naotoiwa's essays and photos

2022年08月

sunflower

Nokton Classic 35mm f1.4 Ⅱ SC + M10-P


 夏の終わりのひまわり。


真実の口

Sonnar 5cm f1.5 (wartime) + Contax I + kodak200


 A mouth of truth.



恒春園

VPK Dallmeyer Rapid Rectilinear 72mm f8 + α7s


 @芦花恒春園

 「人間は書物のみでは悪魔に、労働のみでは獣になる。」徳冨蘆花


 clé

Canon 50mm f1.8 (S) + Ⅲa + Lomo Grey100


  clé




 先日、東京都写真美術館で「メメント・モリと写真」展を見た。
メメントモリ

E.Zuiko Auto-S 38mm f2.8 + Pen F + Kodak200


 大好きなマリオ・ジャコメッリや日本の牛腸茂雄、小島一郎の作品も何点か取り上げられていて大満足、そして久しぶりの藤原新也さんの写真と文章。心に染みた。

だから、生きているあいだに、あなたが死ぬときのための決断力をやしなっておきなさい。
死とは、死を賭して周りの者を導く、人生最後の授業。


藤原新也『メメント・モリ』(新装版、朝日新聞出版、2018年)p.29 、p.42


 展覧会カタログの解説で学芸員の浜崎加織さんが、かのスーザン・ソンタグの言葉を引用されている。まさに、である。『写真論』を読み耽った大学生の頃を懐かしく想い出した。

スーザン・ソンタグは、写真の本質について以下のように述べています。

写真はすべて死を連想させるもの(メメント・モリ)である。写真を撮ることは他人の(あるいは物の)死の運命、はかなさや無常に参入するということである。まさにこの瞬間を薄切りにして凍らせることによって、すべての写真は時間の容赦ない溶解を証言しているのである。


『メメント・モリと写真—死は何を照らし出すのか』(東京都写真美術館、2022年)p.26


 写真は光画であって、決して写実を写し出すという意味ではない。でも、やはり真実(いずれ不在となるヒトとモノの真実)を写し出すものなのかもしれない。そういう意味ではこの日本語訳はやはり正しかったのかも、などと思いつつ。
 

fox

Tessar 5cm f3.5 (c mount pre war) + M10-M


 fox


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