naotoiwa's essays and photos

2022年07月



 先日、某広告専門誌の方から取材を受けた。研究者としての今までの自分の履歴とこれからの専門領域についてのインタビューである。自分は実務家教員であり、アカデミズムの世界でずっとやってこられた他の研究者のみなさんのように系統だった学術的履歴は持ち合わせてはいない。ので、こうした話ができる資格は毛頭ないが、恥を承知ではるか昔を思い起こすと、高校生の頃、オスカー・ワイルドに傾注し原文を読み耽っていたのが最初なのかもしれない。その後、一浪して大学に入るまでいろいろあったが、大学では尊敬する河村錠一郎先生のゼミに入り、そこでマニエリスム美術や世紀末芸術に心酔した。シュニッツラーの小説を読み、ゼセッションの美術に憧れた。

 だから、もしも自分の研究の原点みたいなものがあるとしたら、おそらくはそのあたりなのだろうと思う。ワイルドの「ドリアン・グレイの肖像」やシュニッツラーの「夢小説」「闇への逃走」等のペエジを開く度、今でも特別なトキメキがまざまざと甦ってくる。彼らの生きた時代の空気を吸いたくて、ロンドンのサヴォイホテル周辺やウィーンのリング通りを徘徊したこともある。また、日本近代文学では、中学生の頃からずっと太宰治と中原中也に恋い焦がれ続けている。ワイルドやシュニッツラーとは一見関係なさそうにも思えるが、その根底に共通して流れているのは「芸術至上主義」への憧れではなかったか。

 さて、これからの自分の研究は、まずもって専門領域である広告コミュニケーション分野のクリエイティブ論やデザイン論の深度を高めていくことにあるのは言うまでもないが、その合間を縫って、今まで自分が直感的に興味を持ち続けてきたこうした文学や美術と広告芸術の繋がりを模索し学際的に体系化することができたらと思っている。そのヒントはやはり「芸術至上主義」にあるのではないかと改めて気づくことができたインタビューだった。

 話は、脇にそれるが(でも、ひょっとしてこれも関係あるかも)、自分が1920年〜30年代の古いコンタックスやライカのヴィンテージカメラの、あの黒とニッケルの色合いにどうしようもなく心引かれるのも、その色味とデザインがウィーン分離派の流れを受けているからではないだろうか。以下、竹田正一郎著『コンタックス物語』の冒頭の蠱惑的な文章を引用しておく。

 パリのカフェでの談笑が被写体になり、ベルリンのキャバレーの舞台に人はカメラを向けた。音楽、ざわめき、シャンパングラス、キャビアのサンドイッチ、照明の輝き、香水の匂い、ボブ(断髪)、燕尾服の給仕、紫煙、ビロードのドレスの胸のスミレのコルサージュ(花束)、「コンタックス」や「ライカ」は、これらの都会の風物の、一部となったのである。

 しかしそれと同時に、カメラは世界の深層に下りてゆく道であり、過去と死に通じる手段でもある。ヴァルター・ベンヤミンが指摘するごとく、それは精神分析がわれわれの内部から無意識を引きずり出すように、世界の中からもう一つの世界、つまり世界の無意識とでもいうべきものを、引きずり出すのに貢献している。つまり撮影のときに見えていなかったものが、写真によって明らかになり、それによってわれわれは、世界の中に埋没していた深い世界、普通に見ているときの世界よりも、もっと複雑でもっと大きい世界があることに、気づかされるのだ。


竹田正一郎著『コンタックス物語 ツァイス・カメラの足跡』(朝日ソノラマ、2006年)より





what?

Oplar 5cm f2.8 + α7s


 なにか?


