2023年03月
誕生日
また誕生日を迎えてしまいました。
早いもので、大学教員生活もいつの間にか7年目を迎えました。この分だとあっという間に、研究室に溢れかえった膨大な書籍の次の収納場所を心配しなくてはならない日も来てしまいそうですが、これからも新しい広告のあり方、広告とアートの関係性について文理融合(と言葉で言うは易しですが)の立場でアップデートし続けていく決意です(キリッ)。
でもその一方で、ディレッタントにいろいろなことに首を突っ込む時間をもっと増やしてもいいのではと思ったりもして、ここ数年、近代文学や美学、美術史を専攻する先生方のお仲間の片隅に加わらせて頂いたりしています。
変化し続けることと、自分の感受性の原点に正直になること、そのどちらをも欲張って両立させたい年頃なのでしょう(笑)。
さて、毎年3月23日は本務校の卒業式です。今日はあいにくの雨となりましたが、満開の桜の樹の下で巣立っていくゼミ生たちに「おめでとう!」「おめでとう!」。自分の誕生日にこそ、周りの人たちにおめでとうが言えるというのは嬉しい限りです。
堀辰雄の向島
都内にお花見の名所は多々あれど、江戸情緒を感じたいならやはり浅草、隅田公園。普段は台東区側から隅田川を望んでそのまま帰路につくことも多いが、久しぶりにリバーウォークを経由して墨田区側に渡ってみた。このあたりは堀辰雄の旧居跡としても知られている。堀辰雄と言えば軽井沢だが、幼少の頃は向島に住んでおり、当時のことは『幼年時代』などに細やかに描かれている。ここに記されている牛嶋神社の撫で牛もしかり。
おばあさんは私の家にくると、いつも私のお守りばかりしていた。そうしておばあさんは大抵私を数町先きの「牛の御前」へ連れて行ってくれた。私はそのどこかメランコリックな目ざしをした牛が大へん好きだった。「まあ何んて可愛い目んめをして!」なんぞと、幼い私はその牛に向って、いつもおとなの人が私に向って言ったり、したりするような事を、すっかり見よう見真似で繰り返しながら、何度も何度もその冷い鼻を撫でてやっていた。その石の鼻は子供たちが絶えずそうやって撫でるものだから、光ってつるつるとしていた。それがまた私には何んともいえないなめらかな快い感触を与えたものものらしかった。……
堀辰雄『幼年時代・晩夏』(新潮文庫、昭和30年)p.12
Summilux 35mm f1.4 2nd + M10-P
春の光
ひとりケーキを食べる女
そのひとはひとり、ケーキを食べている。住宅街の狭い路地の突き当たりに建つ古びた白い洋館の窓際の席に座ってひとり、ケーキを食べている。椅子の背にはベージュのトレンチコートが丁寧に折りたたんでかけてあり、前髪は綺麗に眉の上で揃っている。中高の顔にうっすらと薄化粧をして、濃い紅色の紅茶にミルクをたっぷり入れて飲んでいる。マスクを外すと唇も鮮やかな紅色で、ストロベリーケーキをフォークで少しずつその唇に運んでいる。
店の中は、甘いケーキと紅茶の渋みと古家の黴びた匂いが混ざり合い、それらは床の絨毯に染み込んでしまっているが、時折、出窓の網戸越しに流れてくる春の風がそれを紛らわせる。
そのひとはスマホを手に取ることもなく、文庫本を読むわけでもなく、春の夕暮れに、古びた白い洋館の窓際の席に座ってひとり、静かにケーキを食べている。
Bobby Caldwell passed away
京都で浪人時代を送っていた頃、この曲ばかり聴いていた。
人生がメロウだった頃。
春の夕暮
さくら
マスク着用
3月13日から、マスクの着用は屋内外問わず個人の判断に委ねられるとのことだが、とんでもない、今まで以上にマスクはかかせないのである。理由はもちろん花粉。今年は花粉の飛んでいる量が尋常ではない。マスクなしで屋外に出るなんて。マスクしてても、ううう、くしゃみが止まらない。目から涙がとまらない。こすっちゃダメとわかっちゃいるけど、ゴシゴシゴシ。あっという間に兎の眼である。
先日、地方の町を車で走っていた際、目的地までショートカットしようと県道に入ったのが運の尽き。いつの間にか周りはすべて杉の木だらけ。道はすれ違うのも難しいほど狭くなって引き返すにも引き返せない。窓を閉め切り、エアコンの外気も完全遮断して約三十分。生きた心地がしなかった。
もうすぐ待ち遠しい春本番。でも、この花粉ばかりはどうにも。。当分マスクは外せないが、ミモザの木は大丈夫。
Elmar 5cm f3.5 (pre war) + M10-P
周期
ヒトの運気には周期があって、だいたいそれは3年ぐらいのスパンで繰り返されているような気がする。ここ十数年の自分の人生を振り返ってみても思い当たるフシが多い。例えば、2014年から16年にかけては、人生のシフトチェンジに悩みに悩んだ時期で、今までにないような想定外の出来事がいくつも重なった。でも、それを曲がりなりにも通り抜けられたからこそ、2017年から19年にかけて、50代後半にして新しい人生をリ・スタート出来たのかもしれない。しかしながら、2020年からはまたまたいろんなトラブルが頻発し、ちょうどコロナの時期にも重なって鬱屈した日々が続いた。で、それらにもようやく解決の道筋が見えたのが昨年末。今年からの3年間はまた新たな運気がやってくる予感もしている。
こうした周期は、運命云々と言う前に、人間という生き物はどんなに気を付けていても好運が重なれば必ず慢心したり驕ったりするもので、その戒めが後で必ずやってくる。あるいは、先延ばしにしていたことはけっきょく未解決のママ戻ってくる。で、それらを謙虚に受け止め、地道にやり直すことが出来ればまた運気は回復する。おそらくはそういうことなんだろうと思う。
でも、ちらりと六星占星術を見てみたら、霊合星人水星人マイナスの私は、まさに去年までの3年間は大殺界に当たっていたようで、今年はようやくそれを抜け出せる時期とのこと。安直に占いを信じるわけではないが、もしもそうならばなおのこと、丁寧に丁寧にこの一年を過ごしていきたいと思う。でないと、せっかく結実したものも肝心の中身がなくなってしまいかねない。
あと数週間もすればまたひとつ年を重ねることになる日に、改めて。
Elmar 5cm f3.5 (pre war ) + M10-P + Color Efex Pro