されている。御影石の墓石も明るい色で、供えられた白い花とマッチして清楚。堀辰雄らしいお墓だなあとつくづく思う。
名残
フィルム終焉近し?
いよいよフィルムがなくなってしまうのか。量販店に行っても殆ど在庫がない。あっても「おひとりさま一本限り」の表示、値段は業務用レベルのカラーネガが36枚撮りで2000円前後もする。幸いにもまだカラー現像もモノクロ現像も引き受けてくれる店はあるが、現像料は数ヶ月単位で上昇。これじゃあ、昨今せっかく若い人たちの間でフィルムカメラがブームになったものの、この後が続くまい。
これからの時代、フィルムカメラ好きはいったいどうしたらいいのか。おとなしく、すべてをデジタルに切り替えて、ノスタルジックな描写が欲しいときは、デジカメにオールドレンズを取り付けて満足するしかないのか。
でも、この95年前の距離計もない軽くて小さなカメラが、絞り込めばここまで先鋭に精緻に、開放にすればここまで柔らかく甘く世界を写し出す。これで十分、いや、これが一番ではないだろうか。ただし、一本フィルムを買って現像するだけで3000円以上コストがかかるわけだから、今後は、年に数回楽しむ程度の贅沢な道楽にならざるを得ないのかもしれない。
Elmar 50mm f3.5 (close focus, Görz) of Leica A early + FODIS + Delta 400