さるすべり

Serenar (Canon) 50mm f1.8 (S) + M8


 真夏の花。


夏の風物

Serenar (Canon) 50mm f1.8 (S) + M8


 夏の風物詩。


tower

FED 28mm f4.5 + α7s


 色味も独特なアンバー色。フェド28ミリ。




 最近は戦前(第二次世界大戦前)のレンズばかりという話の続きである。これは1937年のロシア製広角レンズ、FED 28ミリである。

 けっこうやっかいなレンズである。L39マウントなのにフランジバックが微妙に違って無限遠が出ない。ライカのカメラにマウントしても距離計は合致しない。しかたがないので、ストッパーのビスを外してみた。無限遠の位置を越えてレバーを回せばなんとか無限遠が出る。

 所有している個体には珍しく曇りがほとんどない。なのに、画面全体が独特のフレアに包まれ、周辺光量がグンと落ち、まるで収差の激しいシネレンズのような世界である。

teeth

FED 28mm f4.5 + α7S




 オールドレンズ&カメラの楽しみ方のひとつに製造年にこだわって集めるというのがある。自分の生まれた年のものを選んでバースディライカと称したりするのがまさにそれである。

 私の場合、意図的に製造年を選んで購入することはなかったけれど、結果として当時の思い出が詰まった年のものに遭遇することも多かった。例えば現在手元にあるハッセルブラッドのSWCは1979年製。高校卒業後、京都で浪人時代を過ごしていた年に当たる。今から思うと人生の最初の岐路に立っていた時のことである。

 ま、それはさておき。60年代、70年代のインダストリアルデザインが好きなので、おのずとその世代のレンズやカメラが多く集まってくるのであるが、最近は戦前(第二次世界大戦前)のものに心引かれる。ここまで古いと自分の人生のエピソードとはまるで関係なく、単なる歴史的なロマンだけなのであるが、気がつくとここ数年に購入したもののほとんどが戦前のものである。コンタックスⅡやビオゴン35ミリ、ゾナー85ミリ、ライカのエルマーやズミタールといった汎用レンズも敢えて戦前のノンコートものばかりを選んでいる。それらはもうかれこれ90年ぐらい経過しているものなので、調整してもシャッタースピードは安定しないし、レンズも曇りや傷だらけ。たまに嘘みたいに綺麗な個体に遭遇することがあって思わず買ってしまうのだが、それらはもしかしたら後の時代のものとのニコイチとか、研磨されたものかもしれない。でもまあ、それでいいのである。1930年代に造られたカメラやレンズであることの片鱗がどこかに見え隠れするだけで、気分はアガる。

contax2

 古い時代のもの、いにしえのものは、ただそれだけで美しい。こういうタイプの人間が骨董の世界に陥ったら大変なことになりそうなので、今のところはなんとか実用に使えるオールドカメラ&レンズだけに留まっているのであるが、この病気も昂じると、、



 若い頃に何年か住んでいたこともあって、鎌倉にあるお寺の仏像はほとんど全部見ているのではないだろうか。で、なかでもいちばん好きなのは、覚園寺は薬師堂本堂の日光・月光菩薩である。

 覚園寺と言えば黒地蔵や、川端康成が愛した鞘阿弥陀仏で有名だが、元々は現在大河ドラマで主役の北条義時が薬師堂を建立し、元寇の後に北条貞時が、そして足利尊氏が再建した(尊氏自筆の記銘が梁に残っている)本堂に安置されている薬師如来や十二神将像が素晴らしい。で、その薬師如来の脇を固めるのが日光・月光菩薩である。

 二十七歳の時に初めて見た瞬間、すぐに心奪われた。細面で人肌のようなベージュ色のお顔、少し前屈みの姿勢、月光菩薩に至っては頭部を少し内側に(薬師如来の方に)傾けていらっしゃる。その可憐で優美なこと。一目惚れである。後背には半人半鳥の迦陵頻伽が舞っている。異国情緒もたっぷり。

 それから何度も、憧れの想い人に会うように胸ときめかせて覚園寺に足を運んだ。以前は予約制でミニツアーに参加しながら敷地全体を見学するシステムだったが、現在は時間内であればツアーに参加せず拝観料を払っての自由参拝となっているようである。

 川端康成が足繁く通ったのも、鞘阿弥陀仏もさることながら、実はこの日光・月光菩薩こそがお目当てだったのではないかしらなどと邪推してしまいたくなるような艶美さ。作者は、室町時代の仏師朝祐(ちょうゆう)。

lotus

Heliar 50mm f1.5 + M10-P


水辺

CZ Sonnar 5cm f1.5 (wartime) + Contax I + XP2 400


 水辺にて。


阿羅漢

XF 35mm f1.4 R + X-T30II


 亡義父に似た羅漢を探す。@喜多院


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