naotoiwa's essays and photos

2022年02月

foxes

C Planar 80mm f2.8 nonT* + 500C + C12 + Pro400H


 久しぶりにハッセルの60年代のプラナーで。

どんなにフィルムシミュレーションしても、やはり、この柔らかさとシックな色合いはデジタルカメラでは出すことができない。とはいえ、フジの Pro400H は販売終了、コダックの PORTRA は、ブローニー版が一本2500円ぐらいするし、どうしたものか。。






 「死ぬ前に最後に食べたいもの」とか「最後に行きたい場所」というフレーズはよく耳にするが、「人生最後に読みたい本は?」と尋ねられたら、自分はいったいなんて答えるだろう? 
 思えば、この年になるまでにずいぶんとたくさんの本を読んできた。捨てきれない蔵書は千冊は優に超えるだろう。人文系、美術系の本がほとんどだが、そのなかでも小説の類いが圧倒的に多い。ということは自分も……

 三上延さんのベストセラー『ビブリア古書堂の事件手帖』シリーズの第6巻では、ラストにこんな独白がある。誰が言った言葉かはネタバレになるのでここには書かないけれど。

 「わたしは、『晩年』を切り開いて、最初から読みたい……最後まで読み終えて、その日に死にたいの……それを、人生最後の一冊にしたい」(中略)「あの作品は太宰の出発点で……匂い立つような青春の香気があるわ。わたしはそれを、自分の晩年に味わってから死にたい……」

 うむ。大好きな太宰の小説を人生最後の一冊にするのも確かにアリだけれど、人生のラストはもうちょっと惚けた感じで締めくくりたい気もする。日本文学だったら内田百閒あたり、だろうか。

 ちなみに、この『ビブリア古書堂の事件手帖』の第6巻は全篇すべて太宰治で、太宰が他のペンネームで書いたミステリー小説風『断崖の錯覚』や、「太宰治論集」に出てくる『晩年』の自家本の話、そして、引用部分もあるように当時のアンカット本の話など、太宰ファン垂涎のエピソードが満載である。



 ここ二年余のコロナ禍にあって大人数でどこかに集まるという発想はずいぶんと影を潜めたように思うが、個人的にはコロナ以前よりずっと、大規模な施設に多くの人が集まることに対して違和感のようなもの(あるいは不条理?)を感じ続けてきた気がする。
 もちろん、駅や空港といった交通のターミナルには大勢の人々を集客するための空間が必要であろう。でも、街の至る所に巨額のコストをかけてガラス張りのモダンな商業施設やオフィスビルをいくつもいくつも建設するのはいかがなものか。多種多様な店舗が一堂に集まっている方が便利だし、館内のデザインは現代的で洒落ている方が気分も自ずと「アガる」わけだが(最近では館内はとても「いい匂い」もする)、でも、そのためにどれだけのお金と資源を使わなくてはならないのか。空調費だけでも莫大なはずである。そこまでしないことには現代の生活は成り立たないのか、我々は「素敵な日常」を楽しめないのか、といった違和感である。

 で、これからの話である。未来の街はどうなっていくのだろう。大人数で集まりたいときはバーチャルの世界で済ませてしまって、物理的にはそれぞれパーソナルな空間に戻っていくのかもしれない。いわゆるメタバースの世界だ。でもそうなったら、今までに造ってしまったこれらのリアルな大規模な施設はいったいどうすればいいのか、などとあれこれ、現在のこと、そしてこれからの未来のことを考えてみるのであるが、正直言ってどちらもなんだかしっくりこないのである。現在にも未来にも今ひとつ希望が持てないとすると、我々は過去に戻るしかないわけであるが。

 タイムトラベリングをテーマにしたロバート・F・ヤングの有名な短編小説に「たんぽぽ娘(The Dandelion Girl)」というとてもロマンティックな作品がある。三上延さんの「ビブリア古書店の事件手帖」でも取り上げられていたので最近では若い方も多く読んでいるのではないだろうか。この作品の中で有名なのは、伊藤典夫さんの訳で、

「おとといは兎を見たわ」と夢のなかのジュリーはいった。「きのうは鹿、今日はあなた」

という台詞であろうが、若いジュリー・ダンヴァースが、未来から過去にタイムトラベリングしたくなる人たちの気持ちをシンプルに伝えている以下の箇所が昔から好きである。

「時間旅行局では、許可された人たち以外にはタイムマシンを使わせないの。でも、もっとシンプルな暮らしに憧れる人たちは、歴史学者になりすまして過去の世界へ永住する気で行こうとするから、そういう人たちを逮捕するために時間警察が活動しているわけ。」

