2021年12月
冬桜
<雨のカメラ>と<その他のカメラ>
大好きな吉田篤弘さんの小説『つむじ風食堂の夜』(映画のロケ地函館にも足を運んだ。食堂のモデルとなったJOEカフェとか来々軒とか、月舟アパートメントの旧ロシア領事館とか)の中に、ふたつの机のくだりがある。
屋根裏部屋にはふたつの机がある。ひとつは<雨の机>。もうひとつは<その他の机>と名付けている。(中略)向かって右を<雨の机>とし、そこでは、積年のテーマである「人工降雨」に関する研究をしたためることにした。(中略)向かって左の<その他の机>。その机で私は、およそありとあらゆる雑文を請け負っては書き続けていた。
吉田篤弘『つむじ風食堂の夜』(ちくま文庫、2005年)
この<雨の机>と<その他の机>を意識しているわけでもないが、私の場合は<雨のカメラ>と<その他のカメラ>である。朝起きてシトシトと雨が降っていたりすると、頭の中の襞も潤って持病の偏頭痛も収まり、さあて、今日はどの雨靴を履いていこうか、どんなコートを羽織ろうかと心ときめいたりするのであるが、そうした雨の日の外出には必ず<雨のカメラ>も持参する。雨の日専用カメラといっても防水加工が施されている最新のカメラではなく、古い1960年代のオリンパスPen Fである。ハーフサイズカメラで36枚撮りのフィルムを入れると合計72枚の縦長写真が撮れる。これにやや高感度のISO400のフィルムを入れ、やや望遠気味の明るい40mmのレンズを付けて、映画のシナリオを絵コンテで描くように雨の日のストーリーを気の向くまま無造作に紡いでいくのだ。
G-Zuiko Auto-S 40mm f1.4 + Pen F +Kodak400
小さい頃から雨が好きだった。空全体が乳白色に包まれ天から水滴が落ちてくる「奇跡」。それに引き換え、なんのフィルターも通さず太陽光を直接浴びせられる雲ひとつない日は、今でも少し怖いままである。
自分が似ているひと
最近、死んだ父親に無性に逢いたくてしようがなくなる時がある。自分に似ているひとはいても、自分が似ているひとはもはやこの世に存在しない、そのことがどうにもせつないからだろうか。私は死んだ父親とはほとんど同じような体型・体質で、六十歳を過ぎてこれから自分の身体のどの部位がどのように衰えていくのか、その過程もその程度も、父親が辿った十数年間を思い起こせばなんとなく想像がつく。遺伝子というのはつくづくそら恐ろしいが、はてさて、そうした自分の老後についても父親から直接アドヴァイスが聞きたいし、自分が生まれる前、若かりし日の父親がいったいどんな思いで戦争に行き、どんな思いで戦後の人生を始めたのか。そして、七十一歳で死ぬ時、いったい何を想い、何に感謝し何に未練を覚えたのか。そうした本音を直に本人から聞いてみたい。
でも、そうしたことは決してかなうことがない。生きている者と死んでいる者は、川上未映子さんが「十三月怪談」の中で書いているように、ほんとうに、お互いがお互いに対して「無力」なのだ。そのことがつくづくやるせない今日この頃である。
でもわたしがいまぼんやりとソファにすわってずっと思ってることっていうのは、死んだ人間っていうのはほんとに無力なんだなって、たぶんそういうことだった。自分が生きているときは、生きてる人間っていうのは死んだひとにたいして、あるいは死んでゆこうとしてる人にたいして無力だなって思ってるところがあった。なんにもいえないし。でも、死んだひとっていうのは生きてるひとになにひとつだってしてあげることはできないし、さわることだってできないし、もうなにもできなくって、ほんとうにちがう世界にいるんだなってそう思う。
川上未映子『愛の夢とか』(講談社、2013年)収録「十三月怪談」より