太字引用部分は、R・F・ヤング『たんぽぽ娘』(河出文庫、2015年)より。
それぞれ p.103、p.106

neu

Sonnar 8.5cm f2 + Contax II + Delta400


 旧コンタックス用のツアイスレンズ、特に戦前のものは、空気中に漂う光の温気、あるいは雲気(?)みたいなものを映し出してくれるような気がする。





滲む

H-Zuiko Auto-S 42mm f1.2 + X-T30Ⅱ



 久しぶりの「滲み」レンズ。60〜70年代のズミルックス35ミリを初めて使ったときのことを思い出した。



 映画「ドライブ・マイ・カー」がベルリン、カンヌ国際映画祭受賞に続き、アカデミー賞作品賞他の候補に、とのことである。原作を読んだ際、SAAB 900のコンバーティブルとか(映画ではサンルーフ付きのハードトップになっていた)、チェーホフの「ワーニャ伯父さん」とか、ちょいと個人的に苦手(というか自分の青春の恥部と言うべき)ものにヤラれてしまって、今まで映画を見るのを敬遠していたのであるが、こ、これは、……原作に確かに立脚してはいるものの、濱口監督、大江さんがオリジナルに「脚本賞」を受賞した理由に納得させられた。映画「ドライブ・マイ・カー」は東京、広島、北海道、(そして韓国?)をつなぐロードムービー大作である。そして、イマドキ敬遠されがちな言葉の独白だけのロングショットの数々、3時間があっという間に過ぎた。でもって、三浦透子さんがとにかくカッコいい。

 ネタバレになってしまうといけないので映画のストーリーについてはここには書きませんが、また昔に戻って(?)無性に煙草を吸いながら車の運転がしたくなる映画です。車を疾走させながら煙草の煙を肺の深くまで吸い込み(いくら体に悪いと知ってはいても)、ふうっーと吐き出さないことには紛らわすことのできないことが人生にはまだまだたくさんあるような気がします。

 そして、車の運転が上手な女性について。個人的にそうした女性は今までに何人か知っていますが(彼女たちはみんな左ハンドルのマニュアル車を、右手の手首を優雅にくねらせながらシフトチェンジしていた)、その上手さはそのままスピード超過であの世に繋がってしまいそうな浮遊感と表裏一体でした。そうではなく、「渡利みさき」さんみたいに、助手席に座っているひとをこちら側の世界にしっかりと繋ぎとめ、無言で人生の再生を促しながら走り続けてくれる運転の上手な女性には、残念ながらまだ出会ったことがないように思います。

dearest

XF 23mm f2 + X-T30Ⅱ


 瞳の中に。


shower

canon 25mmf3.5 L + X-T30Ⅱ + Color Efex Pro


 光のシャワーを可視化したくて、トポゴンタイプのキヤノンの25ミリで。




 コロナワクチン3回目接種完了。2回目を打ったのが昨年の7月末だったので、間隔は6ヶ月と1週間。6ヶ月で打てるのはモデルナワクチンのみとのことで、ファイザー→ファイザー→モデルナの交差(交互?)接種となった。

 で、副反応はというと、ううむ、今回はモデルナの摂取量は半分になったとのことだが、二回目にファイザーを打った時と同等、あるいはそれ以上に熱が出たかも。まだまだ、ちゃんと免疫システムが機能している所以と喜ぶべきかどうかはよくわからないが、とりあえず、接種後二日間は例によって仕事では使いものにならなかった。ポカリスエット呑む→果物でビタミンを摂る→重い蒲団にくるまって汗をかく→カロナールを飲む→もとい、ポカリスエット呑む→果物でビタミンを摂る→重い蒲団にくるまって汗をかく→カロナールを飲む、をリピートしてなんとか。3日後には腕もあがるようになった。

 3日目の朝を過ぎてようやく復活。38度超えの熱で唸っていたときには、リキテンスタインの絵柄のバッグもこんな感じに見えたのではないかと、ということで、先日買ったコンタメーターを装填して実際にフィルムで試写する余裕も出てきました。ふうっ。

eyes

Sonnar 5cm f1.5 (war time) + Contax Ⅱa + contameter & proxar 30 + Kodak200




 お気に入りの珈琲焙煎スタンドがあったりもするので、今でも月に何度かは代官山まで歩いていく。
 
 代官山には80年代の後半に数年間住んでいた。本多記念教会のあるあたり、八幡通りから東横線の線路沿いに至る界隈が特に好きである。そして、当時はその中心に同潤会代官山アパートメントの “森” があった。住民でもないのに週末に代官山食堂で夕食を食べたり銭湯の文化湯に入ったこともある。今では隣接していた蕎麦屋の福招庵だけは健在だが、あとは、当時の写真をパネルにしたアーケードと文化湯のタイル絵が代官山公園に残っているばかり。

文化湯

Biogon 35mm f2.8 (pre war) + Contax II + Delta400

 あの頃の代官山は、この同潤会アパートメントの “森” が想像力を搔き立ててくれる、レトロモダンな物語の場所であり、そして80年代アパレル文化全盛の発信地でもあった。代官山と言えば BIGI グループだが、二十代後半の自分にとっては旧山手通りの TOKIO KUMAGAI の路面店が憧れの場所だった。サラリーの大半をつぎ込んで毎月“着倒れ”である。現代のファストファッションの、カッコ悪くなけりゃそれでいいの感覚からすると、やはりバブリーで “クリスタル” な時代だったのかもしれない。ちなみにパンは今でも代官山のシェ・ルイに買いに行くのであるがw

 同潤会代官山アパートメントについては、三上延さんの小説『同潤会代官山アパートメント』、そして、ハービー・山口さんの写真集『代官山17番地』が秀逸である。

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